極寒の地へ追放された悪役貴族、『現代通販』で優雅に引きこもる ~激辛カレーが『神の奇跡』、カイロが『聖なる炎』と崇められ、領地が勝手に最強になりました~
第1話 誤発注したレトルトカレーが大人気となる
極寒の地へ追放された悪役貴族、『現代通販』で優雅に引きこもる ~激辛カレーが『神の奇跡』、カイロが『聖なる炎』と崇められ、領地が勝手に最強になりました~
河東むく(猫)
第1話 誤発注したレトルトカレーが大人気となる
「……寒い」
目が覚めた瞬間に俺が抱いた感想は、その一言に尽きる。
布団から出たくない。
いや、出たら死ぬ。
物理的な意味で。
俺の前世は、ブラック企業でシステムエンジニアをやっていた、しがない社畜だ。
徹夜続きのデスマーチの果てに過労死し、気づけばこの身体――アルヴォ・ハッラという名の貴族に転生していた。
顔は超絶イケメンだが、性格は極悪非道の冷酷無比な悪役貴族らしい。
だが、神様とやらは相当性格が悪いらしい。
転生先は大陸の北の最果て。
一年中雪と氷に閉ざされた極寒の地、ハッラ領。
通称「死の大地ルオト」。
(過労死して転生した先が、凍死寸前の限界集落とか何の罰ゲームだよ……)
俺の人生目標はシンプルだ。
働きたくない。
楽がしたい。
温かい部屋で、誰にも邪魔されずネットサーフィンをして一生を終えたい。
それだけなのに、現状は薪も食料も尽きかけ、領民と兵士はすでに限界を迎えているらしい。
コンコン、と控えめなノックの音が響いた。
「……入れ」とベッドで布団にくるまったまま答える。
この身体の元持ち主である「冷酷な悪役貴族」の声帯は、寝起きでも素晴らしい重低音を響かせる。
扉が開き、おずおずと入ってきたのは、屋敷に残った数少ない使用人の一人だった。
「あ、あの……おはようございます、アルヴォ様……」
震える声で挨拶をしたのは、小柄なメイド、スヴィだ。
透き通るような白い肌に、アメジストのような紫色をした大きな瞳。
「朝食をお持ちしました……」
彼女が盆に載せてきたのは、カチカチに凍った黒パンと、表面に薄っすらと氷が張った水だった。
おい待て。
これを食えというのか?
これは朝食というより、鈍器だろ。
スヴィは申し訳なさそうに身を縮こまらせる。
きっと、彼女の分もまともにないのだろう。頬がこけ、唇は紫色だ。
(……クソが)
ブラック企業への怒りに似た感情が湧き上がる。
こんな可愛い子が、寒さに震えながら石みたいなパンを運んでくる?
そんな世界、クソだ。
俺は温かいものが食いたい。
今すぐ。
猛烈に。
「……置け。下がっていい」
「は、はいっ……! し、失礼いたします!」
俺の言葉に、スヴィはビクリと肩を震わせ、逃げるように部屋を出ていった。
俺が嫌われているのは知っている。
この領地の人間は皆、俺を「氷の処刑人」と呼んで恐れているからな。
いったい、過去の俺は、どんなことをやらかして、この土地に来たのか……。
まあいい。
好都合だ。
一人にならなきゃ、『アレ』が使えない。
俺はベッドの中で指を組み、虚空を見つめて念じた。
(スキル起動――『異世界通販(NILE)』)
シュン、という小気味よい音と共に、俺の網膜にだけ見える半透明のウィンドウが展開された。
見慣れた検索バー。
オレンジと黒の配色。
そして右上に輝く『Prime』の文字。
これだ。
これこそが俺の生きる希望。
俺のユニークスキルは、前世で愛用していた世界最大の通販サイト『NILE』に繋がり、地球の商品を取り寄せることができる能力だった。
(とりあえず、温かくて、カロリーが高いもの、味が濃いもの……)
思考入力で検索をかける。
死の大地では、味のしないスープばかり飲まされている。
ガツンとくる刺激が欲しい。
『検索結果:業務用レトルトカレー(激辛) 200g×30個入りカートン』
これだ。
スパイシーな香り。
とろける脂。
想像しただけで唾液が出る。
俺は迷わずに購入ボタンを押した。
(……あっ)
気づいたときには遅かった。
『注文を確定しました。数量:1箱』
うわ、ミスった。
俺は「1個(単品)」を買おうとしたんだ。
なんで「1箱(30個入り)」をポチってるんだよ!
