許婚ミッション ~金で釣られた俺達は、しぶしぶいちゃつきます。~

タツキ屋

第1話

 京都市左京区、洛央学院高等学校。

 古都の風情と現代的な進学校の空気が入り混じるこの場所で、俺、真田零の日常はいつものように淡々と過ぎていくはずだった。


 5限目、現代文の授業。

 窓の外からは、初夏を思わせる少し湿った風が吹き込み、カーテンを揺らしている。初老の教師が教科書を朗読する単調な声だけが、けだるげな午後の教室に響いていた。


 俺は頬杖をつき、ぼんやりと黒板の文字をノートに書き写していた。

 特に面白いこともない、平穏そのものの時間。

 周囲の生徒たちも半数は船を漕ぎ、残りの半数も心ここに在らずといった様子だ。俺もその一人として、ただ時間の経過を待っていた。


「ねえねえ、零くん」


 不意に、右隣から小声が飛んできた。

 視線だけで横を見ると、A組委員長の橘詩織が、教科書を立てて教師の死角を作りながら、こちらに身を乗り出している。


「……なんだ、橘。授業中だぞ」


「そんな真面目ぶらなくていいじゃん。ねえ、今日のお弁当どうだった? 唐揚げ、私が作ったんだよ?」


 彼女は昼休みのことを蒸し返してきた。

 俺が購買のパンで済ませようとしたところを、強引におかずを分けてきた一件だ。


「……味は普通だった。それより前を向け。先生が見てるぞ」


「えー、冷たいなぁ。感想それだけ? もっとこう、『愛を感じた』とかないの?」


「ない」


「むぅ、つれないんだから!」


 橘が頬を膨らませて席に戻る。

 やれやれ、と俺はため息をついた。

 彼女はクラスのムードメーカーであり、男子生徒からの人気も高い。本来ならこうして話しかけられるだけで光栄に思うべきなのだろうが、俺にとっては少しばかり騒がしすぎる隣人だ。


 俺は再び黒板に視線を戻した。

 目立ちたくはない。波風を立てたくもない。

 ただ平穏に、この高校生活をやり過ごしたいだけなのだが。


 その時だった。

 制服のポケットに入れていたスマートフォンが、短く、しかし激しく振動した。

 授業中の私的利用は校則違反だが、この振動のパターンは緊急通知のものだ。

 教師が黒板に向いている隙に、机の下で画面を確認する。


 表示された名前は『母さん』。

 メッセージの内容は、俺の平穏を根底から破壊するものだった。


『お爺ちゃんが倒れた。危ないかもしれないって。凜花ちゃんと一緒に上賀茂の家に来て。放課後すぐよ』


 思考が一瞬、停止する。

 祖父が? あの頑丈だけが取り柄のような真田源三郎が?

