怪盗コキア〜蠍座の河【水族館の大水槽前で盗む!】完結済み

カイ 壬

怪盗コキア〜蠍座の河

第1章 怪盗現る!

第1話 怪盗現る![1A1] 水族館で待ち構える

 四月八日金曜。春が早めにやってきて東京でも桜が咲き誇る頃のことだった。


 東京都の臨海部に鎮座する有明臨海水族館。その大水槽前に名画『蠍座ささりざの河』が置かれていた。

 砂漠に棲むことの多い蠍が大河を前にして挑みかかるように左のハサミを大きく持ち上げている絵だ。作者は和泉川いずみかわ悦子えつことされている。


 水族館には場違いな絵画がただ展示されているわけではない。

 世紀の怪盗コキアを誘き出すためにわざと置かれているのだ。


 現に、水族館に『蠍座の河』が置かれることが決まると、どこから聞きつけたのか怪盗コキアからの予告状が現所有者の上杉うえすぎ真也しんやの家に届いている。


 予告状が出された時刻、都立先枚高等学校の体育教師である義統よしむねしのぶは、警視庁捜査三課の浜松はままつ直資ただすけ刑事・駿河するが友徳とものり刑事とともにおり、彼が予告状を出すのは不可能だ。

 であれば、現在の所有者である上杉うえすぎ真也しんやの関係者か、上杉に『蠍座の河』を売りつけた画商の火山ひやま雄貴ゆうきのいずれかだろうか。

 この大水槽前には上杉真也の交際相手である堂本どうもと淑恵としえもいるが、これまでの経験から怪盗コキアは男と考えられている。

 女の堂本淑恵が怪盗コキアとは思えない。

 そう思われていた。



 水族館の大水槽前に警視庁とこの絵画にかかわる人間がすべて集まっているところに、水族館の清掃員がやってきた。

「すまないが。館内の清掃が終わらねえと帰れねえんだよ。ここもちゃちゃっと片づけて、早く帰宅してえんだけどねえ」


 浜松直資刑事は、彼の上司である警視庁捜査三課の課長補佐・安田警部に尋ねた。

「この時間に館内清掃というのはありうるのでしょうか。もしや怪盗コキアが変装しているということは」


「われわれはこの水族館の情報に疎いからな。駿河、水族館の事務所へ行って館内清掃のスケジュールと担当する人物を調べてこい。警官も二名連れていくんだ。途中で怪盗コキアにすり替わっていないともかぎらんからな」


 駿河刑事は敬礼をひとつすると警官ふたりを連れて大水槽前からふたつしかない出入り口の手前のほうを戻って事務所へと駆けていった。再び館内に静けさが戻ってきたというのに……。


「俺はスケジュールどおりにここに来ただけだ。とりあえず大水槽のほうへ寄ってくれ。こっち側をちゃちゃっと掃除すっから。こっちが終わったらそっち側もやるからな」


 清掃員は有無を言わせずモップを水の入ったバケツに突っ込んでジャブジャブと濡らし始めた。そして濡れたままのモップで床を磨こうとする。


「おい、誰だ。こんなところに邪魔な台を置いたやつは。そいつをどけろ! 掃除の邪魔だ!」


 台の上には画架イーゼルが置かれており、そこに怪盗コキアが狙う『蠍座の河』が額に入れられて飾られている。


「おい、乱暴はよせ。それは怪盗コキアが狙っている名画だぞ!」

 警察官のひとりが慌てて額を持ち上げた。


「なんだ、そのカイトウなんたらってえのは。そんなもん、水族館には関係ないだろ。別の場所にすんだな。そもそも、この水族館は一方通行の展示なんだから、誰が来ようと出入り口さえ見張れば持ち出される心配なんてこれっぽちもない。こんなに大勢で大水槽前にいられると掃除もできんだろうが!」


 清掃員は乱暴に画架が載る台をモップで小突いている。

 はずみで画架が倒れそうになった。


「とにかくその台をどけろ。いつもの掃除のルーチンができないだろうが!」

 年季の入った浜松刑事は、上司である安田警部に耳打ちした。


「こいつが〝トンブリ野郎〟かもしれませんな。さりげなく額に触って、セキュリティを確認する腹じゃないですかね。わしら警察の数を減らそうと考えているんじゃ」


 浜松刑事だけは天下の大泥棒・怪盗コキアを〝トンブリ野郎〟と呼んでいる。

 犯行後に紅葉したホウキギのひと枝を現場に残していくことから名付けたのだ。

 駿河刑事が理由を尋ねたら、浜松刑事から「ホウキギからトンブリが採れるんだ。知らんのか? 畑のキャビアと言われとるくらいだぞ」と返されたらしい。

 ホウキギは洋名でコキアと呼ばれている。つまりコキアからトンブリが採れるのだ。


 窃盗を担当する捜査三課でも絵画に詳しい浜松刑事は、紅葉した色味も知っていた。

「あの色味は古い和名で深い緋色ひいろと書いて〝深緋こきあけ〟と呼ぶんだ。コキアにかけたんだろうが、そんな細かいところにも気を配るんだから、〝トンブリ野郎〟は相当絵に詳しいんだろうな」

 と絵画には疎い駿河刑事に説明したという。


 そんな浜松刑事の言うように、この清掃員が〝トンブリ野郎〟つまり怪盗コキアなのだろうか。明らかに疑ってくれと言わんばかりの態度だが。


「浜松の言わんとすることはわからんでもない。だから駿河を確認に行かせたんだ。そもそも警察を邪険にするところは、なにか裏があるようにしか見えんしな」


 浜松刑事と安田警部は、眼の前の清掃員に疑いの目を向けている。

 そんな清掃員から『蠍座の河』を守るように、警察官は額を抱え続けていた。

 現在の所有者である上杉真也と、彼と付き合っている堂本淑恵は、警察官の行動を見て失笑した。


 ここは怪盗コキア逮捕の最前線である。

 そこにいる上杉真也と堂本淑恵には緊張感が見られなかった。

 まるで『蠍座の河』が盗まれても問題などないかのような振る舞いだ。


 とくに高額で買ったはずの上杉真也が不安がっていないのが、警察としては気にかかるはずだ。


 対照的に高校の体育教師でもあり、『蠍座の河』を含む〝義統コレクション〟の鑑定人でもある義統忍は慌てた態度をとっている。

 その様から、あの『蠍座の河』は本物と鑑定されているのだろう。


 であれば、上杉真也と堂本淑恵の態度は、何十名もの警察が警護していることに対する余裕の現れなのかもしれなかった。



「しかし、警察官もなにか臭いますな。普通、警備対象であろうとあんなにべたべた触る必要はないでしょう。『蠍座の河』は〝トンブリ野郎〟には絶対に盗られたくないと考えとるんでしょうか」


 浜松刑事の問いに安田警部が応じた。

「確かに怪しいな。浜松の言うように、絶対に怪盗コキアには盗らせたくないように見える。ちょっと神経質になっとるようだ」


 清掃員の言うように、有明臨海水族館の展示は一方通行であるため、導線はひとつしかない。


 つまり『蠍座の河』が飾られている大水槽の部屋には入口と出口しかないのだ。


 通路をたどって怪盗コキアが現れた場合、警備に当たっている警官たちが通行人を食い止めることになっている。


 怪盗コキアが現れるとしたら、通路から侵入するか、今この場にいるしかない。





【第1章第2話へ続く】

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