第5話

 余りの剣幕に驚いていたようだが、事情を把握できたらしい。前にいた隊員は頷き、無線で羽立大学病院に連絡を取り出した。

「さっき名前を聞いた時、珍しい苗字やからもしかしてと思っとったけど、君は北目黒先生の息子さんやったんやな」 

 横で話を聞いてくれていた救急隊員にそう言われ、「はい!」と大きく頷いた。

「君がこんな必死になっとるんやから、こいつ、いや一七草辰馬くんは大事な友達なんやな」

「タッチャンのこと、知っているんですか」

「名前だけは、な。なんせこの辺りで彼は有名人やから」

 隊員はそう言って苦笑いした。その間に前から声がかかり、車が動き出した。

「羽立大学病院は受け入れオッケーや。他にも救急が入っとるさかい渋っとったけど、北目黒先生の名前と事情を説明したら、本人が出たわ。良かったな」

「そうですか! 有難うございます!」

「傷の状況から、これは緊急オペになるやろ。脳外科の先生が当直でおったのは幸いや。しかもこの辺りでは有名な北目黒先生やからな。上手くいけば本当に助かるかもしれん」

 安堵あんどしたのもつかの間、そんなことを言われたので思わず尋ねた。「そ、そんなに危ないんですか? タッチャン、死んじゃうんですか」

 目の前と応急処置している隊員を交互に見たが、二人の顔が同時に曇った。

「まだ何とも言えんが出血は酷いし、場所が悪い。しかも鉄パイプやろ。殴られた後に犯人を殴ったと君は言うたが、普通はあり得ん。これほどの傷ならそのまま前に倒れて即気絶や」

「いや、嘘じゃありません。本当です!」

「ちゃうちゃう。そうやない。それだけこの子の生命力が強いってことや。ただ危険なのは変わらん。でも君が直ぐ救急車を呼んで、病院に脳の専門医がおったのは運がええ」

 確かにそうかもしれない。辰馬が襲われた場面に準がいたのは、ほんの偶然だ。しかしそんな日に父の当直と重なったとなれば、これはある意味運命だったのかもしれない。

 北目黒家は代々医者の家系で、準も来年の大学受験では医学部を受ける予定だ。よって幼い頃から医者になるべく病院がどういうものか、様々なことを聞かされて学んできた。だから病院の当直も当たり外れがあり、こうして夜遅くに救急で運ばれた際、全くの専門外に当たる医師しかいない場合は少なくないと知っている。一分一秒を争う患者の場合、助かる確率は相当低くなるとも耳にしていた。

 しかし今日の夕食時に、母から父は当直でいないと教えられていた。もし在宅していたなら、今日の抗争を見守る為に家を抜け出すことは難しかっただろう。大事な東大受験を控えた体だ。もし寒さで風邪を引きこじらせでもしたら、と絶対に許されなかったと思う。

 父のいない夜、母は朝まで帰らないのをいいことに、必ずと言っていいほど一人でお酒を飲みながら、映画鑑賞をする。そんな時、夜遅くまで勉強をしている準の部屋にはまず顔を出すことはない。夜食も既に台所に用意してあるから勝手に食べて、といつも言うからだ。その為部屋に籠り勉強している振りをし、こっそりと家を出てこられたのである。

 けれど抗争が終わり対決に勝利したまでは良かったものの、帰り道に辰馬と会いこんな事態に陥るとは、想像もしていなかった。

 いま彼に倒れられては困る。しばらくは落ち着いても、彼が高校を卒業し魔N侍から脱退すれば、必ず奪洲斗露異の残党や無法者達が雨後うごたけのこのように現れるはずだ。

 その頃には準自身はこの地を離れているだろう。だがそれで良い訳がなかった。 人の悪意や苛め、みにくい争いなどはこの世から決してなくなりはしない。それは歴史が証明している。準自身も嫌というほど体験してきた。生まれて十八年の間、法律といった規律や大人達の制御など、ほとんど役に立たないと学んだ。

 だからこそ辰馬のようにたぐまれな絶対的力を持ち、かつ弱きを助け強きをくじく、私利私欲のない強力なリーダーの存在が必要なのである。彼こそが唯一無二の、この世における救世主だと準は信じてやまない。それほど大きな存在だった。

 救急車が大学病院に到着し、ストレッチャーが下ろされた。遅れて降りると、救急専用入り口に複数の看護婦さん達が待ち構えていた。そこで驚く。なんと父の姿があったからだ。

 思わず立ち止り固まっている間に、辰馬は中へと運び込まれていく。準を見つめる父は何か言いたげな表情をしていたが、患者の容態の確認と対応が先決と判断したのだろう。そのまま救急隊員達と共に、処置室へと入って行った。

