第2話 森での約束

翌朝、紫苑は目が覚めるなり森から出て、近くで身を潜ませていた。

昨日のマシューの様子から、朝早くからマシューが来ても不思議ではない。

そう思ったからだ。


そして案の定――


【マシュー】

「紫苑ー? いるぅー?」


きらきらと目を輝かせたマシューが、大荷物をもって森の入口へと近づいてきていた。


【紫苑】

「いるわよ。あんまり大きい声を出さないで」


この森付近に近づいていると村人にばれたら、マシューはますますよく思われない。

こんな朝早くに来てくれて、逆によかった。


マシューは大荷物のせいか走れないようで、えっちらおっちら歩きながら近づいてくる。


【マシュー】

「はぁ、はぁ……よかったぁ、紫苑がいてくれて、はぁ、はぁ……ごはん、食べた? はあ、はあぁぁ」


紫苑の目の前までくると、大きな荷物をどんっと下におろして大きく息をつく。


額にきらりと輝く汗を拭いて、マシューは息を整えて笑った。


【マシュー】

「紫苑、朝ごはんまだなら一緒に食べようよ! 今日はバターチキンカレーで、人参も入ってるんだ!」


【紫苑】

「あら、人参は嫌いじゃなかったの?」


【マシュー】

「カレーに入ってたら食べられるから大丈夫! ちゃんと食べなきゃだめよって、おばあちゃんにも言われてるから! 一週間に一度は人参カレーの日なの!」


そう言ってマシューは、大きな袋をせっせと開ける。

袋を地面に敷いて、嬉しそうに紫苑をちらりと見た。


【マシュー】

「えへへ。お友達とこうやってお外でごはん食べてみたかったんだあ」


幸せそうに地面に敷いた袋の端に小石を置き、大きな箱からカレーとご飯を取り出す。


紫苑の分もカレー皿を置いて、マシューが袋の上に座る。

紫苑もそれに倣う。


マシューはぷにぷにの足を伸ばし、嬉しそうにカレー皿を抱える。

紫苑も正座でカレー皿をとる。


一口食べると、昨日とはまた違った味がする。


【紫苑】

「おいしい」


【マシュー】

「でしょー! 僕はカレー作るの得意なんだから! おばあちゃんにしっかり教わったの!」


【紫苑】

「そういえば、その大きな棒……木べらだったかしら。おばあちゃんからもらったのよね」


【マシュー】

「うん! 僕だけの特別品なんだ! 大きいほうがたくさんカレーを作れるから!」


【紫苑】

「優しいおばあちゃんでよかったわね」


【マシュー】

「おじいちゃんも優しいよ! このローブ、いつも着ているおじいちゃんのお気に入りだったけど、この国に来ることになって、僕にくれたの!」


【紫苑】

「そう。おじいちゃんとおばあちゃんが好きなのね」


【マシュー】

「うん! 二人ともやさしいから大好き!」


マシューがぶんぶんと首を振って肯定する。

その際に、カレーが服に飛んでしまう。


【紫苑】

「あんまり動くと服を汚しちゃうじゃない」


【マシュー】

「大丈夫! お父さんとお母さんが扱ってる歯磨き粉で、ごしごしすればとれるの! 歯を磨くのに使うんだけど、汚れを落とすのにも使えるんだ!」


【紫苑】

「そうなの?」


【マシュー】

「うん! お父さんとお母さんは、すごく便利なものを売ってるんだよ!」


笑うマシューはどこまでも幸せそうだ。


【紫苑】

「お父さんとお母さんのことも好きなのね」


【マシュー】

「うん!」


【紫苑】

「ずっと一人で、さみしくなかったの?」


【マシュー】

「今は紫苑がいるよ!」


【紫苑】

「私がいなかったときは?」


少し意地悪な質問かもしれない。

それでもどうしても気になった。


いつもにこにこ笑うマシューが、さみしい思いをしていなかったかどうか。


【マシュー】

「さみしいって言ったら、二人を困らせちゃうよ! ごはん食べてれば僕は元気になれるし幸せだからいいの!」


【紫苑】

「……そう」


二人を困らせる、という表現が少し気になった。

心配をさせるではなく、困らせる。


マシューの両親は、マシューを放置していることをどう思っているのだろう?

しっかりしているから安心? 手がかからなくて楽?


