懐古談
「実は、時尾に子が宿りまして。今日は、その報告を殿に差し上げようとしていたところだったんです」
登は目と口を間抜けに開いて、「ああ」と締まらない声を上げた。
「それは、本当におめでてぇや。おめでとうございます、藤田さん」
「ありがとうございます」
自然と互いのまなじりが下がり、室内にくすぐったい空気が流れる。
「そうかぁ。藤田さんに子が生まれるのかぁ。色々感慨深いですねえ」
「本当は、まだあまり実感がないのですけど」
「男はそんなモンですよ。しかし、そんな大切な報告の邪魔をして、申し訳なかったです」
「いえ、緊急の報告でもないのですから、明日以降でも構いません」
藤田は小さく肩をすくめ、「それで、中島さんは?」と話を促した。
「俺は、まあ……箱館での降伏後、一年くらいは謹慎のために箱館と弘前を行ったり来たりしてましたね。その後は静岡のお預けにされたんですけど、結構あっさり赦免されたんで、つい最近まで浜松に身を置いてました」
「ああ、浜松。活気があっていいところですね」
「そうそう、覚えてます? それこそ俺たちが生き別れる数日前、二人で幕臣を抱えて救ったことがあったでしょう。母成峠の一戦で負傷した、大島寅雄っていう、ごつい男」
登が指を立てれば、藤田は「ああ」と懐かしげにうなずいた。
「もちろん、覚えてますよ。私も中島さんも揃って別に力自慢でもない普通の体格ですから、あの骨太の身体を運ぶのはひと苦労でしたね」
「そのトラさんが、今は浜松で役人をしてるんですよ。なので縁あって、俺も浜松に」
「そうでしたか。あの人も元気でおられるんですね」
経緯に納得がいったようで、藤田はしみじみとまぶたを伏せ、眉を穏やかにした。
「ですが、それなら今また何故、東京に? この辺りは、帰郷ついでに立ち寄るような場所でもないでしょうに」
ふと、気付いた様子で改めて首をかしげられる。
すっかり話し込んで遠回りに辿り着いた本題に、登は静かに目を瞬かせた。自然と浮かんでいた笑みが薄まり、溜息のような細い息を吐いて肩を下げる。
「改めて、さっきは後をつけたりなんざ、すみませんでした」
登は神妙に口を開き、ここに至った経緯を包み隠さず伝えた。浜松にも土方生存の噂が届いたこと、相馬も滝野川に来ていること。そして、自分たちばかりか遊撃隊の福原をはじめとした、一部の士族が集まりつつあること。
「ああ」藤田はすぐさま納得したように、そして実に苦々しい様子で眉根を寄せた。
「実はその噂、警視庁内でも随分と問題になっているんですよね」
「藤田さん、何かご存知なんですか?」
「打ち明けてしまうと、そもそもの噂の出処は、政府の公議会なのですよ」
「公議会?」思いがけなかった話に、登は眉をひそめた。
「政府から出た話だったんですか? 何のために? 出処が自分たちの親玉からにしちゃ、東京府内の巡査どもの反応がおかしいように思うんですけど」
「ええ、だから問題なのです」
藤田は嘆息交じりに答えて、頭を抱えるように額に手を添えた。
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