4.リャヴォス戦線

ネザロヴァ家で束の間の休暇を堪能したラミリヴァは所属基地へと戻っていた。

極東軍管区の重要拠点ヴァステナ要塞。

周囲を森と沼に囲まれたその要塞の東には北の沿岸部から南の山脈に至るまでの長い防壁と監視網が築かれている。

それらの向こう側には“魔物”の巣窟たる“大魔帯”の一つ“ビロエ大森林”が存在する。

要塞はその大森林からレージア地方に魔物が雪崩れ込むのを防ぐ為の防衛拠点として数百年前に創られた。

以来、幾度となく魔物と戦い魔害の侵出・拡大を防いできた。


“魔物”とは生物の一種であるが“神”が創造した“人”と“獣”で構成される“動物”とは異なり“巨人”が創造したと言われている。

神と巨人は敵対し、巨人は神に対抗する為に魔物を生み出した。

故に人は魔物と生まれながらに敵対関係にあり絶えず争ってきた・・・と、細部は違えど似た様な話がこの世界では語り継がれている。


そうして人と人とが争うよりも人と魔物が争う頻度の方が圧倒的に多い時代が続いた。

だが一四〇〇年代以降になると突如世界的な魔気濃度の低下が生じて環境や気候の変化が発生。

合わせてラミの様に魔力を行使出来る“魔力使い”の出生率低下など様々な影響が生じた。

その影響は魔物にも及び魔物の棲み処にして魔物発生の根源であるとされる“魔帯”の消滅や縮小も生じて世界中で魔物の脅威が大幅に低下することとなった。


このことは大いに喜ばれたが魔物の脅威が消滅或いは低下した国や地域の多くで騒乱や戦乱が起きた。

魔物対策の必要性が減少、或いは消失したことによる産業構造の変化。

或いは統治者たちの慢心や油断によって生じた怠慢や汚職が原因であった。

脅威の減少が新たな問題の遠因となったのである。

“大内戦”発生前のリヤフ大公国において大貴族たちが権力闘争にのめりこみ、地方貴族たちが汚職に邁進したのもその一つであったと考えられる。

だからと言って貴族たちの振る舞いが容認も許容もされるものではないが。


それでもすべての魔帯が消え去った訳ではなく世界全体で見れば魔物の脅威は減っただけで消えた訳ではなかった。

それ故、ローディアニア建国後に国境地帯と魔帯周辺地域が優先的な復興対象となったのだ。

ここヴァステナ要塞も内戦の影響で弱体していたが復旧することが出来た。

しかし、魔物との交戦頻度が年々低下していると言う理由から徐々にその存在は軽視されて行った。

これは何もヴァステナ要塞に限ったことではなく世界的に魔物に対する理解度の低下もあり対魔物用の拠点などの存在価値が揺らいでいた。

特にこの一〇〇年で技術の進歩により安価で大量生産が容易な機装式銃器の性能が飛躍的に向上。

すると“魔物なんて銃の前では大したことない”と言う誤った認識が世界的に広まっていた。


確かに進歩した銃器の前では容易く倒せるようになった魔物も存在した。

だが魔物によっては硬い外皮と強力な魔力防壁によって銃弾をほぼ無効化することもあり、あまりの素早さから命中させるのが困難な魔物もいた。

だが残念なことに知識不足と誤った認識によってヴァステナ要塞は時と共に設備予算も物資補給も人員補充も、何もかもが少しずつ減らされて行った。

そうしていつしか危険と隣り合わせなのに十分な補給を受けられない劣悪な辺境の忘れられた地となり“左遷区”の代名詞として“ヴァステナ送り”、“極東送り”なんて言葉が生まれた程だ。


