第25話 クウェンク殿下の婚約者

「本当に大きくなったわね。それにとっても光ってるわ。あ、これクッキーね」

「あ、ありがとうございます」


 どうしてこんなことになってしまったのかしら?

 私はターラル様が「知り合いなら積もる話もあるだろう」と出ていってしまった店内で、温かいお茶を飲みながら、この半日のことを思い返していた。


 「矢」が飛んでくるだなんて予想もしなかった先ほどの一件はさておき。

 私はターラル様のお仕事ついでということで、刺繍ししゅう用の糸を買うために同行させてもらっただけのはずなのだ。


 じっさい、このお店には赤の糸も黒の糸も豊富に取り揃えられているらしい。

 お金はターラル様が出してくださるようなので多少問題はあるけれど、糸が手に入るという意味でいえば予定通りだ。


 そのお店を経営しているのが、私がまだ幼い頃にカトラ子爵家のお屋敷を出入りしていたフローリアおばさまだというのだから、世間って本当に狭いと思う。


 おばさまに言われるがまま、日当たりのよい窓辺の椅子に腰掛けて待っていると、お茶が出てきて、それに続いてお茶請けのアイシングクッキーも登場した。


「このクッキー、すごく高くないです?」

「今日は大聖女様が来るかもしれないと聞いていたから、少しは豪華なものを用意しないとと思ったんだけどねぇ。まさか、アビーちゃんだなんて思わないじゃない」


 聞けば、フローリアおばさまはどうやら貴族相手に高価な衣服の修繕依頼を請け負っているらしい。

 聖騎士団の団長をしているターラル様はフローリアおばさまとも知り合いだったようで、基本的に聖騎士団は服の修繕をおばさまに頼んでいるそうだ。


 推しとのパイプがこんなところにもあったという事実を、以前の私に教えてあげたい。

 もちろん、私であることに変わりはないのだから、ターラル様の邪魔になるようなことは断じてしないと誓ってくれるはずだ。


 それはさておき。

 店内には高価そうな衣服はほとんどなく、糸や布といった材料の見本がたくさん並べられていた。


 庶民なら自分たちで直してしまうけれど、貴族たちは専門の業者に頼むのが普通なのだとか。

 服自体は工房アトリエで職人に作ってもらうのだけれど、彼らは新しい服を縫うので常時忙しいのもあって、おばさまみたいな専門の職人がいるみたい。


 ちなみにこの基準だと、カトラ子爵家では私が自分の服もお兄様の服も直していたので、庶民ということになる。


「フローリアおばさま、少し聞きたいのだけれど」

「どうしたの?」

「私がというか、大聖女がここに来るって誰から聞いたの? ターラル様?」


 向かいに腰を下ろそうとしているフローリアおばさまに、私は気になったことを問いかけた。


 だって、私がターラル様に「刺繍ししゅうをしたい」と伝えたのは今朝のことで、昨日までにそのような話は一切していないのだ。

 もとからターラル様がそんな話をするとは思えない。


「ターラル様? ああ、話をしてくれたのはあの騎士団長君ではなくてね──」


 そのとき。

 カランカランと軽やかなドアベルが店内に鳴り響く。


「あら、アビーちゃんはここでゆっくりお茶をしていてちょうだいね」

「は、はい」


 私が来ると言ったのは誰なのか気になるけれど、お仕事は大事だものね。

 おばさまは立ち上がると、お店の入り口の方へと歩いていった。


 誰が来たのか気になってしまい、観葉植物ごしにそちらを振り返る。

 入店してきたのは、色素の薄い金色の髪を縦に巻いたご令嬢だった。


 着ているドレスは海のように濃い青色を基調として首元に白いレースがあしらわれたもので、同色のスカートは豪華な多段フリル。

 彼女の実家は我が家なんかよりずっとお金持ちなのだろう。


 リズの声は聞こえないけれど、さすがに他の誰かの入店を拒むことはなかったようでほっとする。

 フローリアおばさまに迷惑をかけてしまったら、申し訳が立たなさすぎるもの。


 少し遅れて侍女らしき女性が入店してきたところで、ご令嬢が口を開いた。


「ごきげんよう。お願いしていたものだけれど、出来上がっているかしら?」

「ショールでしたね。少々お待ちください」


 フローリアおばさまは彼女に一礼すると、カウンターの奥へと行ってしまった。


 そうして店内には私たち三人だけが残される。

 ご令嬢は店内に足を踏み入れると、軽く周囲を見渡した。当然、彼女たちの動向を見ていた私とばっちり目が合ってしまうわけで。


 ご令嬢が私の方へと歩いてきたので、私はティーカップをソーサーに戻して彼女の方へと向き直った。


「ここに来たら会えると聞いていたけれど、本当だったわ。なんて幸運なのかしら! あ、まだ名乗っていなかったわね。わたくしはシア・オースよ」