 心臓が早鐘を打つ。だが、それ以上に俺の目を釘付けにしたのは、もう一つの名前だった。


 ――凜花ちゃんと一緒に。


 如月凜花。

 俺の幼馴染であり、親同士が決めた許婚。

 そして現在、俺が最も顔を合わせづらい相手。


 俺は天を仰いだ。

 緊急事態だというのはわかる。だが、よりにもよって彼女と二人で来いとは。

 祖父の安否への不安と、これから訪れるであろう厄介な事態への予感が、胃の中で重く渦巻いた。



 ホームルーム終了のチャイムが鳴ると同時に、俺は鞄を掴んで席を立った。


「あ、零くん! 一緒に帰……」


「悪い橘、今日は外せない用事がある」


 橘の誘いを食い気味に断ち切り、教室を出る。

 背後で「ええっ!?」という素っ頓狂な声が聞こえたが、構ってはいられない。

 廊下に出ると、放課後の喧騒が満ちていた。

 部活動に向かう生徒、友人と談笑する生徒。その中を、俺は早足で進む。


 向かう先は、2年C組。

 A組からは校舎の反対側に位置する教室だ。

 普段なら用もないのに他クラスのエリアに足を踏み入れることはしない。

 すれ違う生徒たちが、「あれ、A組の真田じゃね?」「珍しいな」とヒソヒソ話す声が聞こえる。

 無視して足を速めた。


 C組の教室前に到着する。

 教室内はまだ生徒たちで溢れていた。

 入り口のドアに手をかけ、少しだけ躊躇ったあと、意を決して中を覗き込んだ。


 見慣れない他クラスの男子が顔を出したことで、入り口付近にいた数名の生徒がこちらを見て動きを止めた。


「……悪い。ちょっといいか」


 一番近くにいた、眼鏡をかけた大人しそうな男子生徒に声をかける。

 彼は少し驚いたように目をぱちくりさせ、こちらを見た。


「え、あ、はい。……真田くん、だよね? 何か用?」


「人を探してる。……如月凜花は、いるか」


 その名前を出した瞬間、C組の空気が変わった。

 ざわめきが一瞬止まり、そしてすぐに好奇の混じった囁き声へと変わる。


「おい、真田が来たぞ」

「え、如月さん目当て?」

「何の用だろ。まさか告白?」

「いやいや、真田に限ってそれはないだろ」


 好奇心の視線が突き刺さる。

 これだから嫌なんだ。

 努めて冷静さを保ち、男子生徒が指差す方向へ視線をやった。


 教室の窓際、一番後ろの席。

 夕日が差し込むその場所に、彼女はいた。


 如月凜花。

 長い黒髪を耳にかけ、周囲の喧騒など存在しないかのように文庫本を読んでいる。

 その姿は、教室の中にいながらにして、どこか隔絶された空気を纏っていた。

 男子生徒からの告白を断り続け、誰も寄せ付けない孤高の存在。


 クラスメイトたちが俺と彼女を交互に見比べる中、俺は教室の中に足を踏み入れた。


「……如月」


 努めて低い声で、名前を呼ぶ。

 彼女の肩が、ピクリと反応した。

 ゆっくりと、本当に億劫そうに、彼女が顔を上げる。

 切れ長の瞳が俺を捉えた。

 その瞳に、驚きの色が浮かぶ。


「……え」


 彼女は文庫本を取り落としそうになりながら、慌ててそれを机の上に置いた。

 そして、周囲の視線も忘れたのか、呆然とした表情で俺を見つめ――。


「……れーくん?」


 教室の時間が、凍りついた。


 凜花の口から零れたのは、幼い頃の呼び名。

 今は絶対に、学校では使わないはずの、禁断のワード。


 1秒、2秒。

 沈黙の後、教室中がざわめき出した。


「「「れーくん!?」」」


「おい聞いたか今の!?」

「あの如月さんが『れーくん』って!」

「え、なにその親しげな呼び方!」

「嘘だろ、氷の女王がデレた!?」


 クラス中の視線が、俺と凜花の間を行き交う。

 俺は思わず眉間に皺を寄せ、頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。

 一方の凜花は、自分の失言に今気づいたらしい。

 真っ白だった肌が、みるみるうちに耳まで朱に染まっていく。


「あ……う、そ、その……ち、ちが……!」