そんな徐々に廃れて行ったヴァステナ要塞に転機が訪れた。

北東軍管区から異動して来たラミリヴァ・スピディフス大佐の着任である。



「あの・・・」



休暇中に溜まった書類の処理を終えたラミが現場を視察していると“大尉”の階級章を付けた魔人族の女性士官が恐る恐ると言った様子で問いかけて来た。



「どうしました?」

「大佐がそろそろ異動されるって話、本当なのでしょうか?」



士官がそう言うと二人を中心とした一帯が突然静かになった。

周囲に目を向ければ皆が様子を窺う様にラミを見ていた。


この時、要塞内の将兵たちの間ではラミの異動が近いであろうことが話題となっていた。

そして誰もが真相を知りたいと思いながらも知るのが怖くて声を掛けられずにいたのだ。

魔人族の女性士官は遂にそれを口にしたと言える。


周囲の様子からラミは自分の異動に対する関心度が思いの外に高いことに気づいた。

そしてここで下手に濁すと変な噂が生じかねないと判断した。

返事をする為に魔人族の女性士官に身体を向けると士官は緊張した面持ちで姿勢を正した。

初めて会った時は士官でありながら礼儀を忘れだらりとした姿勢で適当に聞き流す様な謂わば“舐めた”態度だったと言うのに随分と変わったものだ。

そう思いながらラミは“事実である”と伝えた。



「そんな・・・」

「大佐がいなくなったらまた前みたいになるんじゃ・・・」



ラミの返事を聞いて周囲の将兵たちがざわめいた。

盗み聞きしているのがバレバレな反応に“気になっていたなら聞けば良かったのに”とラミは思った。

一方、問いかけて来た魔人族の女性士官は悲しそうな。

それでいて不満気な表情を浮かべたまま黙り込んでしまった。



「・・・大佐の後任、ちゃんと巡回計画策定してくれますかね?」

「それは貴方次第でしょうね」



ようやく魔人族の女性士官が言葉を捻り出すも予想外の言葉が返って来た。



「後任の巡回計画の責任者は貴方です。近々少佐へ昇進の通達と一緒に辞令が届くでしょう」

「・・・・・・へ?わ、私が後任?って言うか少佐!?」



左遷区での昇進は滅多にないのだから彼女が驚くのも無理はない。

そもそも彼女がヴァステナ要塞へ左遷されたのは統制委員の恣意的な人事介入に反発した結果であった。

連中の嫌がらせは根深く執拗で彼女は長らく極東軍管区への転属時に中尉になったきり二〇年以上も昇進がなかった。

故に勤務態度もだらしなくなりやつれていたのだが、ラミが着任すると彼女の下で要塞の巡回計画の見直しに関わりその改善に寄与した。

更にラミの指導を受けて巡回計画の管理・運営を手伝う様になるといつの間にか大尉に昇進していた。

それが今度は少佐になると言う。

まさか“ヴァステナ送り”されたのに佐官になれる日が来るなどと思っていなかった彼女はしばらく呆然と立ち尽くしていた。


数日後、彼女は本当に少佐に昇進し正式にビロエ大森林における巡回計画担当者となってラミから管理運営を引き継がれた。

その後も極東軍管区では将兵の昇進や役職就任が相次いだ。

他にも転属が決まった者たちもいたが転属先は他の左遷区ではなく主要軍管区ばかり。

中には“中央”の人事局や兵站局、或いは教練学校の指導官への転属命令を受けた者までいた。

驚愕し困惑した彼女たちであったがすぐに察した。

すべて“スピディフス大佐によるもの”なのだと。


ラミが幾ら優秀であろうと軍管区司令でも要塞司令でもない一将校に過ぎない彼女が誰かを昇進させたり異動させることは難しい。

そもそも左遷区は統制局や軍上層部の目もあるから尚更だ。

しかし、彼女にはそれが出来るだけの“人脈”があった。


この頃になると“中央”にはラミと繋がりを持つ者たちが着任していた。

ナヴァリエ・アローツィエを始めとした教練学校の同期や南部で知己を得た将校、或いは治安活動で協力した統制委員たちである。

そうした者たちは統制局と軍上層部が結託、癒着して政治を牛耳る“中央”の情勢に苦戦を強いられた。

だがしばらくすると彼女たちに敵対的な上司や同僚の幾人かが汚職容疑で逮捕、粛清されたり失脚。

代わりに左遷区から優秀な部下を得て職場環境を改善しそれなりの立場を築いていた。


左遷区には“中央”の汚職や横暴の事実を知った者たちが多くいる。

職務に励みながらもラミは将兵たちの支持を得ると彼女ら彼らからそうした情報を集めて証拠や手掛かりを得るとナヴァリエや知己のある者たちに報せた。

彼女たちはそれらを利用して邪魔者を排除しそれが粛清や失脚に繋がったのである。

だがそれによって生じた人員の空白をまた敵対的な者に埋められては意味がない。

そこでラミから紹介を受けた地方人材を引き抜いて部下や同僚に迎えることで阻止したのだ。

ラミはそれらの見返りとして人事や補給の融通を引き出し、左遷区の環境改善や優秀な人材の昇進や転属を可能としていたのである。

頻繁に行われると目を付けられる為、出来る限りラミの異動前後に人事を集中させることで“役職者ラミの異動に伴う措置”と見られる様に隠す徹底ぶりであった。


教練学校では決して同期たちと親交を深めることはせず。

南部でもあくまで仕事上の関係であり親しくなった訳ではない。

それでも彼女が過去の繋がりを大事にし上手く利用したのは“父”ルトヴェイの言葉が根底にあった。



「人との繋がりは大切にした方が良い。“仲良しになれ”と言う意味ではないよ。出来るだけ手札は多い方が良いんだ。何かあった時、自分一人ではどうしようもなくとも力の貸し借りが出来る人たちがいれば対処出来るからね」



