第2話 鎖国の街

 しかし、実際には、それが、

「功を奏した」

 といってもいいかも知れない。

 その一つの理由として、

「外人が嫌いな人」

 というのが、

「外人お断り」

 というのを見て、どんどん来るようになった。

 というのは、

「本当は旅行も好きだし、名所旧跡を回るのが好きなんだけど、外人どもが我が物顔でのさばっているから、行きたい観光もできない」

 と思っている人が、

「実際には相当いる」

 ということであった。

 考えてみれば、

「外人を受け入れる」

 というのは、

「インバウンド」

 などといって、

「政府の勝手な方針」

 であり、実際に、すたれかけた観光地などでは、

「外人であっても、金をバラまいてくれるのであるから、大事にする」

 ということ、しかも、そこに漬け込んだ政府が、

「日本に来た外人で、留学生などを雇った企業は、補助金を出す」

 などというものだから、日本に来る外人が増えたのだ。

 つまり、外人が来てうれしく思っているのは、

「政府の連中」

 であったり、

「観光地の金をバラまいてもらえる」

 と思っている人たちばかりということになるのだ。

 実際に、都心部で、雇う側からすれば、正直なところはハッキリとは分からないが、

「国から補助金が出る」

 ということと、

「日本人はなかなか求人に応じない」

 ということから、

「外人でも雇うしかない」

 というだけの、

「街の商店や、飲食店、さらには、コンビニの店主」

 くらいであろうか。

 しかし、本心が分からないというだけで、かなりは、

「日本人に越したことはない」

 と思っているかも知れない。

 その気持ちが徹底しているのが、有明村の運営ということで、そこか、考え方は、

「封建的なところがあるのかも知れない」

 といえる。

 実際の観光客も、

「外人ばかりで、主要観光地は、鬱陶しいばかりだ」

 ということで、少々うんざりしている日本人観光客は、

「こういうところの出現を待っていた」

 と感じていた。

 若い日本人観光客の中には、

「主要な観光地に行くと、外人どもが我が物顔でひどいふるまいをしていることで、自分たちまで白い目で見られる」

 として、かなり怒っているところがあった。

 特に、

「アジア系」

 の観光客が多く、やつらは、日本人と顔が似ているということもあって、観光地の人とすれば、

「見分けがつかない」

 ということになる。

 いや、もっと今はひどい状態で、

「主要観光地」

 であったり、都心部などでは、

「街を歩いている若者のほとんどは、訳の分からない言葉をしゃべっている」

 ということで、そのほとんどが、外人なのだ」

 だから、観光地の店の人は、

「皆外人だ」

 ということで、十羽一絡げということにして、

「その他大勢」

 ということにされてしまっているのだ。

 それを考えると、

「外人のいないところってないんだろうか?」

 と、感じている人はかなりいることだろう。

 そういう意味で、

「外人お断り」

 ということを乗せたとたんに、

「予約が殺到した」

 という、

「うれしい悲鳴」

 が巻き起こった。

「国の補助金なんて、雀の涙にもならない」

 というくらいで、今から思えば、

「鎖国という政策は、ひょっとすると、悪くなかったのかも知れないな」

 と感じるのであった。

 街の人も、

「国の政策がおかしい」

 ということを証明できたようでうれしいと思っているのだ。

 もっとも、

「歴史の一ページ」

 というものにおいて、

「何が正解なのか?」

 ということは、すぐに答えが出るわけでもなく、さらには、

「時代背景によって変わってくる」

 ということで、決められないと考えると、

「これだけたくさんの政権があったり、時代が存在した」

 というのも、分からなくもないことであった。

 ただ、この場所が、

「外人シャットアウト」

 という、

「鎖国観光地」

 ということだけではなかった。

 そもそも、

「風光明媚の場所」

 ということで、昔から、

「別荘地」

 とされてきた場所なのだから、誰かが注目すれば、今の

「ネット全盛」

 といわれる時代なのだから、口コミなどで、人が集まってくるというのは、当たり前のことだろう。

 しかし、どうしても、

「主要観光地ばかりがもてはやされ、田舎は忘れ去られる」

 というのも、

「外人が蔓延ってきた」

 ということあるあるではないだろうか。

 それを、

「外人シャットアウト」

 ということにしたのだから、余計に日本人観光客が、

「どんなところだろう?」

 と興味を持つ。

 つまりは、

「外人相手の宣伝」

 の時には、

「風光明媚な風景」

 というものを前面に出し、従来の宣伝方法を用いてきたが、相手が日本人ということになると、今度は、風景は隠しておいて、まずは、

「外人お断りの観光地」

 という名目を宣伝文句として、そこから、リンクで、

「街のホームぺージ」

 に飛ぶようにしたのだ。

 その時、

「あなたは日本人ですか?」

 というのをわざわざ載せて、そこには、

「外人シャットアウト」

