第19話 英雄とは——歩く大要塞『砦魔法』
その塔はあまりにも巨大で、視界のすべてを圧倒していた。
薄雲を突き抜けるその頂は、霞に飲まれて見えない。
陽光をはね返す石造りの外壁は、氷のような冷たさを纏い、遠目にも厳然とした威圧を放っていた。
高原を渡る風が、先ほどまで肺を満たしていた湿った森の匂いを吹き払い、乾ききった草と砂の香りを押し込んでくる。
「……転移だと?」
襲撃者の声が揺らいだ。
かすかな困惑。だがすぐに別の疑念がにじむ。
——あの巨塔は、幻惑魔法か?
凝視するほどに、塔の異様さは際立っていく。
その巨体はまるで巨人が辺から地に突き立てたかのように斜めに傾き、しかし倒壊の気配は一切ない。
基部を覆うのは砦のように分厚い防壁。どこにも入口らしきものは見当たらない。
その壁を辿る視線の先で——
——ガチャンッ!
硬質な金属音が高原にこだました。
各所の小窓が一斉に開き、鋭い影が迫り出す。
砲台だ。無数の砲口がこちらを狙うように露出し、油の焦げた匂いと金属が擦れる臭気が風に乗って流れてくる。
まるで塔そのものが武装して、外敵を拒む意志を剥き出しにしているかのようだった。
「……いや、違うよな!?」
襲撃者の呟きがかき消される。耳を突き破るような轟音。
次の瞬間、塔の上層から稲妻のような閃光が走り、空気を引き裂いた。
——ドドドドドドドドドドドドッッッ!!!
発射の衝撃で大地が震え、耳をつんざく爆音が高原を覆う。
砲弾が嵐のように吐き出され、黒煙と爆炎が空を染めた。
焦げた火薬の臭いが鼻を刺し、爆風が肌を打ち、乾いた草が一斉になぎ倒されていく。
高原が一瞬で戦場と化した。
砲撃の雨は止むことなく大地を叩き黒煙に染め上げる。
爆風と轟音が草原を支配する中、
襲撃者は砂煙の中を疾駆し、弾幕を紙一重でかいくぐりながらジョシュアへと距離を詰めようとする。
——だが。
砲弾の幕が、進路を寸断していた。
ジョシュアのすぐ後ろには、必死に身を低くして守られるように立つミカサが油断なく身構えている。
その小さな影をかばうように背を張るジョシュアへ、どうしても辿り着けない。
「……いったい何なんだこれは、っ魔法なのか?!」
爆煙が喉を焼き、肺が焼けるようだ。
大地を震わせ続ける砲撃音にかき消されそうな声を、襲撃者は必死に吐き出した。
その様子をジョシュアの冷静な眼差しが射抜く。
「素早いな……砲撃の弾幕が足りないか」
何事かを低く呟いた。その足元が再び眩い光に包まれ、地を這うように精緻な文様が広がっていく。
魔法陣だ。だが、その規模が異様に大きい。
「……っ、今度は何をする気だ——」
襲撃者が爆風を裂いて走る耳に、不吉な「ガチャンッ」という鋼鉄の駆動音が飛び込んできた。
振り返った瞬間——息が詰まる。
死の気配が頭上を覆った。
背後の大地を割って、第二の巨塔が斜めに姿を現したのだ。
天を貫く石壁が、現実を嘲笑うかのように立ち上がり、その全ての砲口が一斉にこちらへと旋回する。
ぞわり、と背筋を氷刃で撫でられたような悪寒。冷や汗ではない、得体の知れない汗が全身から噴き出す。
「……まじ、かよ……」
呟きは掠れ、砲門の轟音に掻き消された。
次の瞬間、両の巨塔が咆哮を上げ、世界を呑み込むような砲撃が解き放たれた。
……すごい。
ミカサは、背中を向けるジョシュアを見上げ、思わず息を呑んだ。
前後にそびえる巨塔。その石壁は陽光を反射し、白銀に輝いている。だがその輝きはただの光ではない。ジョシュアの身体から放たれた魔力の奔流が塔の外壁に染み渡り、脈打つように明滅していた。
——これは、魔法。
砲撃を吐き出す二対の巨塔を、丸ごと建造してしまう魔法。
衝撃と爆風の合間に耳を震わせる重低音。金属と石が軋む匂いが、焦げた火薬の臭気に混ざり、鼻腔を刺す。
吹きつける風は熱を孕み、砂と草の香りを巻き込みながら頬を叩いた。
ミカサの胸は高鳴り、呼吸が荒くなる。
いまだ魔法を学び始めて間もない自分が扱えるのは、水を操り、動かすといった四元素の基礎ばかり。
建造物を顕現する——そんな魔法の存在すら、想像したことがなかった。
視界の全てを支配する巨塔は、まるで空そのものを支える柱のようで。
その圧倒的な存在感は、恐怖と同時に、心を奪われるほどの畏敬を呼び起こす。
——この人はいったい、どこまでの魔法を使えるの……
彼の肩書が脳裏を過ぎる。図書館の外勤員、魔導書を従える者、そして、そうか、これが魔導師……?