内戦中、ラミが他隊との交流に消極的どころか否定的な反応を示した時。

ルトヴェイはその様なことを言って諭したことがあった。

当時のラミにはその言葉の意味がよくわからなかったが、今ではその言葉に従ったお陰で力の貸し借りが出来て助かっている。

その事実はラミが抱く“父”への尊敬の念をより強いものにした。


ラミは幼少期にスピディフス隊に保護された為、“両親”やその他の“家族”を参考に自分を形成して行った。

当初それらはあくまで目安でしかなかったが“スピディフスの乱”で“家族”を失ったことで変化した。

ラミリヴァ・スピディフスの口調、態度、思考、判断と言った様々なものが“家族の証”として“遵守”すべきものに変わった。

彼女は“自分らしさ”を求めるのではなく“スピディフスの娘”であることを最も重要視したのである。

それは“こうあるべき”と言う本来抽象的なものでしかなかっただろうが、彼女はそれをより具体化・具現化して自身で体現したと言える。


故に彼女は栄達を求めて活躍した訳でもなければ善意から左遷地の改善に乗り出した訳でもない。

彼女にとってすべては“スピディフスの娘”としてあるべき姿を貫いた結果に過ぎないのだ。

だがそれによって周囲からは私心の無い高潔な存在として受け止められ彼女に好意を抱いたり心服する者は後を絶たなかった。

だからこそ彼女が東部軍管区へ異動となった際には極東軍管区の将兵たちに惜しまれることとなった。

当の本人はまさか惜しまれるとは思わず戸惑い気味であったが。


何にせよラミは三つ目の僻地軍管区である東部軍管区に異動。

合わせて准将に昇進した。

尚、退役済みの者を除いた現役の教練学校二期生で最も遅い将官への昇進であった。


東部軍管区に移ったラミはメリヤの予想通り職務に没頭した。

しかし、細かな部分は違えど二つの軍管区で問題を解決して来た彼女にとってはどれも似た様なもの。

それに過去に在籍した軍管区で一緒に仕事をした上官や同僚、部下もいた。

更に准将への昇進によって彼女自身が有する権限が大きくなっていた為、彼女による東部軍管区の改善と改革はこれまででもっとも早い一〇年程で成し遂げることが出来た。


ようやく落ち着いたラミは久々にネザロヴァ家を訪ねる機会を創ろうと思った。

ありがたいことになかなか返事を出せないのにメリヤは二ヶ月に一度くらいの頻度で手紙を送ってくれた。

それによれば異動とほぼ同時期に三人目の娘が生まれていると言うから会ってみたい。

何と言っても自分の発言が切欠で誕生した子なのだから。

そう思い日取りの確保に向け動き始めた直後のことだった。


一七五五年七月一二日。

大大陸中陽西部地域のグラト連邦がグラト帝国に改称し近隣諸国への侵攻を開始した。

後に言う【大戦争】の始まりである。


突如生じた大規模な戦争であったが同じ大大陸とはいえ西方の話。

あくまで遠い異国の話でしかなかったが複雑な国際情勢と各国の思惑が折り重なって瞬く間に参戦国と戦場が拡大。

ローディアニアは無関係のままであったが隣国が他国と戦争状態に突入したことで警戒態勢が敷かれることとなった。

その影響は何故か国境とは無縁の東部軍管区にも及んだ為、ラミはネザロヴァ家に赴く機会を得られなくなってしまった。



「“同盟”陣営にサウドラ地方のヴィラトサとイスペリア半島のヴァハラも加わったって本当?」

「事実らしいですよ。グラト帝国に占領されたシナルアの亡命政府が逃げ込んだのを切欠にアドレアが“連合”側につきましたから」

「シナルアとアドレアの件は聞いているけど、なんでアドレアが“連合”に加わったのがヴィラトサとヴァハラの“同盟”加入に影響するの?」

「どっちも過去にアドレアに領土を奪われた者同士なのさ。この機に敵対して領土奪還を狙っているんだろうよ」



最初の戦争開始から一年が経った頃。

ラミが食堂で副官と共に食事を摂っていると昨今の世界情勢について東部軍管区の士官たちが情報共有をしていた。


当初は個々の争いに過ぎなかった戦いはこの頃になると各国が二つの陣営に纏まりつつあった。

“同盟”と“連合”で前者は発端となったグラト帝国を始め侵略や領土奪還を狙い攻め込んだ側が主体で後者は防衛側が中心となっていた。

観方を変えれば既存の秩序を破壊しようとする側と秩序を守り抜こうとする側とも言える。

実際にはそう単純な話ではないのだが。


とにかく参戦国が増加して戦争の激しさが増す一方であったが、ローディアニアは相変わらず無関係な状態であった。

その為、将兵たちは傍観者の立場でさながら競技観戦の如く戦争の情勢を眺め好き勝手に意見を交わすことが出来ていた。



「このまま傍観者でいられるでしょうか?」

「・・・どうでしょうね」



食堂から執務室への帰路。

副官が不安気に問い掛けるとラミは言葉を濁した。

その様子に副官は何となく傍観者ではいられなくなるのだと思った。

だからこそ目の前にいる上官はのだと。


副官であるが故に彼女はラミがいざと言う時に備えてかなり具体的な準備を命じていることを把握している。

少し前にはラミの前任地である極東軍管区に対して“非常呼集が生じた際の即応部隊の協同派遣”申し入れの連絡を手伝った。

極東軍管区と東部軍管区が西へ部隊を送るとなれば同じ鉄道を利用することになる。

ならば有事の際には競わずに協同で先遣隊を送るようにすべきと言うのが理由であった。


本当にそれだけが理由であれば互いに示し合わせて大雑把な手順を決めておけば良い筈。

それなのにラミはかなり細かく具体的な計画書を作成していた。

しかも極東軍管区からどの部隊、東部軍管区からどの部隊と明確に記してあったし、即応指揮官として自分も候補に挙げていた。

いざと言う時の“備え”ではなく明確な“用意”をしている様に副官には感じられた。


彼女の直感は正しかった。

ラミはこれまでに築いた人脈から様々な情報を得ており明らかに隣国の動きが不穏であった。

それだけならあとは国境地帯を管轄する主要軍管区の奮闘に期待するだけであったかもしれない。

しかし、ラミが入手した情報通りならばローディアニアは大敗する。

そう予測出来た所で今の彼女に出来ることは大してなかった。

“中央”にいるナヴァリエたちも今の立場では出来ることに限界がある。

そうである以上、もしも“その時”が来るのであればすぐに動けるように備えておくこと以外自分に出来ることはない。

焦りも苛立ちも無くただ淡々とそう現実を受け止めていた。



「・・・平和が一番なのに」



とても小さな、それでいてラミの心からの呟きは誰にも拾われることはなかった。


翌一七五七年の七月七日。

最初の戦争が始まってほぼ二年後のその日。

ローディアニア連邦共和国は南西の隣国であり同盟陣営に属しているデュベラ連邦の侵攻を受ける形で戦争当事国の仲間入りを果たした。

戦史上稀に見る“大敗北”と言う形で。


侵攻軍は幅およそ一〇〇〇kmに及ぶ両国の国境線全域で一斉攻勢を掛けると初日だけで最大一五〇km進出。

ローディアニアの南西軍管区は瞬く間に壊滅状態に陥り一週間後には軍管区とは呼べない有り様になっていた。

開戦一か月後にはあまりに早すぎる進出を理由に侵攻軍が数日間一時停止すると言う奇妙な事態が生じた程であった。

その間に西部軍管区、北部軍管区、中央軍管区と言った他の主要軍管区の部隊が続々と到着するも侵攻軍が前進を再開すると各地で敗退。

改善しない戦況に慌てた政府が軍に早急の対応を命じると軍首脳部はあろうことか別の国境を受け持つと同時に独立勢力に対する治安維持活動に当たっている南部軍管区に援軍派遣を命じた。

“僻地”軍管区の手助けを受けることを避けようとしたのかあくまで“主要”軍管区で対処しようとしたのだ。


これが新たな苦境を招いた。

南部の国境防備が脆弱になると長年の敵対国であるバフィシタン帝国が侵攻を開始。

治安維持活動や国境の小競り合いで経験豊富な南部軍管区の各隊は果敢に抵抗したが、バフィシタン軍侵攻に合わせて南部各地の独立勢力が相次いで蜂起すると兵力不足に陥った。

