03.デルボキラの魔女

 部屋の扉を開けると、師匠がいた。ベッドの上で上半身を起こし、本を読んでいる。しかし、その姿は現実離れしていた。

 肩から指先まで、彼の体は余すことなく石に変わっているのだ。毛布に隠れて見えない下半身の大部分もそうなっている。


「……師匠」


 彼の悲壮な有様を見るたびに、いつも胸が締めつけられる。

 だが、意志のこもったような鋭い眼差しは健在だった。


「こっちへ来い」


 本をぱたんと閉じた。厳かな声で師匠は呼びかける。

 言われた通り、ウィリアムはベッドに駆け寄った。床に膝をつき、師匠と目線を合わせた。目尻や額にはしわが刻まれているが、彫りが深く筋肉質な顔立ちだ。


「師匠! オレ、初めて先輩に勝ったんですよ! もう1人前って認めてくれますよね!?」


「認めん。お前にはまだ学ぶべきことがある」


 ウィリアムには、熟練の騎士たちとほとんど互角の実力がある。

 ところが、師匠からの評価は辛辣だった。


「えぇぇ!? これ以上、何を学べっていうんですか?」


「お前の剣は実戦に向いていない。無駄な動きが多く、肩にも力が入りすぎておる。戦場なら、あっという間に敵に背を突き刺されるであろう」


「その時は誰かがオレの背中を守ってくれ……いてっ!」


 師匠に本で頭を叩かれ、ウィリアムは頭を押さえる。


「馬鹿者が! ごほっ! 仲間を信頼するのは結構だが、過信はするな。それでは、戦友の足を引っ張るだけだ」


「自分の身も仲間のみんなも守れますよ! オレ、強いですから!」


「お前は仲間のことも自分のことも過信しすぎなのだ! いつもいつも言っておるだろうが!」


「いてっ、いてっ。ひぃぃ、勘弁してください! 師匠!」


 再び本で殴られる。兜を付けたまま来ればよかったと後悔した。


「はぁ。お前は勝手にひとりで突っ走りそうだ。昔、戦場にそういう騎士が味方にいた。無論、真っ先に死んだぞ? ウィリアムよ、お前にそうなって欲しくはない」


 師匠は優しく、ウィリアムの頭に石になった手を置いた。ざらざらとして硬い手だ。けれども、その手が肌色をしていた頃の温かみは、今でも感じられる。


「……分かりました。今後は謙虚に生きていきます」


「本当か?」


 師匠は真偽を疑うような目で、こちらを見つめる。


「はい。だから、早く一人前って認めてください!」


「全く謙虚ではないな。なぜ、そう急くのだ?」


「だって、約束してくれたじゃないですか! 一人前の騎士になったら、デルボキラに連れて行ってくれるって!」


 デルボキラはウィリアムが生まれた国だ。このソス王国の北東に位置している。


「……そんな昔のことをまだ覚えていたのか。ワシが教えた教訓はすぐ忘れる癖に」


 師匠はウィリアムの頭を軽く小突いた。

 7歳の頃、ウィリアムはとりでを抜け出し、あの国へ行こうとしたことがある。だが、すぐに師匠に見つかり、厳しいお叱りを受けた。それでも、諦めずに頼み続けた末、『一人前の騎士になったら連れて行ってやる』と約束してくれたのだ。


「お願いです! 師匠の教えてくれたこと、絶対に守りますから!」


「ならん。今のお前だけでは危険すぎる」


「決して気は抜きません! お願いです! オレはあの国の女王に会って聞きたいことがあるんだ!」


「それは許さん。魔眼まがんを持つ女王は人間ではない。この世で最も危険な存在だ」


 デルボキラの女王は、見た者を石にする恐ろしい魔眼を持っている。戦争に自ら参戦し、その力を用いて数多のこの国の兵士を虐殺した。そのため、女王は魔女と呼ばれて恐れられている。

