寄って来る五匹の猫
夏乃緒玻璃
第1話 前編
猫アレルギーで喘息持ち。
猫と同じ空間に一時間もいると、くしゃみが止まらなくなってしまう。
猫はにっくきアレルゲンである。
遠ざけるべきである。
それなのに奴らは時に腹を見せてクネクネと「ふしぎなおどり」をしたり、ミャアミャアと甘い声で鳴いて誘惑するのである。
うかうかとそれに乗り、こちらから寄って行けば鋭い爪の一撃が待っている。
そんな憎むべき
しかし私は不思議な事に奴らに寄って来られた事が今までに五回ある。毎晩来る奴もいたので、正確には五匹と言うべきか。
最初の一回は道端の捨て猫だったので目的は分かる。しかしそれ以外は全く意味がわからない。
そんな不思議な五匹の猫についてお話しさせて頂く。
一匹目の
三歳か四歳の頃だった。
台風で大雨の日。傘も役に立たず、私の小さな体は油断すると飛ばされそうになるほどの強風だった。
私は母の手を強く握りながら、家路を急いでいた。
「あれ?」
暴風雨の中で何かが私を呼んだ気がした。
立ち止まり左右を見る。
「どうしたの、急ぐよ!」
「待って。何かいるの」
ずぶ濡れで明らかに不機嫌な母の手を離し、周囲を探す。すぐ横の路駐の車の下のようだ。
「きみだあれ?なあに?」
首を傾けて覗き込むと目が合った。
同時に、小さな生き物が飛び出して来た。ずぶ濡れの子猫。びしょ濡れになった茶色の小さなかたまり。
捨て猫か、親とはぐれたのか。
抱き止めようとした私を、母が手を掴んで止めた。
「駄目、飼えないよ。こっちに来なさい」
母は私を引きずるようにして歩き出した。しかしニャアニャア鳴きながら子猫はついてくる。
「待って。なんで?」
半泣きで母に訴えるが、母の足取りはどんどん速くなる。しかし猫も、負けじとスピードを上げて付いてくる。子猫はいよいよ必死の叫びをあげてどこまでも付いてくる。
「かわいそうだよ。待ってあげてよ」
私もとうとう大泣きする。
ついに母は私を抱き抱え、走り出した。
ニャアニャアという悲しい声は、雨音に混じってしばらくずっと付いてきた。しかしだんだん遠くなり、やがて聞こえなくなった。
家に着くと母は
「飼えない動物に優しくしてはいけないのよ。逆に可哀想なのよ」
と私に言った。私はまだぐずっていたが、もう二度と母は取り合わなかった。
その後しばらくは、雨の日になるとあちこちの車の下を覗きこむ癖がついた。
大人になった今でも、雨の強い日にはニャアニャアという声が追いかけて来るような気がして、足を止める時がある。
しかし耳を澄ませても、聞こえるのは雨音ばかり。
二匹目のシャム
一匹目の、二匹目の、と章立てしているのは「クリスマス・キャロル」に出て来る三人のゴーストっぽくしたかっただけなので、気にしないで欲しい。
実際、猫はゴーストより遥かに誘惑に長けた凶悪なデーモンである。にゃ。
シャム猫のクリスは気高い雌猫だった。
トパーズのような瞳と、銀の絨毯のような毛並みが美しかった。
彼女が我が家に来たのは、私が5歳の頃だった。
猫が小児喘息の原因などとは、この頃はまだ知らなかった母が知人から貰い受けたのだ。
雑種の捨て猫などには目もくれない性格の母であったが、高級なシャム猫はまた別のようだった。
クリスは無遠慮に触ろうとする私には遠慮なく爪を立てる、媚びる事のない孤高の猫だった。
一方では、母が帰宅すると必ず玄関に出迎えに来る律儀さを持っていた。
クリスの世話は主に同居していた叔母の仕事で、母はほとんど彼女に構う事は無かった。それなのに母にだけ懐いたというのは、おそらく持ち前の頭の良さで、誰が家のあるじか理解していたのだと思う。
しかしクリスが家に来て一年、私が六歳の時に不幸は起きた。家を売り払って転居すると母が言い出したのだ。転居先で猫は飼えないから、クリスは捨てるという。
子供の自分には事情がよくわからなかったし、母もそれ以上話さなかった。
確かに転居したのは事実ではある。
しかし別に捨てなくてもクリスほど美しいシャム猫ならば、貰い手はいたのではないか。
なぜあんな残酷な仕打ちをしたのかは、本当の所は今でも不明だ。ただ一つ、母の再婚相手は極端な動物嫌いであったので、彼の意思が大きなウェイトを占めていたのかもしれない。
母は、一度自分が決めたら子供が泣いて頼んでも考えを改める事は決して無い性格だった。私はクリスを隠そうとしたが、彼女はやはり私に爪を立てて触らせなかった。
ある日、母の親戚だという若い男がやってきた。
男は事もなげにクリスを捕まえて籠にいれ、自動車で運んで行った。どこか遠くへ捨ててくるように頼んだのは母だった。私は男に「邪魔だからあっち行ってな」と突き飛ばされ、何もできずに泣くだけだった。
しかし、2日後。なんとクリスは戻ってきた。
美しかった毛並みは泥だらけになって、ひどく弱っていたが、彼女はその知性と能力で家を探しあてて自力で帰ってきたのだった。
母は唖然として、何か恐ろしいものでも見るような目で彼女を見た。
その日、初めてクリスは母ではなく、私のもとへやってきて私の手から餌を食べた。賢いクリスは明らかに母を警戒していた。
次の日、私が起きた時にはクリスはまた連れ去られていた。いつかの男に今度はもっと遠くに捨てて来るように母が命じたからだった。
私は男と母を憎んだが、今度は泣かなかった。
頭のいいクリスはまた絶対帰ってくると信じていた。
何度捨てても帰ってくれば、そのうち母も諦めるしかなくなる。六歳児にできる唯一の事は、そう願う事だけだった。
しかし、三日たっても四日たっても、もうクリスは帰って来なかった。
彼女は永久に帰らなかった。
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