これにより南部軍管区の留守部隊はバフィシタン軍と独立勢力とに挟まれる形となり戦線が崩壊。

南部もまた大きく押し込まれることとなった。


侵攻してきた二か国の先頭部隊の進軍が止まったのは開戦から三か月後の九月初頭。

ローディアニア軍がまともな抵抗が出来る様になったからではなく例年より一〇日程早い冬の到来が要因であった。

この時点でデュベラ軍は首都マルクロワの南五〇kmにまで迫っていた。

バフィシタン軍も南部クディリタ地方の西半分をほぼ制圧して同地方東部は本国との接続を断たれ孤立状態に陥った。

その東部も独立勢力が勢いを増して残存ローディアニア軍は各地に分断されていると言う有り様だ。


何故これほどの大敗を喫したのか。

それにはラミが事前に察知出来た様に明確な理由があった。


まずこの一〇〇年で統制局と軍首脳部の癒着によって軍総司令部を始め主要軍管区の上級将校たちは恣意的な人事によって選ばれていた。

賄賂や縁故によって実績も実力もなければ責任感もない連中が要職を占めていたのである。

その結果、前線部隊や統制局の外部諜報員らの報告、或いは他国の外交官からの情報提供で侵攻の兆しを把握しながらも無視されてしまった。

いざ戦争が始まると無茶な命令が飛び交うばかりでまともな指示が全く出せない体たらくになることまではラミも予測出来なかったが。


この恣意的な人事は別の問題も招いており、ラミはむしろこちらを重要視した。

それは主要軍管区の実戦部隊を率いる下級将校たちが上官への賄賂や私腹を肥やす為に装備や物資の横領を行っていると言う情報だった。

上が上なら下も真似ようと言うことらしいがこれによって前線部隊は戦えない状態になっていた。

装備がないからまともに抵抗出来ないし、物資がないから耐えることも出来ない。

そもそも装備も物資もないからまともな訓練が出来ておらず主要軍管区の兵士たちは練度も士気も低かった。


つまり指揮官たちが無能であろうがなかろうがそもそも戦える兵士がいないのだから当然負ける。

実際、内戦の際に似た様なことをして敗北した勢力があったことをラミは知っていた。



「閣下。あと三〇分程でレシェバに到着の見込みです」

「わかりました。ありがとう」



副官からの報告にラミは普段と変わらぬ様子で答えた。

開戦から既に七か月が経った一七五八年二月。

まだ雪が残る中、ラミは厚着に襟巻マフラーまでした防寒着姿で西へ向かう列車に乗っていた。


防寒着姿と一言で言っても地球と全く同じと言う訳ではない。

例えば耳を寒さから守る為に耳を覆う様に被せる“耳帽”だ。

軽量且つ音をあまり遮断しないティアーデ特有の素材で織られている。

種族毎の耳の形が違う為、耳帽も種族に合わせたものが用意されラミも細長いその耳に水色の耳帽を被せて寒さから守っていた。

ちなみに意匠デザインの選定は副官が行ったものである。


冬の到来はローディアニア軍にとって戦線を立て直す貴重な期間であった。

だが政府と軍部の首脳たちは首都での抵抗は無駄と判断し首都から二五〇km北のプスコヴァへの避退を考えた。

“前線将兵の士気を下げる”として脱出準備は密かに進められ、更には前線が求めた人員・物資の一部をプスコヴァに送るなど避退後の防御構築の準備まで行われた。

しかし前線将兵と国民を見放すこの決定に反発した将校の一人がアイシアラ正教会に通報。

これを知ったアイシアラ正教会の最高指導者である“氷聖ヒセイ”が激怒した。


開戦以来、正教会はあまりに早すぎるローディアニア軍の敗走の中でも人々の救済活動に励んでいた。

その中で民間人保護の為に侵攻軍との交渉も試みられたが侵攻軍は正教会を“邪教”と断じて拒絶。

それでも“騎士団”を動員して幾つかの地域の民衆の避難を果たすなど軍とは別に独自の作戦や抵抗を行っていた。

そうした中での政軍首脳部の逃亡計画に我慢の限界に達したのである。



「国家国民の長たる者たちが人々を導く事無く責任を放棄し逃げ出そうなどと許せるものではない。もはや現政権に代わり我ら正教会が人々を守るしかなくここに決断するものである」



