第3話 準備期間

 アルビーから命を救われた僕は、男にしてくれる報酬と財産を条件に、ヴィクトリアを破滅から救うことになった。

 ……とはいえ、それはまだ先の話だ。

 目を覚ますと、手足が手錠のような物で拘束されていた。


『まるで囚人みたいだ』


『教会の監視者に命じられた。問題ない。お前の怪力ならいつでも壊せる』


 主に忙しいのはアルビーを始めとした研究者たちだ。僕はいつも通りに培養液でぷかぷかと漂うばかりだ。

 僕が起きている時にすることはアルビー製作の『理想郷を求めて』をプレイするか、たまに研究所内でモンスターと戦い、戦闘データを提供することだった。


『お前はどうも物覚えが悪いからな。うろ覚えだが、休憩時間で作った』


『アルビー博士って凄いですね。この国でこういうゲームってないんでしたっけ?』


『セレスタリア王国ではな。言っておくが、真面目にやれよ』


 このゲームは僕用の知育ツールとしても作ったとアルビーは語った。

 現在地かつ島国であるセレスタリア王国を舞台としたゲームだが、王国名や地名、通貨は現実に存在している物をそのまま使っている。

 つまりこのゲームを極めれば現実でも最低限の知識を持ってやっていけるだろう。


『このゲーム通りの展開にこれからなるんですよね?』


『正確には教会がゲームと同じような展開になるように、この国を実験場とする計画だ。既に実験は進んでいる。お前がその証拠だ』


『ふうん? 何のために?』


『亜人を根絶する為だ。その辺りは宗教的なアレだと思えばいい』


『アレって何ですか?』


『……いいからゲームをやらんかい!』


 たまにアルビーを怒らせることがあるが、彼の作ったゲームは面白かった。

 欠点をあげるとすれば、ヴィクトリア信仰の強いアルビーが作ったからか、何故かゲーム上の助言役に抜擢されており、話から退場しても一緒にいるという謎仕様だ。


『わしが作ったゲームだ。手を加えて何が悪い!』


 つまりはオリジナルではなく製作者の趣味を反映した二次創作仕様らしい。

 そういったことに目を瞑れば、細部までかなり凝って作られたゲームは、視界に表示される仕様で、手足を動かさなくても良いのが助かる。

 まあ、動かしたら他の研究スタッフにバレるので無表情を貫いているのだが。


『よし、ひと眠りしろ。今からアップデートする』


『……ん。おやすみ』


 ゲームをしている間や寝ている間も、肉体はアルビーを始めとしたスタッフによって改造される。たまに施設内で他のモンスターと戦う以外はずっと拘束されていた。


『参照ログを見たが、何故システムを変更できたのか分からない。お前のヴィクトリアへの思いがシステムを超えたのか。……いずれにせよ、お前の存在がバレたら教会が強制的に廃棄してくる。既に監視者もいる以上、今まで以上に気を付けるんだ』


『どれくらい?』


『数年ほどだな。安心しろ、ゲームはわしが作ったサイドストーリーが豊富だ。全てクリアする頃には出番じゃい』


 そんな訳で僕はゲームに没頭するしかなかった。

 結果、僕はすっかりゲームオタクになったと思うし、ヴィクトリアの魅力も少し理解できたと思う。アルビーという話し相手がいたのも大きいだろう。

 ……ただ、ゲームとは言え、男を攻略するのだけは嫌だった。それ以外はゲーム内で出現するモンスターの特徴や種類、王国内外の主要都市や組織なども一通り学べた。


『ご飯が食べたい。ハンバーガーとか。あとお風呂とか』


『今の王国はお前の記憶にある現代日本に近い食べ物がある。衛生面も良好だ。ここを出たらかつての転生者たちに感謝して好きなだけ食べろ』


『その時はアルビー博士の奢りで頼む』


『……いいだろう』


 ゲームで知ったが、この王国は転生者たちが主導となって作ったらしい。

 その子孫だけが魔法を扱え、大半が今の貴族なのだとか。


『ところで実は僕にも前世ってあるのか? 記憶があるから転生者って奴?』


『前にも聞かなかったか?』


『あれ? そうでしたっけ?』


 ちなみに最近になって気づいたが、僕の頭には日本という国の記憶がある。

 だが転生した覚えはないし、両親や自分の名前すら思い出せない。ただ、食べたことのない料理や、見たことのない施設や道具の知識だけが鮮明に残っている。

 最初はゲームの影響かと思った。だが、明らかに登場しない情報までもが頭を過ぎるのだ。


『……恐らく教会が保有する異世界の情報を取得したのだろう。いずれにせよ、その記憶は有用じゃい。忘れるなよ』


『はい、先生』


『先生ではない。博士だ』


 どのみち僕は僕だ。重く考えても仕方がない。仮に前世があったとしても、エレノア・オムニティスという新しく立派な名前があるのだから。


『お前はバカだが、うじうじと悩まないことだけは尊敬できる』


 そんなことを言うと、珍しくアルビーが褒めてくれた。



 ◇



 他にも彼からはこんなことを質問された。


『このまま女性として成長した場合、髪は長い方と短い方、どちらがいい?』


『じゃあ、長い方がいいな』


 髪の毛と言った物から。


『次は、巨乳か貧乳か好きな方を選べ。ああ、素直な気持ちで選べよ。なにせ、お前自身の身体のことなのだからな。安心しろ。ここにはバカな男しかいない。好きに語るがいい』