 我に返りその後を追い、部屋の近くまで近づいたところで背後から声をかけられた。振り向くと、そこには制服を着た二人の警察官が立っていた。

「ちょっとええかな。君が通報を依頼したんやね。運びこまれた彼が殴られたところを目撃していたと聞ぃとるけど、名前を教えてくれへんかな」

「あっ、はい。北目黒準です。羽立高校の三年です。犯人を捕まえて下さい!」

 旧採掘場での抗争を見ていたことは隠し、自転車で通りかかったところから事情を説明すると彼らは頷き、一通り聞き終わったところで一人が言った。

「今君が言うた、バイクのナンバーは間違いないんやな」

「はい! しっかり暗記しました! 特攻服の背中に書かれた文字も間違いありません!」

 父親がこの病院の医師で、年明けには東大を受験する事等を伝え、証言に間違いはないと強調した。しかしそれが逆に仇となったのか警察官は首を傾げ、嫌な質問を投げかけて来た。

「ほう。そんな優等生くんがこんな夜遅く、あんなところを自転車で何をしとったんや」

「べ、勉強の合間、頭を冷やそうとして気分転換のつもりで家の近くを自転車に乗ってぶらぶらとしていたら、たまたま出くわしただけです」  

 内心慌てたが、先程住所も正直に伝えていたので疑われないはず、と思いそう口にした。

「今日、山の上の旧採掘場跡地で暴走族同士の抗争があったんやけど、知っとったか」

「そうなんですか。ああ、そういえば、そんな話を聞いた気がします。今日だったんですね」

 準がとぼけると、いぶかしげな表情を浮かべた警官達だったが、「まあええ。後でまた別の人から事情を聞かれるやろから、しばらくここで待って貰えるかな。遅くなるんで、今のうちに家へ連絡しといたほうがええやろ」

と言って二人共が外へと出て行き、その内一人が無線で何やら話していた。

 恐らく準がした状況説明の内容などを伝えているのだろう。逃走したバイクのナンバーや逃げた男の特徴から、犯人が捕まるのは時間の問題だ。後は辰馬の無事を祈るだけである。

 ようやく緊張が解け、処置室の外廊下の長椅子に腰かけた。家には電話しなくてもいいだろう。父がいたから後で母にも知られる。それにもう寝ているだろうし、余計な心配はかけたくない。明日は日曜で学校が休みだから、多少遅くなったっていい、と勝手に判断した。

 処置室への人の出入りはしばらく激しかった。そうしている間に今度はスーツを着た警察の人がやってきて、先程よりずっと細かく事情を聞かれた。

 何度も同じような質問を繰り返し尋ねられうんざりもしたが、これはれっきとした傷害事件であり、下手をすれば殺人未遂または殺人事件になると説明され、改めて事態の深刻さを思い知らされる。

 そこで質問され準も首を捻ったのが、何故辰馬があの場所にいたか、という点だ。抗争後に警察から逃げ、住宅地に入り込んだのだろうと彼らは言った。しかし周辺住民も聞いたという、何をしとんじゃ、という辰馬の怒鳴り声が何だったのかを、彼らは知りたがった。

 どうやら警察は現場周辺で既に聞き込みをし、何やら外で人が騒がしくしていると思っていたら、怒鳴り声が聞こえたとの証言を得ていたようだ。

 しかし準の目撃証言では、辰馬を襲った犯人は背後にいた。それなら誰に対し放たれた言葉なのか、そして倒れた辰馬に準が駆け寄った際に見た、去っていく何者かはどんな感じだったのか、としつこく詰問されたのである。

「そう言われても、チラッと視界をよぎっただけで、はっきりとは」

 距離もあったのでよく見えなかったと答えたところ、先程刑事と名乗った一人が言った。

「それは女性だったか。男性だったか。二人以上いたか。それとも一人だったか」

との質問を受け、首を傾げた。それも分からないと答えた後、こちらから尋ねた。「あんな時間に女性というのは考え難いですけど、どうしてそんなことを聞くんですか」

 すると彼は言った。「女性の悲鳴のような、高い声を聞いたって話があってね。ただ誰も見ていないし、それほど大きくもなかったらしくて、はっきりとしない。男でも高い声は出るし、声変わりしていないような子なら考えられるからね。聞き間違いかも知れないと言う人さえいたし」

 結局その辺りはうやむやになった。辰馬が目を覚ますか、犯人が捕まれば分かるだろうと呟き、もう今日は帰っていいと言い残してやっと彼らは去って行った。

 ようやく長い聴取から解放され、長椅子に腰かけたまま準は項垂れていた。さすがに疲れ、少し眠くなったからだ。

 それでも辰馬の無事を確認するまで、眠るわけにはいかない。

 そうした想いに耽りしばらく時間が経った後、突然頭の上から聞き慣れた声が聞こえた。

「おい、寝ているのか」


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