女神の贈り物と好色騎士

ヴィルヘルミナ

第一話 出会いはファンタジー。

 白い白い世界をただひたすら落ちていた。終わりの無い落下。これは夢だと思っても、ただただ落ちる。


「あー、何だっけ。落ちる夢って、運気が急転するとかだったような気がするー」

 呑気に呟いてみても、白い世界を落ちるだけ。白のカットソーにAラインのスカートでは、落下傘がわりにはならないし、帆布のショルダーバッグを開けたら中身をぶちまけてしまいそう。久しぶりに行った美容院でセットしてもらった長い髪は、絡むことなくさらさらで気分が良い。


 昨日、美容院に行ってから服を買いに行って、そこから寝るまでの記憶がない。飲んだ覚えもないし、何をしてたんだっけ。まぁ、この思い出せないっていうのも夢特有か。


「さて、どうやって目覚めようかなー」

 頭をこつりと叩いてみても、目が覚める程の痛さはない。はて。どうしようかと首を捻った瞬間、白い世界が途切れ、遥か下に広大な森が目に入った。


「うわー。こーれはリアル過ぎー」

 顔に風を受けると目と口内が乾く。森の中にはちらほらと、米粒より小さく人が見える。何やら叫び声のようなものも聞こえて、自分の想像力に苦笑する。


「……早く目が覚めないとヤバくない?」

 目覚めなきゃ。その一心で頬をつねると割と痛い。森はもう目の前なのに、目覚める気配がなかった。森に激突して覚める夢は、一体何の暗示なんだろうか。


 自分が落ちる先が見えてきた。森の中央の小さな花畑。白いマーガレットのような花が一面に揺れている。目が乾いて、瞬きしたいのに目が閉じられなくて焦る。

「じ、冗談で……しょ……」

 リアル過ぎる恐怖で体が強張ると、私を見上げながら花畑の中央へ走ってくる赤い髪の男性が見えた。


「逃げて!」

 助けてではなく、逃げてという声が出た。たとえ夢の中でも、他人を巻き込むのは避けたい。全力で目を瞑って頭を腕で抱え込み、体を捻って丸める。受け身を取る事は難しいと思っても、せめてもの抵抗を試みる。


 唐突に、体が柔らかなスポンジのような何かに受け止められた。

「あれ?」

 私を受け止めたのは、直径二メートルはありそうな、青紫色に輝く魔法陣のような光の円盤。


「よかった! 間に合った!」

 光の向こうから、耳に届いたのはイケボ。魔法陣がチョコレートのように溶け、ふわりと落ちた私の体は男性の腕にしっかりと抱き止められた。


(……何、この超美形!)

 炎のような赤い色の短髪に緑の瞳。彫りがあんまり深くなくて、日本人と白人のハーフみたいな顔。漫画かアニメに出てきそうな顔とバランスが良い精悍さにどきりとしてしまう。深緑色に金の装飾が映える軍服のような服が似合っていて、ワイルドなカッコよさ。流石は夢というか、私の好みを反映し過ぎ。


「神託は本当だったのか……!」

 感極まった声を上げ、お姫様抱っこ状態の私を美形がぎゅうぎゅうと抱きしめる。ふわりと微かに漂うのは清涼感のある香りと、くらりとする不思議な香り。とはいえ筋肉質な腕は、とにもかくにも暑苦しい。


「待って!」

 そのまま私にキスをしようとした美形の唇を手で塞ぐ。いくら夢だとしても、いきなりキスは嫌すぎる。せめて名前を名乗ってからにしてほしい。


「助けてくれたのは嬉しいけど、初対面の相手にキスとか頭おかしいでしょ。それとも、これがこの世界の常識なの?」

「あ……いや、すまない。……その、会えたのが嬉しくて……」

 喜色満面の笑みから一転、眉尻を下げる表情は、まるでしょんぼりとした大型犬を連想させた。猫派の私でも心に刺さる。


「あー、それは置いといて。助けてくれてありがとう。……お名前を聞いていいかしら?」

「俺はジークヴァルト・タウアー」

 名前はよくありそうだけど、家名がどこの国の物なのかはさっぱり不明。


「……名前を聞いていいだろうか?」

「 私は渋谷田しぶたにだ 燈子とうこ。燈子でいいわよ」

「トーコか。俺はジークでいい。トーコはどこから来たんだ?」

 そこで突然気がついた。ジークの口の動きと聞こえる声がずれていて、吹き替え映画のよう。

(もしかして、異世界だから言語が違う設定?)

 自分の夢の設定ながら、細かすぎて笑ってしまう。


「日本よ。ここはどこ?」

「アズディーラ国だ」

 夢の中の情報は、無意識に収集した過去の記憶というけれど、そんな国の名前は全く頭に無かった。


「トーコ、君に会えて嬉しい」

「貴方が私を異世界召喚したの?」

 きっとこれは、異世界転移の物語。私を抱き上げたままのジークの背後に広がる青い空には、巨大な赤い月と緑の月。クレーターが目視できるのは、相当近い距離なのか。

「異世界召喚? いや。俺は女神に願っただけだ」

 強い風が吹いて、白い花びらが舞う。


「俺と運命を共にする女に出会いたい、と」

 その瞳はまっすぐに私を見ている。その言葉は甘過ぎて、胸がきゅっと苦しくなる。

(いつかは覚める夢なのに……ときめいてどうするの?)

