5-3. 振られてやんの

 結奈に出会うまでの俺は、はっきり言えば快楽に溺れるクズ人間だった。

 酒を浴びるほど飲み女を何人も抱く。下品な声で馬鹿話と馬鹿騒ぎを繰り返し、疲れたら知らない女のベッドで寝る。飯はいつも誰かが作ってくれた。そいつは多分女だったと思うが、いちいち顔も名前も覚えていなかった。

 もちろん俺だって最初からそんな人間だったわけじゃない。小さい頃は両親に可愛がられてなんの不自由もなく成長した。親譲りの顔立ちと体格に、恵まれた教育環境から養われた頭脳。完璧とは行かないまでも、運動も勉強も遊びも頑張る健気な少年だった。

 幸運にも異性に好かれることの多かった俺が下手な色恋沙汰に靡かなかったのは、幼馴染の存在があったからだ。彼女とは中学高校が同じで二人で話すことも多く、気付けば同じ空間にいることが当たり前になっていた。

 だから高校二年の春に彼女が告白してきた時も、俺は承諾するよりも先に「今更?」と笑っていた。付き合っても付き合わなくても一緒にいる時間はほとんど変わらないのにと。でも付き合ったおかげで彼女とより固く結びついた気がした。

 彼女はよく笑い、よく怒り、よく泣いた。身の回りの出来事に対して彼女は手を抜かなかった。いつも全力で向き合い、その結果から逃げない。高校に入学して少し斜に構えていた俺のこともずっと見てくれていた。

 彼女と過ごす高校生活はかけがえのない時間になった。春風の吹く学校の外階段。夏の入道雲。夕陽の照らす廊下の一隅。こっそり二人で旅館を抜け出した修学旅行の夜。勉強の終わりにふわふわしたカーペットに転がった俺を覗き込む、彼女の微笑み。このまま俺達はずっと一緒にいるんだと青臭い未来を思い描いていた。

 変化が訪れたのは高校三年の夏だった。

 春から本格化した受験勉強は、俺達の時間をゆっくりと、だが着実に奪っていった。特に俺の志望する大学は難易度が高く、一人で集中する時間が欲しいと彼女に頼み込んだ。

 ——亮がそう言うなら。

 彼女は残念そうにしていたが、代わりに大学受験が終わったら思いっきり遊ぶと約束したことで、最後は承諾してくれた。それから彼女は卒業旅行のために空いた時間でバイトを始めた。

 ——もちろん亮は自分で出してね。

 屈託なく笑う彼女を見たのはそれが最後だったように思う。

 バイト先で彼女はある男と知り合った。いや、厳密に言えば知り合ったそうだ。これは俺が別の人間に後から聞いた話なので詳しい出会いの経緯は分からない。とにかく、彼女が知り合った男は頭の悪そうなチャラチャラした奴だった。だが、不幸なことにその男は彼女が志望する大学の先輩だった。

 別れ話を切り出されたのは、暑さが体に纏わりつくような八月のある日のこと。

 ——別れよう。

 深刻な顔をするでもなく、謝るわけでもなく、まるで日常会話のように笑顔で彼女は言った。

 呆気に取られる俺に彼女はつらつらと理由を述べた。亮の勉強を邪魔したくない、新しいことにチャレンジしたい。曖昧模糊な言い方に違和感を覚えた。しかしその違和感を吐き出す暇もなく彼女は去っていった。

 彼女がバイト先で出会った男と付き合っていると聞いたのは、それからすぐのことだった。最初は彼女もその男を軽くあしらっていたらしい。だが次第に話す時間が増え、ある日バイトの懇親会で二人が一緒に帰った次の日から急に距離が縮まっていたそうだ。

 ——ヤったんだろ。

 俺にその話を伝えてきた人間は、下卑た笑みを浮かべてそう言った。

 最初は信じられなかった。だが日に日に濃くなる化粧と派手さを増す髪の色に、時折ノイズのように走る粗暴な言葉遣い、さらにはプライベートで見かけた際のどぎつい服装が、あからさまに男の影響を感じさせた。真偽を確かめるべく出向いたバイト先から彼女と男が出てくるのを見て、その足取りがネオンの輝く建物に向かうのを見て、最後に全てを悟った。

 俺は笑った。まるでエロ漫画の寝取られ物だと。こんなコテコテの展開で自分がまさか寝取られる側の男になるとは。あははは、ひひひ。

 胸から胃が締め付けられるような感覚と幾度となく込み上げてくる吐き気。周囲に広がる噂に耳を塞いで、俺は卒業するまでの間、ずっとずっと自己肯定と自己否定を繰り返した。

 情けないのは俺か? 裏切ったのは彼女か? 俺が悪いのか? 彼女が悪いのか?

