続・残念な一ノ瀬くんは恋を歌う
🐉東雲 晴加🏔️
続・残念な一ノ瀬くんは恋を歌う
1曲目
脳内に鮮明に聴こえる音階を指先に伝え、ピアノに乗せて紡がれる音が、ピッタリと重なった時にはいささか興奮を隠せない。
(ここ、フォルテにして、次の小節は――)
無意識に前のめりになって、ぺろりと唇を舐めた。
「オイ、
「うわぁ!」
突然耳にしていたヘッドフォンを外されて思わず大声を上げる。驚いて振り向いた先には仏頂面の次兄がいて――
「あ、
なに、と尋ねようとして視界に時計の数字が目に入った。壁のデジタル時計は二十三時半を示している。
「うわっ!? もうこんな時間かよ! ごめん、音うるさかった?」
いくら防音が効いていて電子ピアノだと言っても、深夜にピアノを弾いていれば鍵盤を叩く音は結構響くものだ。隣の部屋の二つ上の兄は医大に入学したばかりだから、勉強の邪魔をしないようにとピアノは二十二時までと決めていた。
輝は一番上の兄貴の
けれど輝は苦情を言いに来たのではないようだった。
「いや別に。レポートの資料入れるのにUSBメモリ足りなくてよ。お前、使ってないやつ持ってない?」
苦情でなかったことにホッとしつつ、機嫌を損ねないように慌ててUSBメモリを探す。以前時間を忘れて深夜までピアノを弾いていたら、突然後ろから椅子を蹴られたのだ。
未使用のUSBメモリを探して戻ると、輝は譜面台の楽譜をまじまじと見ていた。
「ちょっ……!」
「これ――」
制作中の曲の中身を兄弟に見られるのは流石に恥ずかしい。しかもあれは綾瀬さんの詩をのせた曲で。
思わず輝の目の前から楽譜をむしり取ろうと思ったが、続いた輝の言葉に固まった。
「なんか、お前っぽくないな」
そりゃそうだ。
同級生の綾瀬さんの書いた詩に曲をつけたのだから。
俺のイメージ、というより、彼女のことをイメージして曲を作った。だから曲調はいつもの俺の曲調とはちょっと違う。――そんな事は言われなくても作った本人が一番わかっている。
――が。
好きな子の詩に合わせて曲を作るとか、我ながらキモすぎる。そしてそれを、実の兄に見透かされている気がして。
「はい! USB! もー! 出てけよ!」
輝の手にUSBメモリを握らせて無理やり部屋から追い出した。部屋から追い出された輝は握らされたUSBメモリの側が、とぼけたアヒルの形をしているデザインだったことに「何じゃぁこりゃ!」と切れ散らかしていたが、知ったことではない。
「集中すると時間経過がわかんなくなるな」
22時半には布団に入ろうと最近決めているのに。
「早く寝よ」
輝に遭遇しないように経過しながらドアを開け、俺は寝る準備をすべく階下に降りた。
𓃠…♫…𓃠…♫…𓃠…♫…𓃠…♫…𓃠
「あ、一ノ瀬くん。おはよー」
「……はよ」
綾瀬さんのネタ帳を見てしまってから、俺達の関係はただのクラスメイトから、ちょっと会話を交わすクラスメイトに変わった。
本を読んでいた綾瀬さんが顔をあげ、肩で切りそろえられた髪がふわっと揺れる。
ちょっと黒目がちの大きなタレ気味の目が、兎を彷彿とさせて可愛い。
俺は背が低い故に、『残念な一ノ瀬くん』だなんて不名誉な名前が付いているけれど、綾瀬さんの身長を俺より低くしてくれたのは、正直神の采配だと思っている。
「一ノ瀬くん、この間図書室にね? 一ノ瀬くんが好きって言ってた歌手の自伝が入ってたよ」
口に手を当てて、綾瀬さんがこそっとまるで秘密の話の様に言う。
(くそ、可愛いな)
俺はあえて「へぇ〜」と淡々と返事をした。顔に力を入れてないと、すぐに口元が緩みそうになって、俺は慌てて頬杖をついて口元を引き結んだ。
「私、図書委員だから、今度取り置きしておこうか?」
ナイショだけどね、と自分に向けられた笑顔は朝から俺の心臓を忙しなくさせる。
「ん。じゃあ、……オネガイシマス」
こんなぶっきらぼうな態度ではいけないと思うのに。それでも彼女は笑顔のままで「わかったよ〜」と返してくれるから。
俺に背を向けて前を向いた彼女の背中からも、目が離せなくて。……ちょっと困る。
昼休み、ご飯を食べ終わった綾瀬さんはお弁当箱を片付けるとくるっと振り返った。
「一ノ瀬くん」
「っ!」
ユルイ猫柄のランチバッグが、可愛いなと眺めていたのがバレたのかと少々焦る。幸いなことに綾瀬さんは気がついていなかったみたいで、ちょっといたずらっぽい笑みを含ませながら声を潜めた。
「私、今から図書委員だから。本、見ておくね」
胸の前で両の手を握りこぶしにして、ムンっと小さくポーズを取る。そう言って席を立った彼女の目線は立ち上がってもやっぱり低くて。図書室に行く予定なんてなかったのに思わず「俺も行く」と席を立つ。
同じ高さで合った目が、驚きと嬉しさで弾けたのが解った。
図書室までの廊下を隣に並びながら歩く。女の子の隣に並んで歩くなんて、周りからはどう思われているのだろう。ちらりと見た廊下の窓に映る自分たちは、まるで中坊みたいだ。
(俺の背が、もっと高かったらな)
そうすれば、彼女の隣に並んでも、もっと格好がつくのに。
変わりたい。その思いが胸をかすめたら、窓に映った自分の顔が、悲しい顔をした気がした。
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