6-3. 僕が最初に好きだったんだぞっ
森は入り口こそぬかるんでいたが、入ってみると足元はしっかりしていた。
その代わりに魔物が通った痕跡も見当たらない。雰囲気がロフェルの神域に似ているせいかどこか懐かしさを感じる。ヒサラから貰ったナイフで邪魔な枝葉を切り落としながら、迷わないように来た道を意識しながら先に進む。
木漏れ日のおかげで視界は悪くない。ただ、いつ魔物が襲ってくるかも分からない。鳥の声や木々のざわめきが絶え間なく続くせいで魔物の声を聞き漏らしてしまいそうだ。
「マズいな……気を抜いたら俺まで迷い——」
「誰だ!?」
独り言を漏らした瞬間、物陰から人の声が聞こえてきた。距離は近いがその姿は確認できない。その声にどこか聞き覚えを感じながら某に向けて言い放つ。
「俺は遊撃隊の人間だ。魔物に攫われた子どもを助けにきたんだ」
少し間を置いて安堵のため息が聞こえた。茂みをかき分けて物陰にいた人物が姿を現す。
「味方か。良かったよ、てっきり盗賊かと——」
その顔を見て、その声を間近で聞いて驚愕する。
「茅、部……?」
それはこの世界にいるはずのない人物。俺の友人、
「り……亮……?」
茅部は記憶にあるテカテカしたスーツ姿ではなく、この世界では一般的な麻の兵装を着用していた。先ほど指揮官の口から名前が聞こえたのは空耳ではなかったらしい。
「茅部! なんでお前がここにいるんだ? いや、そんなことより今は子どもを探さないと。詳しいことは後にしてお前も協力を——」
「来るなぁっ‼︎」
口を開けたままの茅部に声をかけつつ近寄ると、突然の大声が森に響いた。
「それはこっちの台詞だ‼︎ なんで亮がここに!? お前は死んだはずじゃ!?」
「うわっ!?」
茅部は目を見開いて早口に捲し立て、あろうことか剣を抜いた。しかしその手は、いや茅部の全身は小刻みに震えている。
「ちょっと待て茅部……俺が死んだ? 一体何を言っているんだ!?」
「近付くんじゃないっ‼︎ お、お前そのナイフ……!?」
事情を説明してもらおうと近付く俺に茅部は剣先を向ける。そして俺の持つナイフを目にした瞬間、その顔はさらに青褪めた。
「おまっ……僕を殺しに……う、うわあああぁぁぁ‼︎」
「茅部!?」
「僕じゃないぃ‼︎ 僕じゃないんだぁ‼︎ だって須藤がお前と結婚するってぇ‼︎」
訳も分からないまま茅部は錯乱を起こす。しかも、結奈の苗字を口にして。
「落ち着け茅部‼︎ なんで結奈の名前が出るんだ!? お前、結奈に何をした!?」
「僕が最初に好きだったんだぞっ‼︎ お前なんかに‼︎ 来るな……来るなぁぁぁっ‼︎」
詰め寄ろうとする俺を見て茅部は剣を振り回し始める。その剣の軌跡はてんで出鱈目で下手すれば自分自身を傷付けてしまいそうだ。
「っちがぇ!?」
案の定、剣が近くの木に勢いよくぶつかった。当て方が悪かったのか剣は樹幹に弾かれて跳ね返り、そのままあらぬところへ飛んでいく。この機会を逃すまいと素手になった茅部を落ち着かせようとしたところで、
「たすけてえええぇぇぇ‼︎」
「待て茅部‼︎ そっちはマズい‼︎」
背中を向けて一目散に茅部は森の奥へと逃げ出してしまう。武器も持たずに森を走り回れば魔物の格好の餌食になる。
茅部を追いかけて奥に進むにつれて森は鬱蒼としてきた。視界が悪くなるのは仕方ないにしても何か空気が澱んでいるような気がする。すでに来た道は分からず、錯乱状態で駆け回っているであろう茅部の姿も見えない。
どこだ、どこへ行った? 知っていることを聞き出さないと。俺が死んだ? 俺と結奈が結婚するからなんだ? ああ、頭が痛い。気持ち悪い。なんだこの頭痛は?
「ぎゃああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ‼︎」
「かや……べ……」
正体不明の頭痛に苛まれる中で茅部の叫び声が耳に届く。正確な方向は分からないが、声の大きさを考えるとそこまで遠くない。頭を抑えながら勘だけで走る。
すると、正面にひときわ木漏れ日の広く差し込む空間が見えてきた。そこは森にぽっかりとできた空き地だった。広さは半径二十メートル程度で、その場所だけ木が全く生えていない。代わりに地面に群生しているのは花弁を漆黒に染めた花だった。
「な……」
その花園にいるのは二人と一体だ。茅部と先ほどの少年に、少年を逃した魔物。
茅部は魔物の足元に転がっていた。首や手足はあらぬ方向に捻じ曲げられ、その頭は半分欠けている。口元を赤く染めた魔物が、近付くなら次はお前だと言わんばかりに目を光らせる。
「ぐっ……あがっ……!?」
魔物と相対しているのにも関わらず、俺は頭痛に耐えかねて膝をついてしまった。痛い、頭が割れるように痛い。視界がぐちゃぐちゃだ。景色がモノクロとカラーに明滅を繰り返す。
——リリアの花だよ。亮は見たことない?
誰の声だ? 俺は誰と話しているんだ?
「あああぁあぁ……」
膝立ちすらままならず花園に倒れ伏す。体に纏わりつく花の匂いは吐き気を催すほどに濃厚で、脳味噌が攪拌されるような気分に陥る。もう自分がどこにいて何をしているのかも分からない。カナタ、日本。茅部、結奈。リリア、白百合。俺、俺?
「あ」
茅部と目が合った。その目は虚なのに口元はうっすらと笑っていた。
そして、フラッシュバックが始まった。
***
「僕は——ない」
声が聞こえる。ぼやけた視界の先に茅部の姿がある。なんだか笑っているように見えるが、どうにも視点が定まらない。
ああ、寝っ転がっているせいか。道理で左頬が変にちくちくすると思った。
甘ったるい匂いが漂ってくる。周りにたくさん花が咲いているからだ。白と黒と、白黒、白くく、黒い。いや、なんだか景色が全部白黒に見える。
「か……べ……」
茅部が森の中に消えていく。呼び止めようとしても喉から声がうまく出てこない。それよりも体が起こせないのは何故だろう。普段のハイキングでこんなに疲れることはないのに。
「……?」
辛うじて体を仰向けの状態にすると、視界が白い光で満たされた。眩しさに左手を目の前にかざしたら、掌に黒い汚れが付いていた。
なんだこれ、水?
その汚れはぬめりを持ち、錆びた鉄の匂いがした。気になって右手も確認しようとしたら、腹の上で何か硬いものに当たった。こんなところに突起なんてあったっけと、なんとか首を浮かせて自分の腹を見る。
「……ぁ」
それはナイフだった。
刀身が見えないぐらい、そのナイフは腹に深々と突き刺さっていた。でも全然痛みは無くて、呼吸するたびに上下するのがなんだか面白かった。
そのうちにだんだん視界も霞んできた。地べたが冷たいのか、陽光が暖かいのかも分からない。誰かいないかと首を左右に動かしてみた。
そして見つけた。俺の他にもう一人、花の中に倒れている人物を。
「ゆ……ぅな……」
掠れた声で呼んでも、結奈は動かなかった。腹這いになっているせいで顔がよく見えない。
視界の端に、自分の腹に刺さったナイフが映った。その柄はどこかで見た気がしたが、その既視感もすぐに口から溢れた何かと一緒に流れていった。
もう、眠い。空から降り注ぐ光だけが心地いい。
「あぁ……かみさま……」
——————————————
***
「——すまんなぁ。いくら子どもだからといって、異端者を見逃すわけにはいかんのよ」
「しかし……」
野太い声と透き通る声が会話している。
「子どもだからこそ処刑するのはあまりに酷です。お願いします、せめて命だけは……」
「わーった、わーったよ。王都に連行するんで勘弁してくれ」
「ありがとうございます!」
野太い声の主が渋々要求を呑むと、透き通る声の主は喜んだ。
そこでようやく重たい瞼を上げた。目の前には群青色の空が広がり、千切れた雲が漂っている。その景色を遮るように逆光に照らされた人影が視界に入る。
「シラセ、生きてるかー?」
そのツンツン頭のシルエットは軽い口調で言う。
「生きてるよ……」
死んだら返事も出来ないだろと当たり前のことを思いながら、そのシルエットに返事をしながら上体を起こす。俺が倒れていたのは黒い花園の中だった。周囲には領主部隊の面々が何人も見え、指揮官に指示を仰いでいる。
