2話 観測者の距離
「……気になっている理由ですよね。私を最初見た時、貴方は呼吸や肩の揺れ。指の癖や視線の焦点の揺ればかり見てませんでしたか?」
丁寧な口調で指摘をする。
泡沫は朝比奈の手を離して、机に手のひらを落とす。周囲の音が徐々に小さくなっていく。
まるで、泡沫と朝比奈の空間だけ切り離されたかのように。
「気のせいじゃないか?」
膝の上に手を置いた。彼の言葉を受け止めると、伸ばしていた背筋は丸め、腹を凹ませた。
息を吐き切ると、深く吸う。泡沫の言葉全て想定済みと言わんばかりで、その口端には蔑む揺れが現れていた。
「逃げるのはズルいですよ。口にするのが難しいのは分かりますが」
「どう見たら逃げてるように見えるんだか」
淡々とした声で繋ぎ続ける。視線を合わせず、外野の空気を羨むように眺める。
その眼にはなにを映っているのか。
外からは見えない。
「視線ですよ。目を逸らした瞬間、泡沫さんは負けを認めたはずです」
「観察者気取りか?」
「観察者気取りですか。いい響きですね。泡沫さんにお似合いです」
皮肉を食わされた気がする。だが、泡沫は全く降参といった行動が見えなかった。むしろ、より攻撃させるように、受け身になる。
朝比奈とて人間。視線の揺らぎや指先は動き続ける。それぞれが独立して動いているかのようだ。泡沫は手や足の動き、朝比奈の表面を視線の先に運ぶ。
親しみやすく、上品で落ち着いた印象を抱かせる風貌には偽りはなかった。
「褒めているつもりか、それ」
「事実を述べただけですよ。泡沫さんは、測る人間ではないと思います……他者から評価される人間のように見えます」
「随分と強気な発言をするもんだな」
剣が霞を切れないように、朝比奈の言葉を避けながら、対応した言葉を常に返し続けた。話し過ぎないように言葉の量を気にしている様子ですらなかった。
片手を縦に伸ばして、身体を伸ばす。
「余裕そうですね」
「実際、気にすることじゃないしな」
「貴方はなにを言っているのですか?」
素朴な疑問を言葉にし、目の端を伸ばす。
疑い深い性格のようで、忙しなく泡沫を遠くから観察をする。分かるはずのないものを理解しようとしているようにも見えてしまう。
異常なまでに必死な朝比奈の姿に、口元を右手で隠して目尻を落とした。その様子を捉えた朝比奈は、目を見開いて口元を動かした。
泡沫には、朝比奈がなにを感じているのか。
なにを敵対意識として冗長させているのか。全てを理解しているとは言わないが、大まかな理由は察しているような風貌だ。
小さな動作から感情がバレる。
いい例になっていく。
教科書になった彼女は、より指先を動かして、落ち着きが失われていく。
露骨過ぎる。
笑ってしまっても天罰はくだらないと。そう考えてしまいそうだった。
「これ以上の会話は不毛だろう?」
首元を厳しく締めたネクタイを軽く緩めながら、完全に外界との空間を切断した。
朝比奈の耳には泡沫の声しか残らない。その他有象無象の言葉は抜けていく。
全て雑音として処理されてしまった。
面白い。
そう朝比奈は評価した。
人形が笑みを零した。
「そう言う人間ですか。普通じゃないですね」
「なにを言っているのか、俺には分からない」
「嘘をつくのは下手なんですね」
声が軽くなった。
同時に固形化していた空気は再び、自由運動を始めた。泡沫という存在を朝比奈は完全に認識したのが、声の節々で容易に考えられる。
嬉しいようでつまらない。
朝比奈の指先は止まる。
「嘘では無いんだがな」
わざとらしく前髪を弄りながら、朝比奈に視線を整えて送る。荒削りの視線は朝比奈の好物らしく、下唇を軽く舐める。
「なんだよ。今の」
「なにもしてませんよ?」
「えぇ……?」
朝比奈の舌舐りに、思わず声が漏れてしまった。さっきまでの空気とはうってかわり、外界の声が二人の間にも滑り込んでくる。
全身にローションを纏うその声は、二人の潤滑液としての働きを示してくれた。特徴的でありながら好意的な物。
「それにしても、交渉事で私が引き下がるとは思わなかったです」
「そうかい」
冷たい。言葉が最小限に抑え始める。
朝比奈は泡沫のその姿に、優しく微笑みながら「今は別です」と。対立しようとしていなと、はっきりと口にした。
「今の私では泡沫さんには、魅力的な対立はできないです」
