第2話

 しばらくすると急激な眩暈に襲われて気づけばまた狼の姿に戻ってしまっていた。

 しかし、一瞬でも人間に戻れたおかげなのか僅かながら記憶を取り戻すことができた。


「ラウフさんっていうんですね。よろしくお願いします!」


 獣耳をピクピク震わせて、そう挨拶をする。

 彼女はどうやらその獣耳によって狼状態の俺の言葉を聞き分けることができるらしい。


 少女の名前はユーニスといった。

 ユーニス・ウォルヘンデン――そう丁寧に自己紹介された。


「ラウフさんは人狼さんなんですか?」


 唐突な質問だった。


――バウゥ、バウ(そんなわけあるか、俺は人間だ)


 間髪入れずに、それを否定する。


「人間? でも……」

 ユーニスが床に寝そべる俺を頭から尻尾までなぞって見る。

 姿は狼そのまんまだと、そう言いたいんだろう。


「自分が人間だという認識を持ったまま、狼の姿でいるということか……」


 広間の中央にある大きな机の一角からこちらの様子を伺っていた蛇の魔族が口を開く。


「ハリオンさん……?」

 ユーニスが振り返る。


 蛇の魔族はどうやらハリオンという名前のようだ。


「おそらく人狼たちは、そういう風に捉えることで自分たちの存在を隠し通してきたのかもしれんな」

 ハリオンは俺の方をじっとみて神妙に呟いた。


「身体を狼に、意識を人間と思い込んで人狼であること自体を忘れてしまった――ということですか?」


 ユーニスの問いにハリオンは「うむ」と頷く。

「そうすることで人狼狩りから逃れてきたのだろう」

 ハリオンが言い終わると重たい空気が広間に漂い始めた。


 ユーニスの手がそっと俺の腰あたりに置かれるが咄嗟に俺は立ち上がりそれを振り払う。

 同情からくる仕草に思えたからだ。


「そういえばラウフさんは人狼狩りについて知ってたりするんですか?」

 振り払われた手を引っ込めてユーニスは言う。


――バウッ(知るわけないだろ)


 俺はそっけなく返した。


「はるか昔のことだ、無理もない」

 俺が何も知らないことをユーニスから伝えられるとハリオンは深く頷いた。

「今から300年ほど前、人間と魔族の世界を巻き込んだ戦争があった。戦争終結の協定が結ばれるまで100年近く続いた戦争だ」


 ハリオンは淡々と語りだした。

 知っていたか、人狼君と言いたげに目をギョロッと見開いてハリオンは続ける――


「協定は人間と魔族の同意の下、様々な線引きや取り決めが行われたが、その中の一つに『人狼の抹殺』というものがあったのだ」


 ハリオンはそれが初めて発覚した事実であるかのように、無念そうに首を振った。


「人間社会に溶け込み、何の前触れもなしに化け物に変身する人狼を人々は恐れたのだ。そして魔族側はそれを飲むしかなかった、戦争終結のために……」


――そして、戦争は終わり、人狼狩りが始まった。


 長い間狩られ続けた人狼は次第にその数を減らしたが、絶滅したわけではない。

 身を潜めたのだ。

 自分たちが人狼であることを忘れて、人もしくは獣として生きながらえた。

 それがハリオンとユーニスの推察だった。


「私たちは人狼さんたちの復権を目指しています」


 俺の目をじっと見つめてユーニスは宣言した。

「もしかしたらラウフさんは勘づいているかもしれませんが、この狼の耳と尻尾は普通のとは違います」

 そう言うとユーニスは狼耳を器用に動かしてみせた。


「今、ラウフさんと会話できているのはこの耳のおかげなんですよ」

 耳の内側を左右に向けたり、前に向けたり、後ろ斜めに流したり、自由自在に動かしては得意げに言った。


「そして、この尻尾はその匂いで人狼さんを強制的に変身させる力を持っているんです」

 ユーニスは背後の尻尾をパタパタと振る。

「実はこれについては半信半疑だったんですか、さっきラウフさんで試させてもらって――ビックリしちゃいました」


 そう言ったユーニスはしばらく虚空を見つめる。

 しばらく硬直したのち、次第に顔を赤らめた。


「いや、いきなり男性の裸体が現れたからビックリしたわけじゃないですよ。尻尾の力が噂通りでしかも人狼さんが本当にいたことに驚いただけです!」

 ユーニスが俺に力説するように前屈みになって顔を近づけてきて、必死に何かを取り繕ってきた。


 急に慌ててどうしたんだ、こいつは?

 なぜユーニスがこんなに慌てているのか分からないが、俺は額で急接近してきたユーニスの顔を押し退けた。

 

――バゥ、バゥバゥ?(人狼がいることが分かって、それからお前たちはどうしたいんだ?)


 簡単に倒され尻餅をつくユーニスに問いかける。


「えっと、まずは他に身を隠している人狼さんを探し出すために尻尾と耳の力を上手く使えるようになりたいと考えています……えっと、あの人狼さんたちの復権を勝ち取るためには、ちゃんと力を制御できることを証明しないといけないと思ってるから……です」


 まだ動揺を抑えられていないユーニスが言葉を選びながらゆっくり説明をする。


「うむ。今ユーニス君は君を人間へと戻すことに成功したが、それは意図したことではない」


 何を話しているのか察したのかハリオンが立ち上がり、話を付け加えてきた。

「尻尾の力を意図的に使えるようになること、そして人狼へと変身させて正気を保たせること、それができるようになって初めて人狼たちを世間に認めされることができよう」


 ハリオンはつらつらと語りながら、俺の前までやってきた。


「それは、君にとっても得となる話なのだ」

 ユーニスの隣に立ち、「どうだろう」と俺の顔を覗き込んできた。


「なので、ラウフさんにはお願いがあります」


 ようやく落ち着いたのか、ユーニスは鼻についた毛を丁寧に取り上げると俺の目をまっすぐと見つめてきた。

「私が耳と尻尾の力を上手く扱えるようになるまで、練習相手になってくれませんか?」


 2人とも期待の眼差しで俺を見下ろしてくる。

 待ち望んでいたものが目の前にいるのだから当然の反応かもしれない。


 だが、残念ながらその望みは叶わないだろう。

 俺は人間なのだから。


 そこがそもそもの間違いなんだ。


 今なら以前の自分の姿がはっきりと思い出せる。

 ラウフ。ラウフ・サール。


 魔族狩りの家系――サール家の生まれ。

 終戦協定を破り、反旗を翻す兆しのある魔族を見つけだして処罰する執行人の家系だ。


 人狼の復権など言われた時は思わず吹き出してしまいそうになるところだった。


 なぜ狼の姿になった理由は不明だが今この時にこの2人に出会ったのは天命としかいいようがない。

 不和の前兆となる者は早急に取り除かなければならない。


 仮にこの2人の言っていることが――人狼が身を潜めていることが事実だった場合。

 このユーニスの耳と尻尾は“狩り”に役立つはずだ。

 大切なのは利用できるかどうかだ。


――バウバゥ(もちろん断る理由はないな)


 とりあえず望み通りの返事をしてやる。


「本当ですか⁉︎」

 ユーニスが手を叩いて喜ぶ。


 無意識なのか背後の尻尾もぶんぶんと喜びの舞を舞うかのように振られていた。

 こっちの思惑など全く気づかずに脳天気に喜んでいる。


 ちょっと脅せば、従うようになるか?


 俺は俺の計画をゆっくりと練り始めた……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る