『……大きい方で』


『照れるな。……しかし、一人称が僕か。私の方が良いかと思ったが悪くないな』


 要望通りにしてくれるらしいので身体的な物まで事細かに答える。

 パチン、と指を鳴らしてアルビーは顎を撫でる。


『要するに僕っ娘だ。自ら属性を増やそうとはやるではないか。これで俺とか言っていたら人格矯正プロトコルを実施していたからな』


『……それもう博士の好みですよね』


『開発者特権だ』


 この、しょうもない猥談をきっかけに距離が縮まっていったと思う。

 ゲームとエロは男の仲を深めるのだ。


『ところで今回の戦闘はどうだった? 第5研の連中、自慢の個体を粉砕されて泡を吹いていたが』


『見てて思ったけど、もう少し身長を伸ばして欲しい。なんか意識と身体に差というか違和感がある』


『分かった。では、その方向でアップデートを行う』


『ん、おやすみ』


『ああ。……おやすみ』



 ◇



 僕の意見も取り入れられて、身体が改造されていく。

 そういう生活をして何年か経過した頃だったか。

 研究室で一人珍しく荒れていたアルビーに、こう言われた。


『ジュリアナが死んだ』


 ジュリアナ・ブラッドベリーはヴィクトリアの母親だ。

 ゲームでの説明とアルビーの話をまとめると、紫紺の髪の女性で戦時に武勲を上げ続け伯爵にまで叙爵された元平民の英雄だ。

 最終的に侯爵家の養子となって公爵家の令息と婚姻したらしい。


(社交界では英雄夫人なんて呼ばれた凄い人だったらしいのに、死んだのか)


 ゲームではモンスターに襲われて幼いヴィクトリアの前で死んだとされていたが、現実では僕が退けたことで生存していた。

 その後は領地の屋敷で静養していたとアルビーから聞いていたが……。


『あの戦いで負った傷が原因で少しずつ衰弱していたらしいが……遂にか』


 無人の研究室で酒を飲むアルビー。

 少し前にスタッフが僕の培養槽を弄ったことを理由に、この研究室に寝袋とテントを持ち込み生活するようになった彼は不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。

 既にヴィクトリアは社交界デビューを果たした。現在は、ゲーム本編にあるエリュシオン魔法騎士学園への入学準備をしていた最中だったらしい。


『……葬式には参加しないのか?』


『……わしが? どの面さげて行くんじゃい。そもそもここを離れる訳にはいかない』


 これで過程はともかく、ヴィクトリアの母ジュリアナはゲーム通り本編開始前に死亡しヴィクトリアの悪役令嬢化に一歩近づいたとアルビーは語る。

 そんな簡単にいくのかと思うが、頭の良い人が言うのだからと口は噤む。


「うっ、ぅぅ……」


『…………今日はもう寝たら?』


 身内を失ったように泣く彼の珍しい姿に僕は黙り込むしかなかった。

 ジュリアナのことよりも、泣いている彼の姿に戸惑う気持ちの方が大きかった。


『いずれにせよ、生きるべき者は死に、死ぬべき者は生かされる。どれだけの罪を犯そうともだ。それが教会によって陰から支配され腐りつつある王国の現状じゃ』


 鼻を啜るアルビーにゲームの内容を思い出す。

 ゲームでは王国を陰から支配しようとする存在がいる。それは教会だ。海外にいる人間至上主義の組織が教会と通じて、魔族を虐げさせ、王国の力を削いでいるらしい。

 その情報は王国を出て、海外で魔族側について活動していると判明する情報なのだが、その状況は現実も変わらないようだ。


『……余計なことを言った。忘れてくれ。お前はヴィクトリアだけを守れ。政治なんて無視しろ。王国が滅びそうな場合は、彼女を亡命させてでも守れ』


『……ん』


『そしてわしはお前を完成させるまで守ってみせる』


 そう言ってアルビーは酒瓶を置いて、コンソールに向き合う。

 青白い光に照らされる彼の横顔を僕は培養槽から眺める。僅かな機械の駆動音とコンソールキーを叩く音がしばらく響く。

 以前よりも少し老けたアルビーは無言のまま、情報伝達魔法を僕に使った。


『エリー。お前は一見すると人間に見えるが、魔族に該当する。今の王国内では平民以下の扱いだ。……ゲームはしたな? どういう扱いを受ける?』


 慌てて記憶を探る。幸い、すぐに思い出せた。


『戸籍もなく自由に街中も歩けない身分だっけ』


『そうだ。変装でもしなければ表立って歩くことはできない。そこで学園の2年時に行われる使い魔召喚の儀式に割り込み、ヴィクトリアの使い魔としての身分を得る必要がある。これが作戦の第一段階になる』


