第3話 雨の日の傘と小さな誓い

 それからさらに時は流れた。

 オレ――藤宮千尋がこの世界に転生してからすでに数年。

 幼稚園での出会いイベントをなんとか阻止(?)したオレだったが、気付けば小学校に上がる年齢になっていた。

 幼稚園時代、オレは常にお姉ちゃん――紗月にべったりで、園の誰からも「シスコン」と呼ばれるほどだった。

 事実その通りだ。いや、正しくは「推しを守るために全力を尽くすフラグクラッシャー」なのだが、周囲から見ればどうしても姉に依存している妹キャラにしか見えないらしい。

 それでも構わない。笑われても、茶化されても、オレの目的はただ一つ。

 原作通りに紗月が悠真と結ばれることを防ぐ。

 ただそれだけだ。

 そして、オレ達は小学校に入学した。




 小学校生活が始まっても、オレの警戒身は緩むことはなかった。

 むしろ幼稚園時代よりもさらに危険だ。

 なぜなら、原作ゲーム『恋咲アンサンブル』の回想において「小学校低学年の頃の思い出」としていくつかの重要なフラグシーンが語られていたからだ。

 その一つが雨の日の傘イベントである。

 幼い二人が突然の夕立に降られ、悠真が紗月に傘を差し出す。

 「風邪引いちゃうよ」と声をかけて。

 そのさりげない優しさが紗月の心に刻まれる。

 

 これが、原作における決定的なフラグの一つだった。


 オレは転生者として、これを絶対に阻止しなければならない。

 何度も何度もプレイして知っている。あれがあるから、紗月は悠真を意識し始めるのだ。

 ならばオレが先に行動する!

 お姉ちゃんに傘を差し出すのは悠真じゃない――オレだ!




 そして、その日は突然訪れた。

 梅雨の最中、昼からどんよりとした曇り空。

 オレは朝からずっと落ち着かなかった。

 母は「千尋はお天気占い師さんね」と笑っていたが、笑い事ではない。

 今日は雨が降る。絶対に降る。

 つまり――フラグが立つ日だ。

 そして放課後。

 下校の時間になると、予想通りポツポツと雨粒が落ちて来た。

 最初は小雨だったのに、あっという間に土砂降りになて、傘を持っていない子供達が悲鳴を上げて駆け出す。

 紗月は傘を持っていなかった。

 お母さんは「今日はギリギリ降らないだろう」と高を括っていたらしい。

 だがオレは違う。オレはちゃんと備えてきた!

 鞄の中に折りたたみ傘を仕込んできたんだ!


「どうしよう……」


 隣で紗月が小さく呟く。


「ふふん、大丈夫だよお姉ちゃん! 私がちゃんと折りたたみ傘を……折りたたみ傘を……」


 ランドセルから折りたたみ傘取り出したオレは顔を真っ青にする。

 開こうとした傘が開かなかったからだ。

 なんで、どうして開かないんだよ! この間はちゃんと――。


「ハッ!?」


 そこで思い出す。この間、雨の降った日。帰り道で隣のクラスの奴と雨が止んだからってチャンバラごっこしたんだ!

 紗月には注意されたけど、童心に戻ったみたいで……いや実際、子供に戻ってるんだけど。

 かなり楽しかったんだよなぁ。

 でもまさかあれで壊れたってのか!?

 クソ、安物の折りたたみ傘が祟ったか!


「壊れてるの?」

「……みたい」


 まさかこんな……クソ、朝にちゃんと確認しておくべきだった!

 このままじゃイベントが起きてしまう!

 オレは即座に紗月の手を掴んだ。


「こっち! あそこ!」


 学校の昇降口の横にある小さな屋根付きのベンチ。そこなら一時的に雨宿りできる。

 紗月はオレに引っ張られながらも「千尋、すごい!」と微笑んでくれた。

 その笑顔にオレの心臓は跳ね上がる――が、今は任務が先だ。

 屋根の下でホッと息をついた、その時。


「……あ、紗月? 千尋も」


 ――来たがった。神谷悠真。

 クラスメイトであり、原作の主人公。

 手にはきちんと子供用の傘を持っていて、オレ達に差し出そうとしていた。


「二人ともそんなとこ入れたら濡れるよ……一緒に入る?」


 来た、決め台詞。

 原作で紗月が悠真を特別と意識し始めるきっかけの台詞だ。

 オレは即座に前に飛び出した。


「ダメーっ!!」


 悠真の差し出す傘を両手でブロックした。

 雨水がぱしゃりと跳ねて、オレの制服はあっという間に濡れてしまった。


「え、千尋……!?」

「うわ、びっくりした!」


 二人の驚きの声を無視し、オレは叫んだ。


「わたしはお姉ちゃんと二人で帰るの! 傘なんていらない!」


 シスコン宣言。

 近くを歩いていた数人がこちらを見てクスクスと笑っていたが、構うものか。

 これは使命だ。推しを守るためなら、笑われるくらい安い犠牲だ。

 むしろ、シスコンという印象がついた方が動きやすいまである。

 だが、そんなオレの言葉に困ったように眉をひそめた。


「でも……風邪をひいたら大変だよ?」

「風邪ひいてもいいの! お姉ちゃんと一緒なら!」


 ――バカだろう、オレ。

 頭のどこかでそう突っ込みつつも、体は止まらなかった。

 紗月が慌ててオレの肩に手を置く。


「千尋、ダメだよ! ちゃんと傘に入らないと……しばらく雨も止みそうにないし」

「いや! 絶対に入らない!」


 その必死な声に紗月が目を丸くする。

 悠真はしばらくオレを見ていたが、やがて苦笑して傘を引っ込めた。

 勝った……そう確信したオレだったが、悠真は次の瞬間思いも寄らぬ行動に出た。


「……わかった。無理に入れって言わない。でも、じゃあこっちにだって考えがあるぞ」

「?」


 言うやいなや、悠真はオレ達の前に傘を置いて駆け出した。

 雨にずぶ濡れになりながら。


「え、ちょ、なにしてるの!」

「もう濡れたから傘なんていらない。だからその傘代わりに使ってくれ。じゃあな!」

「あ、悠真君!」


 紗月が呼び止めるのも聞かず悠真はあっという間に駆け出して行ってしまった。

 な、なんじゃそのイケメンムーブはぁああああああああ!!

 見ろ、この紗月の顔! ポッって赤くなってんじゃねぇか! ポッて!


「悠真君……」


 なんだこの敗北感……勝ったと思ったのに、これが原作主人公の力……。

 

「くっ……負けた……」

「負けた? 急にどうしたの千尋。服が濡れちゃうよ。また悠真君にお礼言わないとね。千尋もちゃんと言うんだよ?」

「う……うん」


 紗月の笑顔が眩しい……でも、今だけはその笑顔を見ても敗北感は拭えない。

 悠真……原作主人公だけあって、やっぱり器が大きい。


「次は……次こそは必ずフラグをへし折ってみせる……っ!」


 悠真の置いていった傘を握り締めながら、オレは強く誓うのだった。

 




 ちなみに、紗月との相合い傘は全力で堪能した。

 その一点だけは悠真に感謝してやらんこともない。

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