本物のステラ・ エリザベス ・エヴァンスはどちらなのか?
藍銅紅@『前向き令嬢と二度目の恋』発売中
第1話 七日前、エヴァンス侯爵夫人であるソフィア・ルイーズは
七日前、エヴァンス侯爵夫人であるソフィア・ルイーズは、一人の赤ん坊を産んだ。
嫡男であり、生まれた赤ん坊の兄となったロバート・ヘンリーは、毎日赤ん坊の部屋を訪ね、小さな紅葉のような手にそっと触れた。
「ロバートお兄様だよー」
ジョン・グラハム・エヴァンス侯爵も、ソフィア・ルイーズも、乳母も侍女たちも、幼い兄妹の様子を微笑ましく見ていた。
だが、今。
赤ん坊の部屋に集まったエヴァンス侯爵家の者たちは、ありえない現実に顔を顰めている。
すやすやと眠っているのは二人の赤ん坊。
その髪の色は二人とも、柔らかく、青白く、見る者に幻想的な月の光を思わせるブルームーンストーンの色。
赤ん坊と同じ髪を持つエヴァンス侯爵は怒鳴った。
「何故、二人いる? 生まれた娘は一人のはずだ」
エヴァンス侯爵の問いに答えられる者はいなかった。
侍女も、乳母も、執事も……赤ん坊を産んだ当人であるソフィア・ルイーズでさえも。
ロバートは不思議そうに、二人に増えた妹を見て、首を傾げた。
「昨夜までは一人だったわ! あ、あたくしが産んだのは……」
七日前、ソフィア・ルイーズが産んだ赤ん坊は確かにたった一人。
だが、今、赤ん坊は二人いる。
「片方が我が娘だとしても、もう片方はどこの誰だっ! どうして赤ん坊が二人いるのだ!」
突然赤ん坊が増えるはずはない。
誰かが、どこかから、赤ん坊を連れてきて、赤ん坊のベッドに、別の赤ん坊を寝かしておいたのか……。
エヴァンス侯爵やソフィア・ルイーズは、一瞬だけ、そう考えた。
だが、誰が、どこから、エヴァンス侯爵と同じ髪の色の赤ん坊を連れてこられるというのだろうか。
ここはジャーヴェイス王国の三大侯爵家のひとつ、エヴァンス侯爵家の屋敷の中だ。警備は硬い。簡単に侵入できるような場所ではない。
母親であるソフィア・ルイーズにも、赤ん坊の乳母であるソニアにも、区別はつかないほどに、二人の赤ん坊はよく似ているのだ。
「これは一体どういうことだっ! 誰か答えろっ!」
激昂したエヴァンス侯爵に答える者は……いない、はず、だった。
だが……。
「二人とも、エヴァンス侯爵の子だ」
艶気を含んだ低い声が、部屋に響いた。
「誰だっ!」
いつの間にか、部屋のドアの横に一人の青年が立っていた。
精巧な彫刻のような神秘的で美しい顔。
白銀の長い髪。
右の瞳の色は血のような赤。左の瞳は紫色。左右の色の違いが神秘さを一層引き立てている。
いや、それよりも……、男の背にあるのは大きな羽だ。
右の羽の色は純白で、左の羽は漆黒の色をしている。
「お、お前は……魔物か……⁉」
エヴァンス侯爵は一歩後ずさり、ソフィア・ルイーズは短く叫んだあと、手で口を押さえた。
ロバート・ヘンリーはぽかんとしながらも「天使様……?」と呟いた。
青年は目を細めてニヤリと笑う。
「人間どもはこのオレを『天使』と呼んだり『悪魔』と呼んだりもするが。まあ、今は、オレが誰であるかは問題ではあるまい。何故赤ん坊が二人なのか。気になるだろう?」
青年はコツコツと足音を立てて歩き、赤ん坊が寝かされているベッドに近寄って行った。
「エヴァンス侯爵夫人が産んだのは、もちろん一人。もう一人の赤ん坊はエヴァンス侯爵の愛人の娘だ」
愛人と言われ、エヴァンス侯爵は目を見開いた。
「ま、まさか、アイツがここまでやって来て、産んだ娘を置いて行ったのか?」
愛人が、どうやってこの部屋まで入り込むことができたのかはともかく。
エヴァンス侯爵が父親であれば、赤ん坊の髪の色がブルームーンストーンの色であることは納得はできる。
だが、純白と漆黒の羽を持つ青年は嗤った。
「あはははは! 侯爵の愛人はさっき死んだよ!」
「し、死んだ……だと⁉」
「ああ。一人で赤ん坊を産み、血が止まらず、そのまま……。可哀そうになぁ」
呆然とするエヴァンス侯爵に、男は更に言った。
「侯爵の愛人は死ぬ間際に呪ったのさ。正妻の娘は祝福され、愛人の娘は祝福されないどころかエヴァンス侯爵家の娘として扱われることもない。悔しいとな。まあ、確かに、そうだよなあ。あのままでは赤ん坊は生まれたばかりですぐに死ぬか、それとも孤児院に捨てられるかだっただろう」
「な……っ!」
引き攣った顔のエヴァンス侯爵。
青年はエヴァンス侯爵の傍まで行き、顔をずいっと近づけた。
「十六歳までは娘を育ててやれ。二人とも、大切にな」
「十六歳……?」
「ああ。十六になったら二人のうち一人をこのオレの嫁にする」
「は……?」
青年は、エヴァンス侯爵にはもう興味がなくなったようで、二人の赤ん坊のほうに視線を向けた。
「お前たちには無関係だが、オレには二人の従兄が居て、二人とも最近人間の嫁をもらってな」
「は……?」
「楽しそうに暮らしているから、このオレもそろそろ嫁を貰ってもいいかなというのが理由の一つ。もう一つは暇つぶしだ」
暇つぶし。
青年はニヤリと笑う。
「どちらが本妻の子で、どちらが愛人の子かは教えてやらん!」
羽を広げて、ふわりと、青年は浮いた。
「愛人の娘は、元々は赤茶色の髪だ。オレがわざわざ侯爵と同じ髪の色に変えてやった! 十六歳の誕生日に、侯爵の髪の色から元の赤茶色に戻る。それまでは二人とも青白い髪のまま」
青年は浮いて、壁をすり抜けていく。
「それでは十六年後に会おう。しばしの間、楽しもうじゃないか!」
青年の笑い声が部屋に響く。そして、その声もすぐに小さくなって……青年の姿は消えた。
呆然とするエヴァンス侯爵たちを残したままに。
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