第2話 「10年ぶりの再会」

通常、新入生は入試の合格発表後に、制服採寸や教科書購入などで何回か保護者同伴で学校に呼び出されることになる。紗季の先輩である女子陸上部部長、3年生の通称ミキちゃん先輩は、春休み中の女子陸上部のい練習で学校に来ていたそのどこかのタイミングで、話題の美少女とすれ違ったらしい。


「ミキちゃん先輩が言うには、あんまりその新1年生が綺麗すぎて、そこだけ『スポットライトが当たってるみたいだった』んだって」

「それは凄いねぇ。本気で、その子、入る学校間違えたんじゃないのかな」


ちなみに、女子陸上部の試合で紗季の応援に行った時、凉音もミキちゃん先輩に挨拶をして二言三言、会話をしたことがある。ちょっと言動は男子っぽいし先輩だったが、あまり嘘や大げさなことを言うような人には見えなかったから、きっと正しい情報なのだろう。紗季は「まったくだよね」と凉音に同意するように肩を竦めながら言った後、凉音がその新入生に関心があるかどうか、上目遣いに探るような視線を向けながら言う。


「……やっぱり、おすずも興味あったりする? そ、その、綺麗すぎるっていう新入生に」


ついさっき、2人にとって懐かしい少女のことを偶然だったにしろ話題にしてまったことで、紗季の中で言いようのない恐れが生まれてしまっていた。紗季にとって凉音は世界で一番大切な少女で、4年前に関係が切れてしまったあの少女にとっても、同じように凉音は大切な少女だったということを、紗季は忘れるわけにはいかない。


凉音の手を握れるのが紗季でないなら、その手を取れるのは、あの少女でないといけないはずだから。


一方、なるべく早くさっきの失言を無かったことにしようと頑張っている凉音は、紗季のそんな態度の変化に気づけずに、のほほんとした表情で答える。


「どうだろ。見てみないとなんとも言えないかな」

「み、見たら、興味が出ちゃったり、好きになっちゃったりするの!?」


ショックを受けたように小声で叫ぶ紗季を不思議そうに見ながら、さすがにそんな美少女が自分の人生に関わってくることなどありえないと判っている凉音は、口元を綻ばせながら淡く苦笑した。


「なんで、紗季ちゃんがそんなに焦ってるのか知らないけど、さすがにどれだけ綺麗な子でも、一目惚れはしないと思うなー」


その時、不意に教室の後ろ側のドアが開いた音が聞こえる。クラスメイトの誰かが登校して来たのだろうとそちらに視線を向けようとした凉音の耳に、なんとも爽やかで可憐な声が飛び込んで来た。


「すずねえ[涼姉]っ!」


ギョッとした涼音と紗季は、教室の後ろ側のドアに向って顔を向ける。


──まるでドラマか映画から抜け出して来たような、あまりも圧倒的な美少女が、右手をドアに添えて、涼音を見つめて淡く微笑んでいた。


「……っ!」


自分でも理由が判らないが、涼音は雷にでも打たれたような衝撃を受けて、思わず立ち上がる。視界の中、その美しい少女の姿だけが、まるで浮き上がっているかのように目に飛び込んできた。目を奪われるというのは、きっとこういうことなんだろう、凉音は生まれて初めて判った気がする。


「お、おすず!?」


座ったままの紗季が、驚いたように涼音の名前を呼んだ。その紗季の呼びかけが、今の涼音には何処か遠い場所の音のように聞こえた。


なんて綺麗な子なんだろう、と思った途端、凉音の呼吸が苦しくなった。制服が真新しくて、まだ体に馴染んでないから、かろうじて新入生だと推測出来るが、少女は制服以外の全てが涼音達より遥かに大人っぽく見える。


まず目を惹くのが、軽く分けられた前髪から覗く切れ長の透き通った瞳だ。決して冷たくはないけれど、迷いのない確かな意志を誇っている瞳だった。そして、すらりと形の良い鼻筋の下には、更に綺麗な唇が可憐な微笑みを浮かべていて、校則で口紅は禁止されているからつけているのはリップクリームくらいだろうに、薄っすらとピンクの唇は、艶々と魅惑的な輝きを見せている。次に視線を奪うのが、ビロードのようにたおやかでさらさらと光る長い黒髪だ。早朝の淡い光の中でも、丁寧に梳かされているのがわかる美しい髪は日差しを受けてキラキラと光っていて、その髪の毛はちょうど胸のあたりまでの長さだから、意識せずともその胸元に目が行ってしまう。見事な大きさの双丘は、ふっくらと柔らかく女性的に盛り上がっていて、視線を下に向ければ、すらりと細い脚が。制服のスカートから伸びている。


