第十七話:鏡と相棒

 不破ふわ雷道らいどうが率いる武装型班が第二訓練場へと向かい、霧島きりしまみどりが支援型班を別の訓練棟へ連れて行った後、広大な第一訓練場にはひびき木蓮もくれんと、彼が率いる生物型攻撃班の十名が残っていた。


 第一訓練場は、ただ広いだけではない。

 一角には旧時代の市街地を模した、ビルや瓦礫などの遮蔽物が多数配置された複雑なフィールドが設けられており、生物型エーテルギアの索敵能力や主人との連携を試すには最適な環境が整えられていた。


 この班のメンバーには、白神しらかみ氷華ひょうか藤原ふじわらあかつき加賀見かがみ蓮司れんじ松田まつだはやとなど、いずれも単体で高い戦闘能力が期待されるエーテルギアの所有者が名を連ねていた。だが、氷華の意識は、ここにはなかった。


(悠真……)


 響がデッキコストについて説明を始める中、彼女の蒼氷色の瞳は、先ほど典堂てんどう悠真ゆうまたちが向かった別の訓練棟の方向を、無意識に追っていた。


 悠真が配属されたのは、生物型支援型班。担当教官は、あの霧島きりしまみどり

 ビブリオバウムで悠真の傷を手当てし、あろうことか彼を「興味深いサンプル」と値踏みした研究者だ。


 氷華の脳裏には、悠真と翠が二人きりで(実際には結城ゆうき玲奈れいな黒瀬くろせ真吾しんごもいるのだが、彼女の思考には入っていなかった)研究室のような場所で、あんなことやこんなことを……「解析」という名目でされるがままになっている光景が浮かび上がった。

 ぞわり、と背筋に冷たい悪寒が走る。


「――白神」


 地を這うような低い声が、氷華の思考を現実へ引き戻す。気がつけば響が目の前に立ち、鋭い眼光で彼女を射抜いていた。


「は、はい!」


「よそ見をするな。貴様の戦場はそっちではない。ここだ」


「……申し訳ありません」


 氷華が深く頭を下げると、響は鼻を鳴らし、クラス全体に向き直る。

 

「以上が『デッキコスト』の説明だが。質問はあるか?」


 響が手元の端末を操作すると、武装型班で使用されたものと同じコストシステムの概要がスクリーンに映し出される。生物型もルールは同様で、初期コスト上限は【10】。その中で初期スキルやアーツ・プラグインをどう組み合わせるかが、生存の鍵となる。


「……響教官」


 説明がひと段落したところで、氷華が静かに手を挙げる。


「質問、よろしいでしょうか」


「なんだ」


「私の白妙しろたえは、ご存じの通り変化型の特性も併せ持ちます。私の戦闘の主軸は神衣氷結しんいひょうけつを発動した後の剣技です。であるならば、武装型班で戦闘技術を磨く方が、合理的ではないでしょうか?」


 その問いは、半分は論理的な疑問であり、半分は――(武装型班の訓練場の方が、悠真のいる支援型班の訓練棟に近いのではないか)という下心によるものだった。他の生徒たちも、ビブリオバウムでの氷華の戦闘ぶりを噂に聞いており、彼女の問いに頷く者も多い。


 だが、響はそれを予期していたかのように、静かに首を横に振った。


「白神。貴様の神衣氷結の練度と、その剣技がAクラス――いや、学年でもトップクラスであることは、ビブリオバウムの一件で俺が一番よく知っている。お前の変化型としての技量は、すでに基礎訓練の域を超えている」


「では、なぜ……」


「だからだ」


 響の声が一段と低くなる。


「貴様は、その恵まれた才能に甘え、己の持つ最大の武器の半分を腐らせていることに気づいていない。……お前にとって白妙とは、変身するための鍵か? 神衣氷結を発動させるための、ただのトリガーか?」


「そ、それは……!」


 氷華は言葉に詰まった。

 ビブリオバウムでの戦闘、藤原暁の紅蓮ぐれんが暴走した訓練……思い返せば、白妙を戦闘で生物として自律行動させたのは、防御の氷壁を使う時くらいで、それ以外はすぐに神衣氷結を発動していた。


「白妙は総合ランクA。貴様が変身せずとも、単体でCランクのメタキメラ程度なら蹂躙できる力を持つ、独立した戦士だ。だが貴様は、そのAランクの相棒を、装備としてしか使っていない。……これほどの宝の持ち腐れが、他にあるか?」


 その言葉は、氷華の頭を打たれたような衝撃だった。


「生物型のエーテルギアは、持ち主の精神を映す鏡だ。貴様が白妙をただの道具としか見なければ、白妙も貴様をただの主としか認めん。だが、貴様が白妙をもう一人の相棒として認め、共に戦う道を選んだとき……貴様は、一対一ではなく、二対一の圧倒的優位を手に入れる。それを学ぶのが、この班の目的だ。……分かったか、白神」


