第4話:不正会計と雨の日の解雇通知
深夜2時。
王城の客室。石造りの壁に囲まれた冷たい部屋で、卓上の蝋燭がジュッと音を立てて消えかけた。
だが、タナカは眠っていなかった。
彼はベッドの上で胡坐をかき、暗闇の虚空に青白く浮かぶ『アドミン・ビュー』のウィンドウを睨みつけていた。
チャリン。
静寂の中で、生存コストの徴収音が響く。
だが今のタナカは、自分の寿命が削られる音さえ無視して、指先を高速で動かしていた。
ターゲットは王国のメインサーバー。
すなわち、この国の心臓部である「国庫帳簿」だ。
(セキュリティがザルすぎる……。パスワードが『password』だと? 危機管理意識以前の問題だ)
タナカは呆れつつ、ハッキングに近い形で深層領域へアクセスした。
『アクセス権限:ゲスト(監査モード)』
『接続確立……国家予算データベースを展開します』
瞬間、タナカの視界を埋め尽くすように、膨大な赤色の数字が雪崩れ込んできた。
タナカの目が、プロの監査官のそれへと変わった。
「……予想通りだ。いや、予想以上か」
例えば、昨日キョウヤが「ギガ・ブレイク」で派手に破壊した城壁の補修費。
その項目を見た瞬間、タナカの眉間には深い皺が刻まれた。
『項目:城壁補修予算(緊急)』
『予算総額:1500万G』
『執行実態:500万G(業者への支払)』
『使途不明金:1000万G → 送金先:個人口座【Mality_Princess(マリティ王女)】』
(……真っ黒だ)
タナカは怒りで奥歯を噛み締めた。
粉飾決算どころの騒ぎではない。これは公金横領のデパートだ。
国を守るための予算の三分の二が、どこかへ消えている。
さらにタナカはログを追跡した。その「消えた一千万」が何に使われたのか。
検索結果は、ものの数秒で弾き出された。
『決済項目:王都高級エステ「薔薇の園」VIPコース 50万G』
『決済項目:宝石店「スターダスト」・最高級ダイヤのネックレス 650万G』
『決済項目:裏カジノ「金竜」・掛け金 300万G』
「ふざけるな……!」
タナカは思わず声を荒げ、自分の口を手で覆った。
実勢価格500万Gの壁の修理代が、王女のネックレス代とギャンブル代に化けている。
この国は、防衛コストよりも王族の娯楽を優先しているのだ。
これこそが、魔王軍を招き入れる致命的な『会計リスク』。
いや、国家という組織における「癌」そのものだ。
(許せない)
タナカの指が震える。
それは正義感や義憤ではない。
貸方と借方が合わないこと、数字が嘘をついていることに対する、経理マンとしての生理的な嫌悪感だ。
1円のズレも許さず、領収書の一枚一枚と向き合ってきた彼の矜持が、激しく警鐘を鳴らしていた。
――この不正を見過ごして、明日を迎えることはできない。
タナカは決意と共に、データをプリントアウトした。
†
翌朝。
謁見の間は、昨日とは違う張り詰めた空気に包まれていた。
赤絨毯の上、タナカは一人で王の前に進み出た。
手には、夜通し作成した監査報告書―ー羊皮紙の束が強く握られている。
「タナカよ。話とはなんだ? 余は忙しいのだが」
王が気だるげに頬杖をつく。
その隣には、美しく着飾った第一王女マリティが控え、さらに玉座の脇では勇者キョウヤたちが退屈そうにあくびをしていた。
「陛下。勇者パーティの予算凍結と、マリティ王女への緊急会計監査を提案します。証拠はこちらです」
タナカの凛とした声が、石造りの広間に響いた。
場が水を打ったように静まり返る。
だが、その静寂を破ったのは、場違いなほど軽い失笑だった。
「また金の話かよ。うっせーな、このオッサン」
「朝から数字の話とか勘弁してほしいよねー。頭痛くなるし」
キョウヤとミナミだ。彼らは事の重大さを理解していない。
しかし、マリティ王女だけは違った。
愛らしい金髪の美少女が、扇子で口元を隠してクスクスと笑い始めたのだ。
タナカが『アドミン・ビュー』で彼女を見ると、その頭上には禍々しいタグが表示されていた。
『属性:強欲(グリード)』
『スキル:カバー・アップ(隠蔽工作)』
(やはり、こいつが元凶か)
タナカが睨みつけると、王女は小首をかしげて見せた。
「あら、タナカさん。ずいぶんと必死ですのね。でも、それは貴方が『横領』したポーションの隠蔽工作じゃありませんの?」
「……何?」
王女がパチンと指を鳴らす。
すると、影から現れた近衛兵たちが、タナカの足元にガラガラと音を立てて大量の空き瓶を投げ出した。
