第10話 失望
パァァァァン!
竹刀が飛ばされて、道場の床に乾いた音が響いた。使い込まれた床には汗が滴り、距離をとって向かい合った男達は、防具をとって礼を合わせた。
「坊、やるようになったなぁ」
「いいえ。……あの、やっぱり、もう一本、いいですか?」
「はぁ? 勘弁してくれ! わい、これから仕事入ってんだよ。 坊だって学校、これからだろう? 遅刻すんぞ」
俯く少年。今朝は薄氷が張るほどの寒さだ。火照った身体とは真逆に裸足の足先が徐々に冷えてくる。とっとと帰り支度を始めた初老の男は、いつまで経っても動こうとしない修にため息をついて
「分かった、分かった。だがこれで終いだぞ? わいはいつまでも若くない」
こくりと頷いた修。再び二人は防具をつけて対峙する。短い静寂の後は激しい打ち合い。若さを生かしたスピードのある攻めに力強い足運び。防戦のように見えた男は、強面の眼光を一瞬鋭くしたかと思うとパァンと大きな音を跳ねさせた。
「めーーーーん」
宙を向いて足を止めた修。そしてそのまま膝をつく。
「なんべんやったって一緒だ。雑念だらけの坊じゃ、わいには勝てん。だが、紛れたか?」
差し伸べられた手を素直にとって、俯いたまま、修は首を横に振った。
尾崎家の警備担当の
二人はそのまま汗を拭いつつ、入口の近くにあるベンチに腰を下ろした。
「嬢のことか? 坊に出来ることはしたんだろう? 悩んで落ち込んで、利になることがあるのか?」
剣道着の奥から電子タバコを取り出した剛。火を点けぬまま口に咥えた。
「わいは、あんま、近寄らんかったが、坊らが夢中になるのは分かる。確かに、わいらが触れちゃいかんような清らかさがあった。だけんど……命ってやつはいつだって理不尽だ。人が関わる領域とそうじゃない領域ってのがあるんだよ」
修と目を合わさず、あえて遠くを見る剛。修はその優しさを温かく思いつつ、納得のいかなさに拳を強く握って震えた。
「あいつは……、花華はまだ2歳にもならない。うちに帰ってきたのだって、まだ4ヶ月余り。半年にも満たないのに」
感情的に泣き出した修は二の腕で顔を隠して、しゃくりあげる身体を無理に押し殺そうとしていた。
「……だな。可哀想だ。だが、わいらにできるんは泣くことか? 不機嫌に当たり散らすことか? 違うだろう? じゃぁ、何ができる?」
修は黙って唇を噛みしめた。出来ることは本当にないのだろうか? あるとすれば……。
悲しみ。落胆。悲嘆。消沈。失意。失望。あらゆる負の感情に包まれて息苦しい。
ただ前を見据えてその場から動けなくなっている修に、剛は大きくため息をついた。すくと立ち上がって大きく伸びる。咥えていたタバコが落ちたのを慌てて拾って……いつまでもぐじぐじとしている修の背を思い切り叩いた。
「い……痛てぇ!!」
睨んできた修。剛はしたり顔で言った。
「泣きたいのは坊じゃなくて
「自己隔離って?! まさか? まだ続けているの? 人との接触を? なぜ?」
重造はクリスマスでサンタの任務を果たすために人との接触を避けていた。感染症などを花華にもたらす訳にいかないからと。こんな事態になってサンタの任務など出来るはずがないのに……。
「信じてるからさ。あのジジイはクソがつくほど頑固で真面目だからさ。嬢が戻って来るって信じてるんだよ。それに……」
「それに?」
修は聞き返した。
「嬢のクリスマスはまだ幾度も来る。1回くらいどうってことないって。ほら、去年だってそうだっただろう」
修は木立の奥に見える八木原邸に視線を移した。あの建物の一室に重造は閉じ込められているのだ。花華を信じて……。
修は茶色の瞳に力を宿して立ち上がり、剛に一礼すると、自身の屋敷に向かって走って行った。
剛はその姿を目を細めて見守るが、思い出したように道着を叩き、喫煙ルームに向かった。
クリスマスまで後10日。花華、発熱で入院した日の翌朝の出来事。
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