胸の奥で震える問いが、鼓動に重なって響いていた。
「てめぇ! いったい何者なんだ!」
爆炎と砲弾の轟きの奥から、戸惑いを帯びた怒声が響いた。
耳を焼くような爆音が途切れた後の沈黙は、かえって不気味で、煙に混じる火薬と焦げ草の匂いと共に風に流れていく。
「そうだな、何と答えるべきか……そろそろ誤解は解けただろうか」
ジョシュアの低い声が落ちると同時に、砲火はぴたりと止んだ。
砂塵と煙の帳の中、膝をつきながら肩で荒く息をする影が浮かび上がる。
「ふざけやがって……いいように遊ばれたってか?!」
影は血の混じった唾を吐き、かすれた声を張り上げた。
「俺は、魔導国から格を賜った……『英雄狩り《イエーガー》』なんだぞ?!」
怒鳴り声の裏にある焦燥が、ミカサの耳に異様なほど鮮明に届く。だが、返ってきたジョシュアの言葉は静かだった。
「……英雄とは、誉れがなくとも、最後に立っていれば、それでいいだろ」
その一言に、襲撃者の瞳がかすかに揺れた。
軍役訓練の日々。突出した魔法の才などなく、血の滲むような鍛錬で剣を握り続けた若き日。
認められたあの瞬間の誇りと、積み重ねた努力の記憶が一瞬、胸裏をよぎる。
「イエーガー……?」
ミカサが小首をかしげると、ジョシュアが短く答える。
「勲章のようなものだ。名誉と実力の証だよ」
十数年前、人間界との戦争で局地的な猛威を振るった異世界人達。その快進撃を打ち破った英雄に贈られた『格』という名の魔導国の名誉——『英雄狩り』
グラヴェルの胸に、誇りと同時に揺らぎが走る。だが歯を食いしばり、憤りを燃料にして睨み返す。
ためらうような仕草で、腰元の不具に手を伸ばした。
「名乗れ、図書館員……魔導国の英雄グラヴェル様が、てめぇの名を墓標に刻んでやる!」
ジョシュアは一歩前に出ると、淡々と答えた。
「幻想図書館の外勤員、ジョシュア=モンテストだ。さて――グラヴェル。ここからの形勢逆転の目はあるか?」
その言葉と同時に、濃い煙が徐々に晴れていく。
爆撃で抉られた草原は無数のクレーターと焦げ跡に覆われ、熱を帯びた大地からはまだ湯気のような熱気が立ち昇っていた。
だが、それ以上に驚くべきは――地形そのものが変貌していたことだった。
いつの間にか、草原の周囲には黒鉄の塀が連なり、環のように戦場を囲んでいた。
武装した防壁が軋む音と共に、巨大なバリスタが軒並みこちらへと向きを変え、監視塔の窓からは冷たい視線のような影が覗く。
爆炎の熱を孕む大地がじりじりと靴底を焦がすのを感じながら、グラヴェルは呆然と周囲を見渡した。砦のような塀、突きつけられた無数の砲口。
唇を歪め、低く吐息をもらす。
「……はっ。どうよ、俺」
自嘲めいた笑いと共に、声色に覚悟の響きが宿る。
双眸は冴え渡り、今度こそ真剣を帯びた眼光でジョシュアを射抜いた。
握りしめた符具が紅蓮に燃え立つ。
火花が散り、熱気が膨張する。光が拡大し、爆ぜる前触れの圧が森羅を押しのけていく。
その時――。
「そこまででございます」
澄んだ声と共に、空気を裂くような影が、二人の間へ静かに降り立った。
紫紺の狩衣が、烈風にひらりとはためいた。
袖が翻るたび、結ばれた白紐が宙を踊り、淡い光を反射する。
白髪を折烏帽子に収めた老人が、砂塵の中にゆっくりと姿を現した。
年齢を感じさせる皺を刻みながらも、その双眸には冴えわたる光があり、口元には優雅な笑みを浮かべている。
だが、その腰に佩かれたものだけは、異質な雰囲気を纏っていた。
古めかしい軍刀――狩衣の雅と不似合いな、戦場の刃。
「……っ!」
グラヴェルは歯を食いしばった。爆ぜる寸前の符具の光が急速に萎み、紅蓮の輝きが煙のように散っていく。
老人が片手を軽く掲げただけで、周囲を満たしていた熱と殺気が霧散していったのだ。
「遅れて参りましたな」
低く、しかし澄んだ声音。
その響きに、グラヴェルは思わず肩を震わせた。
「な、なんであんたが……!」
老人は柔和な笑みを保ちながら、視線をジョシュアへと向けた。
その眼差しは、敵へ向けるものでも、威圧でもない。
まるで同胞に対するもののように、静かで親しげですらあった。
「この度は、我らが無礼を働きました。心よりお詫び申し上げます」
深々と頭を垂れるその姿に、グラヴェルの顔が引きつる。
――謝罪? しかも、敵に?