 恋愛は? 恋愛は快楽の下準備だ。

 女は? 女は快楽の道具だ。

 正しさとは? 正しさとは快楽の総量だ。

 俺は正しいか? 今の俺は正しくない。だから正しくなる必要がある。

 皮肉なことに、終わりの無い自己肯定と自己否定のプロセスは受験勉強に大いに役に立った。気付けば俺は彼女と付き合っていた頃よりも遥かに学力が伸びていた。

 結果的に俺は都内の一流大学に余裕で合格した。これで一つ正しくなった。

 大学に入学するとすぐに金持ちのお嬢様を口説き落とした。これでまた一つ正しくなった。

 お嬢様が貢いでくれるので酒も遊びも自由になった。これでまた一つ正しくなった。

 サークル、合コン、ナンパ、ママ活、アプリ、裏垢、ホスト狂い。たくさんたくさん正しくなった。

 酒、酒、女。酒、女。俺が正しい。俺が正しさだ。

 須藤結奈に、俺をそんなゴミのような世界から救ってくれた女性に出会うのは、それからずっと後のことになる。


 ***


 シャリシャリと小気味のいい音が聞こえて目を開けると、見慣れない天井があった。

「あ、起きた」

 聞こえてきた声の主を探すために体を起こせば、ベッドの隣に座る女性に気付く。

「……ヒサラか」

「おはよう。シズ姉じゃなくて残念だった?」

「ヒサラで良かったよ」

「そ。はいこれ」

 ヒサラは果物を切り終わると、それを皿に並べて差し出してきた。受け取って一つ口にすればほのかな酸味と程よい甘みが広がる。すぐに二つ三つと果物を口に放り込んでいく。

「そんなに焦って食べなくてもいいでしょ。カイじゃないんだから」

「むぐ……ありがとう、ご馳走様」

 皿を返して改めて部屋を眺めてみる。

「宿だ」

 寝ぼけ眼には見慣れなかった天井も、腹が膨れた途端に見覚えのあるものと認識するようになる。そこは俺達が泊まる予定のアイザの宿だった。

「今更?」

 俺の反応にヒサラは呆れたように笑う。

「シラセさんを運んだのはカイよ。今はシズ姉と外に出てるけど、すぐに戻ってくると思う」

「そうか。俺は……」

 両手を見ながら記憶を探る。シズを助けるために南の峰で龍と対峙して、それから……。

「……っ!」

 思い出すのは自分の身に起こった不可解な現象だ。龍の蹄が顔に食い込む感触と、その後に起こった快楽衝動。そして気を失う前に見たあのモノクロの光景。

「大丈夫?」

 ヒサラが顔を覗き込んでくる。俺が問題ないと手を挙げると同時に部屋のドアが開く。

「——からシラセも……って、おお?」

「シラセさん!」

 部屋に入ってきたのはカイとシズだった。二人とも食糧の入った布袋を手に持っている。

「大丈夫ですか!? 体は動かせますか!?」

「シズ姉、ちょっと落ち着いて」

「元気じゃんシラセ。あん時はどーなることかと思ったぜ」

 カイはヒサラの向かいの椅子に腰掛けて、妹が剥いている果物をパクパクと口に運ぶ。そんな兄の姿にため息をついてヒサラが尋ねる。

「二人とも帰ってきたことだし、そろそろ教えて貰える? 昨日のあれについて」

 ヒサラの紅白の双眼が鋭く光る。一緒に椅子に座るカイもベッドの横に立つシズも俺を見る。

「……分からない。なんとなくは覚えているんだが、どうしてあんな力が出せたのか見当もつかない。急に体が動くようになって、頭に呪文が浮かんできて……」

