3-2. 神に祝福されておるのじゃ

 ——聞いた? 白瀬くん、彼女を大学生に取られたんだってさ。

 うるせえ。

 ——亮、今度はバイトの先輩に手を出したんだって? これで何人目だよ。そろそろ止めておいた方がいいって。

 うるせえ。

 ——情けないね、白瀬は。

 うるせえ。

 ——リリアの花だよ。亮は見たことない?

 ——どうしたの? そんな顔して。

 ——ねえ亮、わたし本当は———

 うるせえうるせえうるせえ。

 ——情けないですね、シラセさんは。

「シズ‼︎」

「うォォッ!?」

 目を開けた先に飛び込んできたのは男の顔だった。

「ここは……?」

 またしても身に覚えの無い場所だ。周囲は草原が広がり、傍には大樹が聳え立っている。

「オリヴェルタん近くの草原だよ。お前、ずっと寝てたんだからな」

 背後からの声に振り向くと、少年が胡座をかいて笑っていた。よくよく見ればそいつは龍と戦っていた紅白の髪の乱入者だった。ウルフヘアを靡かせて鋭い目つきをしている割に笑う姿はどこかあどけない。

「シズは……俺と一緒にいた女性は?」

 縋るように尋ねても、返ってきたのは無情な言葉だった。

「あそこから逃げたのはオレたちとお前だけだ。シズって女のことは知らねー」

 突きつけられた現実に肩の力が抜ける。シズが龍に喰われる瞬間と踏み潰された肉塊が網膜に蘇ってくる。

「そう、か……」

 シズが死んだ。俺はシズを守れなかった。

 俺が守る必要はあったのか? あっただろ。ロフェルの人達になんて言い訳する? 帰らないで王都に行けばいい。でもシズがいなきゃ王都に行っても意味がない。せめて遺品さえ残っていれば。シズが死んだのに何考えているんだ。でも俺には結奈がいるし。今度は人間以外に女を取られたんだな。酒が飲みたい。情けない。

「やってらんねー……」

 考えるのが面倒になって空を見上げる。大樹の青々と茂った枝葉から木漏れ日が降り注ぎ、枝葉の外には透き通った青空が広がっている。

「おーい、大丈夫か?」

 少年が引き気味に俺を見ている。

「……大丈夫だよ。ひとまずは」

「あんまり大丈夫そうには見えねーけど、まあいいや。ヒサー! 起きたぜー!」

 少年が呼ぶと、同じ紅白の髪をした少女が大樹の裏から現れた。こちらもあどけなさが残る顔立ちをしており、どこか少年と雰囲気が似ている。

「やっと起きたんだ。そろそろ置いていこうと思ってたしよかったね」

「こえーこと言うなよ、せっかく助けたんだから。っつーことで」

 ほい、と少年が掌を差し出してくる。

「礼をくれ。金がいいけど食べ物でもいいぞ!」

「……はい?」

 気持ちのいい笑顔を浮かべて謝礼を要求する少年に、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。

「いきなり失礼でしょ」

「いってぇ!」

 少女が持っていた木のへらで少年の頭を叩く。

「突然兄がすみません。まだ動揺されてますよね。謝礼は落ち着いてからで構いませんので」

 ああ、君たち兄妹なのね。と言うか妹も謝礼は要求するのね。ちゃっかりしているところは見た目以上だな。

 勝手に救っておいて烏滸がましいというのに、少女の姿を見ているとなぜか無性に施しを与えたくなる。その欲求を振り切るように兄妹に尋ねる。

「ここはどこで俺はどうなったんだ? エルオースの街は?」

「さっきも言ったろー? ここはオリヴェルタの近くだって」

 少年はさも当然のように言うが、オリヴェルタという地名に聞き覚えは無い。王都への旅程には入っていなかったはずだ。それを察したのか少女は説明を付け加える。

「エルオースは龍の襲撃により壊滅しました。あたし達は逃げ道からこの草原に入り、ここで夜を明かしました。幸いにも龍はエルオースを飛び立ってどこかへ消えたようです」

「……そうか、ありがとう。えっと……」

「ヒサラです。こっちはカイ」

「ヒサラさんにカイさんか。俺は白瀬だ」

 遅すぎる自己紹介をした途端、俺の腹がぐるると鳴った。

「昼だからな。オレも腹へったしメシにしようぜ」

「はいはい、ちょっと待っててね」

 ヒサラと名乗った少女が昼食を運んでくる。幸いにも俺の分まで用意してくれて、乾パンと塩味のきつい干し肉だけでも空腹の俺にはご馳走だった。見た目と裏腹にカイという少年は「ヒサが食えー」と言って妹に干し肉を半分ほど分けていた。