この氷聖の宣言を受けて正教会が有する三つの騎士団が政軍首脳たちを拘束。

国家の立て直しと国民の救済を氷聖に誓う“三騎士団の氷誓”と呼ばれる事件が発生した。


かつてラミの“家族”が起こした叛乱の鎮圧にも関わった騎士団とはアイシアラ正教会が有する武装組織である。

ローディアニアと言う国家においては準軍事組織の位置づけであるが政府と軍部に指揮権はない。

それどころか正教会内部においても最高組織である“高等評議会”に属さない半ば独立した組織だ。

一応は正教会内の組織や人の影響は受けるのだが明確な指揮権を有するのは最高指導者である氷聖ヒセイのみとなっている。


その氷聖ヒセイは最高指導者として正教会内における超越的な権限を有しているものの基本的には氷魔信仰の儀式などに専念している象徴的存在である。

そんな氷聖ヒセイが激怒して国家運営への介入を宣言したのだから只事ではない。

一部の高等評議会委員が慎重論を唱え反対したがその場で政府や軍部との汚職の証拠を提示され逮捕されると反対論は出なくなった。

氷聖ヒセイ自らがその卓越した氷魔力で処刑した”との噂も出たが、事実は不明である。


ともかくこうして騎士団主導で政府と軍部の刷新が行われ、増長し腐敗の温床と化していた統制局は解体。

新たな政軍首脳部と騎士団は戦局打開に向けて諸々の事情により有能にも関わらず地方に左遷されたり退職に追い込まれた官僚や将校たちを呼び戻す“大召集”を発した。

ラミはこの召集の対象となり“リャヴォス戦線”の戦線指揮官着任と少将への昇進を受けた。

リャヴォス戦線とはその名の通りリャヴォス地方の戦線だ。


リャヴォス地方は北にプレグロシュ山脈の南端、東にウォーザ山脈の西端、西にファズ山脈東端と言う三つの山脈の端に囲まれている地域で名前の由来は“豊かな水”である。

北上すれば広大な寒冷地帯である東部レージア地方。

西に行けば西部ヴァーシェ地方のデュベルカ平野。

東に進めば南部クディリタ地方との接続口があり、南西にはファズ山脈と“海道”とも称されるマクリス海に挟まれた魔帯の一つであるフォーダス地方が存在する。

そして南はマクリス海とガーデリアス海峡を通じて南方に広がる大洋との行き来が出来る内海のスクロス海に面している。

陸路が集中し海路まで有する正に交通の要衝である。


そのリャヴォス地方の状況は非常に拙い事態に陥っていた。

西からデュベラ連邦軍の別動隊、東からはバフィシタン帝国軍の前衛部隊とに東西から挟撃を受けていたのだ。

この地を抑えられるとクディリタ地方との接続が完全に断たれ南部軍管区の救援は絶望的となる。

そして何よりもリャヴォス地方が占領されると次はレージア地方の南部に攻め込まれてしまう。

ローディアニア最大の地域であるレージア地方は寒冷地帯であり鉄道や農業地帯はより暖かな南側に集中している。

ここに攻め込まれると東部軍管区並びに極東軍管区からの援軍が首都方面に辿り着けなくなり、レージア地方からの物資供給も断たれてしまうだろう。


そんな重要な地域でありながら守備に当たったのは西と南の敗残部隊と現地徴用された新編部隊のみ。

加えて冬の到来で戦線を立て直す好機を得たと言うのに軍総司令部は逃げ出す準備で忙しくまともな指示を出さなかった。


まず指揮系統の問題があった。

リャヴォス地方は本来南西軍管区の管轄であるが、その南西軍管区は開戦初頭の一週間で壊滅。

軍管区司令部もデュベラ軍の猛進撃に逃げ遅れて以降のことはわからない。

生き残っている南西軍管区の上級将校たちも多くは押されるがままに首都方面の北へと後退した為、国境から東方向のリャヴォス方面には全くいなかった。

それならば南部軍管区が指揮をと言いたい所だったが南部軍管区司令部はクディリタ地方東部へ退いて抗戦を続けていた。

他の主だった上級将校も各地で包囲された部隊を指揮して抵抗を続けており、リャヴォス地方まで退いた者がいなかった。


そうなると援軍として派遣されここまで逃げ延びた中央、西部、北部と言った軍管区所属部隊の将校たちが指揮を取らざるを得ない。

だがそれら援軍部隊の将校たちは土地勘がなくとても指揮出来る状態ではなかった。

“三騎士団の氷誓”の後に総司令部は現地将校の中から“リャヴォス戦線指揮官”を任命したが全員短期間で終わってしまった。

一人目は戦線の状況を知れば知る程に絶望的になり辞任を表明したが認められず精神的に追い詰められ自殺。

二人目は“無理”と書き置きを残して逃亡。

三人目は就任一週間後に過労で倒れ解任された。


そうして四人目に選ばれたのがラミであった。

当初の予定ではラミは首都方面の救援部隊指揮官となる予定だった様だが急遽の抜擢となったらしい。

それ自体はラミは何も気にしていなかったが彼女は不満を抱いていた。

彼女が不満を抱いたのは首都方面に送るかリャヴォス地方に送るかが決まるまで東部に待機させたことだ。

どちらにせよ西へ行くのだからさっさと列車に乗せ少しでも移動させておくべきだった。


これには緒戦の大敗北を予見していたのが彼女だけではなかったことも理由にあった。

同じ様に南部を除いた主要軍管区の部隊ではまともに戦えず敗北を予見した将校たちがいたことに彼女は気づいていた。

だからこそ国境とは無縁の東部軍管区にも待機が強いられたのだと。

しかし、折角の準備態勢も“三騎士団の氷誓”とその前後の指揮停滞によって無意味なものにされてしまった。



「やっとお呼びが掛かったかと思えば崩壊した戦線に着任しろとか、“中央”の新顔連中とんでもねぇ仕事押し付けやがる」

「どうせ押し付けるならせめてあと一か月は早くして欲しかったよね」



副官が教えてくれたレシェバの街が近づき列車が減速を始める中。

ラミが連れて来た獣人族と白霊族の女性士官二人が溜息交じりにそう言葉を交わした。

二人のやりとりにラミはその通りだと思った。


命令を受け取ったラミは現地の状況を聞くと“時間がない”と判断。

東部と極東両軍管区が用意していた即応部隊合わせて二個戦闘中隊に副官を含む一〇人程の士官のみを連れて列車に乗り込んだ。

この世界の鉄道列車は蒸気機関車ではなく魔石を燃料として駆動する魔動列車だ。

魔動列車には魔石を用いた冷暖房機能が付与されていることが多いのだがそれは客車の話。

彼女たちが乗っているのは空調設備が備わっていない貨車でありそれ故に防寒着を着込んでいた。

雪国育ちで平気だとしても僻地の東部軍管区所属とは言え将官が貨車に乗って移動とは普通ではない。

だがその普通ではないことをしなければならない程に“時間がない”のである。


“三騎士団の氷誓”などと言うがその実態は“政変”である。

権力の掌握と体制の移行には時間を要するが正教会と騎士団はまず戦争対応に注力することで軍事対応の停滞を防いだ。

しかし、ラミからすればそれでも遅かった。

どうも騎士団は指揮官の任命に拘りがある様だが“大召集”などともったいぶらずに僻地の三軍管区からさっさと部隊だけでも移動させるべきだった。

指揮官の任命や移動は後からでも間に合うが部隊の移動はそうも行かない。

どれだけ部隊が移動準備を整え待機していても一度に列車に乗って移動出来る数には限りがあるのだから。

そしてのことを理解していないと言うことは騎士団とその騎士団によって選ばれた新たな軍総司令部は補給を始め後方支援に疎い筈。

ラミはそう感じており正直あまり期待していなかった。

それ故、リャヴォス戦線の立て直しには独力で当たるしかないと捉えており、だからこそ“時間がない”と判断したのだ。


既に年が明けて二月も中頃。

寒冷地であるヴァーシェ・レージア両地方よりも南に位置するリャヴォス地方はもう雪解けが始まっている。

その雪解けを待たずに敵軍は揃って限定攻勢を開始していた。

と言うことは敵軍は今年の早いうちにレージア地方にまで攻め込みたいと考えている筈で冬の内にその為の準備を済ませていると推測出来る。

今から自分たちが行ってももはやデュベラ軍とバフィシタン軍の合流を防ぐことは出来ないだろう。

それでもレージア地方への侵入は防げるかもしれない。

“可能性があるのならやってみるべき”とは今は亡き“家族”の一人、獣人族のテルナがいつしか掛けてくれた言葉だったか。



「こっちは避難民であっちは敗残兵と言った所かな?」

「そうみてぇだが・・・まだリャヴォスの手前だって言うのにどっちも随分と多いな」

「兵士たちですが南西軍管区だけでなく西部や北部、北西軍管区の兵士たちもいるようです」



レシェバの街に辿り着くと早速混乱が見て取れた。

駅の北側は避難民で溢れ、一方の南側は気力の無い兵士たちが幾つかの塊を創って座り込んでいた。

その様子に先ほど列車内で言葉を交わしていた二人の士官が感想を漏らすと副官が指摘した。

本来のリャヴォス地方は南西軍管区の管轄である為、それ以外の軍管区の兵士たちは援軍に送り込まれた部隊の者たちだろう。

だが所属管区関係なく兵士たちは皆ボロボロの姿の者ばかりだった。

十分な冬季装備を持っていないのか身を寄せ合って寒さを凌いでいる者たちも多く見える。



「第一中隊は駅周辺の警備展開。第二中隊は炊き出しの用意を」



ラミがそう指示を出すと二人の士官が敬礼し去っていく。

彼女たち二人はラミが連れて来た二つの中隊の隊長たちであった。

指示が簡潔に済んだのは現地での対応について事前に幾つか案を伝えておいたからである。


ラミ自身は駅の南側、敗残兵たちの方へと進んで行く。

座り込んでいた兵士たちは彼女に気づいても敬礼どころか立ち上がることもせず。

ただ無言で視線を向けるだけだった。



「指揮官は誰です」



足を止めたラミが兵士たちを見渡しながら問いかけたが誰も答えない。



「指揮官は誰かと聞いています」



もう一度問いかけると兵士たちが視線を逸らし始めた。

その様子からラミは察した。

ここにいる兵士たちは恐らく上官に見捨てられ何とかここまで逃げて来たのだろうと。


事実、兵士たちは上官が逃亡しどうしたら良いのかと困り果てた所に敵の攻撃を受けて命からがら逃げて来た者たちだった。

幾つかの塊になっているのは同じ戦場から逃げて来た集団ごとに纏まっていたからである。

そしてラミの問い掛けに反応しないのは上官が先に逃げたとはいえ撤退命令がない状態で持ち場を離れた為、軍規違反に該当するとわかっているからであった。



「全員私の指揮下に入りなさい。食事も衣類も寝床も与えましょう。嫌ならもっと北へ歩いて逃げなさい。国土と国民を守る為に戦っている味方に用があるのであって戦意の無い者に用はありません」



続くラミの言葉に兵士たちは困惑し視線を彷徨わせた。

丁寧な命令口調ではあるが選択肢を与え、しかもどちらを選んでも軍規違反で咎めないと言われたも同然であったからだ。



「もう一度言う必要がありますか?」



その問い掛けに三人の兵士が慌てて立ち上がり姿勢を正すと他の兵士たちも続いた。

最初に立った三人の階級は曹長一人、軍曹二人であった。

どうやら下士官の彼女たちが最高位で士官はいないらしい。

つまり士官級は全員が戦死したか、或いは逃げたかである。



「貴方たち三人、今から准尉です。それぞれ一緒にいる兵士たちを纏めて小隊とします。下士官が足りない様なら理由を添えて推薦するように」



突然の昇進と小隊長就任に三人だけでなく兵士たちが皆驚いている。

その間にもラミは次々と決定、指示を下して行く。

敗残兵たちはそれらを聞き逃さない様にするので精一杯であった。


ラミが三人を選んだのは彼女が問いかけた際、兵士たちの視線があの三人に集中していたからだ。

恐らくは将校に見捨てられた後、それぞれ部下や他隊の兵士を束ねてここまでの敗走を主導したのだろう。

となるとそれなりの能力がある、或いは兵たちから信頼を得ているであろうから一先ず指揮権とその為の階級を与えた。

不適格かもしれないが今すぐ判断することは出来ない。

まずは部隊としての秩序を取り戻させ指揮系統を整えることが最優先だ。


内訳はともかく現地部隊の枠組みを設けた所でラミは“車両へ向かい防寒着を受け取り食事を摂るように”と指示。

後は駅周辺の警備に就いた第一中隊に任せると自身は副官と数人の士官を連れて街の市庁舎へと向かい状況を確認。

軍が支援するので避難所を設置するよう要請し、列車から取り急ぎの支援物資を下ろして提供した。

続いて街の教会へと赴き同様に対応した後、東部から連れて来た将校二名と掌握した現地の三個小隊の内二個小隊を残して次の街へ向かった。


目的地よりもずっと手前の小さな街に貴重な部下と折角掌握した現地部隊の一部を残したのは街の治安維持と避難所の運営支援の他、新たに逃げ込んで来た敗残部隊の収容拠点とする為であった。

