7-3. イェイ!

「ゆ……」

「あーお礼なら大丈夫! むしろ皆さんに会えて運が良かったし!」

「ゆうな……」

「それよりさっきの攻撃すごかったねー。あんな早く動けるなんて、その木刀に秘密が——」

「結奈‼︎」

「わわっ!?」

 周囲の目も憚らず婚約者に抱きつく。その体つきも肌触りも、顔に触れるショートボブのくすぐったさも、伝わってくる心臓の鼓動でさえ紛れもなく結奈のものだ。

 会えてよかった。ずっと会いたかった。連絡できなくて悪かった。生きていて安心した。変な夢を見たんだ、結奈がいなくなってしまう夢を。

 言いたいことが頭の中でいくつも湧いてくるのに、そのどれもが口から出てこない。それでも構わないと思った。言葉は不要だった。今はただ……。

「あの、えーっと」

 だが、体越しに聞こえたのは想像もしなかった台詞だった。

「……どちら様?」

「……え?」

 抱きつくのをやめて、両肩を掴みながら結奈の顔を見る。

 結奈は困惑と恐怖と怒りが混ぜ合わさった形容し難い表情をしている。とても俺との再会を喜んでいる風には見えない。

 そして、あろうことか俺の手を払い退けて言った。

「いきなり抱きついてくるなんて積極的だね。でも初対面の女の子にするのは駄目かなー。次やったら殴るから」

「初対面……?」

「あれ? 初対面だよね? どこかで会ったことあるっけ?」

「は……?」

 鈍い衝撃が頭に走る。眩暈がして結奈の顔をまともに直視できず、額を押さえて後ずさる。

「シラセさん!?」

 そのまま後ろにひっくり返りそうなところをシズが支えてくれた。

「なんだかよく分かんねーけど、何が起きてんだヒサ?」

「女たらしのシラセさんが振られたのよ」

「なるほど、じゃーいい気味だ。やーい振られてやんの!」

「冗談に決まってるでしょ……。それで、シズ姉を助けてくれたあなたのお名前を教えてもらえませんか? 結奈さんじゃないことは、まあ見ていれば分かりましたが」

 何を言っているんだヒサラ。彼女は須藤結奈。俺の婚約者に決まってるじゃ——

「よくぞ聞いてくれました! わたしの名前はリオルト・ウォル・ハリア。リオって呼んでね、イェイ!」

「マジかよ……」

 結奈でも須藤でもなく、バリバリのカナタ生まれの名前を告げられて膝から崩れ落ちた。

 なんだよイェイって。結奈はそんなことウインクしながら言うキャラじゃねえよ……。

「はあ……色々あったところ悪いんだけど、これ以上お店の前で騒ぐのはよしましょう。すみませんリオさん、助けていただいて恐縮なんですが、あたし達これから宿に戻ろうと思っているんです。こんな時間ですしお礼は明日でも大丈夫ですか?」

「わたしは全然平気だよ。と言うかわたしも一緒に泊まっていい?」

「ありがとうござ……はい?」

 頭上で繰り広げられる会話から、さりげなく〝憐愛〟により厄介ごとを回避しようとしたヒサラが面食らっていることが分かる。

「実は泊まるところが無くってね。あ、別に無一文ってわけじゃないよ。最初から皆さんに会えたら一緒に泊まりたいなって考えていただけ。明日まで待ちきれなくってさ」

「じゃあ、ササキさんが言っていた私達に協力したい方って……」

「そう! そのとおりだよシズカさん。わたしがその協力したい方ってわけさ」

 結局、店員が苦情にきたところで俺達は宿へと移動することになった。俺はカイに引っ張り起こされて、フラフラした足取りをヒサラに注意されながら仲間の後に続いた。

 結奈にそっくりなリオと名乗る女性もついてきた。リオは俺のことをセクハラ野郎だと思っているらしく、加えてカイが女たらしだと吹き込んだこともあって、笑みは崩さずとも白い目を向けてきた。その目は結奈と初めて出会った時に向けられたものと同じで余計に凹んだ。

 宿の主人にリオの宿泊をお願いすると、同室を条件に許可してくれた。元々シズとヒサラの部屋にはベッドが二つしか無かったので、リオには寝袋を広げて寝てもらうことになった。