 昼食の席で俺は二人から話を聞いた。二人とも俺より年下で、カイは十八、ヒサラはその一個下だということ。小さい頃から二人で放浪の旅をしていること。エルオースに龍が降りるのを見て駆けつけたこと。

 俺も、今となっては未定になってしまったシズと王都に行く予定のことを話した。

「シラセさん、この世界の人じゃないでしょ」

 迷人であることは言わなかったので、話の途中でヒサラから指摘された時は驚いた。カイもパンを齧ろうとした手を止めて、

「え、マジで? なんでそんなこと分かるんだ?」

「鈍すぎるでしょ。シラセさんはあたし達を見ても嫌な顔をしないんだから、あたし達と同じか知らないかの二つ。髪も瞳も黒だし、知らないって線が妥当よ」

「あーなるほど。ヒサはすげーな!」

 言われてみれば、カイもヒサラも瞳の色は髪と同じ赤と白のオッドアイだった。シズやこれまで出会った人達と比べてもその見た目は特徴的だ。

 それだけにヒサラの言い方は気になる。踏み込んでいいものかと悩んでいると、

「オレたちは咎人とがびとってやつだよ。習わなかったか?」

「だからこの世界の人じゃないって……」

「いや、聞いたことはあるよ。確か神様を裏切った奴の末裔で、家系に関係なく突然生まれてくるって。髪や瞳の色までは覚えてなかったが」

「おーそれそれ。なんだ知ってんじゃん」

「……シズが教えてくれたんだよ」

 旅に出る前の三ヶ月の間に、俺はシズやロフェルの神父からこの世界の一般常識を学んでいた。その中には神話も含まれており、咎人の存在はそこで知った。

 ただ、咎人が今も存在していることは信じていなかった。神話はあくまで神話であって現実とは切り離して考えるべきだし、そもそもロフェルにそんな人間はいなかったからだ。

「あーシズさんね、なるほど」

 カイはバツの悪そうな顔をしながら残っていたパンを口に放り込む。

「……シズさんについては残念でした。お救いすることができずごめんなさい」

「ヒサラさんが謝る必要はないよ。あんなところで龍に遭遇するなんて思いもしなかった」

「そうですね……シズさんとはどこで?」

「三ヶ月前にシズの故郷の森で出会ったんだよ。俺はその……迷人ってやつだ」

 別な世界から来たことがバレた以上、俺が迷人だという事実を隠すことはない。

「ほえー、お前もそうなのか」

「お前『も』?」

「たまに会うんだよ。そんでちょっと一緒に旅をして、大体はみんな途中で死んじまうけど」

「あたし達が出会った迷人は、あたし達と同じように行き場の無い人ばかりでした。村や街の隅に住めればまだマシで、ほとんどは忌避の対象として追い出されます。当然持ち物はありません。そのまま魔物に襲われて食い殺されます」

「そこをオレたちがばばーんと駆けつけて助けるわけよ。でもあいつら金も食べ物も持ってねーからあんまり身入りはよくねーんだよな。服だけは変なの着てるけど」

「……変な服?」

「そーそー。なんかすげーどぎつい色だったり、めちゃくちゃ良さげな生地だったり」

 もしやとハイキングウェアを取りに行こうとするも、荷物は全てエルオースに置いてきてしまったことを思い出す。

「その服はまだあるのか?」

「ありません。綺麗なものは売ってしまうので」

「ほとんどは汚くて捨てるけどなー」

「そうか……」

 現物を見ることはできなくとも、カイとヒサラの話から推測はできる。

 つまり、迷人は俺と同じように別の世界から来た人間だということだ。

 そうなると迷人を探すことが元の世界に帰る近道になるか? いや無理だ。迷人は大抵すぐ死ぬようだし、仮に生きていたとしても身分を隠しているだろう。そもそも元の世界に帰る方法を知っているならもうこの世界にはいないはず。