“指揮官が前線に集中出来る様に後方を整えることが大事”とはスピディフス隊の“職人”ことバリサおばあちゃんの言葉だったか。

ラミはその言葉に従い自身が前線に集中出来る様に後ろを整えながら移動したと言う訳だ。


更に二つの街に立ち寄ったが前線に近づいた分だけ敗残兵も避難民も増加した。

それでもやることは最初の街と同じであり諸々の手配を済ませるとすぐに移動。

そうして目的の街パスデレプトへと到達したのは日没直前であった。


道中三つの街で指揮下に置いた現地部隊の内、パスデレプトまで連れて来た部隊は一個大隊規模に達していた。

と言ってもあくまで人員規模が大隊程度になっただけに過ぎない。

言われるがままに防寒着に着替え、温かい食事を摂って付き従って来たものの前線が近づくと現地部隊の将兵たちは緊張した面持ちになっていた。

彼女ら敗残兵の多くが上官に見捨てられたり死亡した状況で何とか逃げ延びた者たちだ。

故に“この将校もどうせ見捨てるんじゃないか”、“この将校も偉そうなこと言ってすぐ死んじゃうんじゃないか”と警戒感や不安を抱いたのである。



「なあ・・・あの人、信用出来んのか?」



パスデレプトの駅に着いて降車を始めると不安に駆られた現地部隊の兵士がラミが連れて来た二個中隊の兵士に問いかけた。

彼女が口にした問い掛けは他の現地部隊将兵が抱いていたものであった為、聞こえた声に多くの現地部隊兵士たちが興味深げに視線を向けていた。



「いや、信用はしてねーよ」



その様な状況でラミが連れて来た兵士がそう回答すると現地部隊の兵士たちの表情が一斉に強張った。



「アタシらはあの人を信頼してんだ。あの人以外にゃついて行く気にならないね」

「うんうん。スピディフス准将の命令なら間違いないさ」

「違いない。って、今は少将だぞ」



しかし、そう言って笑う姿を見て表情は驚きへ。

そして困惑へと移ると最後は安堵へと変わった。

二個中隊の兵士たちの様子を見てどうやらとりあえずは安心出来そうだと判断したのである。



(・・・こんな形でまた来ることになるとは思いませんでした)



一方、そんなやりとりが行われているとは知らないラミは連れて来た兵士たちへの指示を終えると駅を出た所で感慨深げに街並みを眺めていた。

パスデレプトはかつて“要塞都市”と呼ばれた古い歴史を持つ地方都市だ。

そして“大内戦”の最中に生じた“パスデレプト騒乱”が繰り広げられた場所であり、ラミが初めて人を撃ち殺した場所でもある。

彼女にとって決して忘れられない記憶が存在する街と言えるだろう。


この街に来るのはあの騒乱以来だから一五〇年近くも前のことになる。

それでも当時の記憶を鮮明に思い出すことが出来るが、それは必然的に当時の“家族”の姿を思い出すことでもあった。



「まさかこれほど早くお越しになるとは・・・」



つい立ち止まっていると頭に包帯を巻いた地人族の女性士官が駆け寄って来た。

補給部隊の少尉だと言う彼女によると本来ラミを出迎えるべきパスデレプトの防御責任者と過労で倒れた前任の戦線指揮官の司令部要員の纏め役を担っていた将校のどちらも不在だと言う。



「どちらも行方不明なんです」



少尉の言葉に副官を始めとしたラミの側近たちは溜息を吐いたり唖然としたまま固まってしまった。

ここパスデレプトはリャヴォス地方とレージア地方の境界に位置している大都市だ。

そんな重要拠点の責任者も戦線司令部要員も行方不明で不在。

砕けた言い方をすれば“逃げた”か“死んだ”と言うことになる。

逃げたのだとしたら前線部隊の指揮官である尉官級だけでなく佐官級まで逃亡していることになる。

死んだのだとしても前線の混乱ぶりと戦況の悪さを物語っている。

どちらであろうとも酷い状況であることには変わらない為、皆の反応も当然と言えるだろう。


だがラミはこれと言った反応を示さなかった。

相変わらずの無表情ではあるのだが彼女は淡々と事実を受け止めていた。

所詮階級も役職も肩書に過ぎずいざとなれば逃げだす人は逃げ出すものだ。

そしてどんな階級だろうが役職であろうが戦況次第で死ぬ時は死ぬものである。

そう彼女は“大内戦”で学んだ。

むしろ引継ぎも無く自分のやり方で戦線の構築が出来るのだから好都合とすら思っていた。



「戦線は崩壊し敗残兵と避難民の収容は増すばかりとなるでしょう。この状況で立て直すのは容易ではありませんが、ここパスデレプトを中心に戦線を再構築します。その為にはここに来れば安心と将兵も市民も思える様にして自然とここに人が集まるようにする必要があります。まずこの大聖堂に戦線司令部を置き、市庁舎には後方支援を担う後方支援指揮所を設置します。それと制空権を失っているでしょうから対空防御網の構築を優先的に実施するように」



状況確認を終えたラミは連れて来た将校たちと現地の将校たちを集めると挨拶もそこそこに指示を出し始めた。

所属問わず将校たちの表情は一様に強張っていた。

連れて来た将校たちはラミの様子に“流石だ”と思いながらも初めての“戦争”に対する実感が沸いてきて緊張していた。

一方の現地将校たちは崩壊しているのに迷いなく次々と指示を出していくラミに圧倒され“何者なんだ”と言う戸惑いを隠して指示を聞き逃さない様にするのに必死だった。



「後方支援指揮所とはどの様なことを・・・?」



そう質問したのは現地将校の一人である小人コビト族の女性士官であった。

小人族は一〇代半ばから身長の伸びが止まり身長一三〇~一四〇cmと小柄な体躯が特徴的な種族だ。

見た目は地人族に近いが地人族よりも遅老長寿である為、一見すると子供と見間違えられることが多い。

もう一つの身体的特徴として緑人族と似た様な丸っこい耳を持っている為、背格好が小さな人を見たらまず耳を見れば小人族か否かがわかるとされている。


その場にいる誰もが彼女の耳を見て小人族であると理解していた。

小人族は小柄な体躯にも関わらず筋肉に優れていることもあり侮れない。

しかし、見た目は小さな女性で不安気な表情をしていることから同じ現地将校たちの不安を無意識に煽ってしまっていた。

更に彼女個人として気弱な性格なのか、それともラミの振る舞いに緊張しているのか。

ラミから視線を受けるとビクリとして背筋を伸ばしたまま固まってしまい周囲の不安を一層高めていた。



「補給線の確保と物資の管理、その為に必要な輸送手段の手配と運営、陣地構築から車両の補修整備、治療所の設置と衛生管理まで・・・今回は避難民の収容と支援もありますが。ローディアニア陸軍基礎教本に記される“後方”とされるすべてを指揮統轄し戦線司令部を支援する部署と受け止めて下さい。現地の事情に詳しい貴方たちの大半はこの後方支援指揮所に加わって貰います」