 リオにはまだ聞きたいことが沢山あったのだが、

「さっきまでフラフラしてたくせに、今が何時だと思ってるのよシラセさん。せっかく宿に泊まるんだから明日にしてもらえる?」

 とヒサラがそれ以上の会話を許さなかった。言われて確かに今日は起伏の激しい一日だったと気付く。新しい任務を押し付けられ、シズの過去を知り、包帯の女に襲われ、最後にリオという婚約者と瓜二つの人間と出会った。

「疲れたぁ……」

 風呂から戻ってベッドに倒れ込むと、溜まっていたわだかまりを一気に吐き出すように呟く。

「なんだよ、案外元気そーじゃねーか」

 一足先に横になっていたカイがニヤニヤしながら揶揄ってくる。

「これで元気そうに見えるか? もう俺はいっぱいいっぱいだ。分からん、何も分からん」

「そんだけ喋れるんなら大丈夫じゃね? つーかほんとにあのリオってヤツ、シラセの彼女とそっくりなのか?」

「そっくりというか、本人としか考えられないんだ。でも雰囲気が全然違う。結奈は、俺の彼女はもっと落ち着いているし静かに笑う人間だ」

「ほーん、シズさんみたいな?」

「あー、ちょっと違う気がする。どっちかというと……って寝てやがる」

 思いついたイメージを伝えようと顔を向けると、カイはすでに寝息を立てていた。明日リオに聞くことを考えているうちに、いつの間にか俺も微睡の中に沈んでいった。


 ***


 朝、目が覚めると珍しくカイの方が先に起きていた。

「やっと起きたかシラセ。寝坊だぞ、もう朝飯の時間だぞ」

「くぁ……んなわけ」

 大きくあくびをしながら窓の外に目をやると、確かに太陽はすでに地平線を越えていた。タイミング良く時刻を告げる鐘の音が王都に響き渡る。

「……なんで起こしてくれなかったんだ」

「その台詞、いっつもオレがお前に言うやつじゃねーか。なら返す言葉も知ってるよな?」

「『起こしたけど起きなかった』って、俺が?」

「だから言ってんじゃん」

 眉を八の字にするカイをよそに急いで朝の支度を始める。洗面所で顔を洗って服を着替えて、シズが呼びに来た時にはギリギリ髪を整えたところだった。

「おはようございます。二人ともちゃんと眠れましたか?」

「シズさーん、シラセのやつが寝坊しましたー」

「いやいや、こうして間に合っているんだから寝坊じゃないぞ」

 カイに異議を申し立てて部屋を出る。

「あれ? ヒサラとリオさんは?」

 廊下には誰もいない。俺達を迎えに来たのはシズだけだった。

「二人なら先に食堂に向かいました。今日は私がシラセさん達を呼びに行く係です」

「そんな係があったのか。一緒に来てくれても良かったのに」

「そう言ったのですが、ヒサちゃんがリオさんに話があるみたいで。今後の旅の方針や魔物との戦い方について説明するとおっしゃっていました」

「気がはえーなヒサは。仲間にする気満々じゃねーか」

「ヒサちゃん、リオさんと相性が良いみたいです。咎人ということも気にされていませんし。羨ましい……」

 シズが両手の人差し指をくっつけて軽く唇を尖らせる。ヒサラをリオに取られると気にしているのかもしれない。

 食堂に行くと、そこには確かにヒサラとリオが対座していた。朝食の時間を遅くしてもらったおかげか食堂には二人しかいない。

「あ、おはよー」

 リオは俺達を視認すると手をひらひらと振った。その顔と声に日を跨いでもなお心が揺れる。未だに結奈が揶揄っているだけじゃないかという淡い期待が残っている。

「シラセくん、さてはまだ疑ってるね? だからわたしは君の婚約者でもなんでもないって」

 だが、その期待は俺の視線を察したリオにすぐ打ち砕かれてしまう。

 二人の手元には地図やメモが広げられていた。ヒサラは頬杖をつきながら「おはよう、遅かったわね」と挨拶してきたので、俺も「色々あって」と返す。隣でニヤけているカイは見なかったことにした。

