第20話 激怒
翌朝、俺が教室に入った時には、異様な空気が教室に満ちていた。
黙って俯いている者、ぶつぶつと呪詛のような言葉を言っている者――彼らはマシな方だ。
泣いている女子が何人かいた。
「ふざけないで‼ 誰がやったの‼」
花束は、学校の外まで聞こえそうな大きな声で怒鳴っていた。
一体なにがあったのか――恐る恐る騒動の中心地点を覗いた俺が見たの物は、昨日完成したばかりの地図、そして今日完成予定の残り二枚の地図だった。
いや……地図だった物、だ。
地図はズタズタに切り裂かれていた。
手で細かく裂いてから丸めたり踏んづけられたりしたのか、紙はくしゃくしゃに折れ曲がっている。
さらに水でもかけられたらしくふやけている――いや、緑色がついているから、かけられたのはメロンソーダか? 砂糖につられて集まってきたやつなのか、虫の死骸がくっついている。
何者かに破かれたのは間違いないが、ただ破くだけでなく、まるで見せびらかすように残骸を辱めるとは――これをやったやつは、相当に性格がねじ曲がっているに違いない。
「なにがあったんだ?」
花束は話ができる状態ではなさそうなので、男子の実行委員に訊いてみた。
「わからない。今日来たら、こういう状態になっていたんだ。昨日、みんなが帰ってから何者かがここにやって来ていたずらをしたんだと思う」
「いたずら⁉」
その言葉に花束が咬みついた。
「これのどこがいたずら? そんな言葉で許していいの? テロよ、これは! わたしたちの二週間の努力を全部壊した卑劣なテロ! 許せない。犯人は誰! ぶっ殺してやる!」
誰、と言われても、そんなことわかるわけがない。
うちの学校は、教室に鍵がかからないし、監視カメラがあちこちにあるわけでもない。
少数しかないカメラは、外部からの侵入者を防ぐのが目的で、すべて外側に向いている。合法的に校内に入った人間に関しては、基本的にスルーだ。
犯人がいたずら目的で外部から侵入したなら、もしかしたら映っているかもしれない。だが、生徒の反抗ならお手上げだ。
重苦しい雰囲気の中、いつもよりだいぶ早い時間にも関わらず、鏡花ちゃんが教室にやって来た。
この件について報告を受け、飛んで来たのだろう。顔が青ざめている。
「あの~、みなさん~、まずは席に座ってくださいね~」
鏡花ちゃんが着席を促すと、ゆっくりとだがみんな自分の席に座った。
集められた残骸はひとつの箱に収められ、教卓に置かれた。鏡花ちゃんはそれをじっと見て、そのまま固まった。
なにを言えばいいのかわからないのだろう。
その最中にも、教室に人が入ってくる。まだ朝のホームルームの前のはずなのに、すでにみんな着席して、担任まで揃っているのだ。時間を間違えて遅刻したのかと、あわてて時計をチェックする光景が繰り返される。
彼らは遅刻していないと知ると安堵し、しかし地図が破られたことにショックを受けて言葉をなくす――そんな光景も繰り返された。
「あの~、正直な話、先生も状況に追いつけていなくて困っています。でもですね、まだ時間はありますし~……どうでしょうか、地図を一枚にして、サイズも小さくして、とにかくそれだけでも作って見るということで? 展示をなにもしないよりはいいと思いますし~……」
……まぁ、妥当なアイディアなのかもしれない。
どれだけ文句を言っても、破れた地図がくっ付くわけじゃない。
ならば、今から作れるぐらいの小型化した物で我慢すればいい――理屈はわかる。
だが、誰がそんな話を受け入れられる?
災害によって被害を受けたのなら、「しかたがないからやり直そう」とも思える。
しかし、これは災害ではない。
誰かが故意にやったことだ。犯人がいるのに、それを放っておいて「しかたがない」とは思えない。
悪いことをしたのなら、犯人は報いを受けなければいけない受けるべきだ。
どうして罪のない者が被害を受け入れ、犯人だけが得をしなければいけないのか? そんなことはあってはいけない。
そう思ったクラスメイトは少なくないだろう。
鏡花ちゃんに対し、文句を言う声が次々に出て来た。
そんな中、花束は杖を天井に向かって突き上げ、クラスメイトたちに向かってこう呼びかけた。
「今からできる範囲では、予定とは似ても似つかないしょぼい物にしか作れない。でも、昨日わたしたちは、あれだけ立派な地図を完成させた。今さら間に合わせの代替物で満足するなんてできるはずない。そんな敗北を受け入れるくらいなら、いっそ展示はあきらめよう。その代わり、犯人を見つけて制裁を加えるべきだ! 制裁は苛烈であればあるほど良い! そこに限度はない!」
クラスメイトたちから拍手が起きる。
……これ、ちょっとまずくないか?