ラミの回答を得ると現地将校たちがざわめいた。

“大内戦”から一〇〇年以上が経ち、戦争の主役が“魔力使い”から“銃器”へと変わると単なる補給から兵站と言う概念に変化しつつあった。

ローディアニア軍でも“後方支援”の重要性が説かれる様になっていたが“後方支援=補給”と言う認識で広く定着してしまっていた。

補給とはあくまで後方支援或いは兵站の中の一項目又は一分野に過ぎないと教練学校で確かに学ぶのだがそれでも認識の偏りが生じているのだ。


そんな中、新任の戦線指揮官は後方支援を司令部の一部署とするのではなく別部門として設置。

更に補給だけでなくその他の分野も含めた、つまり本当の意味合いでの後方支援を担う様にと明言したのだ。

この様に後方支援を重要視する将校に出会うのは初めてのことである。


ラミが後方支援を重視する将校となったのは“大内戦”における経験であったり教練学校で学んだ後方支援科目に対する興味が持続し軍務のあいまに最新の後方支援に関する本を読み漁っていたことが影響している。

その勉強ぶりは“超大国”の一つフォージア帝国や技術先進国として知られるオストグリア公国と言った大国の退役軍人が出した本をわざわざ取り寄せる程に熱心であった。

そして何より補給の重要性は彼女の“父”も口にしていたことでもある。



「存分に戦う為に必要なのは十分な装備と物資。弾薬や食事に不安を抱えたままでは戦いに集中出来ないからね。あとは少しでも将兵の作戦や戦況に対する不安を取り除けたらもっと良いかな」



“大内戦”中に“父”ルトヴェイが口にした言葉は確かそんな内容だった筈とラミは記憶していた。

一〇〇年以上が経って戦争は銃器を持った兵士の集団と集団がぶつかり合うだけでなく陸にも海にも空にも新たなる兵器が登場している。

それに伴い補給を始めとした後方支援も複雑化したがそれでもやらなければならない。

何故なら兵士たちが“存分に戦う為”に必要なのだから。

弾薬が尽きかけ三日もまともな食事がとれない中で戦った所為で多くの仲間を失ったあの泥臭く血腥い光景をラミは今でも鮮明に思い出せる。

あの時、まともな補給を寄越さずにただ“死守せよ”とだけ命じて来た無能な指揮官と同じことは絶対にしない。


各々担当を命じられ早速大聖堂或いは市庁舎へ向かう中。

将校たちは一つの小さな疑問を抱いた。

普通なら市庁舎に司令部、大聖堂に支援指揮所と言いそうな所、どうして逆なのだろうと。

これは当時の慣例とも言えるもので司令部機能は任地の行政庁舎に置かれるのが一般的だった。

行政庁舎を抑えることで実質的に軍が任地を統制し、現地首長の影響力を抑制して軍事行動をし易くする為でもあった。

他方、教会関連施設に司令部を置くと正教会の関与を受けたり情報が洩れてしまうことを恐れたとも言われる。


ラミの判断はそうした慣例に反していたが、それは効率性を優先したものだった。

あまりに多い避難民への対処には行政の協力が不可欠であり後方支援指揮所と連携し易い方が良い。

そして“三騎士団の氷誓”があった以上、正教会は既に政治と軍事に大きく関わっている。

ならば積極的に連携しその力を上手く利用すべきであり、どうせなら直接場所を借りようと言う訳だ。


それともう一つ。

過去の来訪経験から彼女がパスデレプトの市庁舎と大聖堂の立地や建物の構造をある程度把握していたことも影響した。

例えば大聖堂には広々とした部屋が複数あるので作戦に必要な資料を広げるのに適しており、入口が少ないことで警備がし易い。

そして斜め向かいにパスデレプトを代表する宿があり、ここを司令部要員の休息所とすることで職場との往来を容易化出来る。

一方の市庁舎は鉄道駅が近く街の中心を貫く道路に面しており、更に隣接する大広場と公園が治療所なり物資集積所なり後方支援分野に利用出来る為、後方支援指揮に効率的であった。

まさか一五〇年近く前の記憶が利用出来るとは彼女も思いもしなかったが、使えるものはなんでも使うべきだろう。


彼女はそうして色々と整えると今度は当面の目標を示した。

目標は全部で三つ。

一つは早急な状況把握と敗残兵並びに避難民の収容。

二つ目に現地部隊の再編と時間稼ぎ用の防御線の構築。

三つ目はパスデレプトを中心とした本命の防御線構築である。


現状では混乱と敗走によりローディアニア軍は兵力で劣っているが時間と共にその優劣は逆転するとラミは考えていた。

ローディアニア軍には東部並びに極東軍管区の所属部隊が援軍としてやってくるし敗残兵を上手く収容し再編出来れば兵力は増す。

現地の物資不足を見越して他軍管区からの物資供給計画も練って部下たちに託してきた為、その点の心配もない。

それに対して敵軍は短期間に占領地が広がっている。

急速な占領地の拡大により各地にローディアニア軍の部隊が取り残されているがそのすべての撃滅が完了したわけではないし、占領地の維持にはある程度の戦力を残す必要がある。

或いは魔物の脅威がある地域では対応戦力を配さざるを得ないだろう。

そうして占領地の維持・確保の為にある程度の兵力を割けばその分だけ前線の兵力は低下する。


実際、バフィシタン軍はデュベラ軍との合流を急ぐあまり幾つもの部隊を包囲しながらもそのすべてを撃破、或いは降伏させることが出来ずに戦力が分散していた。

特にローディアニア最大の軍港を有するスクロス海北部の都市レシュキロスクの包囲にかなりの戦力と物資を費やしていた為、リャヴォス地方に展開出来る戦力は僅か一個師団のみ。

それでも進むことが出来ているのは反対側からデュベラ軍が猛烈に攻め込んでローディアニア軍の戦線が崩壊していたからに過ぎない。

そのデュベラ軍は順調かと思いきや意外な理由からラミの想像以上に進軍が遅れていた。

ローディアニア軍を少しでも捕捉殲滅しようと砲撃と飛空攻撃によって鉄道や橋の破壊を積極的に行った結果、後続部隊の前進に大きな遅れが生じていたのだ。


昨年の快進撃を受けてデュベラ軍が部隊の序列編制を変えていたことも影響した。

それまで前衛部隊、後衛部隊と二段構えの戦闘部隊の後ろに補給部隊が付いていたが、年が変わると前衛部隊の後ろに前衛補給部隊、その後ろに後衛部隊と後衛補給部隊と補給部隊を間に挟んだのだ。