「あ、アナベル・カトラと申します」

「よろしくね、アナベル」


 シア・オース様──どこかで名前を聞いたことがあるような気がするなと思えば、クウェンク殿下の婚約者様だ。


 それにしても「ここに来たら会える」ということは、やっぱり誰かが言いふらしたのかしら。

 ……にしては不自然な点もたくさんあるし、よく分からない。


 そんなことを思いながら名乗った次の瞬間。私の右手はシア様の両手にがっちりと掴まれていた。


 初対面のはずなのに、距離感がちょっとおかしくないかしら。そんなふうに戸惑っていると、再び入り口の扉が勢いよく開けられる。


「無事か⁉」

「えっターラル様?」


 そちらに視線を向ければ、そこには息を切らしたターラル様の姿があった。

 シア様は「あら、次期公爵様ごきげんよう」とまるで天気の話でもしているかのように、のほほんとしている。


 でも、顔がちょっと赤くなっているのは──ターラル様だからこそなせる技よね。

 複雑な感情がないわけではないのだけれど、彼はこの世で一番の美丈夫だから仕方がない。


 それにしても。二人はやっぱり知り合いなのかしら。

 ……ちょっとターラル様の雰囲気が剣呑けんのんとしている気がするのだけれど。


 もしかしてシア様も推し活と称して迷惑行為を働いているとか……⁉ さすがにクウェンク殿下の婚約者様だからそんなことはないとは思いたいのだけれど。


 そんなことを考えていると。

 ターラル様はそのまま私たちのもとまでやってきたかと思えば、シア様の手を私から無理やり引きはがした。


「アビーに何もしていないだろうな?」

「わたくしたちはお互いに名乗っていただけよ。ねえアナベル」

「え、ええ」

「それにしても! 本当に婚約おめでとう『ター君』」


 シア様もお母君のジェーン様と同じようにターラル様のことを「ター君」と呼んでいるのかしら。

 ちょっと羨ましいわ。……ではなくて!


「ターラル様とシア様はお知り合いなのですか?」

「アナベル! シアと呼んでちょうだい。様付けはなしよ」

「こうなることがはじめから分かっていたから、貴女をアビーに近づけたくなかったのですが」

「いいじゃない。婚約したのは貴方たちのなのでしょう?」


 一点の曇りもない、にこやかな笑顔。

 明らかに含みのある言い方だった。


 シア様も私たちの婚約が正当のものではないということを知っているのだということを、──そして彼女とターラル様の関係がどのようなものなのかということを、すっと理解してしまった。


 クウェンク殿下が伝えたのか、彼女もクウェンク殿下同様に聡明そうめいなお方なのか……。


「アビー、紹介しよう。彼女はオース侯爵家のシア嬢。クウェンク殿下のご婚約者様だ」


 アルメー公爵家もオース侯爵家も歴史ある上級貴族だ。

 クウェンク殿下を含めて、彼らは昔からの幼なじみということで間違いない。


 でなければ血縁関係もないのにターラル様のことを「ター君」と呼ぶなんて説明がつかないもの。


「まあ、そういうことよ。アナベルも知っていると思うけれど、クウェンク殿下とターく……ターラル様って仲がよろしいでしょう? だから、その婚約者である私たちも仲良くできたらなと思っているの」


 ちらりとターラル様の方をうかがうと、彼は処置なしと言わんばかりに目をつむって首を横に振った。


 特に止めないあたり、私たちの関係に支障はないということかしら。


「それではよろしくお願いいたします──っ」

「よろしくね。それじゃあお茶にしましょっか。ター君は見回りでしょう? 頑張ってくださいな」

「え?」


 シア様はパンと手を叩くと、フローリアおばさまの方を振り向く。

 フローリアおばさまも「どうしましたか?」とものすごく慣れているみたいだ。


「フローリア様、わたくしもこちらのお菓子をいただいても?」

「ええもちろん! たっぷり食べていってくださいな!」


 というわけで「馬車に戻る」と言い残してトボトボとお店を出ていってしまったターラル様。


 シア様とターラル様だと、力関係としてはシア様の方が上なのかしら。

 推しの知らなかった人間関係を知れて嬉しいけれど……こればかりは考えても仕方のないことよね。


「さっ、ター君もお仕事に戻っていきましたし。お友達どうし、たくさんお話しましょう?」


 これ本当に大丈夫かしら。

 「こういうの憧れていたのよね~」と巻き髪を無邪気に揺らす彼女の前で、気がつけば私はアイシングクッキーを二枚ぐらい一気にほおばっていた。

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