帰国

 みよりんは崩れ落ちるように、はねみんの身体を抱きしめた。

 胸の奥に埋まった弾丸の衝撃が残っているはずなのに、その身体は信じられないほど静かで、柔らかかった。


「はねみん……っ、ねえ、起きてよ……」


 返事はない。

 抱きしめる腕の中で、はねみんの体温が、少しずつ、ほんの少しずつ失われていくのがわかった。


 外ではまだ、遠くで銃声がこだましていた。

 支援スタッフの無線が飛び交い、撤退命令が繰り返されている。


『その区域は完全に制圧不能! 即時退避を──繰り返す、即時退避を!』


 みよりんは耳に入ってくる声を理解しながらも、身体が動かない。

 ただ、腕の中の少女の髪を、震える指で何度も撫でた。


 ふと、はねみんの麦わら帽子が、崩れた地面のそばに転がっているのが見えた。

 いつも照れ隠しみたいに「似てないよ」と言いながらも、大事そうに持ち歩いていた帽子。


 みよりんは、そっとそれを拾い上げ、胸に抱き寄せる。


「……はねみん、これだけは……持ってくから。絶対に」


 涙が止まらなかった。

 視界が揺れて、世界の輪郭が溶けていく。

 それでも、抱きしめていた手だけは離したくなかった。


 しかし現実は残酷だった。

 次の瞬間、仲間のスタッフが駆け寄り、みよりんの肩を強く掴んだ。


「箱宮さん! もう無理だ、ここは包囲される! 撤退しないと、あなたまで──!」


「でも……でも私は……はねみんを……」


「連れて行けないんだ……遺体は……置いていくしかない……!」


 その言葉で、心臓がえぐられるような痛みが走る。

 みよりんは何度も、必死に首を横に振った。


「そんな……そんなの、いやだよ……置いていけない……っ」


「箱宮さん! ごめん……でも、生きて……生きて帰って、この子の分まで……!」


 声が震えていた。

 仲間も泣いていた。


 この場所が、あまりにも酷い銃撃戦の中心になってしまったため、支援団体はこのキャンプを放棄する決定を下した。

 もう二度と、ここには戻れない。

 はねみんの眠るこの地に、誰も。


 みよりんは、胸の前で小さく麦わら帽子を抱きしめた。

 はねみんの体温を思い出すように、何度も、何度も。


「……ごめんね……絶対、忘れないから……」


 最後に、その頬にそっと触れた。

 乾きかけた涙の跡をなぞるように指が滑る。


 みよりんは震える足で立ち上がり、背を向けた。

 歩き出すたび、胸の奥の何かが崩れ落ちていくようだった。


 振り返らないように、ただ前を見て。

 麦わら帽子だけを、強く抱きしめたまま。


 ──風が吹き抜ける。

 砂埃の向こうで、はねみんの姿がどんどん遠くなる。


 世界が焼けた匂いをしていて、空は濁っていた。

 それでも、みよりんの腕の中で揺れる麦わら帽子だけは、まるで夏の日のままみたいに、優しい色をしていた。


---


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る