第三章 『辛さとか、苦しみとか、笑顔とか』 『希望』って何色だろうか 第3話
自分の病室へ戻る途中、ふと待合室のテレビに目がとまった。画面では、昨日の地震のニュースが流れている。
『震度七』――その数字が耳に刺さった瞬間、体のどこかが固まった。信じたくなくて、でも目を逸らせなくて、私はその場に立ち尽くした。
ヘルメットをかぶったアナウンサーが、揺れる声で現地の様子を伝えている。怖いはずなのに、それでも前に立って言葉を紡ぐその姿に、胸の奥で小さな尊敬が灯った。
土砂崩れに呑まれた家。ひび割れた道路。避難所に集まる人々。一つ一つの映像が、記憶の奥から手を伸ばしてくる。
――あの時の光景が、容赦なく蘇る。それを感じる度に息が、また苦しくなる。喉の奥が詰まって、空気がうまく入ってこない。
「まただ……」
これ以上はダメだ、見ちゃいけない。心の奥で警報のような声が鳴り響く。その声に突き動かされるように、その場を離れた。
駆け足で病室へ向かう。廊下を走り抜け、階段を一段ずつ登っていく。肩で息をしながら、それでも止まれない。ただ、あの映像から遠ざかりたくて。
――ガンッ。
「あっ!」
最後の一段を踏み外して、膝から崩れ落ちた。荒かった呼吸が、不思議なほどすっと静まる。代わりに、どうしようもない絶望だけが胸を満たしていく。
「もう、なんなの……?」
そう呟いた声は、自分でも驚くほど小さく、壊れそうだっ
た。苛立ちが募って、何度も足を叩く。動かない足に当たる
手の音が、乾いた音を立てた。
誰にも見られていないことが、今は救いだった。自分の情けなさに、呆れて、苛立って、また呆れて。
乗り越えたはずだった…。そう信じていた。何度も、何度も、自分に言い聞かせてきた…。
「大丈夫」「もう大丈夫」――そう言い続けてきたのに。
それでもまた、地獄の底に足を引きずられる。
「なんで……なんで、なんでだよ」
叫んでも、返ってくるのは空気の振動だけ。どこに向けたらいいのかもわからないまま、私はただ、声をこぼした。
やっとの思いで、自分の病室のある廊下に辿り着く。
その瞬間――。
「笑美さん!」
背後から、聞き覚えのある声が響いた。胸の奥がひとつ、ぎゅっと縮む。
「……美心ちゃん? どうして?」
振り向かなくてもわかる。あの優しい声。美心ちゃんは少し息を切らしながら、私の顔をのぞき込んだ。その目が、心配そうに細められていて…。
「探しましたよ…病室に行ってもいなくて、看護師さんに聞いたら、診察してるって……」
――ごめんね、美心ちゃん。今、後ろを向けないの。こんな情けない顔、見せたくない。
「来なくていいのに……」
無理やり強く言った。でも、声の震えまでは隠せなかった。
「でも、心配で……昨日あんなに苦しそうで……」
「学校は? 今日は学校の日でしょ?」
なんとか冷静を装って言葉を重ねる。でも、喉の奥で揺れる声が勝手に震えていく。
「サボってきました……だって、心配だから」
「だったら、今すぐ帰りなさい」
「でも……心配で……」
その声があまりにもまっすぐで、胸の奥を突き刺す。私は言葉を失った。上手く会話ができない自分に、どうしようもない苛立ちが湧く。
「検査、どうでした? 体調は?」
「……なんともないよ。少し気が散ってただけ。体の疲れとか、そういうのもあるみたいで……」
「ほ、本当ですか?」
――見られたくない。見ちゃいけない。背を向けたまま震える声で嘘をついた。
「本当に大丈夫だから……」
「なんで? なんで嘘をつくんですか?」
「嘘じゃないよ……」
「嘘だ! だってあの時、地震の時……笑美さん、すごい震えてたじゃないですか。今も……震えてる。
嘘やめてくださいよ……本当のこと、教えてください」
もう、何も隠せない。もう、何も誤魔化せない。美心ちゃんをこれ以上、心配させたくなかった。
ゆっくりと振り返る。目の前にいる美心ちゃんの顔を、まっすぐ見る。
いつもと変わらない、素朴で、やさしい顔。でも、その瞳の奥には——。
私の痛みのいちばん深いところに、そっと触れようとする光が宿っていた。
「やっぱり……大丈夫じゃないですね。来てよかった。
だって、笑美さんが……泣いてるんだもん」
その言葉が、胸の奥で何かをほどいた。張り詰めていたものが崩れて、見せたくなかった雫が、頬を伝ってこぼれ落ちた。
「教えてください……本当のこと。苦しいなら、苦しいって言ってください」
「……ダメだよ。美心ちゃんに、そんなの…」
「どうしてですか? 私が辛いとき、笑美さんは一番に寄り添ってくれた……言葉をくれた……。だから、その恩返しをしたいんです。私じゃ頼りないかもしれないけど……でも……」
――あの時。うずくまっていた美心ちゃんに手を差し出した私。今度は、あの子が私に手を差し出してくれている。
「教えてください。話してください」
まっすぐに伸ばされた手。その思いの強さに、胸が熱くなる。
「……少し、話しやすい場所に行こっか」
私はそっと、美心ちゃんの手を取った。あたたかくて、優しいその手を引きながら。
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