第8話 想定外!? 肝試し事件

 夜になって、山は昼間とは別の顔になった。

 真っ暗、とまではいかないけれど、街灯の少ないキャンプ場特有の薄闇が広がる。

 そして、先生の一言で全員のテンションが上がった。


「それじゃあ今からみんなお待ちかね――肝試しをしまーす!!」


 歓声と悲鳴が同時に上がる。

 もちろん、オレは後者だ。


「お姉ちゃんは私が守る……お姉ちゃんは私が守る……」

「千尋、さっきから何の呪文?」


 紗月が心配そうにオレを見る。そんな表情を可愛い。

 なんて言ってる余裕は今のオレには無かった。


「だ、大丈夫……守る側……守る側……」


 実のところ、ホラーはめちゃくちゃ苦手だ。

 それは前世から変わらない。幼稚園児が主人公の某国民的アニメのホラー回ですら怖くて見れないほど。怖い話を聞くなんてもっての他だ。寝れなくなる。

 でも今日は妹としての意地がある。

 ルールは簡単。

 班ごとに二人一組になって、山道のコースを一周。

 途中でチェックポイントの札にスタンプを押して帰って来る。

 コース上には先生達と、志願したクラスメイトがお化け役として待機してるらしい。

 最初はお化け役になって邪魔することも考えたけど……この暗さ、そして雰囲気。お化け役に耐えれる気がしなかったので断念。

 だけど、イベントが起こるならここのはず……たぶん。確証はないけど。

 なんとかして紗月と一緒になって――。


「じゃあ組み合わせを発表するねー。藤宮さん姉妹の班は……紗月ちゃんと田中君、千尋ちゃんと神谷君ね」

「へっ!?」


 思いも寄らぬ組み合わせに思わず素っ頓狂な声が漏れる。

 オレの声に周囲が笑いに包まれるが、そんなことを気にしている場合ではない。


「せ、先生! なんで私とお姉ちゃんがペアじゃないんですか!」

「たまにはお姉ちゃん以外の人も頼ってみなさいってことよ」


 先生が悪い顔でウインクしてきた。教育的指導という名のフラグ乱立、やめてほしんだけど!

 いや、悠真と紗月が一緒にならなかっただけ良かったと思うべきなのか?

 こう言っちゃなんだけど田中君はイケイケタイプじゃないし。


「……千尋、大丈夫?」

「だいじょうぶ!! 私はお姉ちゃんを守る!!」

「別のペアだよ?」

「……そうだった」

「そうじゃなくて、わたしが心配してるのは千尋の方だよ。だって怖いの苦手でしょ?」

「ぜ、全然平気! 平気だから!」

「強がっちゃって……ゆーくん、千尋のことお願いね」

「おう、任せてくれ!」

「勝手に任されないで! お姉ちゃーーん!!」


 紗月は申し訳なさそうに笑い、「ゴールで待ってるから」と言って先にスタート地点に向かった。




 ◆




 肝試しが始まった。

 暗い山道に懐中電灯の光だけが浮いている。

 オレと悠真は、それぞれ懐中電灯を一本ずつ持たされていた。

 ペア同士、距離が離れすぎないようにという配慮らしい。


「それじゃ行くか」

「……行かなきゃダメ?」

「行かなきゃ終わらねぇだろ」

「それはそうだけど……」


 いや、ここで逃げるわけにはいかない。

 お姉ちゃんを守る妹が、肝試しひとつでビビっている場合じゃない!


「よし! 行こう!」

「よし、その意気だ」


 山道は普段なら散歩にも良さそうな簡単なコースだが、夜になると雰囲気が全然違う。

 木々の間からのぞく空は黒く、虫の声や鳥の羽ばたく音がやけに近く聞こえる。

 懐中電灯の光の輪に入らないところが、全部「何かいそう」に見える。


「なぁ千尋」

「なに」

「そんなに俺の袖を掴んでたら、歩きにくくないか?」

「あっ」


 気付けばオレは悠真のTシャツの袖をしっかり掴んでいた。

 ……違うんだ。これは状況的にやむを得ない安全策であり、決して悠真のことを頼ってるとかそういうわけじゃなく――。


「これは転倒防止策だから!」

「まぁ確かに足元見えづらくて危ないしな。でもそれだと千尋が転んだから俺も一緒に転けないか?」

「死なば諸共に!」

「なんで死ぬ覚悟なんだよ」


 そんなやりとりをしていると――


「うらめしやぁあああああああ!!!」

 