 全員が揃ったところで宿の女将さんが人数分のパンと大皿に盛ったサラダやオムレツを運んできた。その時点で嫌な予感がしたので、いの一番に宣言する。

「まずはリオさんからだ。お前らは放っておいたら食べ尽くしかねない。特にシズとカイ」

「う」

「オレ?」

 わざとらしく視線を逸らすシズと、名指しされた理由にいまいちピンときていないカイ。

「『オレ?』じゃない。ヒサラに食べさせてやるのはいいが、その分だけ俺やリオさんの取り分が減るのを忘れるな。シズは……とりあえず腹八分を学べ」

「この遊撃隊ってそんなに食べ物に関して殺伐としているの?」

 俺達の会話を聞いたリオが深刻そうな顔をする。

「それと、わたしのことならリオでいいよ。さん付けされても距離を感じるし」

「あー、そうだな。分かった」

 さん付けしないと咄嗟に結奈って呼びそうで怖いんだよ、なんて言えるはずもなく、

「じゃあリオ、言っておくがうちの食事は壮絶だ。あっという間に食べ物が無くなる」

 小皿に取り分けたサラダとオムレツをリオに渡す。

「ありがと。別にわたし、そこまで食べる人間じゃないから大丈夫だよ」

「それならいい。みんなも……」

 言うが早いか他の三人はめいめいに食事を始めた。

「こらカイ、ちゃんといただきますを言いなさい」

「あ? ああはい、いただきまーす」

「いただいてます。ふわぁ今日の卵も美味しい……!」

「すごいね、本当に一瞬で無くなりそう」

「だから言っただろ? リオもおかわりするなら早めに……っておい俺の分は?」

「ふぁ? ひょんはんひふんへほはへーほ」

「こらカイ、食べながら話すのはやめなさい。シラセさんの分だったらそこにあるわ」

「野菜しかないじゃないか。というか卵も無くなっているし……。シズ、一体どんだけ取っていったんだ?」

「わ、私ですか? 私は普通にちょっとだけ……」

「ほらヒサ、もっと食え!」

「あんたも食べなさい。そのうち私に背を超されるわよ」

「うげ……それ言われんのはきちーぜ」

「ちょっとで三割近く取っていくやつがあるか! 腹八分目で頑張れって言ったよな?」

「あ、野菜も無くなってる。まるで手品だねこれは」

 気付けば俺も加わっての朝食の争奪戦は、結局いつもと変わらない順位に落ち着いた。一位はシズ。同率二位でカイとヒサラ。三位にリオ。そして最下位の俺はパンとレタスを数枚食べただけ。リオは最初こそ驚いていたが、途中からは楽しそうに争奪戦を観察していた。

「それで、色々と聞きたいことがあるんだが構わないか、リオ?」

「待ってました。このリオさんになんでも聞いてくれちゃっていいよ!」

 リオは鋭さのあるぱっちりした目を俺に向けて笑った。聞けば必ず正答を返してくれそうなその雰囲気に、ヒサラの〝憐愛〟とはまた違う引力を感じる。

「リオは本当に俺のことは知らないのか? 地球や日本、アメリカという単語に聞き覚えは? キリスト、イスラム、仏教についてどう思う?」

 矢継ぎ早の質問にリオは大仰に肩をすくめる。

「ぜーんぜん。シラセくんのことなんてこれっぽっちも知らなかったし、言われた単語も初耳だね。それは全部地名なのかな?」

 俺は諦めきれずに食らいつく。

「地名もあるし宗教名もある。……なら、茅部のことは?」

 その名前を口にした瞬間に空気が張り詰める。〝魔声〟の一件で犠牲になった俺の友人のことを、仲間はすでに知っている。リオもその空気を感じ取ったのか戯けることなく答えた。

「分からないね。地名か宗教名か、もしかしたら人の名前かもしれないけど。もしそうなら、わたしはカヤベさんという人に会ったことは無いよ」

「……そうか。ちなみに生まれはどこなんだ?」

「あれ、昨日言わなかったっけ? わたしの生まれはハリアだよ。もう無くなっちゃったけど」

「聞いたことがあります。確か十年近く前に、一夜にして龍に奪われた街ですよね?」

 シズの質問にリオが頷く。

「わたしは王都にいたから大丈夫だったんだけど、家族は逃げ出すのが精一杯でね。あの頃は帰る家が無くなって大変だったなー。龍もそのまま棲みついちゃったらしいし」

 リオは努めて明るく話しているが、内容はとても軽く聞けるようなものではない。ただそれ以上に、リオが過去の記憶を持っているという事実に俺は肩を落とした。これで、記憶喪失の可能性も無くなった。

