8-1.

わたしたち夫婦は、入口のところでしばらく立ち止まってしまった。

夫の膝は冷えると途端に歩幅が狭くなる癖があって、

わたしは自然と腕を添えながら歩調を合わせていた。


年末の夕方のフードコートは、人の波が思ったより荒い。

季節柄、フライドチキンが食べたいなどと思い買ってはみたが、

開いてる席が見つからない。


幼い子供たちの声だとか、トレイの当たる軽い音だとか、

背中から押してくるせっかちな人達の圧力が入り混じって、

目の前の席の空き具合よりも、夫の足元のほうが気になった。


わたしが「ちょっと、待ってね」と言った時、

そのざわめきを押しのけるみたいな、よく通る声が響いた。


「ご年配の方や小さい子どももいるんで、気をつけてくださーい!」


近くの席に座っていた小さな男の子が立ち上がって声を上げた。

肩掛けの大きな鞄と紙袋、飲みかけのドリンク。

小学生高学年くらいだろうか。

わたしと目が合うと、きちんと頭を下げた。

こんな混雑の中で、あんなふうに注意を促せる子がいるなんて、

思わず胸の奥が温かくなった。


その直後だった。

人の流れがふっと押した拍子に、夫の手から杖が滑り落ちた。

わたしが「あっ」と声を出すより早く、

誰かが素早く屈み込んだ。


「大丈夫ですよ。ゆっくりで」


落ちた杖を拾い上げたのは、

先ほどの男の子の隣の席に座っていた、

高校生くらいの少女だった。

しゃがんだ姿勢のまま夫の様子を気づかってくれて、

声は驚くほど柔らかい。

わたしは何度も頭を下げてしまった。

その子は「いえいえ」と軽く笑い、

椅子に置いていた紙袋を邪魔にならないように後ろへずらした。

その小さな仕草だけで、

他人に合わせることに慣れた子なんだと分かる。


さっきの男の子が、ドリンクを一気に喉へ流し込み、

すぐに「げほっ」と咽せてしまった。

あの張りのある声とは違う無防備さに、

わたしは思わず笑みをこぼした。

「塾、行くんで。席どうぞ」


咳き込みながらそう言って、男の子は足早に去っていった。

そのとき、少年が紙袋を忘れたように見えたけど、

夫の腕を支えていたわたしは、

それを確かめる余裕を持てなかった。

気のせいよねと、すぐに心の中で片づけた。

少年が譲ってくれた席にわたしたちが座ると、

高校生らしい少女も席を立ち、

軽い会釈をして、紙袋を手繰り寄せ去っていった。

チキンとドリンクが乗ったトレイを机の上に置けたとき、

張りつめていた肩の力が、

ようやくゆるんでいった気がした。

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