近くの木の根元には白い体毛を真っ赤に染めた魔物が転がっていた。遠目からでも分かるその胸部の斬撃は、すでに魔物が息絶えたことを察するには十分だった。魔物と共にいた男の子は手と口を縛られて森の中へと消えていく。拠点へと連れて行かれるのだろう。男の子の助命嘆願を訴えた透き通る声、あれはシズに違いない。
「シズさん、ヒサー。シラセが目ェ覚ましたぜー」
カイは近くで話していたシズとヒサラを呼んだ。
「シラセさん! ご無事ですか? お怪我はありませんか?」
「シズ姉、心配しすぎ。今回は気絶してただけでしょ」
「まー死んでも生きかえぶっ!?」
「余計なこと言わないの」
「……みんな、無事で良かった」
三人とも相変わらずの様子で話していることが無性に嬉しくなって、俺は噛み締めるように言った。
「うぇー何だよ気持ちわりーな。頭でもやられたか?」
「……」
「はい、皆さん元気です」
舌を出して苦々しい顔をするカイと、何も言わずにどこか照れ臭そうにするヒサラ。シズはニコニコしながら掌を合わせた。
「任務が完了したのでそろそろ拠点に撤収するそうです。シラセさん、立てますか?」
「そうか、それなら……」
立ち上がろうと地面に手をついたところでようやく気付く。
「……茅部は?」
「カヤベェ?」
「俺の近くで倒れていた男だ。俺の、友達だった」
「あー……」
その説明でカイが頬を掻く。さっきまでの緩い雰囲気は鳴りを潜め、代わりに沈黙が流れる。
「……カヤベさんは、先ほど隊員の方が亡骸を拠点へ運んで行きました」
沈黙を破ったのはシズだった。
「私達がシラセさんを追ってここに辿り着いた時には、すでにカヤベさんは亡くなっていたそうです。ですよね、ヒサちゃん?」
「ええ、そうよ。カイとシズ姉に魔物を引きつけてもらっている間に、あたしは倒れていたシラセさんとカヤベさんの治療にあたった。幸いにもシラセさんは気絶しているだけだったけど、カヤベさんの方は手遅れだった。死因は……」
「いやいい。俺が来た時にも同じ状態だった」
「そう……」
「ヒサちゃんが治療を始めてすぐ部隊の方達も駆けつけました。そのまま魔物を討伐して……」
「……分かった。ありがとう」
「シラセさん、大丈夫ですか……?」
深く頷いて立ち上がった俺に、シズが心配そうな顔で聞いてくる。
「大丈夫だよ。拠点で弔いをさせてくれれば十分だ」
友人を失ったのに淡々と話せるのが自分でも意外だった。それは三人に空元気と受け取られてしまったようだが、誰もそれ以上聞いてこない。
「つーかシズさんこそ大丈夫か? さっきシラセとそのカヤベって奴を見かけた時、なんか頭を押さえてたじゃねーか」
「それはちょっと、アイザでのことを思い出して……」
シズは何かまだ言いたげだったが、指揮官から拠点への帰還命令が飛んできたのでその続きを聞くことはなかった。
「ねえ、シラセさん」
花園を後にして拠点へと向かっているところでヒサラに声をかけられた。前を歩くシズとカイとは距離が開いていたため、その声は俺にしか聞こえない。
「どうした?」
「これ」
ヒサラから手渡されたのはエルオースで無理やり買わされたナイフだった。ヒサラは複雑な表情で俺を見ている。
「倒れていたシラセさんの手元にあったの。……血が付いてたから洗っておいたわ」
ヒサラの言葉に強烈な違和感が込み上げる。このナイフは確かに森の中で使ったが、それは視界を確保するために枝葉を打ち払うためだ。
「あと、カヤベさんだけどね。死因は確かに首と頭部の損傷なんだけど、それ以外にも変な傷があったの。胸に、何かの刺し傷が」
「刺し傷……?」
困惑する俺を見てヒサラが眉尻を下げる。
「心当たりは無いのね。だったら尚更、その短剣に付いた血とカヤべさんの胸の刺し傷は不可解なものになるわ。一応まだシズ姉とカイには言ってないけど」
頭に脈打つような痛みが走り、思わず額に手をやった。熱は無いのに脂汗が噴き出て、掌にぬるぬると気持ち悪い。
不可解なことばかり増えていく。ナイフの刺さった俺と、倒れ伏した結奈、それを笑う茅部。
「シラセさん、本当に大丈夫なの?」
遠く聞こえるヒサラの声に、しばらく返事をすることができなかった。
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