 茂みから白い布を被った何かが飛び出してきた。


「きゃぁああああああああああっっ!!??」


 あまりのタイミングの良さにオレは思わず素で悲鳴を上げた。

 足がもつれて見事に転けそうになる。


「っと……」


 袖を掴んでいたせいで、オレの身体はそのまま悠真の方へ倒れ込む形になり、それを悠真が支えてくれた。


「大丈夫か?」

「これ見て大丈夫に見えるならその目節穴だよ! 怖い!!!」


 紗月を守ると息巻いていた時の守る側の決意はどこへやら、これでは完全に守られる側だ。


「ほら、大丈夫だから行くぞ」


 どんなに怖がろうが、それでもコースは続く。

 途中のチェックポイントでスタンプを押しながら進むが、そのたびに『左から幽霊登場』『右から骸骨のお面』『木の陰にゾンビメイク』など、仮装したクラスメイト達が次々に襲いかかってきた。


「ぎゃぁあああああ!!」

「千尋、叫び声のボキャブラリー増えてきたね」

「それ褒めてるつもり!? 美月、後で覚えときなさい!」


 三つ目のポイントを過ぎた頃にはオレの声はガラガラだった。

 幽霊役の方もさすがにやり過ぎたみたいな顔してる。今更だけどな1


「大丈夫か? 本当に無理ならここでリタイアしてもいいぞ」

「大丈夫……私、平気だから……」

「いやどう見ても平気じゃないしなぁ。紗月ももうゴールで待ってるだろうし、そんなに強がらなくても」

「あっ……」


 そうだった。紗月はもうとっくに行ってる。守る対象がここにはいないのに、オレはどうしてこんなに必死になってるんだろ。

 だけど……。


「だいじょうぶ、行く」

「……わかった。じゃあ、あとちょっとだけ我慢しろ。もうすぐゴールだから。それと、はい」

「なにこの手」

「こういう時は人の体温感じてた方が安心できるだろ。俺の手を握るのは嫌かもしれないけどな」

「…………」


 悠真の言葉はあくまで静かで、軽くて、でもどこか揺るがない感じがした。

 オレは何も言い返せなくて、ただ悠真の差し出してくれた手を握ることしかできなかった。




 ◆




 やがてゴール地点が見えてくると、焚き火の明かりが二人を包んだ。

 火の向こう側で紗月が心配そうに手を振っている。

 その姿を見た途端、オレは無性に恥ずかしくなって悠真から手を離した。


「千尋、大丈夫だった? お化け役の子から話を聞いて、もう心配で心配で」

「……死ぬかと思った」

「まぁあれはたしかに死にそうな悲鳴だったな」


 悠真が苦笑する。

 それでも火の明るさと紗月の顔を見た瞬間、全身から一気に力が抜けた。

 地面に座り込んで、オレは自分の膝を軽く叩いた。


「私は……お姉ちゃんを守る側のはずだったのに……」

「十分守ってくれてると思うけど」

「こんな情けない姿見られたくなかった」

「完璧じゃなくたっていいだろ別に。それくらいの弱点があった方が可愛げがある」


 悠真は焚き火の明かりを見つめながらぽつりと言った。

 その横顔を見て、なんだか妙にムカつくような、ムカつかないような感情が湧いた。


「……なんかムカつく」

「それは理不尽じゃないか?」

「うるさい」


 焚き火の煙が目にしみて、少しだけ涙が出た。

 それをごまかすために、オレは顔をそむけた。




 ◆




 林間学校最終日。

 山を下りる前に全員で集合写真を撮ることになった。


「じゃあ、みんなこの辺に並んでー。背の順でね」


 先生の指示で自然と列ができる。

 結果、こうなった。

 真ん中にオレ。右側に紗月、左側に悠真。

 なんでこう悠真はいつも紗月の側に居るんだろう。今回はオレが間に挟まってるからまだいいけど。

 そんなことを考えてる間にシャッターが切られる。

 カシャリ。

 カメラの中に今の距離感がそのまま閉じ込められる。

 それがどうしようもなく腹立たしくて、どうしようもなく、ちょっとだけ嬉しかった。

 バスに乗り込みながら、オレは窓に額を押し当てて考えてる。

 想定とは色々違うかったけど、中学生としての大きなイベントはこれで最後。

 次に季節が巡ったとき、オレ達は高校生になる。

 『恋咲アンサンブル』の本編が始まる、あの舞台に。


「お姉ちゃんは、私が守る」


 それは変わらない。変えちゃいけない。

 でも、あの肝試しの時に感じた優しい手の温もりだけは、どこか残っていた。

 別にだからどうこうってわけじゃないけど、ただ気付いてしまった。

 時々オレも「守られる側」になるらしい。

 それが気に入らないような、ちょっとだけ安心するような、妙な気分だと言うことに。

 窓の外で山の輪郭が遠ざかる。

 あの集合写真も、肝試しの時の出来事も、そのうちアルバムに挟まれて笑い話になるだろう。

 中学最後の林間学校の記憶なんて、本編の始まる高校生になったら忙しさに紛れて薄れていくものだと――この時はそう思っていた。

 物語が始まる高校生活で何が起こるかを、この時のオレはまだ知らなかった。

 

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