 というのを、主要な外国語で、あたかもという形で載せることで、外人に嫌な思いをさせるという作戦だったのだ。

 そんなとことに、さらに、ワンランクの結界を設けておけば、

「こんなところ誰がいくか」

 と外人に思わせることで、余計な閲覧もされないで済む」

 ということであった。

 つまり、ここの宿泊や予約は、すべて、

「日本人である」

 という証明が必要なのだが、

「それでも、外人が来ないところがあるのであれば、ありがたい」

 ということで、面倒なことであっても、それでも、予約客は増え続けたのである。

 それだけ、

「外人が嫌だ」

 という人が多いということを、

「どうして政府は分からないんだ?」

 と思えた。

 もちろん、

「この観光地が、日本人の心をつかんだ」

 ということになるのだろうが、実際に、他の観光地でも、

「外人シャットアウト」

 という宣伝をするという、

「二番煎じ」

 のところが増えてきた。

 実際には、それなりに観光客はいるようだったが、皆、ネットの動向は分かっているので、

「二番煎じだ」

 ということはすぐにバレる。

 実際には、

「そんなところに、わざわざいかない」

 と思っている人が多いだろう。

 ただ、それでも一定数の観光客がいるというのはありがたいことで、

「外人がいない観光地が増える」

 ということは、これまで、肩身の狭い思いから、なかなか表に出れなかった日本人が、出かけるということで、

「日本人による、観光地の再見直し」

 というのが出てくると考えると、

「これからの時代、やはり、外人にばかり頼ってもいられない」

 といえるだろう。

 確かに、今は、その国が、

「飛ぶ鳥を落とす勢い」

 ということかも知れないが、

「今の日本」

 というものを見ればどうだろうか?

 昭和の終わり頃という時代において、

「世界の長者番付のほとんどが、日本人で占められていた」

 という今では信じられないようなことが起こっていたといってもいいだろう。

 しかし、それが、

「バブルの崩壊」

 からこっち、まったく精彩を欠いてしまい、今では、

「ベスト50に一人入っているかいないか」

 という程度である。

 それは、経済界においてもいえるかも知れない。

「昭和の終わり頃は、日本トップクラスの企業で、世界の長者番付のベストテンに入っていたにも関わらず、今では、関連企業をどんどん切っていき、海外資本に売り飛ばす」

 ということで、大問題になったりしているではないか。

 しかも、数十年で、産業の興亡も激しくなっていて、

「今までにはなかった産業が、今はトップクラスになっている」

 といってもいい。

 そのいい例が、昭和の頃と、平成、そして今の令和とでの違いを顕著に表しているというのは、

「大人になったらなりたい職業」

 というものである。

 昔であれば、

「パイロット」

「アイドル」

「博士」

 などと、どちらかというと、

「夢の実現を必要とする」

 というものであったが、今では、

「ユーチューバー」

 などという、

「誰にでもできるが、ごく一部の人間だけが、高額を稼げる」

 という。

「昔の夢」

 というものとは少し違い、

「現実的には考えられるものではあるが、実際には、夢のような話」

 ということで、

「手が届くところを考えて、その中から鎬を削る」

 という方を選んでいるようだ。

 それだけ、

「自分にだってできる」

 という何かの自信があるのだろうか。

 しかし、その自信というのはあまりにも根拠のないもので、ある意味、

「皆が目指して、それでも、ごく一部だけ」

 ということなのに、その自信はどこからくるというのだろうか?

 というのは、

「パイロットであったり、アイドル、博士」

 などという子供の頃の夢というのは、

「試験」

 であったり、

「オーディション」

 さらには、

「研究結果」

 というれっきとした証明があってからこその、

「目標達成」

 ということである。

「ユーチューバー」

 などというと、それ自体が、

「個人事業主」

 のようなものであり、

「一度頂点に上り詰めたとしても、すぐに奈落の底に落ちるかも知れない」

 つまりは、

「一発屋」

 というものが多いのかも知れないと考えると、

「今の時代は、子供の考え方まで、まったく違う時代になってきた」

 といってもいいのかも知れない。

 そうなると、今の日本が、

「金をバラまいてくれる」 

 ということで、ちやほやしている国であっても、

「いつ、バブルのように崩壊するかも知れない」

 ということで、確かに、

「外国はたくさんある」

 といっても、相手が日本を相手にしないのであれば、どうしようもない。

 つまりは、

「簡単な手のひら返しが通用するほど、外交というのは簡単なものではないのではないだろうか?」

「そんなことは分かっている」

 という人がいるかも知れないが、

「今まで、何度政府を信じてきて、裏切られたことだろうか?」

 ということである。

 少なくとも、

「今現役で頑張っている人たちは、どれだけの人が、政府を信頼している」

 というのだろうか?

