nco純文学短編集
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小さな恋のオクターブ
「最近さ、あたしに話しかけてくる男の子がいてさ」
娘の恋の話を聞くことに若干の戸惑いを覚えつつ、かつての恋らしきものを思い起こしていた。
およそ、私に恋らしき経験はなかった。かといって私の人生は色褪せたものではない。ただ、淡い思いは胸の底に秘めたままに、大人となり、妻となり、母となり、今に至る。私はあの時、恋を置き忘れてしまった。
私は、小学校の時が女としての全盛期だったと思う。私は恵まれた容姿と頭脳を持って生まれてきて、何不自由なく過ごしていた。そんな少女時代の終わりに出会った少年がおそらく初恋の相手なのだと思う。
断定ができないことに、私の恋路に一滴の燻みをもたらしている。
状況を考えるに、少年は私を好んではいた。それが恋心かは断定ができない。私と同様に、少年もまた、幼すぎたのであろう。その頃の私は、生理が来たばかりの少女で、赤飯に戸惑いつつも、母に色々と世話を焼かれた記憶が鮮明にある。そして、少年を少しだけ意識した記憶が朧げにだけある。
私たちの関係は、私たちを知るもの達なら、ほとんどが”幼き日々の輝かしい友情”である断言するであろう。人によっては、悪友と言うものもいるかもしれない。私たちは鮮烈に他者を圧倒的に押しのけていた。その事実を持って、利害関係から二人は結びついていたと思うものがいても当然であろう。
ある時、母の前での思いもよらぬ一言を、今でも一字一句忘れられない。私自身が私自身を刻んだ一言である。母が珍しく激昂した言葉であった。忘れらるはずもない理由は他にもあった。
「あんな障害者の子が私を好きとか気持ち悪いし」
本気で言ったわけではない。母があまりにも、その少年を気に入り、持ち上げるがあまりに、不意に出た一言であった。幼なかった私には発した言葉の残酷さがわかってなかったのだろう。残酷さに気がつくくらいに幼くなくなった私は、この言葉を発した自分を責めるようになる。
おそらく無為にこのような言葉を口にするということは、当時から態度に出ていたのだと思う。そのことに気づいた私は、次第に私を責めるようになった。
そうして、私は私の初恋を在り処を見つけ、そして、私は無邪気に初恋の相手を傷つけていたことに自覚するようになった。
私の初恋は、私も彼をも傷つけていたというものだと理解する頃には、私の人生は、取り返しのつかないくらいに、壊れていた。
数年後、私が私の壊れた人生から目を背けた頃に、少年は彼の人生を取り戻していたことを知った。
心が引き裂かれた。
私が見た彼は必死にボールを追っかけていた。私の知る彼は走れはしなかったはずだった。彼は必死に、その試合に勝ちにいっていた。ただ、勝ちにいっていた。
そして、彼は、勝ちを掴んでいた。90分の見返りに、それまでの人生の見返りに、小さな勝ちを心から誇らしげに、心の底から誇らしげに、笑っていた。
私は眩しかった。
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