「闇の禁術よ。あたしも実物は初めて見たわ。この世界に来たばかりのシラセさんに扱えるものじゃない。……本当にこの世界に来たばかりなら、だけど」

「えっマジで?」

 ヒサラの意味深な言い方にカイが反応する。

「本当はカナタ出身ってことか? でもシラセってまだ二十五だろ。そんな若いヤツに扱えるもんかあれ?」

「本当は二十五じゃないとか。死なない祝福があるんだから歳を取らない祝福もあるでしょ。単純に魔術の才能に関する祝福かもしれないし」

「でもシラセって外の世界から来たから祝福が無いんじゃ……あ、それがウソっつーことか」

「そういうこと。あたし達は本当にシラセさんが外の世界から来たのか確かめられない」

「なるほどなー」

 兄妹は当人の俺を差し置いて二人で話を進めている。さすがにこれ以上邪推を続けられるわけにはいかないと口を挟もうとすると、

「二人とも本当に疑っているんですか? シラセさんが嘘をついているって」

 シズが兄妹に向き直って語気を強める。

「シズ姉こそ、ロフェルで偶然出会っただけのシラセさんをそこまで信頼できるの? 確かシラセさんがこの世界に来たところを見たわけじゃないんだよね?」

「それは……」

 ヒサラの反論にシズが口を濁す。

 少しの沈黙の後、ヒサラはため息をついた。

「……冗談よ。別に本気で疑っているわけじゃないわ。この世界の人間でも自分の祝福がはっきり分からないことはあるし、長く生きているにしては隙がありすぎる」

「あー確かに。シラセってすげー勢いでぼーっとしてる時あるよな」

「そういうことじゃないんだけど……」

 テーブルに体を投げ出しているカイに対して、ヒサラが呆れたように声の調子を落とした。

「それに今はシラセさんから闇の魔力は感じない。シズ姉も分かるでしょ?」

「あ……はい、そうですね。あの時はシラセさんが膨大な闇の魔力を纏って龍にぶつかるのが分かりました。でも今はその魔力を全く感じません」

「もう魔力切れかよ、ダッセー!」

「あんたは魔術すら使えないでしょうに……。でも使えないならいいわ。あんなの素人に扱えるような魔術じゃないから。最悪の場合、体への負担が大きくて死ぬし」

 ケラケラ笑うカイを尻目にヒサラが立ち上がり、徐に俺の顔をじっと覗き込んでくる。

「ヒサラ、何を——」

「そもそもシラセさん、死んだんじゃなかったの?」

 まるで蛇に睨まれた蛙のようにヒサラから目を背けることができない。刹那、昨日の求職所での出来事が脳裏をよぎる。〝憐愛〟のオーバードーズ。受付嬢の弛緩した表情。

「……あ、ごめん。別にお願いしようと思ったわけじゃないから」

 俺の様子に気付いたヒサラが身を引く。

「勘弁してくれ。……死んだことについてはヒサラの言うとおりだ。俺も正直死んだと思った。変な言い方だが、自分の体がぐちゃぐちゃになっているのを見たんだよ。そのうちどんどん体が再生していって、あとはお前らが見たとおりだ」

「生き返るとかまんま〝不死〟じゃん!」

「シラセさんが……!?」

「まだ断定するのは早いわ。シズ姉、こんなこと聞くのも変だけど、エルオースで龍に襲われた時もそんな感じだったの?」

「ごめんなさい、それが分からないんです。私は気を失っていたみたいで……」

「そっか。でも多分同じなんじゃない? だから峰にいたあの男はシズ姉を〝不死〟だって言ったわけだし」

 ——この女は〝不死〟の呪いにかかっている!