 彼女はパクパクと口を開閉させ、何か言い訳を探そうとしているが、言葉になっていない。

 普段のクールでドライな態度はどこへやら。

 完全にパニック状態だ。

 やらかした、という顔で彼女は俺を見て、そして助けを求めるように視線を泳がせる。


 ……はあ。

 このままでは収拾がつかない。


 スタスタと彼女の席まで歩み寄ると、机の上に手を置いた。

 周囲の騒ぎが少しだけ遠のく。

 真っ赤な顔で固まっている凜花を見下ろし、短く告げる。


「……行けるか」


 詳しい説明は後だ。

 今はここから連れ出すのが先決だ。

 凜花は涙目になりながら、コクコクと何度も首を縦に振った。


「い、いく。すぐ行く」


 彼女は震える手で文庫本を鞄に放り込み、乱暴に椅子を引いて立ち上がった。

 その動作の端々に、動揺が見て取れる。


「……ついて来い」


 それだけ言い残し、踵を返した。

 凜花が小走りで俺の後を追う。

 教室を出る瞬間、背後から好奇の視線とヒソヒソ話が追いかけてくるのを感じたが、俺たちは振り返らずに廊下を駆け抜けた。



 学校を出てからも、視線は俺たちに突き刺さり続けていた。


 並んで歩く俺と凜花。

 接点のなさそうな二人が、放課後に二人きりで下校しているのだ。

 すれ違う生徒たちが二度見し、何事かと振り返る。

 スマホを取り出して何かを打ち込んでいる生徒もいる。噂が広まるのは時間の問題だろう。


「……最悪」


 凜花がポツリと呟く。

 その声は、消え入りそうなほど小さい。


「……同感だ」


「なんで……なんであんなこと口走っちゃったんだろ……うう、死にたい……」


 彼女は両手で顔を覆いながら歩いている。

 耳まで真っ赤なままだ。

 普段、男子生徒を「興味ない」と一刀両断している姿からは想像もつかない。


「……お前のせいで、明日からの学校生活が思いやられるな」


「う、うるさい……! あんたがいきなり教室に来るから悪いのよ……!」


 凜花が指の間から睨んでくる。

 ようやくいつもの憎まれ口が戻ってきたようだ。

 少しだけ安堵しつつ、前を向く。


「母さんから連絡があったんだ。爺さんが倒れたらしい」


「……えっ」


 凜花の足が止まる。

 俺も立ち止まり、彼女を見る。

 彼女の表情から恥じらいが消え、純粋な驚きと心配の色が浮かんでいた。


「源三郎おじいちゃんが? 嘘……あんなに元気だったのに」


「ああ。俺と如月……凜花に会いたいって言ってるそうだ。だから、急いだ」


 俺が名前を言い直すと、凜花は一瞬だけ目を丸くし、それから気まずそうに視線を逸らした。


「……わかった。急ごう」


 そこからの足取りは速かった。

 俺たちはバスに乗り込み、北区の上賀茂を目指す。

 バスの中でも、俺たちの制服姿は目立ったが、凜花の纏う空気が「話しかけるな」というオーラを放っていたため、誰も近寄ってはこなかった。


 上賀茂の古い町並み。

 その一角に、広大な敷地を持つ純和風の屋敷がある。

 真田家と如月家の本家だ。

 重厚な門をくぐり、手入れの行き届いた日本庭園を横目に、俺たちは母屋へと急いだ。


「爺ちゃん!」

「失礼します!」


 俺と凜花はほぼ同時に玄関を開け、廊下を走る。

 使用人たちの制止も聞かず、奥座敷の襖を勢いよく開け放った。


「爺ちゃん、大丈夫か……!?」


 息を切らして部屋に飛び込む。

 そこには、想像していた光景――布団に伏せり、酸素マスクをつけた祖父――はなかった。


「おお、来たか」


 卓袱台を囲み、優雅に茶を啜る二人の老人がいた。

 俺の祖父、真田源三郎。

 そして凜花の祖父、如月重蔵。

 二人の前には、京都でも有名な老舗の高級和菓子が並べられている。

 顔色は、これ以上ないほどに血色が良かった。


「…………は?」


 俺と凜花の声が重なる。


「あ、あの……倒れたって、連絡が……」


 凜花が震える声で尋ねる。

 源三郎は「んっふっふ」と悪戯小僧のような笑みを浮かべ、羊羹を口に運んだ。