「……はい! ご指導、感謝いたします!」


 氷華の蒼氷色の瞳から迷いが消えた。

 悠真への心配は変わらない。だが今、自分がなすべきことがはっきりと見えた。


「よし。では訓練を開始する!」


 響の合図で、市街地フィールドから、唸り声を上げながら模擬メタキメラ――Dランクの犬型メタキメラ「ハウル・ゲイザー」を模したもの――が三体、姿を現した。


「まずは貴様からだ、白神! 条件は一つ! 神衣氷結の使用を禁ずる! 白妙単体で、あの三体を無力化してみせろ!」


「はい!」


 氷華は力強く頷き、ギアバイザーを操作して白狐のカードを呼び出す。


「――ギア・リベレイション!」


 蒼氷色の光と共に、気高く美しい純白の子狐、白妙が舞い降りる。彼女は氷華の足元にすり寄り、愛らしく「ミャー」と鳴いた。


「白妙。……お願い。力を貸して」


「ミャ!」


 白妙は応えるように鋭く鳴き、フィールドへと駆け出す。その動きは子狐のそれではない。Aランクの機動力(SPD:A)を持つ、白銀の疾風だ。


「速い……!」


 松田隼が思わず声を漏らす。三体のハウル・ゲイザーが白妙を包囲しようと散開した。


「白妙、右から二番目、足止めを!」


 氷華の指示と同時に、白妙は跳躍しながら冷気を口内に圧縮する。


「――氷牙ひょうが!」


 放たれた氷の弾丸が、一体の脚部を正確に凍結させ、動きを止めた。だが、残る二体が左右から白妙に襲いかかる。


「危ない!」


 水瀬みなせ陽菜ひなが思わず声を上げる。


「白妙、回避!」


 氷華の叫びと、白妙の自律行動は同時だった。白妙は迫り来る牙を最小限の動きでかわし、一体の懐へと滑り込む。もう一体の攻撃ライン上へ誘導し、二体を衝突させて体勢を崩した。


「……今です!」


 氷華の指示を待たず、白妙は反転しながら二発の『氷牙』を連射。二体の模擬メタキメラのコアを撃ち抜く。残った一体も、凍結された脚部を抱えたまま追撃で沈黙した。


「……すごい」


 加賀見蓮司が、淀みない動きに目を見張る。


「フン。悪くはない。だが、今の貴様の指示は三回。白妙の自律行動は一回。まだまだ連携とは言えん」


 響は厳しい評価を下しつつも、口元にわずかな笑みを浮かべていた。

 氷華は、自分の知らなかった白妙のポテンシャルに、喜びと興奮を隠せなかった。


「次! 藤原!」


「……はい」


 暁が、硬い表情で一歩前に出る。

 彼の脳裏には、かつて訓練中に暴走しかけた相棒――紅蓮ぐれんの姿が焼き付いていた。


(俺は……まだ、迷っているのか)


 響の言葉どおり、過去のトラウマが相棒との絆を阻害している。


「……ギア・リベレイション」


 その叫びとともに、灼熱の奔流が空間を焦がす。姿を現したのは、燃え盛る紅蓮の炎を纏った子虎――紅蓮。



「グルルル……」


 紅蓮は、主である暁の内心の揺らぎを敏感に感じ取り、喉の奥で低く唸り声を上げた。その瞳には理性の光があるものの、どこか焦燥の色が滲んでいる。


 響は表情を引き締め、ギアバイザーに手をかけ、残響甲殻のガントレットをいつでも展開できるよう構える。


 ――そのときだった。


「ミャ?」


 訓練を終えた白妙が、傍らでちょこんと首を傾げ、燃える虎をじっと見つめた。

 純粋な好奇心。あるいは、自分より大きな猫への興味。


「……グル?」


 紅蓮もまた、白妙の視線に気づき、唸り声を止める。

 炎の虎と氷の狐。二体は、主人たちの緊迫した空気をよそに、数秒間、無言で見つめ合った。


 やがて、白妙がゆっくりと歩み寄り、紅蓮の燃えるような鼻先に、自分の冷たい鼻先を「くんくん」とくっつけた。


「グルル……」


 紅蓮は一瞬戸惑うも、白妙が「ミャー(遊ぼう)」とでも言うように、前足にじゃれついた瞬間――その荒々しかったオーラが、完全に消えた。


 炎の虎は、絶対零度の冷気を纏う子狐の、あまりにも天真爛漫な行動に、完全に毒気を抜かれたのだ。

 その場でただ、白妙にじゃれつかれるままになっていた。


「「「…………」」」


 訓練場が、奇妙な沈黙に包まれる。


「……紅蓮、お前……」


 暁が、こめかみを押さえて天を仰いだ。


「フ……フハハ……!」


 その沈黙を破ったのは、響の豪快な笑い声だった。


「いい光景じゃないか、藤原! 貴様の相棒は、貴様よりよっぽど社交的らしいぞ! ほら、さっさとやれ! 相棒を取られるぞ!」


「……っ! 紅蓮、行くぞ!」


 恥ずかしさと苛立ちを振り払うように、暁が叫ぶ。

 紅蓮も慌てて白妙から離れ、主人の後を追った。


「――瞬炎しゅんえん!」


 ◇ ◇ ◇


 その後、加賀見蓮司の金剛こんごうが堅実な金剛牙こんごうがで標的を粉砕し、松田隼の風牙ふうがが『ホーク・アイ』で索敵しつつ、『ウィンド・ダガー』で敵を正確に撃ち抜くなど、全員の訓練は滞りなく終了した。


 訓練を終えた氷華は、白妙を愛おしげに抱き上げる。

 その手の中には、確かな温もりと、Aランクの相棒という頼もしさがあった。


(悠真は、戦闘力のないピリカと、どうやって連携していくのかを必死に考えている……。私も、甘えてはいられない)


 自分には神衣氷結がある。

 だが、それだけではない。この小さな相棒、白妙という、もう一人の戦士がいる。


(私が悠真の剣となり、盾となる。そのためには、私自身も――そして白妙も、もっと強くならなければ)


「白妙。これからも、よろしくお願いしますね」


「ミャ!」


 白銀の誓いを胸に、氷華は悠真のいる支援型班の訓練棟を、今度は迷いのない瞳でしっかりと見据えた。

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