 狐顔の男が叫ぶ姿を思い出す。あの男はおそらくエルオースでシズが再生する場面を目撃し、だからこそシズをそう称したのだろう。結果的に俺達以外のあの場にいた全員が死んだのは幸運だったのかもしれない。

「つーことはシズさんも死んだらシラセみたいになるってことか……?」

 カイが妙に真剣な目つきでシズを見る。その視線をヒサラが目を吊り上げながら遮った。

「変な目でシズ姉を見るな。あんたも死なないかどうか試してあげようか?」

「スミマセン……」

「とにかく、シラセさんが知らないんだったらどうしようも無いし、とりあえず〝不死〟の迷人ってことにしておきましょう。それでも怪しさは全開だけど」

「まー別にいいんじゃね? シラセは悪いヤツじゃなさそーだし」

 カイの擁護もあって、ヒサラはそれ以上俺の祝福について追求しなかった。

 迷人の俺が〝不死〟の祝福を持つ理由は分からない。それでも、

「これでお揃いってわけだな、シズ」

「あ……はい!」

 シズの悩みを軽減できることに、悪い気はしなかった。


 ***


「皆さんごめんなさい。私が軽率な行動をとったせいで迷惑をかけてしまいました」

 俺の容体がなんとも無いと分かり、ひととおり落ち着いたところでシズが頭を下げた。

「別に謝らなくてもいいさ。まさか街が人攫いに関与しているなんて思わなかったんだし」

 シズを攫った求職所はアイザの公営施設だった。そうなれば当然、街が龍の生贄を主導していたということになる。

「シラセさんはシズ姉に甘いんだから……。それより、準備が済んだらすぐにここを発ちましょう。長居してたらまた何をされるか分からない」

「えーっ!? 報酬は!?」

「貰えるわけないでしょ。今頃あの受付嬢が全部バラしてるわよ」

「マジかよ……」

「カイくん、ごめんなさい……」

 がっくりと肩を落とすカイにシズが申し訳なさそうな顔をする。

 二人に励ましの言葉をかけようとした時、唐突にドアのノックされる音が部屋に響いた。

「……」

 各々が一斉に警戒を強める。シズが「どなたですか?」とドアに向かって訊ねると、

「失礼いたします。領人様の使者がいらっしゃっています」

「使者?」

「はい。なんでもお客様にお渡しするものがあるとか。受付でお待ちです」

 それだけ告げてドアの向こうの足音は遠のいていった。

「罠だろーな」「罠ね」

 カイとヒサラが同時に口を開く。

「領人の使者と言っていたな。ここ戦うことになると思うか?」

「どうでしょうね。宿屋の損害を全て補填するなら戦うでしょうけど、普通に考えればどこか人気の無いところに誘い込むと思うわ」

「逃げましょう。幸いにも宿代は先に払っていますし」

 四人の意見が一致したので荷物をまとめにかかる。シズとヒサラは部屋に戻る必要があったが、客室エリアは受付から離れているため廊下で待ち伏せされない限りは問題ない。それでも念の為カイが先に部屋を出て様子を伺う。