「しなくて結構なんだが……疲れることしたくないし」
ほぼ同時に、二人は窓側に視線を移した。そこには、互いを探り合いながら、会話に花を咲かせているクラスメイトたち。
既にグループが複数個出来ているようで。
男子グループに女子グループ。男女混合グループが乱立している。
遠くから見ても、どのグループがクラスでの発言権を保有するのか分かりそうだった。
おそらく、男女グループだと。二人の視線は男女グループに視線が向けられていた。
誰も、泡沫と朝比奈の存在はここには無いような。それほどに、二人は隔離されている。
自ずと離れて、離されていた。
「どうですか。このクラス」
朝比奈は泡沫の方を横目で見ながら、皿から言葉を意図的に落とした。
反応は示さない。
女子グループを見ながら、淡々と口を開く。
「分からない。ただまぁ……癖の強い人間は居るだろうよ。この学園だ。まともな奴を入学させるわけがないだろうしな」
「既に、答えを出してるのかと」
「お前は俺のことをなんだと思ってるんだ。高性能人工知能じゃないぞ。ただの社畜から生まれた一般高校生にすぎない」
朝比奈はわざわざ泡沫の方を向いて、首を傾げた。前髪が流れ表情が隠れる。
朝比奈の方からでも見えにくいはずなのに、逸らそうとすらしない。
執着と似た香りが漂う。
「それなら、私も一般高校生ですね」
傾げた首を戻して、調子の良い言葉でボールを投げ返す。
「初対面の人間に対して品定めをするお前が、普通の高校生なわけないでしょうが。どう考えても逸脱してる高校生だろ」
「よよよ。私のことなんだと思っているんですか……高性能人工知能ではないのですよ。断固として普通の高校生と主張します」
「俺の言葉を盗むなよ……」
余計な考えを振り落とすように、泡沫は首を呆れたように振った。
一つため息をついてから、横目で朝比奈を見ると、予想以上に色気のない表情で、彼のことを見ていた。
ホワイトボードの上に設置された時計を、ふと泡沫は見た。集合時間は九時。今は八時半。
三十分もある。彼の視線に気になった朝比奈も時計を傍観する。
「……集合時間ですか?」
「いや、いつ帰れるかなと」
「気になりますか。それ」
想定外の言葉だったらしい。
朝比奈は乾いた声と息が同時に吐かれて、実際よりも冷たい笑い声が小さく響く。
口元を手で隠しながら笑う姿も様になっている。美人というだけで幅が広がるのも事実だ。
「なに対して呆れているのか知らんが、美人というだけで動きやすいのは羨ましいな。べっぴんさんに生まれたかったよ」
「褒め言葉として素直に受け取りますね。というよりも、貴方は絶対に言ってはいけませんよ。べっぴんさんなんて。大半の人が貴方を本格的に殺しに来ますよ。後ろからグサッと」
「さすがに世紀末じゃないんだから……怖いこと言うなよ」
平らな音で紡がれた言葉は、恐怖心を煽るには充分だった。朝比奈は顔を少しでも泡沫に近づけて、注意を促した。
人差し指を彼の唇に当てて。傍から見れば恋人にしか見えないが、朝比奈本人からすれば気が気ではなかった。
「貴方を失うのは惜しいので……相手を煽るような言葉は慎んでください。本当に。約束してください。煽るのは私の役割です」
泡沫の口元から人差し指を離す。
「煽るつもりはないんだけど……言うこと聞くよ」
これ以上、会話を交えてもしょうがないと、そう判断した泡沫は降参の意を示した。
納得した朝比奈は泡沫の顔から離れて、椅子に座り込んだ。常に朝比奈から見られているようで、泡沫は残る眠気と共に欠伸で逃がす。
「そうしてください」
朝比奈は泡沫の顔を見続けている。
掴みたいけど掴めないものを、掴みにいくように。見続けている。
多少の居心地の悪さを泡沫は感じ取るが、実害が出るわけでもなく。
そのまま放置することにした。
「……泡沫さん。私気になる人がいます。近いうちに泡沫さんと合流する人が、このクラスにいる気がします。注意してください」
「……お前の危機察知能力はどこで手に入れたのか、気になる」
「交渉屋の母からの入れ知恵ですかね」
ぱらぱらと笑い声を控えめながら流して、クラスメイトの方に視線を再び移り変えていた。
同時並行で品定めを行いながら。
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