 全身が石になった人間は、1年と立たず砂になって溶けてしまうらしい。


「分かってます! それでも……!」


 ウィリアムは歯を噛みしめ、拳を握り締める。

 女王に会いたい理由、それは私怨しえんだった。魔眼によって、ウィリアムの父と母は石に変えられたのだ。当時は赤子であったウィリアムの目の前で。


「オレはもう一度、魔女に会わなくちゃいけない。そうしないと、父さんと母さんが殺された理由も分からないし、復讐も果たせない」


「魔女と会うなど、バカげておる。ワシがお前を魔女の国から救えたのは奇跡に近い。本来なら、あの国とは関わらない方が賢明なのだ」


「でも、忘れられません! 父さんと母さんは、目の前で石にされたのに!」


 当時は1歳にも満たなかったが、今でもふたりが石になっていく瞬間は脳裏に焼きついている。


「ワシの力不足だ。あの時の己がもう少し勇猛であれば……いや、つまらぬ言い訳だな」


 自嘲気味に笑い、彼は首を振った。


「そんなことないです! 師匠はデルボキラに来て、オレを助けてくれたじゃないですか! 魔女に剣を叩きつけて、その怯んだ隙に!」


 ウィリアムは、大げさに剣を振る真似をして見せた。

 当時は赤子だったウィリアムを救い出した後、もうじき20歳になる現在まで育ててくれた。師匠への恩義は一生をかけても返せない。


「あの国には、捕虜にされた戦友を探してひとりで彷徨っておっただけだ。そこで、赤子のお前をたまたま見かけて助けたにすぎん」


「感謝してます。でも、そのせいで師匠は石に……」


 師匠の体の大部分が石化している。おそらく、あの戦いの最中に彼は、魔女に何らかの呪いをかけられたのだ。


「気にするな。戦わねばお前を救えなかった」


「普通の人なら逃げますよ。だから、師匠はオレにとって英雄なんです! 大英雄です!」


 資源を巡って起こったデルボキラとの紛争でも、師匠は多大な戦績を残した。今でも“錆びぬ剣”と呼ばれ、生きる伝説となっている。頬にある傷は、数々の修羅場をくぐり抜けてきた証だ。

 窓からわずかに入りこむ沈みかけた日の光が、師匠の体を儚げに照らしていた。彼の容体は着実に悪化している。治す術はない。


「大袈裟な……今じゃ、あんな愚直なことは出来ん。あの国の地へ踏み入れるのは、崖の下へ身を投じるのと同義だ」


 遠い過去を思い出すように言って、師匠はゆっくりと首を横に振った。

 現在、このソス王国とデルボキラは休戦協定を結んでいる。20年前から争いは起きていない。


「強くなれば、崖の下でも大丈夫です! もっと強くなって、早く魔女の国に行くんだ!」


 そのために、ウィリアムはこれまで剣の腕を磨いてきた。たとえ、危険な所だとしても諦めない。


「聞き分けのない奴め。何にせよ、ワシに一人前として認められることだ。この老眼が黒いうちにな。お前に渡したいものもある」


「渡したいものって? 贈り物でもくれるの?」


「贈り物と呼べるほど良いものではない。ただ、お前が持っておくべき物だ。これ以上は教えぬ。ごほっ! げほっ! ……お前が一人前になるまではな」


 せきこみながらベッドの上に横たわり、師匠はこちらに背を向けた。部屋を見渡すが、古びたテーブルと椅子、本棚しか置かれていない。師匠の言う渡したい物はここにないのかもしれない。

 気になるが、聞いても答えてくれないだろう。


「分かりました! オレ、焦らない騎士になりますから……明日にでもなって見せますから!」


 認められたいのは、師匠を安心させたいからでもあった。彼の命は長くない。それまでに、一人前の騎士になる。そうすれば、これまで受けた数々の恩を少しでも返せる気がするから。


「そう言う時点で、焦っておるではないか」


「あ、そっか。なら、ゆっくりと?」


「ワシはいつまで生きておるか分からんぞ?」


「そ、そんな不謹慎なこと言わないでください! じゃあ、どうすればいいんですか!?」


「心が騒いだら、自分に大丈夫だと何度も言い聞かせるのだ。そうすれば、お前も少しは気を急かずに済むだろう」


「大丈夫……大丈夫。これで騎士になれますか?」


「なれるわけがないだろう、馬鹿者が! ……後は自分で考えるんだな」


 忠告を残し、師匠は横になってしまった。

 釈然としない気持ちでウィリアムはうなずく。師匠に毛布を肩までかけた後、一礼してから部屋を出た。

 彼に育てられた身だ。無意味に命を散らすことは許されない。それでも、やはり師匠のように屈強な騎士となり、デルボキラに行きたい。騎士になろうと志した7歳の頃から、あの国に行くことがウィリアムの1番の望みだった。


(オレは両親のこと、何も知らない。どんな人だったのかも、どうして殺されたのかも……!)


 必ず、デルボキラに行くのだ。それらの答えを見つけるために。

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