「大丈夫だ。誰もいねー」

「すぐに荷物を取ってきます!」

 そう言ってシズ達は部屋に入っていった。このまま街を脱出するための逃走経路をカイと話そうとしたところ、

「——あんたは!?」

 部屋の中からヒサラの鋭い声が聞こえた。

「ヒサ‼︎」

 その声に見張りも忘れて部屋に突入するカイ。俺も続いて中に入ると、ヒサラ達が見つめる窓辺に一人の女性が佇んでいた。

「お前は昨日の……」

「うふ、お久しぶりです」

 その女性は俺達を騙した求職所の受付嬢だった。ふわりとした髪とともに薄い桃色のブラウスがそよ風に揺れている。ただ、その雰囲気は昨日と少し違う。

「ちゃんと戸締まりをしないと不用心ですよ、ヒサラ様……」

 俺達四人と相対しているのに、受付嬢はヒサラだけを見ている。

「何の用? あんたが領人の使者ってわけ?」

「そんな怒らないで。もっと優しくお願いしてください……」

 どんどん声の甘くなる受付嬢。その様子からようやく原因を理解する。

「〝憐愛〟の後遺症か」

「でしょうね。まさかあっちから会いに来るなんて思わなかったけど」

「冷たくしちゃイヤです……もっと、もっと私を求めて……」

 受付嬢はうっとりとした表情で身悶えする。その姿に不本意ながら淫靡さを感じて思わず目を背けると、視線の先にいたカイは口をぽかんと開けて受付嬢をじっと見つめていた。

「シラセ……オレなんか変な気分だ」

「……はい?」

 あのカイが? 受付嬢に興奮している? 俺だってシズとヒサラの手前、見るのを躊躇ったぐらいなのに。

「あぁん……もう誰でもいいからわたしを求めて……お願いカイ様ぁ……」

「オレ!? そ、それならお言葉に甘えげふッ!?」

 受付嬢に近付こうとしたカイの腹にヒサラが無言で一発入れた。膝をつく兄と、その兄を刺すような冷たい目で睨む妹。俺とシズはその迫力に気圧されて後ずさる。

「用件を言いなさい。言って、お願い。言え」

「はわわっ、うふ、は、はひ、あへ」

 昨日のようにお願いするヒサラ。受付嬢は待ち侘びたとばかりにそれを全身で受け止める。

「こ、これは……?」

 二回目の俺と違って初見のシズは目を丸くして二人を眺めていた。

「ご、ごめんなひゃい!」

 ヒサラが近付こうとしたところで、叫び声と共に受付嬢の姿が白い小鳥へと変化し、そのまま窓の外に飛び出した。

「に、逃げようとしても、わたしが見張っています、です。うふ、ですから使者にお会いになってください。大丈夫、お願いがあるだけです……」

「待ちなさい!」

 空へと飛び立ってしまった受付嬢の小鳥に窓辺に駆け寄ったヒサラが舌打ちする。そんなヒサラを腹への一撃から回復したカイがふざけたように笑う。

「あーあ、振られてやんの」

「うっさい。あんな女の色香に引っかかったくせに。一気に〝憐愛〟の力を使ったせいで耐性ができちゃったのよ。……仕方ないわ、その使者とやらに会いましょう」

「あいつの言葉を信じるのか?」

「信じるわけじゃないけど、最初から追われるぐらいだったら話だけは聞いておいた方がいい。シラセさんだってそう思うでしょ」

「まあ確かに。シズ、また代表を頼む」

「もちろんです。いつまでもお待たせするわけにもいきませんし、すぐに出ましょう」

 荷物を纏めて受付に向かうと、畏まった服装の男が兵士を連れて待っていた。

 シズが声をかけると、その男は恭しく礼をして話を聞いてくれないかと言ってきた。警戒しつつ、宿の主人に応接間を借りて用件を伺うことにする。

「謝礼……ですか?」

 男の口から出た言葉に驚いた。なんでも子犬探しが完了したので謝礼を、しかも当初の倍で払うつもりだという。無論あの子犬は受付嬢が〝変身〟したものだったのだから、俺達が依頼を達成したなんてことは全くの出鱈目だ。

「まどろっこしいわね。生贄の口止め料だって言いなさいよ」

 シズの隣に座っていたヒサラが男に言い放った。男の方はええだのまあだの曖昧な返事を繰り返していたが、反応を見ればヒサラの指摘が正しかったことが分かる。結局、生贄の口止め料はありがたく貰うことにした。拒んだところで何かしらの脅しがあることは目に見えていたし、俺達も金が必要だったからだ。

 別れ際にシズが尋ねたところによると、龍のその後の動向は不明とのことだった。もしかしたらあのまま谷底で息絶えたのかもしれないし、傷を癒している最中なのかもしれない。

 シズはもう一度南の峰に行くことを提案した。龍の様子を確認し、可能であれば止めを刺そうというのだ。だが、乗り気のカイと違ってその提案にヒサラは反対した。

「四人で勝てる相手じゃないことは分かったでしょ。それにシズ姉の目的はシラセさんを元の世界に帰すことであって、旅の最中に出会った人や街を救っていくことじゃない」

 シズはその言葉に悩んでいたが、最終的にはアイザを発つことに決めた。

 アイザで出来たことは二つ。物資の補給と資金の調達。

 アイザで知ったことも二つ。俺に備わる〝不死〟の祝福と、身に覚えのない俺自身の記憶。

 そのモノクロの記憶は、いつまでも脳裏にこびりついたままだった。

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