「おっし! じゃー行くか!」

 残りのパンを口に放り込んだカイがひょいと立ち上がる。

「行くってどこに?」

「エルオースの街に決まってんだろ。もう街の残骸になってるかもしれねーけど」

 兄に呼応するようにヒサラも腰を上げた。

「シズさんをあのままにしておくのはシラセさんも嫌でしょう。龍がまた襲ってくる可能性はありますが」

「そこはオレがぶった斬ってやるよ!」

 カイは傍に置いてあった木刀で素振りする。ヒサラはそんな兄の姿にため息をついている。

「ちょっと待ってくれ。別に俺に付き合う必要はないだろ? カイさんやヒサラさんに悪いし……」

 それにまだ二人を信用したわけではない。

 だが、カイとヒサラは何食わぬ顔で言った。

「まーそれもあるけどよ」

「シラセさんの荷物が焼けずに残っているかもしれません。それを探して謝礼を頂かないと」

 本当に、ちゃっかりしている二人だ。


 ***

 

「オレのことはカイでいいぜ。さん付けされてもなんか気色悪いし」

「あたしもヒサラで大丈夫」

 そう言って兄妹はささっと荷物を纏め、エルオースに向けて出発した。当然俺は旅装だけで何も持っていない。見兼ねたヒサラがナイフを一本貸してくれた。盗賊を返り討ちにした時の戦利品だそうで、意匠が凝っているので普段は肉を捌くために使っているらしい。

 しかし俺は絶望的にナイフの扱いが下手だった。それはロフェルでの三ヶ月でシズと魔物討伐をしている際に気付いたことだ。余計な筋肉を使ってしまうというか、刺したり切ったりする動作がぎこちない。料理をする分には問題無いのだが、いざ魔物と対峙するとどうにも不利になってしまう。

 それもあって俺は武器に戦鎚を選んでいた。振り下ろす動作がメインなので動きを工夫する必要はないし、魔物の攻撃を受け止めるのにも使いやすいからだ。

「短剣も握れないのかよ、ダッセー」

 エルオースまでの道すがらにその事を話すと、カイは屈託もなく笑った。

「そういうお前だって木刀じゃないか」

 カイが腰に佩く武器、それは正真正銘の何の変哲もない木刀だ。木製ゆえに俺の持っていた戦鎚よりも殺傷能力は低いはずなのに、カイはその木刀で襲ってくる魔物をいとも容易く三枚におろしていた。

「にひひ、これがオレの愛刀なんだよ」

「カイは〝剣舞〟の祝福を持ってるの。その木刀はカイが振れば本物の刃物になるし、その木刀を持っている間にカイは強くなれる」

「あー! なんで言っちゃうんだよヒサ!」

「別に隠す必要も無いでしょ」

「そうだけどさー。オレが言いたかったんじゃん」

「はいはい、ごめんねお兄ちゃん」

 剣で舞うと書いて〝剣舞〟。固有名を持つ祝福にまさか旅をして一月で遭遇するとは。

「ちなみにヒサの祝福はヘンアイっていうんだぜ。あれ? レンアイだっけ?」

「レンアイって、あの『恋愛』か?」

「〝憐愛〟よ。憐れみの愛ってこと。シラセさん、あたしとさっき謝礼の話をした時に違和感があったでしょ」

「それはまあ、確かに」

「親しくない人にだったらあたしが謝れば大抵の事は許してもらえるし、なんだったらお金や食べ物を恵んでもらえる。相手に憐れみの感情を与えるってわけ」

 ヒサラはそこでため息をついてカイを横目に見た。

「まあ、もっぱらカイの後始末に使ってるんだけどね」

「悪いなーヒサ。いつも助けてもらって」

「自覚があるんならもっと大人しくしてっての」

 そう言う割にヒサラは迷惑そうな顔はしていない。魔物との戦いをカイが、人との付き合いをヒサラが担当する。凸凹に見えてお互いの長所がうまく活きているからこそ、咎人の身でずっと二人旅を続けられているのだろう。