「こうでも言わんと、お前たち二人でここに来ないだろうが」


「……騙したのか」


 俺の体から力が抜ける。

 怒りよりも先に、脱力感が襲ってきた。

 重蔵の方も、悪びれる様子もなく茶碗を置く。


「まったく、お前たちは近頃、学校でも口を利かんそうじゃないか。許婚だというのに、嘆かわしい」


「そ、それは……!」


 凜花が反論しようとするが、重蔵の鋭い眼光に言葉を飲み込む。


「ワシらはもう先が短い。いつお迎えが来るかわからんのだ」


「ピンピンしてるじゃないか」


 俺が低い声で突っ込むと、源三郎は扇子を広げて口元を隠した。


「気持ちの問題だ、気持ちの。……いいか、零、凜花。ワシらが安心してあの世に行けるよう、お前たちには仲良くしてもらわねばならん」


「仲良くって……今さら無理よ。私たち、もう子供じゃないんだし」


 凜花がそっぽを向く。

 その横顔には、複雑な感情が滲んでいた。

 昔のように無邪気に遊ぶには、俺たちは色々なことを知りすぎてしまったし、意識しすぎてしまっている。


「そこでだ」


 源三郎が懐から一枚の奉書紙を取り出し、卓袱台の上に置いた。

 そこには達筆な筆文字で、こう書かれていた。


『通達指令』


「……なんだこれは」


「名付けて『許婚ミッション』だ」


 源三郎が得意げに胸を張る。


「ワシらが指定する『デート』や『イベント』を、二人でこなしてもらう。拒否権はない。これは家長命令だ」


「はあ!? そんなの、やるわけないでしょ!」


 凜花が叫ぶ。

 当然の反応だ。学校であれだけ騒ぎになった上に、プライベートまで縛られるなんて御免だ。


「そう言うと思った」


 重蔵がニヤリと笑い、別の封筒を卓袱台に置いた。

 分厚い。

 明らかに、諭吉が数十枚は入っている厚みだ。


「ミッションを一回クリアするごとに、特別報酬を支給する。これは前金だ」


 俺と凜花の視線が、封筒に釘付けになる。

 高校生にとって、その厚みは暴力的なまでの説得力を持っていた。


「……幾ら入ってるんだ?」


 つい、聞いてしまった。

 源三郎が指を三本立てる。

 三万? いや、この厚みなら三十万か。


「……ちなみに、最初のミッション内容は?」


 凜花も身を乗り出している。

 彼女はああ見えて、可愛い雑貨やカフェ巡り、そして甘いものには目がない。金欠で我慢しているのを俺は知っている。


「『週末、二人で京都水族館に行き、ツーショット写真を撮ってくること』。……どうだ、簡単だろう?」


 水族館。

 デートの定番。

 俺と凜花が、二人きりで。


「どうしても嫌だと言うのであれば、こちらも次の手を打たねばならんな」


 どうせ、更にろくでもないことを言い出すのだろう。嫌すぎる。

 変なことをやられるくらいなら飴しか無い今、受けたほうがましか。


 俺は凜花を見た。

 凜花も俺を見た。

 彼女の瞳の中で、理性と欲望が激しく葛藤しているのがわかる。

 そして数秒後。


「……あんたがどうしてもって言うなら、付き合ってあげなくもないけど」


 凜花が腕を組み、ツンとした態度で言った。

 その視線は、しっかりと封筒を捉えている。


「……俺も、祖父さんの頼みなら仕方ないな」


 俺もまた、ため息交じりにそう答えた。

 これは金のためだ。

 そして、身の安全と祖父母を安心させるための「ミッション」だ。

 決して、凜花とデートがしたいわけではない。

 ……そう、自分に言い聞かせる。


「よし、契約成立だな!」


 源三郎と重蔵が顔を見合わせ、高笑いした。

 その笑い声が屋敷に響く中、俺と凜花は微妙な距離感を保ったまま、再び顔を見合わせた。


「……よろしく、真田」


「……ああ。よろしく頼む、如月」


 学校での「れーくん」発言の気まずさを引きずったまま、俺たちの奇妙な許婚生活――ミッション漬けの日々が、ここに幕を開けたのだった。


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