【紫苑】

(どっちにしても、あまりいい気はしないわね。どう考えても、まだ親の庇護下にいるべき年の子供なのに)


カレーを食べ終え、マシューが用意してきたラッシーという飲み物を飲む。

甘いけれどさっぱりしていておいしい。


【マシュー】

「紫苑は話し方が僕と一緒だね」


【紫苑】

「そうね」


【マシュー】

「僕ね、村の子みたいに話をしたいんだ」


マシューの発言の意味が分からず、紫苑は首をかしげる。


【紫苑】

「どういうこと?」


【マシュー】

「僕、この国の言葉を一生懸命練習したんだけど。村の子に話しかけたらね、気取ったしゃべり方って言われたの。こんなしゃべり方の人は、ここにはいないって」


眉を下げて笑うマシュー。

少しだけ考えて、紫苑は尋ねる。


【紫苑】

「……村の訛りを知りたいってこと?」


【マシュー】

「うん! 紫苑知ってる? 勉強の本にも載ってないから困ってたの。みんなとおんなじしゃべり方をしたら、お友達になれるかもしれないでしょう?」


【紫苑】

「そうねえ……私もあんまり詳しくはわからないけれど。自分のことは僕じゃなくて、おらって言ったほうがいいのかしら?」


【マシュー】

「おら!」


【紫苑】

「あとは、語尾にだべさをつける……かしらね?」


【マシュー】

「おらはカレーを食べたべさ!」


【紫苑】

「うーん……食べたべさは、あんまり使わない、かしら……?」


【マシュー】

「難しいねえ、でも僕……じゃなくて、おら頑張るべさ!」


その日は一日、マシューに簡単な訛りを教えて終わった。

マシューは昼の分も夜の分も、カレーをもってきていて、夕食を食べてから帰っていった。


教えた訛りで、村の子に話しかけてみるとうきうきしていた。

明日は朝早くではなく、お昼ぐらいに来るかもしれない。






――しかし、マシューは次の日も、随分早くに森の入口に現れた。


【マシュー】

「紫苑! おはようー!!」


【紫苑】

「おはよう。村の子とお話しできた?」


へにゃりと眉を下げてマシューが笑う。


【マシュー】

「うーんとね、笑われちゃったよ。不自然だって。そんな使い方はしないって」


言いながら、いそいそと大きな袋からカレーを取り出し、袋を地面にひく。


【マシュー】

「訛りって難しいね。一日じゃ覚えられないから、もっと練習するよ」


【紫苑】

「そう。きれいな発音なのにもったいないわね」


【マシュー】

「でも僕……おらは同じ年頃のお友達も欲しいだ!」


【紫苑】

「そうよね……仲良くなれるといいわね」


ここは田舎の村だ。

保守的で変化を嫌うものが多い。


けれど、子供のマシューの言動でそこまで嫌われるものだろうか?

確かに少し浮いているけれど、ここまで馴染めないものだろうか?


【紫苑】

(もしかしたらマシューの親が、村にあまり馴染む気がないのかもしれないわね)


貿易商と言っていたから商人だろうし、それならば村に溶け込む努力をしそうなものだけれど。


大きな洋館を立てるあたり、村の人間ではない、一緒にするなという気持ちが多少なりともあるのかもしれない。

そうなると村人の反感も買うだろう。


あの親の子供とは仲良くするなとも、言われているかもしれない。

すべて紫苑の想像だが、そんなに間違っていない気もした。


【紫苑】

「マシュー、服装を村の子供みたいに変えてみたら? この国の服装はいや?」


【マシュー】

「着てみたいべ。でも、お父さんとお母さんがだめって言うのさ」


【紫苑】

「どうして?」


【マシュー】

「おらの国のものを売るのに、おらの国のものを身に着けていたほうが宣伝になるらしいだ」


【紫苑】

「……そう」


おそらく服装を変えないのも、受け入れられない要因の一つだろう。

それでもマシューはうれしそうに笑う。


【マシュー】

「おらは子供だども、この服を着てるだけでお父さんとお母さんの役に立ててるだ! なまら嬉しいのさ!」


不自然な訛りでそう話すマシューは、誇らしげに胸を張る。

それを見て、紫苑は何も言えなくなった。


【紫苑】

(私なんかと話すより、同じ年頃の子と遊んだほうが楽しいでしょうに)


