第38話 シード校の重さ
兵庫大会一回戦から、わずか三日後。
県営球場とは別の、地方球場の三塁側ベンチに、武庫工業ナインが座っていた。
今日は二回戦。相手は、第五シード・宝陵高校。
外野スタンドには、宝陵の黄色いメガホンがずらりと並んでいる。
応援の音量からして、すでに格の違いを見せつけていた。
「雰囲気からして、全然違うな……」
ベンチ前でキャッチボールをしていた敦は、宝陵ナインのシートノックを見ながら思わずつぶやいた。
内野手の一歩目の速さ。
中継に入る位置取り。
外野からの返球の伸び。
どれも「上手い」ではなく、「慣れている」という印象だった。
「見とれてる場合じゃないぞ」
キャッチボール相手の佐伯が、ボールを受け取りながら言う。
「はい」
「今日も先発はお前だ。途中で交代になったとしても、外野かキャッチャーで出ずっぱりになると思っておけよ」
「わかっています」
監督とも話していたとおりだ。
この夏、山下敦は「投げない試合も含めて、基本スタメン」という扱いになっている。
(マウンドから外されても、すぐベンチへ下がるわけじゃない。
最後まで、この試合の中に居続ける)
そう考えると、不思議と少しだけ気が楽になった。
*
試合前の整列を終え、両校の主将が審判の前に出る。
コイントスの結果、武庫工業は後攻になった。
「よし、守りから入るぞ」
大塚主将の声に、全員が頷く。
守備位置につく敦は、いつもと同じようにマウンドの土を一度踏みしめた。
その瞬間、視界の端に、あの透明なスクリーンがちらりと浮かぶ。
ピッチャー
スタミナ S
コントロール S
球速 153km
メンタル ★1
(やることは一つ。シード校だろうと、一人ずつ抑えるだけだ)
スクリーンは、敦の決意と同時にすっと消えた。
*
一回表。
先頭打者は、宝陵の一番・センター。右打者。
佐伯は、外角低めにミットを構えた。
初球、外角低めのストレート。
敦は、力みすぎないように意識しながら腕を振る。
ボールはミットの縁ギリギリに収まり、乾いた音を立てた。
「ストライク!」
主審の声が響く。
(二球目は、高さを変える)
二球目、内角高めへのカーブ。
打者は見送る。
「ボール!」
カウント1―1。
三球目、もう一度外角低めのストレート。
今度は、少しだけコースを外した。
「ボール!」
2―1。
(ここから粘らせると厄介だな)
佐伯は、高めのつり球を要求した。
四球目、外角高めのストレート。
打者は思い切りよくバットを振ったが、わずかにタイミングを外された。
カツン、と芯を外した音。
打球は、ショート・田島の頭上に上がる緩いフライになった。
田島が一歩下がって、腰を落として捕球する。
「ワンアウト!」
まずは先頭を打ち取った。
続く二番は左打者。コンパクトなフォームで、しぶとくミートしてくるタイプだ。
敦は外角へのスライダーと内角へのストレートを散らしながら、カウント2―2まで持ち込む。
六球目、外角低めのフォークで空振り三振。
「ナイスボール!」
ベンチから声が飛ぶ。
三番は、宝陵の中でも打率上位と噂の右打者だった。
初球のストレートをファウルにしてから、二球目のカーブを見送り。
三球目のスライダーを、バットの先でライト前へ落としてきた。
(簡単にはいかないか)
ツーアウト一塁。
四番は大柄な左打者。
スタンドからも、ひときわ大きな声援が飛ぶ。
初球、外角低めのストレート。ボール。
二球目、同じコースにスライダー。見送りストライク。
1―1からの三球目、敦は少しだけ高めにストレートを投げ込んだ。
打者はフルスイング。
しかし、ボールはわずかに詰まって、センター後方へのフライにとどまる。
センター・村上が落ち着いて打球の下に入り、しっかりとキャッチした。
「スリーアウト!」
初回は、ランナー一人を出したものの、無失点で切り抜けた。
*
一回裏、武庫工業の攻撃は、宝陵の先発左腕の前に三者凡退に倒れた。
(やっぱり球が重いな)
ベンチへ戻ってきた長谷川が、ヘルメットを脱ぎながらつぶやく。
「ストレートも変化球も、全部同じ腕の振りで来る感じだ」
「じゃあ、早打ちは危険ってことだな」
大塚主将の一言で、ベンチの空気が少し引き締まる。
*
二回表。
五番、六番を比較的あっさりと打ち取り、ツーアウトとなったところで、七番打者が打席に入った。
右のスラッガー型。
初球、外角低めのカーブを空振り。
二球目、内角寄りのスライダーをファウル。
(追い込んだ)
0―2。ここは勝負を急ぎすぎないほうがいいカウントだ。
敦と佐伯の視線が、一瞬だけ合う。
佐伯は、外角のボールゾーンにミットを構えた。見せ球のストレート。
三球目、外角にわずかに外れるストレート。
打者は手を出さない。
1―2。
(次で決める)
四球目、外角低めへのフォーク。
敦の感触は悪くなかったが、ボールはわずかにワンバウンドしてしまった。
「ボール!」
2―2。
ここで、敦の指先に汗が滲んでいることに気づく。
(落ち着け)
グラブで右手の汗をぬぐい、深呼吸をひとつ。
五球目、もう一度フォークのサイン。
今度は高めからしっかり落とすイメージで投げる。
しかし――。
少し指にかかりすぎたボールは、中途半端な高さで沈みきらず、やや高めに入ってしまった。