 選挙においても、

「国民が投票してくれたから、政府でいるんだ」

 と思っている政治家がいれば、それこそ、

「バカバカしい」

 というもので、

「他に誰もできる人がいない」

 ということから、

「だったら、最悪の今の政府であっても、やらせるしかない」

 という、

「消去法によって成り立っている政府だ」

 ということになるのだ。

 別に国民が、お願いしたわけではなく、お願いというよりも、

「藁をもつかむ」

 といってもいいだろう。

 それも、

「これ以上ひどくならないように」

 という、実にネガティブなものだ。

 だからこそ、

「国民の政治離れ」

 というものがあるのだし、

「そもそも、年金を消す政府だ」

 ということを考えて、しかも、

「その時の余勢を買って、野党にさせてみると、結果最悪だった」

 という事実があったことで、

「もう、政権交代はうんざりだ」

 ということになり、結局誰もが行きつく先は、

「他に誰もいない」

 ということになるのだ。

 これこそ、

「保守」

 ということで、それを政府が、

「自分たちが強い」

 などと思っていると、いつ足元を掬われることになるか分かったものではないだろう。

 特に今の日本というものが、

「ソーリ」

 を見ていると、

「外国におんぶにだっこ」

 というものが分かるというものだ。

 特に、このソーリが就任した時を思い出せばわかるというものだ。

 実は、このソーリが就任する、

「2代前のソーリ」

 の時に、大問題が勃発したのだった。

 というのは、

「世界的なパンデミック」

 ということで、

「未知のウイルス」

 というものが世界的に蔓延したということであった。

 実際に、その時のソーリというのは、確かに、世間からいろいろ言われていた。

「疑惑にまみれた政治家」

 ということで、

「明らかに、あくどいことをしている」

 というのが分かっていながら、国会などで、のらりくらりと逃げ回っていたのであるが、それも、よく考えてみると、

「野党が弱かった」

 といってもいいだろう。

「せっかくの政権交代の時期」

 というのを、みすみす棒に振ったといってもいい。

 口では、攻撃をしているのだが、その切れが感じられない。

 それこそ、

「政権は取らなくてもいいから、政権助成金がもらえればそれでいい」

 とでもいうような、

「野党第一党にあるまじき行動」

 といってもよかった。

 考えてみれば、

「あの時に政権が取れなかった野党だから、今後、野党が政権を取れば、この国は終わりだ」

 といってもいいだろう。

 それを考えると、

「世界的なパンデミックというものがもたらしたものは、悪いことだけではなかった」

 といってもいいかも知れない。

 そんな、

「疑惑だらけのソーリ」

 ということであったが、実際には、外交面などでは、一定の評価もあり、

「やっていることがあざとい」

 とは言っても、

「他の誰にも太刀打ちできる相手ではなかった」

 ということは事実だろう。

 しかし、そんなソーリの時代に、いきなり襲ってきたのが、

「世界的なパンデミック」

 という大事件であった。

「未曽有の大事件」

 ということで、今までに例を見ないことだっただけに、政府の対応はひどいものだった。

 なんといっても、

「伝染病蔓延の基本」

 ということであれば、まずは、

「水際対策」

 というものが基本だといえるだろう。

 だが、あの時の政府は、

「ソーリ独断」

 ということで、まず、

「学校閉鎖」

 から行ったのだ。

 そもそも、学校閉鎖というのは、

「学校側や、家庭との事前の打ち合わせがあって、体制が整ってから行う」

 というものであり、

「まわりから反対される」

 とでも思ったのか、ソーリは、

「側近の誰にも話さず、独断」

 ということで、

「学校閉鎖を決めた」

 のだった。

 そもそも、海外から入ってきたものなので、

「これ以上の侵入を止める」

 ということをしてからでないと、国内だけで、

「蔓延防止」

 をしても、まったくの無意味だということを分かっていないのだ。

 そのやり方から、国民の信任を得ることができず、それ以降の政策を、

「すべて後手後手だ」

 といわれるようになったのだ。

 最初がうまくいっていれば、ちょっとまずいかも知れない政策でも、

「ソーリがいうのだから」

 ということで、

「信じてみよう」

 ということになるだろう。

 しかし、最初が悪いと、

「どんなにその時最良の政策を取った」

 としても、

「どうせあいつのやることだ」

 ということで、国民は、

「悪いことだ」

 と決めつけることだろう。

 とにかく、本当であれば、

「国民が、総力を挙げて取り組まなければいけない状態であれば、特に、トップの指示をする人間がしっかりしていないと、先に進まない」

 ということになる。

 しかも、

「すべてが後手後手」

 と言われ、

「ただ、機械的にやっているだけのソーリ」

 ということで、

「味噌くそ言われる」

 ということになるのだ。


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