 私好みの美形が語る言葉の甘さは、私が無意識で求めているからなのか。嬉しいと思う心の裏に、虚しさが漂う。


「何故、私が落ちてくる場所がわかったの?」

「今朝、夢の中でここに現れると神託があった。落ちてくるとは知らなかったが、間に合って本当に良かった」

 ジークは明るく笑って、お姫様抱っこのまま私を抱きしめる。大事な物を扱うような仕草に、心が解けて温かくなっていく。

(どうせ夢なんだから、覚めるまで楽しめばいいか)

 現実とかけ離れた夢だから、好きなだけ楽しめばいいだろう。


「城へ帰ろう」

「し、城? ジークって、王子様なの?」

「いや。俺は騎士。第二騎士団の副団長だ」

 なんていう細かい設定。我が夢ながら、何か素晴らしい。騎士団なんて出てくる本を読んだ記憶もなければ、映画でも聞いたことがなかった。


 お姫様抱っこのまま、ジークは平気な顔で歩き出す。

「お、重くない? 大丈夫?」

「全然重くないぞ。落としたりしないから安心してくれ」

 頼もしい宣言通りにジークは森の中を歩き続け、やがて森の中に開けた草原にたどり着いた。


「そろそろ呼ぶか」

「何を?」

「俺の相棒。……我が声に応えよ、魔獣ティラー!」

 ジークが空に叫ぶと、目の前の地面に赤く光る魔法陣が現れて、赤い光の糸が異形の姿を編み上げて行く。

 

「ヒッポグリフ!」

 身体の前半身がワシ、後半身が馬。これは昔の映画で見たことがある。映画で見た色とは違い、全身が銀色の羽毛に覆われていて神々しい。まさにファンタジー。

「ヒッポ? トーコの国ではそう呼ぶのか」

「そうなの。立体で見れるなんてスゴイ!」

 現れた魔獣は、映画で見たサイズよりも一回り大きくて、人間二人乗せても平気なくらい。


『妙な女だ。まさかこの女がジークの運命の女なのか? まだ子供ではないか』

 気のせいか、ジト目で私を見ている魔獣から、これまた低音イケボが発せられて驚く。

「はじめましてティラーさん。燈子です。ちゃんと成人してますよ」

 魔獣というのだから、長く生きているのだろう。子供扱いされるのは仕方ないと笑って答える。


「トーコ?」

『何だと? お前、我の声が聞こえているのか?』

 ジークと魔獣の驚愕する声が重なる。

「聞こえてるけど、ジークは聞こえないの?」

「ああ。聞いたことはない」

 成程成程、私は魔獣の声が聞ける設定なのか。ご都合主義万歳。


「私は異世界人だから聞けるだけよ」

 微妙に凹んだ顔をするジークに微笑みかけて慰める。

「騎乗の準備をするから、一度降ろすぞ」

 そっと優しく地面に降ろされて、やっとジークの全身が確認できた。炎のような赤い色の髪に緑の瞳。身長は百八十五センチ以上で、筋肉の割にすらりと着痩せして見えるタイプ。軍服のような深緑色の上着に、黒いズボンとブーツ。腰には剣が下げられている。あまりにも私の好みに刺さり過ぎていて恥ずかしくなってきた。


『二人乗り用の鞍を用意すればよいのだな?』

「はい。お願いします」


「ティラーは何と?」

「二人乗り用の鞍を用意してくれるって」


「そ、そうか。……トーコを前に座らせたい」

『わかった。そのような鞍にしよう』

 魔獣はジークの言葉を完全に理解している。そうとわかれば、もっとスムーズに意思疎通が出来るようになる気がする。


「乗せてもらう前に、ちょっとスマホ確認していい?」

 大丈夫とは思っても、落下の衝撃でスマホが割れていないか確認したい。カバンから取り出すと、画面は無事でほっとする。

「あ、繋がった……」

 顔認証で起動したスマホは、普通にネットへ繋がっている。ニュースの通知が気になって開いてみると『新宿駅で謎の大爆発。死傷者多数』の文字が目に入った。記事を読もうとすると、電池がみるみるうちに減って警告が表示された。


「え? こんなこと、ある?」

 九十九%の電池残量は、あっという間に一桁。慌ててスマホ電源を切る前に落ちた。私の手の中に残るのは、何も反応しなくなった金属の板。

「どうした? 何があった?」

 溜息を吐いた私に、ジークが心配そうな声を掛けてきた。

「大丈夫。私、スマホ無くても生きていけるし」

 スマホ依存でなくて良かったと心から思う。とある事情で、私はスマホを連絡手段にしか使っていなかった。動画やSNSを見る時間もなく、ゲームをする時間もなかった。


「この世界に集中しろってことだと思う」

 本当によくできた夢だと思う。元の世界のことを考えなくても良いように、わかりやすくスマホを切断したということだろう。


「ティラーさん、乗せて頂けますか? 初めてなので、安全飛行でお願いします!」

『ああ。任せておけ』


「乗せるから、抱き上げていいか?」

 頷くと、軽々と横抱きにされた。その腕の安心感に頬が緩む。 

「ジーク、これからよろしくね」

「ああ。こちらこそよろしく」

 明るい笑顔と声が返されて、心がときめく。


 夢の世界は、どこまでも私に都合が良くて楽しい。

 この夢、最後まで見られるといいな。 

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