第2話 まろやか音

「とは言ってもお前にも準備が必要だろう? 書類とか……」


「書類?」


「ああ、まず、住民票記載事項証明書が必要だ。お前、年金手帳とか雇用保険被保険者証とかはどうなってるんだ?」


「う~ん! 在ったり無かったり……」


「正式に雇用するから書類を揃えなきゃならねえんだ。源泉徴収票はこっちで用意するが……」


 何とも厄介な話だ!


「そんな面倒掛けるなら私は雇ってもらわなくても……」と渋ると


「バカヤロウ!! 形だけでも人間らしくしろ!」って叱られた。

“元客”の社長から!


「後、これだけは厳命する!! 売れないからと言って“元客”には声を掛けるなよ!」


 社長の言う事も判らなくもないが……私がセールスに向いているとは思えない。


 で、ちょっと反抗を試みる。


「何だか知らないけど、新製品なんだろ?! “売れてなんぼ”ってヤツじゃねえの?」


 この私の言葉に社長の目がマジになった。


「新事業、新製品なんて……お前の尊厳を守る事に比べりゃ“屁”みたいなもんだ!」


 思いもかけない社長の“熱量”に私は戸惑った。私なんかは社長の「手札」の中じゃ“ブタ”だろうに……


 ただ、社長は本当に凄いを漂わせているので……


「こんな社長じゃ、この会社も先が無いね」と悪態をついたら


 また「バカヤロウ!」と叱られた。



 ◇◇◇◇◇◇


 第二営業部として私に任されるのは、“師匠”を筆頭とした技術チームが開発を進めていた浄水器だ。


 浄水器なんて今更と言う気がしてならなかったのだが、社長が「飲んで見ろ!」というのでコップを近付け『常温』のボタンを押すと、サラサラと鈴が鳴る様な音と共にコップの中へキラキラと水が落ちて行く。


 まずはコップに口を近付けニオイを確かめる。


 カビ臭さや機械臭さは無い。


 で、水を口に含む。


「美味しい!!」


 思わず言葉が零れる。


 ああ! 師匠が得意気な顔だ!


 でも私はから毒を吐く。


「水道水がこんなに美味しくなるなんて変だ! ヤクでもブチこんでるの?!」


「そんな物は入れてねえよ! オレ達の“愛”だけだ!」


 満面の笑みの師匠は軽口として言ったのだろうけど私は居住まいを正した。


 これは間違いなくいい機械だ!


 こんないい物を!!


 こんな私が手掛けていいのだろうか??


 せめて私が今言えるのは??


「この様な素晴らしい機械を作っていただきありがとうございます。一生懸命に売らせていただきます!」と頭を下げた。


「冴ちゃん! ありがとよ! でもまだクリアできねえ事があるんだ」


「えっ?! すぐ壊れる箇所があるとか??」


「いやいや、それは心配ない」


「じゃあ、何が?」


「水をサーブする時の音だよ。どうしても鳴っちまうんだ」


 と、今まで腕組みをしていた社長が初めて口を開いた。


「まあ、イヤな音じゃないし、このまま行こう! そうだな! 商品名は『まろやかな音』と書いて、『まろやかね』でどうだ!!」


 ああ!! 社長のこのネーミングセンス!!


 売れる物も売れなくなってしまう!!


 でも社長が『言いだしたら聞かない性質』なのはよく知っているので……私は心の中で頭を抱えた。







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