修正しようとした瞬間、ウィンドウに無慈悲な文字が浮かぶ。
『配送状況:配達完了』
ズドンッ!!!
部屋の空気が爆ぜる音と共に、俺の目の前の床に、巨大なダンボールが落下した。
「ひいっ!?」
廊下からスヴィの短い悲鳴が聞こえた。
しまった。
音でバレたか。
バタンと扉が開く。
スヴィが慌てて部屋に飛び込んできた。
「アルヴォ様!? 今、ものすごい音が……敵襲ですか!?」
スヴィは部屋の中央に鎮座する「それ」を見て、絶句した。
「これは……?」
彼女の視線の先にあるのは、ただのダンボール箱だ。
だが、この世界では紙すら貴重品。
ましてや、規格化された均質な繊維で作られた茶色の箱など、オーパーツもいいところだ。
箱の側面には、大河の流れを模した『波打つ笑顔』のロゴマークが描かれている。
俺が愛用している世界最大の通販サイト『NILE(ナイル)』の箱だ。
スヴィの瞳が見開かれる。
「見たこともない素材……それに、この紋章は……笑っている……? なんて不敵な……これはいったい……」
(いや、ただのダンボールだ。そのうち家中がダンボールで埋め尽くされて、どうしようもなくなるんだぞ)
心の中でツッコミを入れるが、口には出さない。
説明するのが面倒だからだ。
それより問題は、この量だ。
30個ものレトルトカレー。
俺一人で消費するには多すぎるし、この部屋に置いておくのも邪魔だ。
返品処理?
めんどくさい。
UIを操作する指すら冷たいんだ。
俺はため息をついた。
「……やる」
「え?」
「持って行け。邪魔だ」
俺の言葉に、スヴィはきょとんとした顔をする。
俺はさらに言葉を重ねた。
「……余りもんだ。好きにしろ」
そう言って追い払おうとしたところで、ふと気づく。
(待てよ。こいつら、レトルトカレーなんて見たことないはずだ)
あの銀色のパウチは文明社会の結晶だ。
この世界の人間にそのまま渡せば、袋ごと齧り付くか、あるいは中身を冷たいまま皿に出して絶望するのがオチだ。
冷たいカレーなど、油が固まっていて食えたものじゃない。
俺は熱々のカレーが食いたいのだ。
説明するのは面倒だが、不味い食い方をされるのはもっと癪に障る。
「……待て」
「は、はいっ!」
箱を抱えて退出しようとしていたスヴィを呼び止める。
俺はため息をつくと、ベッドから這い出した。
寒!
死ぬほど寒いが、食欲が勝った。
「貸せ」
「えっ、あ、はい……?」
俺はスヴィが持っていた箱から、銀色のパウチを一つひったくる。
そして、彼女が持ってきた「朝食」の盆に目を向けた。
そこには、表面に氷が張った水桶がある。
(レンチンできれば一発なんだが……まあいい、やるか)
俺は水桶に片手をかざした。
貴族のたしなみとして、初歩的な元素魔法くらいは使える。
実戦で使うと疲れるから嫌いだが、湯を沸かす程度なら造作もない。
「……焦熱」
ボッ、と掌から赤い炎が噴き出し、桶の底を舐める。
本来なら魔力の無駄遣いだが、今は背に腹は代えられない。
ジュウウウウウ……!
数秒もしないうちに、氷は溶け、水は激しく沸騰し始めた。
立ち上る湯気。
部屋の温度がわずかに上がる。
「あ……アルヴォ様……!? 魔法を、こんなことのために……!?」
スヴィが驚愕の声を上げるが無視する。
俺は沸騰した湯の中に、銀色のパウチをドボンと放り込んだ。
「ひっ!?」
スヴィが悲鳴を上げる。
「いいか、よく見ておけ」
待ち時間は三分。
三分間、俺たちは無言で鍋を見つめた。
シュールな時間だが、美味いカレーのためには必要な儀式だ。
やがて時間が来る。
俺は熱々のパウチをつまみ上げると、それをスヴィの目の前に突き出した。
「……『銀の皮』は食うな。中身だけをパンにかけろ」
それだけ言い捨てて、パウチの端を手で引き裂く。
「俺はこういうふうに」
封切った瞬間、閉じ込められていたスパイスの香気が爆発的に広がった。
「――――ッ!!」
スヴィが目を見開き、恍惚とした表情で鼻を鳴らす。
俺はその中身――ドロリとした黄金色の液体を、カチカチの黒パンの上にトロリとかけた。
湯気が立つ。
完璧だ。
「……やり方は分かったな?」
俺はスヴィに冷たく言い放つ。
これ以上説明するのは面倒だ。
あとは自分たちで考えろ。
「下がれ。俺は食事にする」
「は、はいぃぃっ!!」
スヴィは顔を真っ赤にして、何度も頷いた。
その瞳は、何かとんでもない奇跡を目撃したかのように潤んでいる。
(……なんで泣いてるんだ?)