七番打者のバットが、一瞬の迷いもなく振り抜かれる。
打球は、レフト線へ鋭く飛んだ。
「しまった……!」
レフト・高倉が懸命に追うが、打球はその頭上を越え、フェンスまで転々と転がっていく。
「ツーベース!」
スタンドの歓声が一気に大きくなる。
ツーアウト二塁。
「ここ、踏ん張りどころだぞ!」
サードから大塚主将の声が飛ぶ。
八番打者は、小柄な左打者だった。
「七番に長打が出た直後」ということを考えると、ここで一気に畳みかけてくる可能性もある。
初球、外角低めのストレート。ボール。
二球目、同じコースにスライダー。見送りストライク。
1―1。
(三球目は、ストレートで押す)
敦は、わずかに力を込めて、外角寄りにストレートを投げ込んだ。
打者は、逆方向を意識したスイングで、ぎりぎりまでボールを引きつけて打つ。
カツン、とイヤな音がした。
打球は、三遊間を鋭く抜けていく。
「ホーム! ホーム!」
佐伯のコールと同時に、二塁ランナーが三塁ベースを蹴ってホームへ向かう。
レフトからの返球は、ややストライクゾーンから外れた。
佐伯が体を伸ばして捕球し、一度タッチにいくが――。
「セーフ!」
わずかに間に合わなかった。
(先制された……)
スコアボードに、「0―1」が刻まれる。
なおもツーアウト一塁。
九番打者を内野ゴロに打ち取り、この回はそれ以上の失点は防いだが、宝陵の打線の重さを実感するには十分だった。
*
二回裏。
先制を許した直後の攻撃で、五番・山下に打席が回ってきた。
(ここで何もしないわけにはいかない)
相手投手は左腕。
一回の打席では見逃し三振に倒れている。
今度は初球から狙っていくつもりで、敦はバットを構えた。
初球、外角低めのストレート。
敦は、わずかにタイミングを外され、バットの先で打ち上げてしまう。
打球はセカンド後方へのフライ。
セカンドとライトが交錯しかけながらも、ぎりぎりで捕球する。
「アウト!」
(くそ……)
バットを置き場に戻しながら、敦は奥歯を噛みしめた。
この回、武庫工業は走者を出すことができず、あっさりと三者凡退に終わる。
*
三回、四回。
敦は徐々に宝陵打線の傾向をつかみ始めていた。
高めのストレートはほとんど振ってこない。
甘く入った変化球は確実に叩いてくる。
逆に、外角低めのストレートとフォークは、打者側も簡単には手を出してこない。
(見逃されてもいい。ここは“振らせる球”と“見送らせる球”をはっきり分ける)
三回表は、三者凡退。
四回表も、ランナーを一人出したものの、ダブルプレーで切り抜けた。
その間、武庫工業打線も、少しずつ左腕の球筋に慣れ始めていた。
*
四回裏。
先頭の三番・村上が、しぶとくライト前ヒットで出塁する。
続く四番・大塚は、初球をきっちりと送りバント。
一死二塁。
打席には五番・山下。
ベンチから、矢部先輩の声が飛ぶ。
「気負いすぎるなよ。コンパクトでいいぞ!」
「はい!」
敦は、バットのグリップを握り直した。
初球、外角高めのストレート。
見送りボール。
二球目、外角低めのスライダー。
敦は、ボール一個分外から入ってくる軌道をじっと見極める。
「ストライク!」
1―1。
(三球目、内角に来るか……)
そう予想した瞬間、相手バッテリーも同じ考えだったのか、キャッチャーが内角寄りにミットを構えた。
三球目。
やや内寄りのストレート。
敦は、差し込まれないように、踏み込みを半歩早くしてバットを振り抜いた。
金属音。
打球は、三遊間のやや深い位置へ飛ぶ。
「抜けろ!」
ベンチの声と同時に、ショートがダイビングキャッチを試みる。
しかし、グラブの先をかすめた打球は、そのままレフト前へ転がっていった。
「行け、村上!」
二塁ランナーの村上が三塁ベースを蹴ってホームへ突っ込む。
レフトからの返球は、やや三塁寄りにそれた。
キャッチャーが体を伸ばして捕球し、慌ててホームベースへタッチにいくが――。
「セーフ!」
一塁側スタンドから、大きな歓声が上がる。
打った敦は、その間に一塁ベースをしっかり蹴って二塁へ滑り込んでいた。
「タイムリーツーベース、山下!」
場内アナウンスが響く。
(これで振り出しだ)
スコアボードに、「1―1」の数字が並ぶ。
一死二塁。
なおもチャンスは続いたが、六番、七番が連続三振に倒れ、この回は同点止まりとなった。
*
ベンチへ戻ってきた敦は、タオルで汗を拭きながらスコアボードを見上げた。
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
宝陵 0 1 0 0
武庫工業 0 0 0 1
(シード校相手に、四回終わって1対1。
ここからが、本当の勝負だ)
ベンチの片隅で、水筒を置いた瞬間、視界の端にスクリーンが一瞬だけ揺らめいた。
試合中評価(途中)
「失点1 被安打4 奪三振5」
(数字はあとでいくらでも増やせる。今は、目の前の一人だ)
敦はスクリーンから意識をそらし、立ち上がった。
「よし、五回も行くぞ」
そうつぶやいてマウンドに向かう背中に、大塚主将が短く声をかける。
「ここからは、エースとシード校の勝負だな」
「負けませんよ」
敦は、振り返らずに答えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます