彼女と別れたら後輩の様子がおかしくなった。

冷泉七都

第一章

第1話 浮気と別れ

 今日は6月20日、日曜日。

 そして彼女の誕生日。

 もちろん彼女というのは代名詞じゃなくて、正真正銘の交際関係にある彼女だ。


 彼女の名前は一橋ひとつばし明里あかり

 中学2年生の時に付き合い始めて、来月でちょうど3年が経つ。

 かなり長く続いているという自覚はある。

 このまま結婚とか、そういう深い関係になっていくのを想像したりもした。

 そんな風に考えるのは自然だろう。


 去年は彼女の家に行って、プレゼントを渡したり、イチャイチャしたりして過ごした。

 だから今年もそうしようと先月に提案したのだが、外せない用事があるらしく、計画はなくなってしまった。

 最近、デートする回数も話す回数も減っている気がして、遅めの倦怠期とかなのかもしれない。


 …………いやいや。

 首を横に振り、嫌な思考を払い飛ばす。


 机の上に置いているプレゼント。

 ふいに俺はそれに目が行った。

 ベッドに座ったまま、枕元からスマホを取って画面を操作する。


『誕生日おめでとう』

『夜でもいいから直接プレゼント渡したい

 どうかな?』


 彼女にメッセージを送信した。

 横には10:24と表示されている。

 用事とかで忙しいかもしれないから、すぐには返信が来ないだろう。

 そう思ったけれど、意外にもすぐにスマホの通知音が鳴った。


 ありがと――と言っている猫のキャラクターのスタンプ。

 その下に『9時ぐらいなら大丈夫』と書かれていた。


『じゃあその時間に明里の家に行く』


 おっけー――という文言を確認して、俺はスマホを閉じる。

 勢いよくベッドに仰向けになって天井を眺めた。

 今日は予定がなくて暇だ。



   / / / / /



 夜ご飯を食べてテレビを見ていると、時刻は20時半を過ぎていた。


 そろそろ行くか――

 独り言をして、クローゼットから薄めの上着を見繕って着る。

 そしてプレゼントを右手に持って家を出た。

 途中、廊下でお母さんにどこに行くのか尋ねられたが、適当にはぐらかしておいた。


 彼女の家までは10分くらいで、9時よりもまあまあ早く着いてしまう。

 でも俺は待てなかった。



 最後の曲がり角を右に行ったとき、玄関の前にちょうど帰ってきたらしい明里がいた。

 俺は一瞬笑顔になった。

 しかしすぐに顔は強張り、大切なプレゼントが手からするりと地面に落ちた。


「誰……?」


 声にならない声が、俺の口から漏れ出た。

 視線の先には明里だけでなくて、その隣に高身長の男もいる。

 そいつに向けての言葉だ。


 もしかすると、従兄弟とか叔父とか親戚なのかもしれない。

 そう言い聞かせて、落下したプレゼントを拾おうと手を伸ばす。


 なのに、二人の会話が聞こえてきた。


「明里ちゃん、今日は楽しかったよ」

「わたしも。神崎かんざきくんとのデート楽しいっ」


 俺の手は硬く握りしめられて、自分の太ももを一発殴った。

 理性でない何物かが、俺の足をプレゼントの上に置いた。


「どこでも連れて行ってあげるからさ、また遊ぼうな」

「うん、ありがとっ。好きっ!」

「オレも好きだよ」


 っ――――


 足に力が入り、プレゼントが潰れるのを感じた。


 街灯に照らされて、深いキスをしているのがよく見えた。

 心が抉られるのに茫然と眺めてしまった理由は分からない。


 愛していた彼女に怒りは湧かない。

 俺がただ尽くしきれなかったせいだ。

 神崎という男に対しても湧かない。

 俺がただ負けてしまったせいだ。


 残るのは、自分へのやるせなさと虚無感だけ。


「じゃあね、神崎くん」

「じゃあな」


 明里は家の中へと消えてしまった。

 それを見終えた神崎は、こちらの方へと歩いてくる。

 俺を捉えると立ち止まってほくそ笑んだ。


伊織いおりだよな、明里ちゃんから聞いてる」

「あぁ……、合ってる……」

「そんな絶望した顔をしないでくれよ。オレが悪いみたいじゃんかさぁ」

「…………」


 小声で掠れているのを聞いて、馬鹿にしたように半笑いで言ってくる。

 反論する気はないし、そもそも反論を考えられない。


「そうだ。明里ちゃんの、Gらしいじゃん。下も最高だし、お前にはもったいないよな――。2日目でやらしてくれるなんて、そんな尻軽なやつそうそういねぇぞ」


 彼女の唇も裸も、知っているのは俺だけじゃない。


 …………あぁ、そっか。

 もう、『知っていた』なのか。


 明里は神崎に上書きされている。

 俺は付き合って1年以上経ってからようやくしたというのに、こんなヤリモクなんかには――――


 喉が異様に酸っぱい。

 思い出が辛いなんて、どうすればいいんだ。


「まぁ、奪っちゃってほんとにゴメンな。いつかは捨てる予定だから、それまで待ってくれ」


 なにを言っているのだろう。

 こればっかりは、俺の考えは一つに定まっている。


「いや。明里とは別れる」


 俺の強い言葉に驚いて、神崎の動きが一瞬止まった。


「あぁ、その方がありがたいな。何か吹聴されても困るし」

「話は終わり?」

「今日はな――」


 一刻も早く、明里と別れたかった。

 俺は神崎を追い越してドアのチャイムを押した。


 ドタドタと足音が聞こえて、玄関から火照った明里が出てきた。

 すこし焦っている様子も感じる。


「伊織、早かったね」

「まぁな。彼女にはすぐにでも会いたいものだったんだよ」

「ふふっ、なるほど。伊織は嬉しいこと言ってくれる」


 このまま話していても埒が開かない。

 俺は本題を切り出した。


「明里、別れよう」


 唐突過ぎる言葉に、明里は動揺した。

 しかし2秒後には悟った顔になった。


「見てたんだね」

「あぁ」

「私、伊織の内面が好きだったの。もちろん今も」

「…………」

「でも神崎くんは文武両道で、顔もすごくカッコよくて、優しくてさ」


 明里の言い訳は聞きたくなかったが、予想外に割り切って言ってくるから耐えられない。

 だから、あっそ――と素っ気ない返事をするので精一杯。


「ちょうど私も伊織と別れた方が良いと思ってた」


 明里は純粋ゆえなのだろう。

 でも捨て台詞として言おうと思っていた、神崎はお前を性の捌け口としか見てないという忠告は、言う気がなくなった。


「じゃあ」


 俺はそう言って歩き出した。

 明里の視界から消えたら走った。

 ゴミみたいに落ちているプレゼントを蹴飛ばして、明里に話しかけてしまわないように、ただひたすら。

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