花束のカリスマ性が悪い方向に動いている気がする。
「え、えっと~、あの、それは~……」
鏡花ちゃんが視線を彷徨わせる。
まぁ教師としてはそういう反応になるだろう。
俺もさすがにそう思う。
「先生としては、もう少し穏便な方法を探してほしくて……ですね~……」
「これはわたしたちの問題です。先生は知らなかったことにしてください。わたしたち生徒だけで自警団を作って、犯人を探して勝手に私刑を加えます。ご迷惑はおかけしません」
「あの~……それ一番ダメなやつなんですけど……」
「どうするみんな! 泣き寝入り? 犯人を探す⁉」
花束の問いに、教室のあちこちから「探そう」「そうだ、犯人に作り直させよう」「展示は二日目だから、あと五日ある。百二十時間も寝ずに働かせたらなんとかなるだろ」という意見が次々に出てくる。
冷静に状況を判断し、犯人を捕まえても間に合わないこと、仮に間に合ってもそれは自分たちの作品ではないこと――を理解する人も少なからずいた。俺もその一人だ。
しかし、熱くなっているクラスメイトたちに対して意見することはできない。
全身の血が頭に上っている今の花束では、俺が犯人だと言い出しかねない。
だいたい、諫めたところで対案がない。
犯人探しをして、そいつを不眠不休で働かせてもなんの意味もないが、我慢して小さな地図を作り直すよりはいくらかスカッとするのは間違いない。
俺が今するべきなのは、話し合いに参加することではなく、少し冷静に考えることかもしれない。
犯人の立場になって考えてみよう。……こういうリスクがでかいことをするには、それなりに強い動機が必要だろう。
まさか自分たちのクラスが優勝するために、他のクラスに破壊工作を仕掛けたってことはあるまい。そこまでするほど文化祭に人生賭けている者は、きっといない。
利益のためでないなら、愉快犯。あるいは、うちのクラスに恨みを持っている誰か。
愉快犯よりは、恨みを晴らすための復讐犯の方がそれっぽい。愉快犯なら、破くことはしても、残骸を踏みつけてからメロンソーダをかける、なんて手間のかかることはしない気がする。
もし犯人の狙いが復讐なら、うちのクラスに、あるいはうちのクラスの担当者に恨みがある人物は……。
俺はそっと視線を大場に向けた。
彼女はずっと俯き、机の下でスマホをいじっていた。
これまでずっとクラス展示に非協力的だったので、今回のことも無関心なのかもしれない。興味ないからスマホでも見ていよう――それだけの可能性もないとは言えないが、ならどうしてそんなに顔面蒼白で、スマホに触れる指が震えているんだ?
……大場が犯人か?
いや、それにしては挙動不審過ぎる。もし犯人なら、こうなることはある程度予想していたはず。
犯人に心当たりがある。それも自分に近い人物で……ってところか?
「と、とにかくですね~、みなさん、冷静に。すこ~し冷静になりましょう。今ここで決めることはありませんよ~。そうだ、お昼休みにまたこの話の続きをしましょう。ね? それまでは、授業に集中して~、文化祭以外のことを考えましょう~。では、今日の連絡事項ですが~……」
鏡花ちゃんはそう言ってムリヤリ話をまとめ、朝のホームルームを始めた。
それが終わると、憔悴した顔で教室を出て行った。
一時間目の授業が始まるまでは、あと五分。
その短い時間、ほとんどの生徒は教室から出ない。
ふと大場が「あ、教科書忘れた……」と言って席を立ったが、大量の汗や手の震えが目立つ。教科書を忘れただけでは説明できない。
なにかありそうな予感がする。なので追いかけることにした。
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