「それからちょっと領主様のところで働いて、今はこうして放浪の旅をしてるってわけさ」

「へー、それがなんでオレたちについて行きたいって話になるんだ?」

「そこだよカイくん!」

「うおッ!?」

 勢いよくリオに指を差されたカイが反射的に身を引く。

「わたしが旅を続けていたある日、噂が聞こえてきたんだよ。オリヴェルタって村の神域を蘇らせた、女領人が率いる旅集団がいるってね」

「正しくは領人の娘だけどね」

「細かいことはいいのさヒサラちゃん! わたしはその噂に猛烈に感動したんだ。そして聞けばなんとつい先日わたしの友達と会ったらしい! これには流石に驚いたね」

「友達ですか?」

「あれー知らない? アイツォルクの領主様のところで働いてるんだけど。こう、ちょっと無愛想な感じの」

「ああ、あの女従者さんか」

「ご名答だねシラセくん! 彼女の名前はミカっていってね、君たちのことを色々と聞いたのさ。するとどうだろう、わたしが想像していたよりも人数は少ないし、おまけに年齢も同じくらいだと言うじゃないか! これはもう混ぜてもらうしかないと思ったね」

 そこまで言ってリオは口に指を当てる。

「ちなみにこの話はミカには内緒にしてもらえるかな? 仕事の内容が外に漏れたって知られたら面倒なことになるらしいから」

「それは別に構わないが……。つまり、俺達がササキってもう一人の従者から紹介してもらった間には、そのミカさんがいたわけか」

「理解が早くて助かるよ。以上、ことの経緯でした」

「ほえー……」

 語り終えたとリオは大袈裟にお辞儀し、それを見てカイが物珍しそうに拍手する。

「ざっくりした話なら昨日シズちゃんとヒサラちゃんにもしたんだけどね。これで大体わたしのことは分かってもらえたかな?」

「まあ、一応は。ただ一つだけ忠告なんだが、俺達の旅はリオが想像しているよりもずっと面倒だぞ? 基本的には任務で各地を転戦することになる」

「目的がある旅もいいものだよ。それにわたしは別に観光したいわけじゃない。君たちに協力したいんだ」

 リオは真っ直ぐ俺達を見る。その目には硬い意志が感じられて、受け入れるこちらが試されているような錯覚に陥ってしまう。

「ふーん。リオさんってつえーの?」

 その目に気圧されることなくカイが質問すると、それにヒサラも続いた。

「強さというか、出来ることを知りたいわね。さっき聞いた限りでは武器は剣みたいだけど」

「自分で言うのもなんだけど強くは無いね。ちょっとした魔物を倒せるぐらいかな。あと残念だけど魔術は使えないね」

「シラセよりつえーじゃん。それなら大丈夫じゃね?」

「え、そうなの?」

 カイの言葉にリオが不思議そうな顔で俺を見る。

「間違いではない、かな」

「武器の扱いが下手でろくに戦えねーんだよシラセは。最近やっとマシになってきたけどな」

「こっちに半年も居ればそりゃ慣れるさ」

「半年? 何の話かな?」

 前のめりになるリオを押しとどめて話を続ける。

「それについてはまた今度。そんなことより、リオが戦い慣れているんだったらシズとヒサラの護衛をお願いしたい。うちは前と後ろで分断されることが多いんだ」

「いいよ。むしろわたしが前線に出ようか?」

「それは大丈夫。戦えないと言っても全く動けないわけじゃない。俺の役割は主に防御と敵の拘束で、仕留めるのはカイが担当しているってだけだよ」

「なるほど、ちゃんと考えられているわけだね」

 戦闘に関する説明が終わったところで俺達は席を立った。今日はクロセド遠征の準備のため王都の市街区を周る予定だ。

 戦闘以外の懸念点としてもう一つ、リオが増えることによる旅具の調達があったのだが、

「自分のは自分で揃えられるから心配ないよ。こう見えてもお金に余裕はあるんだ」

 とのことだった。主に食費のせいで懐事情の厳しいこちらとしてはありがたい。これで想定していた課題は全てクリアし、晴れてリオは仲間に加わることになった。

「改めまして、これから皆さんの旅に同行させてもらうリオといいます。よろしくね!」

 宿を出たリオは俺達に向き直って言った。

 俺はその笑顔に仲間が増えた喜びを感じつつ、形容し難い喪失感を拭いきれずにいた。


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