『それで上手くいくのか?』


『当然じゃい。わしを誰だと思ってる』


 そういう作戦だった。

 あと1年と少し。近くなれば詳しく方法を教えるとアルビーは言っていた。


『さっ、おしゃべりはここまでじゃ。わしはお前の更なるスペック向上の為に、アップデートの準備に入る。さっさと寝ろ』


『あ、うん。おやすみ』


『ああ。……おやすみ、エリー』


 急激な眠気が押し寄せて、僕は目を閉じた。



 ◇



 ──今回の睡眠はかなり長かったと思う。


『……アルビー?』


 その日は何かが違った。

 培養槽の外でアラームが鳴り響いていた。

 耳を澄ませると聞こえる銃声音のような物に嫌な予感を覚える。


 何かが壊れる音。悲鳴や金切り声。

 ズン、と小さな震動に不安を覚えている時だった。


「──起きたか」


『アルビー!?』


「博士をつけろ」


 室内は酷いものだった。

 何かが争うように機器が散乱し、切断されたケーブルからは火花が散る。顔見知りの研究員たちが血だまりに沈み、コンソールを叩くアルビーも白衣が赤く染まっている。


『それ……撃たれたのか……』


「ああ。研究所が襲撃された。既に大半のスタッフが死んだ」


 研究所が襲われたのか。なら、僕が出撃すれば良いのか。戦うか。殺すか。


「いや、つい先ほどヴィクトリアのいる学園でテロが起きた」


『テロ!?』


 なんだそれは。テロリストが学園に?

 そんな展開はゲームには無かった。そう言葉を挟む余裕はなかった。


「お前にはそっちに行って貰う。計画は半年ほど前倒しだ。──作戦開始日を今日とする」


『……アルビー』


「情報もお前も渡さん。ここは自爆させる。奴らの思い通りにさせるものか」


 そう言いながら血を吐く博士が必死の形相でコンソールを弄る。

 僕の視界に久しぶりに青白い光が霧のように広がり、文字列や数字が表示される。


【触手基幹システムv3.00FV最終アップデート:適用中】


 手枷や足枷、更に身体中に刺さっていた管が外れ始め、体内で何かが唸りを上げる。

 身体の奥がじんわりと熱を帯びていく。


「大丈夫だ。間に合わせる。わしを誰だと──」


 頑丈な研究室の扉だが破壊音と爆発音に息を呑む。

 このままでは誰かが入ってくる。相手は決して親切な相手ではないだろう。


『……博士』


「そんな顔をするな。もう終わった。流石はわしじゃい」


 ぷちっと身体に突き刺さっていた管が外れ、身体に空いた小さな穴は消える。

 視界に表示されるゲージの増加が進む。……完了した。


【触手基幹システムv3.00FV最終アップデート:適用完了】


 視界のインターフェースが歪み、一新されていく。


『博士、血が……』


「わしはいい! ……もう十分に生きた。安心しろ。こういった場合に備えて、念のためお前の頭の中に今後のことを仕込んでおいた」


『……アルビー!』


「さらばだ」


 アルビーは小さく不敵に笑った。

 直後、扉が爆発した。

 爆風が舞う中、博士がコンソールにタッチすると白い霧が室内に一気に充満する。室内が白く染まるが、僕の目には彼が鮮明に映っていた。


「エレノア、約束だ。ヴィクトリアを守ってくれ」


 銃声が轟く。数発がアルビーに届いて、その身体を吹き飛ばす。

 銃弾の勢いは止まらず、培養槽のガラスにも被弾する。

 僕はまだ動けない。視界上で文字列の表示速度が加速し、ゲージが上昇していく。


【触手索敵:敵性反応あり】

【システム優先順位変更】

【一部初期化完了】

【教会通信遮断:プロトコル常時稼働中】


 ガラスがひび割れる。培養液が漏れていく。視界に膨大な文字列が流れていく。

 だが、そんなことはどうでも良かった。


 僕の目の前で床に倒れ伏すアルビー。

 彼は友達で、親で、大切な人だった。最後まで自分に素直で、最期の時までたった一つのことを貫ける男だった。


【触手機関:再起動完了】


 託されてしまった。ヴィクトリアの為とはいえ、ここまで多くの恩を受けた。

 なら、僕は、その恩を返そう。

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