見覚えのある瓶だ。
「なっ……」
「貴方の部屋から発見されましたの。王宮の備蓄倉庫から高級ポーションを盗み出し、中身を抜いて闇市に横流ししていたのは、貴方でしょう? 私の調査で分かっていますのよ」
マリティ王女の瞳が、サディスティックに細められる。
完璧な濡れ衣だった。
確かにその瓶はタナカの部屋にあったものだ。だが、それは横流し用ではない。
「違う! その瓶の製造番号を確認してくれ! それは倉庫で『廃棄予定』になっていた期限切れのロットだ! 私はそれを実験材料として……」
「言い訳は見苦しいぜ、タナカさん」
キョウヤが冷ややかな声で遮った。
彼はタナカを、まるで汚物を見るような目で見下ろしていた。
「うわ、サイテー。金にうるさいと思ったら、自分が盗んでたのかよ」
「信じられない……。私たちのこと『浪費家』とか説教しておいて、裏ではそんなコソ泥みたいなことしてたんですか? 不潔……」
ミナミも顔をしかめて後ずさる。アレンに至っては、興味なさそうに眼鏡を拭いているだけだ。
彼らは「事実」を確認しない。
王女という権威が提示した「分かりやすい悪役」を、そのまま鵜呑みにしている。
「待ってくれ! 私はこの国の財政を正そうと……!」
「黙れぇ!!」
王の怒号が、タナカの声をかき消した。
空気がビリビリと震える。
王は顔を真っ赤にして立ち上がり、玉座の肘掛けにあるコンソール――巨大な宝玉に手を置いた。
「数字しか見ない貴様には、勇者の資格などない。我が国の品位を汚す害虫め! これ以上、我らが聖域に足を踏み入れることは許さん!」
王の手が、宝玉に魔力を注ぎ込む。
タナカの視界が、警報色である赤一色に染まった。
『システム・アラート:王族の権威により、アカウント停止処分が申請されました』
『対象:タナカ・ケンイチ』
『承認……完了』
『全資産没収。装備解除。市民権剥奪』
「あ……」
タナカの身体から、力が抜けていく。 着ていたスーツは、光の粒子となって分解されていった。
それは彼が「現代社会の人間」であるという最後の尊厳だった。
代わりに現れたのは、穴だらけのボロボロの麻袋のような服。
靴すら奪われ、冷たい石畳の上に裸足で立たされる。
(装備は解除された。だが、私物という名のパーソナルアイテムは……)
タナカはとっさに、腕時計を外し、ボロボロの服の懐奥深くに押し込んだ。
そして、視界の左下の表示が無慈悲に書き換わった。
『所持金:0G』
「衛兵! この盗人を城の外へ叩き出せ! 二度と敷居を跨がせるな!」
近衛兵たちに両脇を抱えられ、タナカは宙に浮いた。
抵抗する力は残っていなかった。
引きずられていくタナカの視界の端で、マリティ王女が口元に扇子を当て、勝ち誇ったように微笑んでいるのが見えた。
ドサッ!
城の裏門が開かれ、タナカは泥水の中に放り出された。
冷たい雨が、容赦なく降り注いでいる。
顔を上げると、重々しい鉄の扉が、軋んだ音を立てて閉ざされるところだった。
ダンッ!!
閉ざされた扉の向こう、城の中からは、楽しげな笑い声が微かに漏れ聞こえてきた。
(……聞こえるぞ。お前たちの声が)
タナカは泥水に顔をつけながら、唇を噛み締めた。血の味がした。
『あーあ、やっとあのうるさいオッサンがいなくなった』
『っつーかマジうざかったし。これで経費使い放題じゃん! 今日はエステ行こ!』
『俺、聖剣の新しいスキン買っちゃおっかなー』
彼らは今頃、祝杯を挙げているだろう。
邪魔な監査役を追い出し、再び甘い汁を吸えることに安堵している。
自分たちが「破産」という断崖絶壁の縁で踊っていることにも気づかずに。
タナカは震える手で地面を掴み、ゆっくりと身を起こした。
雨に濡れた髪の隙間から、城を見上げる。
その目は死んでいなかった。
むしろ、これまでに見せたことのない、青白く燃えるような光を宿していた。
「……笑っていればいい」
タナカは呟いた。それは呪詛ではなく、確固たる宣言だった。
「お前たちは、何も分かっていない。金の怖さを。複利の恐怖を。そして、本気になった経理屋の執念を」
生存コストのカウンターが回る。
-0.01G。
借金は消えていない。だが、タナカの心からは迷いが消えていた。
「最後に泣くのは、お前たちだ」
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