第35話 霧の湿地帯と銀の追憶

 王都を出て数日。

 俺たちを乗せた馬車は、東の街道を進んでいた。

 窓の外は、徐々に鬱蒼とした森から、湿った空気が漂う沼地へと変わりつつある。


 車内では、フェルが湿気でペシャンコになった耳を伏せ、不機嫌そうに唸っていた。


「うぅ……毛が重い……。気持ち悪いぞ……」

「我慢しなさい、フェル。濡れた犬のような匂いがしますよ」

「犬じゃねぇ! 狼だ!」


 シアはそんなフェルを宥めるように、ブラシで丁寧に毛並みを整えている。

 俺はその様子を眺めつつ、揺れる車内で地図を確認していた。

 ふと視線を感じて顔を上げると、向かいの席のレイラが、静かな瞳でこちらを見ていた。


「……どうした、レイラ。俺の顔に何かついてるか?」

「いえ。……ただ、昔のことを思い出しておりました」


 レイラはふわりと微笑み、ティーポットを手に取った。

 揺れる車内でも一滴も零さず、完璧な所作でカップに注ぐ。


「アルス様がまだ、この腕に収まるほど小さかった頃のことです。あの頃から、貴方様はどこか遠くを見据えているような瞳をしておられましたね」


「……気味の悪い赤ん坊だったろうな」


 俺は苦笑してカップを受け取る。

 中身が大人だったのだから当然だが、彼女にはそう見えていたのか。


「いいえ。私は、その瞳に惹かれておりました。この方は、私たちが見ていない『何か』を見ている。その背中を追いかければ、きっと見たこともない景色に辿り着ける……そう直感したのです」


 彼女の声は静かだが、確かな熱がこもっている。

 Lv50台の強者であり、長命な吸血鬼である彼女が、俺という「異端」に未来を賭けてくれている。


「……買いかぶりすぎだ。俺はただの、欲張りな男だよ」

「ふふ。その欲深さが、私たちをここまで連れてきてくれたのですよ」


 レイラは俺の膝に置かれた手に、そっと自分の手を重ねた。

 一瞬の沈黙。

 彼女の指が、微かに震えているのが分かった。


「……時折、不安になるのです。貴方様の歩みはあまりに速い。いずれ私たちが振り落とされ、必要とされなくなるのではないかと」


 それは、彼女が抱く忠誠心の裏返しとも言える不安だった。

 俺の成長速度は異常だ。いずれ彼女の実力を追い越す日は来るだろう。


 俺は彼女の手を握り返し、真っ直ぐに見つめ返した。


「置いていかないさ。俺が前を見て走れるのは、君が背中を守ってくれているからだ」

「アルス様……」

「レイラ。君は俺の剣であり、最も信頼できる『相棒』だ。これからも頼むぞ」


 レイラは目を見開き、やがて頬を染めて、嬉しそうに目を伏せた。


「……勿体ないお言葉です。この命尽きるまで、貴方様の影となりましょう」


 俺たちは短く頷き合った。

 

 ***


 馬車を降りると、そこは濃霧に包まれた世界だった。

 『霧の湿地帯』。

 視界は数メートル先も見通せない。足元はぬかるんだ泥と、腐った植物の根。


「うげぇ……最悪だ。足が沈む」


 フェルが泥を跳ね上げながら文句を言う。

 シアもローブの裾を汚しながら、必死についてくる。


「警戒しろ。この霧には魔力が混じっている。『魔力感知』の精度が落ちるぞ」


 俺は**[魔力感知(100%)]**を全方位に展開するが、霧のノイズが酷い。

 レーダーに砂嵐が混じるような感覚だ。


 バシャッ。


 不意に、泥の中から何かが飛び出した。

 触手だ。濡れた鞭のような蔦が、最後尾のシアを狙う。


「きゃあッ!?」

「させません!」


 レイラが即座に反応した。

 抜刀と同時に冷気を纏わせ、触手を一刀両断する。

 切り口が凍りつき、再生を阻害する。


【Enemy Estimated】


種族: マッド・テンタクル (Mud Tentacle)


推定レベル: 35


特性: 物理耐性、再生


 泥の中に本体を隠し、触手だけで狩りをする植物型モンスターだ。


「フェル、本体を引きずり出せ!」

「任せろ! 泥んこ遊びだ!」


 フェルが泥の中に腕を突っ込み、切断された触手の根元を掴む。

 そのまま力任せに引っこ抜く。


 ズボオオォッ!


 巨大な球根状の本体が宙を舞う。

 無防備になった核。


「『ブラッドバレット』!」


 俺の放った血液弾が、空中の本体を正確に撃ち抜いた。

 魔核が砕け、魔物が泥に還る。


『Experience Acquired.』


「ふぅ。……流石の反応速度だな、レイラ」

「お褒めに預かり光栄です。ですが、足場が悪すぎますね」


 レイラが泥だらけになったブーツを気にする。

 彼女のような技巧派の剣士にとって、踏ん張りの効かない湿地は鬼門だ。


「なら、足場を作ればいい」


 俺は『携帯型・融合装置』を取り出した。

 この一ヶ月で作り溜めたアイテムがある。


【Item Info】


名称: 氷結の杭 (Freezing Stake) × 20


効果: 接地箇所を急速凍結させる使い捨てアイテム。


「レイラ、これをばら撒け。君の氷魔法と合わせれば、道ができる」

「なるほど……! 凍らせてしまえば、泥もただの地面ですね」


 レイラが杭を投げ、魔法を込める。

 パキパキパキ……!

 泥沼の表面が白く凍りつき、強固なアイスロードが出来上がった。


「すげぇ! 滑るぞこれ!」

 フェルが氷の上をスライディングして遊ぶ。

「あわわ……転びそうです……」

 シアがおっかなびっくり歩く。


 俺はレイラの隣を歩きながら、小声で話しかけた。


「……悪かったな。汚れ仕事ばかりさせて」

「何を仰いますか。貴方様の手足となれるなら、泥でも沼でも泳いでみせますよ」


 レイラは悪戯っぽく微笑む。

 その横顔は、屋敷にいた頃よりも生き生きとして見えた。


「行くぞ。目指すは湿地帯の最深部。ヒュドラの首を狩って、バベルへの切符にする」


 俺たちは凍った道を進む。

 霧の向こうに潜む脅威も、このパーティーなら乗り越えられる。

 そう確信できるだけの絆が、今の俺たちにはあった。


【Current Status】

Name: アルス・ブラッドベリー

Level: 32

Job: ブラッドロード / [偽装: バトルメイジ]

Party:


アルス (Leader)


レイラ (Sub / Support)


フェル (Tank / Breaker)


シア (Battery / Healer)

Aux Skills Update:


[指揮(15%)] ……レイラとの連携により微増


____________________

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