マシューを少し気の毒に思うが、マシューは楽しそうに訛りを使って話している。

少し不自然な訛りを聞いているのが微笑ましい。


――けれど、マシューが訛りを使うのは数日で終わった。

おかしな喋り方でばかにしているのかと、子供たちに怒られたとマシューは言っていた。






【マシュー】

「紫苑! 今日はキーマカレーだよ!」


【紫苑】

「楽しみね」


正直紫苑にはカレーの種類はよくわからないが、おいしいことは間違いない。

人間の食べ物がこんなにおいしいとは知らなかった。


カレーを用意しながらマシューがうきうきという。


【マシュー】

「キーマカレーは、おじいちゃんが一番好きだったカレーなんだ! だから今日はたくさん食べちゃう!」


【紫苑】

「いつもたくさん食べてるでしょ」


【マシュー】

「カレー大好きだもん」


頬に手を当て、うっとりと笑うマシュー。

いつ見ても幸せそうだ。


マシューから聞く祖父母の話は、紫苑も安心して聞いていられる。

本当にマシューのことを気にかけているのがわかるから。

そういう人間が、村にもいたらいいのにと思う。


【紫苑】

「おじいちゃんとおばあちゃんに会いたい?」


聞いてから、何をわざわざ傷つけるような質問をしているのだろうと焦る。

けれどマシューの笑顔は変わらない。


【マシュー】

「会いたいよー、大好きだもん! でもおじいちゃんもおばあちゃんも会いたいの我慢してるから、僕も我慢。もっと大人になってもどたっ時にびっくりさせるんだ」


それにとマシューは続ける。


【マシュー】

「帰ったら紫苑と会えなくなっちゃうのはやだから。今は紫苑と一緒にいたいなあ」


【紫苑】

「そう」


傷ついた様子のないマシューに安心すると同時に不安になる。

マシューは常に笑っているけれど、今の状況に傷ついていないはずがない。


つらいことを聞いて、そのつらいことを取り除いてやりたいと、そう思っていた。


【紫苑】

(最初はちょっとした退屈しのぎのつもりだったんだけどね)


いつの間にこんなに情が移ってしまったのか。

今までだれかに情を移したことがないから、自分の変化に驚く。


考えてみたら、こんなに純粋に好意を向けられたのは初めてかもしれない。


妖怪になる前にはそんな存在、例えば家族がいたのかもしれないけれど、覚えていないことはないのと同じだ。


【マシュー】

「でも、おじいちゃんとおばあちゃんに紫苑を紹介したいなあ。僕のお友達だよって」


【紫苑】

「私は妖怪だから、あんまり人間の前に出ないほうがいいのよ」


【マシュー】

「でも僕のお友達だもん。おじいちゃんもおばあちゃんも紫苑のこと大好きになるよ。紫苑優しいもん」


【紫苑】

「そうかしら?」


特別優しくした記憶は紫苑にはない。

ただ一緒にいて、話して、それだけだ。


【マシュー】

「そうだよ! きっとおじいちゃんとおばあちゃんは紫苑にありがとうって言うよ! それからおいしいものを作ってくれるよ!!」


【紫苑】

「キーマカレーとか?」


【マシュー】

「紫苑が一番好きなカレーを作ってくれるよ!」


マシューがその光景を反芻するように目を閉じる。

褐色の肌が嬉しそうに紅潮していた。


【紫苑】

「おじいちゃんとおばあちゃんも、ここに来れたらよかったのにね」


【マシュー】

「うん。でもおばあちゃんは腰が悪くてあんまり歩けなくて、おじいちゃんもお外に出るのがあんまり好きじゃなくて、おうちが大好きだったから。仕方ないよ」


仕方ない、それはマシューの口癖のようなものだ。

まだ子供なのに、いろいろなことをあきらめているようで、聞いてて少し悲しい。


【マシュー】

「僕が帰ったら、おばあちゃんの代わりにおうちのこと全部して、腰が痛くないようにしてあげるんだ。おじいちゃんはおばあちゃんが大好きだから、お話しする時間が増えてうれしいと思う」


【紫苑】

「そうね」


今すぐマシューの祖父母がここに来てくれたらいいのに。

紫苑は心から思った。

マシューはきっと心から喜ぶだろう。


その姿を見てみたいとそう思った。

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