疑問に思ったが、聞くのも面倒なので俺はスプーンを手に取った。
スヴィが深々と頭を下げ、箱を抱えて部屋を出ていく。
扉が閉まると同時に、俺はスプーンを皿に突っ込んだ。
カレーが絡んだ黒パンを口に運ぶ。
「……っ」
辛い!
そして、美味い!
強烈なスパイスの刺激が、死にかけていた味蕾を叩き起こす。
固いだけの黒パンが、濃厚なルーを吸って柔らかくなり、極上の料理へと変わっていた。
「生き返る……」と独り言が漏れ出た。
これだ。
俺が求めていたのは、この文明の味だ。
俺は一心不乱にスプーンを動かし、あっという間に皿を空にした。
腹が満たされると、次は睡魔が襲ってくる。
人間の三大欲求に忠実な俺は、再びウィンドウを開いた。
(ついでに『アレ』も出しておくか)
俺は虚空から、もう一つの段ボールを取り出した。
中から出てきたのは、毛足の長いフワフワの布地。
『着る毛布(極厚マイクロファイバー)』
こいつを頭からすっぽり被る。
体温が逃げない。
肌触りが最高だ。
ここは天国か。
俺はミノムシのように丸まり、至福の二度寝を決め込むことにした。
「あー、あったけぇ。幸せ……」
意識が微睡みに落ちていく。
このまま春まで寝ていたい。
だが、その安眠は、窓の外から響く地鳴りのような声によって妨害された。
◇◇◇
「うおおおおおおおおおおっ!!!」
屋敷の外、兵舎の前で轟音が響き渡った。
それは、兵士たちの咆哮だった。
俺は着る毛布に包まれたまま、窓へと移動する。
彼らの手には、湯気を立てる黒パンが握られている。
パンには、スヴィによって配給されたカレーがかけられていた。
「なんだこれは……! 身体が熱いぞ!」
「美味い! 美味すぎる! こんな濃厚な味、王都のレストランでも食べたことがない!」
「氷のように冷え切っていた手足に、血が巡っていくのが分かる……!」
騎士団長の男が、涙を流して空を仰いだ。
スパイスのカプサイシン効果による発汗作用と血行促進。
だが、彼らにとってそれは、未知なる魔法の効果に他ならなかった。
スヴィが、感極まった声で叫ぶ。
「聞いてください! この食料は、アルヴォ様がご自身の魔力を振り絞って『召喚』してくださったのです」
「だ、だがスヴィよ! アルヴォ閣下は『余りものだ』とおっしゃったのだろう?」
「それは、アルヴォ様なりの『嘘』なのです」スヴィは空になった段ボール箱を指差した。「見てください、この量を! アルヴォ様が、自分のためだけに『三十食分』もの食事を召喚するわけがないでしょう」
「た、確かに……!」
「最初から、飢えた私たち兵士や使用人に行き渡るように……計算して大量に取り寄せてくださったに決まっています!」
「なんと……! 我々は、あの方の不器用な優しさに気づきもしなかったというのか……!」
騎士団長は、段ボール箱に描かれた『波打つ笑顔』のロゴマークを見た。
「見ろ、この紋章を! これは、我々に微笑みかけている『慈悲の神』の印に違いない!」
「おおお……! アルヴォ様は、神界からこの秘宝を取り寄せたというのか!」
「我々は誤解していた! あの方こそ、この死の大地を救う救世主だ!」
兵士たちが一斉に屋敷の方角を向き、膝をつく。
その瞳には、狂信的なほどの忠誠の火が灯っていた。
「アルヴォ様バンザイ!! ハッラ領バンザイ!!」
「一生ついていきます! アルヴォ閣下!!」
極寒の空の下、熱狂の渦が巻き起こる。
◇◇◇
「……うるせえ」
ベッドの中で、俺は眉をひそめた。
「……あとで全員、減給にしてやる」
そうボソリと呟き、俺は着る毛布の襟元をギュッと掴んで、顔まで覆った。
温かい。
今はそれだけでいい。
俺は、深い眠りに落ちていった。
――――――――――――――――――
【★あとがき★】
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