第3話 アーリーエントリー

 ナポレオンスタッフィングへの潜入が決まった夜。

 神崎遼は古びたアパートの部屋で、一人ユニフォームを眺めていた。

 白地に青いライン――かつて所属していた社会人バスケチーム “ブルーアーク” のものだ。


 十年前、遼はチームの主力ガード。

 だがある試合、着地に失敗し、右足首を激しく痛めた。

 医師の診断はインジュアリーリスト入り、復帰未定。

 そのとき、遼の人生は静かに狂い始めた。



 インジュアリーリストにカウントされ、コートに立つ権利を失った遼に、当時の監督が告げた言葉があった。

 彼は宇梶剛士に似ていた。


「焦るな。アーリーエントリー(早期復帰)は禁止だ。

 完治していないのに戻れば、お前は二度と走れなくなる」


 だが遼は焦っていた。

 バスケ以外に居場所がないと信じ込んでいた。


 そして――

 焦燥と恐怖に追い詰められた遼は、ある“誤った選択”をする。



 その頃、チームのスポンサー企業で金銭トラブルが噴出していた。

 会社内の機密情報が外部に漏れれば、存続は危ういという噂が横行していた。

 遼の耳に入ったのは、**“その情報を高く買う筋がある”**という誘惑。


――バスケに戻るための治療費。

――未来が断たれる恐怖。

――仲間の中で自分だけ取り残される不安。


 その三つが遼の心を濁らせた。


 遼はスポンサー企業の倉庫にアクセスし、内部資料の一部を持ち出した。

 ただし、それは会社を倒すような致命的な情報ではなく、

「存在をちらつかせれば金になる程度の価値」

しか持たない曖昧なものだった。


 それでも――「犯罪」であることに変わりはなかった。


 資料は中途半端で買い手はつかなかった。

 遼は後戻りできない後悔だけを背負い、チームを去った。



 潜入の前夜、遼は静かに目を閉じる。

 “アーリーエントリー”は、早すぎる復帰を意味する。

 だが自分は当時、コートに早く戻ろうとして、

別のラインを越えてしまった。


 いま、ナポレオンスタッフィングに足を踏み入れるのは、あの時の延長線上にあるようにも思えた。


 だが一つだけ違う。


――今回は逃げるためじゃない。

――奪われた人生を取り返すためだ。


 遼はユニフォームを畳み、引き出しにしまった。


「もう二度と同じミスはしない」


 そう呟くと、夜に溶けるように部屋を出た。


 次の朝、彼は“潜入社員”としてナポレオンスタッフィングの門をくぐる。


 それが、イカロスとナポレオンの全面抗争の幕開けになるとも知らずに。


 11月3日

 政府は秋の叙勲の受章者を発表。旭日大綬章に小泉政権で総務大臣や郵政民営化担当大臣を歴任した竹中平蔵と元衆議院議員の山本拓。桐花大綬章に元参議院議長の尾辻秀久。

 札幌市営地下鉄東西線で停電が発生し一時全線で運休。再開準備中に車両が走行不能となり約7時間に渡って一部で運転見合わせ。5日、札幌市交通局は乗客が持っていたアルミ製の風船が風で飛び架線に接触しショートしたことが停電の原因と公表。


 残り1カ月

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