第2話
第六十六管区下水処理場には職員が五人しかいない。ほぼすべての作業が機械化されているため、俺の仕事はエラーが起きていないかデスクトップを凝視することであり、所長の業務はと言うと俺を含めた四人の部下たちがちゃんとデスクトップを凝視しているか凝視することだ。
所長は信じられないくらい口が臭いことを除けば基本的に害のない人間だが(中途半端に権力者を持つ者の中には他人を売ることで保身を得ようとする人間が多くいるのだ)、おそらく信じられないほどサディスティックな一面を持っていた。当該地区の住民たちの大量虐殺を首を長くして待っている様子からもそれが分かった。次のCRI測定日に赤いフリクションの蛍光ペンで丸印を付けていることを俺は知っていた。通常の測定時にはそんなことしない。
「聞いたか?」
背中から所長の声がした。俺は振り返る。ひどく臭いが我慢する。
「何をです?」
「当該地区のやつら、糞を溜めてるらしい」所長の黄色い歯が覗き、俺は嫌悪感を覚える。酒が入った水筒に手が伸び掛けるが我慢する。
「糞を? 溜める?」初めて聞くような言葉だった。
「三週間後の測定日で閾値を超えたら死ぬことが分かってるから、糞を下水に流さないようにして風呂桶に溜めてるんだとよ。下痢止めを飲んで糞を我慢してる奴らもいるらしい。そんなことしても反社会性が高いやつが同じようにしないとCRIはむしろ高くなるだろうし、そもそも今糞を流しても測定当日に影響はほぼない」
「家が臭くて大変でしょうね」
「庭とかグラウンドに撒いてる奴らもいて外も歩けないらしい」
所長が嬉しそうで、俺はなんだかむかっ腹が立ってきた。いつもなら俺も同じようににたにたと笑って同調していいはずだが。
「ちょっと様子でも見てきましょうかね」言った瞬間にしまったと思った。下水処理場の副所長が当該地域の様子を見に行く必要は全くなく、不自然な発言だった。他の三人の従業員も顔を向けずにこちらを気にしているのが分かった。怪しい言動はすぐに中央に報告される。そうして消えていった奴は俺は何人も知っていた。消えた先は思想犯として投獄、拷問、洗脳……詳しく知らないがろくでもない目に遭うことは確かだ。俺は言い訳する。「サンプルが偏ると困るでしょう。必要があれば中央に報告して全部流してもらいますよ」
「……随分仕事熱心だな。行くのは勝手だが、仕事に穴開けるなよ」所長はすっと無表情になって言った。
ディスプレイに視線を戻すと、後ろで所長がなにか電子端末に文字を打ち込んでいるのが分かった。気づけば背中には冷たい汗が浮いていた。なぜあんなことを言ったのか、理由は一つしか考えられなかった。水筒の中身を一気に口に流し込んだ。
俺は動揺している。認めざるを得ない。俺は彼が糞まみれで死ぬべきでない人間であると考えている。糞まみれで死ぬべきというのが存在するのかは知らないけれども。
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