理解が追いつかず、胸の奥で苛立ちと困惑が渦を巻いた。
「……どういうつもりだ、あんた……!」
食い下がるように問いただすグラヴェルへ、老人はただ静かに告げる。
「知らぬのであれば、伝えておきましょう。――彼こそ、かつて魔導王陛下より『
「――な、に……?」
その一言が、グラヴェルの心臓を殴打した。
耳鳴りが響き、思考が真っ白に飛ぶ。
誉れ高き「英雄狩り」を賜った己よりも上位の功績者、桁違いの格を与えられた存在との落差に、言葉を失った。
知らぬとはいえ、自国の英雄に対して啖呵を切った事が恥ずかしい。
「まぁ……
隣で茫然自失に立ち尽くすグラヴェルをよそに、老人はなおも穏やかにジョシュアに語りかける。
礼節を欠かさぬ姿勢のまま、細い喉の奥で笑いを転がした。
「ふっ……ふふ……。それにしても見事な建造、
袖口から覗く白い指が、軽く宙をなぞる。まるで塔や塀の線を空中に描き直すかのように。
「無鉄砲な後輩が、かつての
目尻に刻まれた皺が深まり、楽しげに目を細める。だが笑みの奥に宿る光は、研ぎ澄まされた刃のように鋭い。
「結界の隙間を探す苦労こそ、技を学ぶ楽しみというもの」
その言葉を区切ると同時に、軍刀の柄へ添えられた手がわずかに動き、きらりと赤銅色の鞘金が陽光を返した。
「……さて。陛下よりお言葉を賜りました。『早々にでもお会いしたい』と」
ふう、とひとつ息を吐き、今度は柔和な笑みでジョシュアに向き直る。
「……後日、お時間を頂けますかな、ジョシュア殿」
紫紺の衣がふわりと舞い、軍刀の鍔が微かに鳴った。
次の瞬間には、老人とグラヴェルの姿は、烈風と共にその場から掻き消えていた。
残された草原には、爆炎の匂いと、無数のクレーター。
そして、静かな余韻だけが残されていた。
「……誰だっけ?」
ジョシュアのぼそりとした一言に、間髪入れず声が跳ね返る。
「えっ、お知り合いじゃないんですか?!」
ミカサのツッコミは、静けさを取り戻した砦の石壁に虚しくこだまして消えた。
「かなり綿密な結界だったんだけどな」
ジョシュアは肩をすくめ、苦笑する。
「こじ開けられた上に、あっさり脱出されてしまった」
血と煙の気配がまだ地面に残っている。だが、空気は次第に澄みわたり、夕暮れの風が頬を撫でた。
「黒衣の集団、魔導国の猟兵グラヴェル……。執着の真相までは聞き出せなかったが」
そう言いながら、ジョシュアの視線はミカサの腰に張り付いた魔導書へと落ちる。
「君の魔導書を見る限り、どうやら彼らとは関わり合いがないようだな」
しかし、魔導書は沈黙を守ったままページを揺らしもしない。
「……まあいい。日も暮れてきた」
西空は茜から群青へと溶け込み、鳥の影が森を横切っていく。
ジョシュアはひとつ息を吐き、言葉を継いだ。
「一度ノアの街に戻ろう。もう一つの執着について、改めて探すことにしようか」
その瞬間、砦を覆っていた結界が淡い光を立ててほどけていく。
ごう、と風が吹き抜けたかと思えば、巨壁も塔も砲台も、幻のように霧散していった。
残されたのは、荒野を望む森林の一角。
遠く岩肌の丘陵が夕日に染まり、空は深い紫に沈みかけていた。
ミカサは夕陽を眺めて、ようやく姿勢を崩し、無言でうなずいた。
……が、何かを思い出したようで、すぐに口元を緩めてジョシュアを横目で見上げる。
「ジョシュアさん、さっきの“英雄とは”って台詞……けっこうカッコつけてませんでした?」
「……おい、そんなところ拾うな」
「だって、決まってましたもん。ほら、夕日もいい感じに後光が差してましたし」
ミカサがからかうように笑い、ジョシュアは苦笑しながら額に手を当てた。
その軽口に、張り詰めていた空気がふっと和らぐ。
二人の影が並んで長く伸び、やがて森の奥、ノアへと続く帰路へと溶け込んでいく。
その背後で――砦が消えた地に、まだ熱の残滓がじんわりと漂っていた。
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