これがリャヴォス地方の地形に合わなかった。

デュベラ軍が進撃するリャヴォス地方西部は周囲の山脈から流れる水により河川と沼地が多い環境だった。

その様な環境では街道への依存度が高まるのだが、前衛部隊が鉄道や橋を破壊すると物資を積載した補給部隊は立ち往生してしまった。

そこに後衛部隊が追い付くと渋滞が発生し前衛部隊にとってはいつまで経っても後続部隊が来ない事態に陥った。

それでもデュベラ軍の司令官たちは前進を優先させた為、デュベラ軍の占領地域は拡大したが同時に兵力数は大幅に低下していた。


ラミの知らぬ所で彼女にとって優位な要素が生じていた訳だが、ローディアニア側にまともな防御線が存在していないと言う事実は変わらない。

そして敵が前進を優先している様子からパスデレプト周辺での防御線の構築が間に合わない可能性が高い。

間に合わせるにはどうしても時間稼ぎが必須であった。

その為に目標二つ目として“時間稼ぎ用の防御線の構築”を組み込んだのは彼女が“父”譲りの優れた戦略眼の持ち主である証左と言えた。

もしそのことを指摘出来る者がいたのなら彼女は“そうですか”と答えながらも心から嬉しがったことだろう。


問題は現在の前線の位置が全くわからない為、何処に防御線を構築出来るのかわからないことだった。

下手に構築すれば時間稼ぎ部隊が孤立、最悪は包囲されてしまい戦力の損耗に繋がってしまう。

だが最新の情報かと思ったら数日前の話だったなんて話が溢れている状況であり、前線確認に向かった将校が帰ってこなかったなんて話も多々聞かれた。

この時代は既に通信装置が普及し始めていたがまだ性能が低い。

そもそもあまりの混乱ぶりから戦っている部隊も自分たちが前線で孤立しているのか後方で敵の突破を防いでいるのか把握出来ていない様で通信が繋がった所で把握が出来ない。

ならばどうするのかと言えば自分の目と耳で確かめて行くしかない。

一通りの指示を終えたラミは連れて来た幾人かの将校に正教会と協力し兵士や避難民への聞き取りを命じると副官と一個中隊を引き連れて車両に乗りパスデレプトを出た。

“耳”は部下たちに任せた為、自ら“目”で把握することにしたのである。


何処が前線で敵味方の位置も状況もわからない中での移動。

把握する為とは言えあまりに危険だ。

現地で指揮下に入った将兵たちは唖然としたが彼女が連れて来た部下たちは驚きながらもすんなり指示に従った。

ラミリヴァ・スピディフスと言う上官はそう言う人なのだと東部と極東の軍管区将兵たちは理解していたのだ。


尚、連れて来た二個中隊のどちらがラミと共に行くかについて二つの中隊のちょっとした諍いが生じた。

“自分たちがお供するからお前たちは留守番してろ”と同行を巡って争ったのである。



「・・・私の指示が聞けないのなら結構です。時間が惜しいので私一人で向かいます」



結局ラミのその一言で二人の中隊長が必死に頭を下げて双方の隊員たちも反省を見せた為に事なきを得た。

ラミは彼女にしては珍しく溜息を吐いたが、その姿を見た副官は“無用な面倒を起こさないで欲しい”と両中隊に注意して反省を促した。

あまりの忙しさにラミはすぐに忘れてしまったがこの一件は現地将兵たちの間に瞬く間に広まり、ラミに対する現地将兵たちの姿勢に大きな影響を及ぼすこととなった。


そんなことになるとは微塵も思いもせず。

ラミたちが車を走らせるとすぐに疎らながらも敗残兵や避難民と遭遇。

パスデレプトで受け入れをしていることを伝えると共に聞き取りを進めた一行はダグートと言う街がまだ交戦中と言う情報を得て向かうことにした。



「止まれ!止まるんだ!この先はもう駄目だ!」



そんな彼女たちを白霊族の女性士官が道を塞ぎ両手を挙げて制止した。

その士官の背後には隊列を組んだ兵士たちとその兵士たちに守られる様に纏まって歩く避難民たちがいた。



「ダグートに向かう気なら今朝陥落したよ。アタシらは救援を命じられたんだが間に合わなくて・・・この民間人たちが最後の脱出者らしい」

「そうですか・・・敵の戦力は?」

「ダグートから逃げて来た兵士の話だと一個師団は超えているみたい」



先に降車した副官が近づくと白霊族の女性士官が状況を伝え始めた。

ラミは二人の会話に耳を傾けながら連れて来た兵士たちに降車を命じた。

見た所、白霊族の女性士官たちの部隊は中隊規模の様でこれまでとは違いかなり秩序を保っていた。



「気づいたら大隊本部は行方知れずで隊長もいなくなっちゃったんだけど、民間人を放っておけなくてね。何度か敵の斥候から攻撃を受けたけど残ってくれた連中と何とかここまで逃げて来た所だよ」



そう言って士官は肩を竦めた。

階級は少尉らしい。

ローディアニア陸軍における中隊長の階級は一般的に大尉又は中尉である。

状況からして彼女たちもまた上官を失ったか、或いは見捨てられたらしい。

それでも秩序を保ち民間人を警護して後退してきた事実をラミは高く評価した。



「全員私の指揮下に入りなさい。貴方は中尉に昇進です。元々の兵にダグートの敗残兵を加えた部隊の隊長とします」

「・・・は?え、あ、あの・・・」

「車両に民間人と負傷兵を優先的に乗せてパスデレプトへ送ります。乗れなかった者は私たちと共に歩いて戻りますよ」

「はっ」

「いや、あの・・・」



困惑する白霊族の女性士官であったがラミがスッと視線を向けると緊張から背筋を伸ばした。



「私はラミリヴァ・スピディフス少将です。現在リャヴォス戦線は私の・・・」


「・・・ラミおばさま!?」



ラミが名乗ると中尉に昇進させた女性士官とは別の女性の声が聞こえた。

視線を向けると少尉の階級章を身に着けた緑人族の女性士官が歩み出て来る所だった。

何処か見覚えのある顔立ちであることにラミは微かに目を瞠った。

茶色の髪と赤黄オレンジ色の眼であることに気づくとラミは“まさか”と思いつつ答えに至った。



「・・・メヴィ?」

「はいっ、ウチです!メリヤとロディの娘、メルヴィナです!」



ラミの問い掛けにその女性士官は嬉しそうに答えた。

愛嬌のある笑みを浮かべた緑人族の女性士官の名はメルヴィナ・ネザロヴァ。


ファトネ村に暮らす“姉”と“兄”の娘。

ネザロヴァ家の次女がそこにいた。

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