 二人の話を聞いて漠然と思った。シズの祝福は何だったのだろうかと。

 ——私にも分からないんですよね。たぶん収集関係だと思うんですが。

 祝福の話をする際にシズはそう言っていた。結局はどんな祝福を持っているのか自覚のある方が珍しいという結論に落ち着いて、そのまま話が流れたんだった。

「二人とも自分の祝福によく気付いたな。特にヒサラなんて言われなきゃ分からないだろ」

「あーそれな。じーさんが教えてくれたんだよ。お主らも神に祝福されておるのじゃーって」

「それじゃ説明になってないでしょ馬鹿」

 ヒサラはカイを叱り、一拍置いて続ける。

「親に捨てられたあたし達を育ててくれたおじいさんがいたの。その人もあたし達と同じ咎人だった。結局住んでたところが魔物に襲われて、もういないけど」

「うるせえじーさんだったけどな。オレなんてしょっちゅう怒られたぜ。最後は魔物の親玉と相打ちだから、今頃はあの世で楽しくやってるんじゃね?」

 カイの呑気な言葉にヒサラも「かもね」と微笑んだ。

「お、見えたぜ」

 思い出話が終わる頃に俺達はエルオースに到着した。

 遠目から見ても建物が崩壊していることが分かったため、俺達は周囲に注意を払いながら街に足を踏み入れる。

「ひっでーな」

 辺りを見渡してカイが呟く。街路は抉れ家屋は黒炭に変わり、所々にまだ火が燻っている。鼻につくのは木と鉄と家畜と、何かが焼ける嫌な臭いだ。立ち上る煙は青空を灰色に染め、昼間だというのに辺りは暗い雰囲気に包まれている。

 幸いにも魔物はいないようで、街跡を歩いている時に何人かとすれ違った。人命救助の協力を求める目を向けられることもあったが、シズの元に向かうのが最優先だったし、カイやヒサラを見ると相手の方から顔を背けていた。途中ですれ違った狐顔の男に至っては情けない声を上げて逃げていく始末だった。

 シズと別れた場所を見つけるには時間がかかった。エルオースはそこまで広くないが、目印だった鐘楼も特徴のあった街並みも原型を留めていなかったからだ。

 途中、俺達が泊まっていた宿屋の看板が落ちているのを見かけた。焼け跡ばかりでどこが宿屋だったのか見当もつかず、もちろん獣車も無い。分かってはいたが、自分が持たざる者になった事実を突きつけられたのは堪えた。

 厚い雲に太陽が隠れてしまった頃に、ようやく俺達はその場所を見つけた。

「……」

 シズと話したのはつい昨日のことなのに、随分と時間が経ったように感じる。

 足元を見れば見覚えのあるものが転がっていた。それを拾い、埃を払う。

「やっぱり可愛くないよな……」

 それはシズが買った置物の頭部だった。落とした時に壊れたのか、はたまた龍に踏まれたのか。頭の片隅が焦げるような感覚が襲ってくる。その感覚から逃げるように足が勝手に動く。

 気付けばもう、あの血溜まりの前にいた。

 赤黒い液体が街路に染み付いている。錆びた鉄のような臭いがする。

 こんなものが人の死に方だっていうのか? それを止められなかったのは誰だ? 情けない奴は誰だ? 情けないのは、俺だ。

「……?」

 ふと、あることに気付いた。

 シズの服が残っていない。それよりも肉片らしきものが見当たらない。そのせいで血痕がまるでペンキをぶちまけたように平たく見える。

「おい」

 その疑問に答えを出すより先にカイが口を開いた。振り向くと、俺ではなく近くにある建物の残骸を睨んでいる。

「誰だ?」

 カイはすでに木刀を構えて臨戦体制を取り、ヒサラも杖を持ってカイの後ろに移動している。

「……セ……さん」

 建物の残骸から微かに声が聞こえる。

「盗賊か? 隠れてないで出てこいよ。死にかけじゃねーことは分かるぜ……って、あれ?」

「どうしたの? もしかして人獣型の魔物?」

「いやなんか気配がおかしーんだよ。死にかけでもねーけどよ、なんつーか……生きかけ?」

「はい?」

 兄妹が話している間に、俺の足は建物の残骸へと向かっていた。間違いでなければ先ほどの声には聞き覚えがある。まさか、いや、でも。

「おいシラセ! 不用意に近付くんじゃねーって!」

 カイの忠告も耳に入らない。声の聞こえた場所まで来ると、そこにいるであろう人物に向けて言う。

「シズ……?」

 呼びかけに反応するように物陰から顔を出した人物。その姿を見て絶句する。

「シラセさん……私……」

 そこには、継ぎはぎのように不自然にくっついた体と剥き出しの筋肉を曝け出した顔で、困惑した表情を浮かべるシズの姿があった。

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