流れる水のように曇りなく透明で、それでいて確かな強さを持つクリスタルがあったとしたら。


そんなクリスタルで作られた鈴が人のかたちをとったらこんな美少女になるのではないか。そう思わせる美しさが、少女にはあった。


呼吸さえも忘れてしまったように涼音が美少女を見つめていると、不意にクラスメイトの数人が教室の入口に立つ美少女を指さして叫んだ。


「あ、あの娘! フォーレの読モのルコちゃんじゃん!!」

「ホントだ! なんでルコちゃんがウチの高校に……!?」


凉音はあまり詳しくないが、フォーレとはティーンエイジャー向けの人気ファッション雑誌だ。そして、読モとはそういった雑誌に登場する、読者応募で選ばれたモデルのことで、確かに、これだけ美しくて、これだけスタイルが良ければちょっとしたモデルくらいはお手の物だろう。少女が様々なファッションに身を包んでいる光景を想像するのは容易く、むしろ彼女が来ているというだけで、凉音自身も着ている制服すらオシャレに見えるほどだ。


もっとも、なんでそんな美少女がこんな高校の、しかも涼音の教室の入り口にいるのか判らない。ところが、不意にその美しい読モとやらの顔が、くしゃっと泣き顔っぽく崩れた。涼音が「え?」と目を見開いている間に、美少女は教室の中に駆け込んで来たかと思うと、足早に涼音の目の前まで近づいて来た。手を伸ばせば抱き締められるほどの距離で立ち止まった美少女は、潤んだ瞳で涼音を見つめながら、その美しい唇で詩を奏でるかのように言う。


「すずねえ…… 逢いたかったぁ」


整った顔でせつなそうに微笑む少女が、例えようもなく魅力的で、立ち尽くしたまま涼音は声を失っていた。


「……おすず、知り合い?」


頭のうえに「?」を浮かべた紗季が、涼音の制服の袖をくいくい引っ張る。思わず全然知らない、と答えようとした刹那、涼音の脳裏にある少女の顔が閃光のように浮かんだ。


──えへへ、すずねえ 大好き!


それは、10年以上前にこの街から引っ越していった、幼馴染の少女の顔だった。近所のいじめっ子から囃し立てられるくらい太っていて不格好で、お世辞にも可愛いとは言い難い少女。いつもオドオドと下を向いていて、お遊戯も勉強も何一つ満足に出来ない子で、ちょっと走れば転んで泣くし、誰かから軽くからかわれただけでも泣きじゃくる。そして、どこへ行くにも涼音の後ばかりついて来て、涼音のスカートの裾から手を離さなかった少女。


記憶の中の幼馴染は、心を込めて見つめてくる美少女とは似ても似つかない。それでも、彼女を『すずねえ』と呼ぶ人間は世界中でたったひとり、あの少女しかいないのだ。


「……アンタ、いつ戻って来たのよ? 薫子[かおるこ]」


いつも呑気でゆるゆるな凉音とは全く違う、ちょっと大人っぽいというかぶっきらぼうな口調の涼音に、椅子に座ったままの紗季が驚いた表情になる。普段の凉音なら、逆立ちしたって誰かを『アンタ』などとは呼ばない。だが、対照的に涼音の前に立つ美少女の顔がパッと華やいだと思うと、目の端に涙を浮かべながら、すぐにピンク色にデレた。


「嬉しい!! 一目で気づいてくれるなんて、やっぱり、すずねえだぁ!」


本当は、これっぽっちも一目で気づいてなんていない。少女が『すずねえ』と呼びかけてくれなければ、絶対に正解出来なかったと断言出来る。


それでも、どうやら目の前にいる目が覚めるような美少女は、10年前に引っ越して行った涼音の幼馴染、桜羽薫子[さくらば かおるこ]で間違いないようだった。

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