中身が元ギャルの貴族令嬢と執事 ~振り回されることが我が悦び~
コシノクビレ
第1話 うちのお嬢様は絶対におかしい
うちのお嬢様は絶対におかしい。
馬車が揺れる度革張りの座席から微かな軋み音がする。
窓の外には夕陽で赤く染まった麦畑が流れ、収穫期を迎えた黄金の穂波が風になびく様はこの季節ならではの絶景だった。
だが、俺の視線は外の景色には向いていない。
目の前に座るお嬢様——レティシア・リオネール嬢をじっと観察していた。
淡い金髪の巻き髪は、いつもなら完璧に整えられているはずだが、今は泥や草の破片が絡まっている。アメジスト色の瞳は相変わらず輝いているが、白いドレスの裾は茶色く染まり袖口には明らかに土の跡がついていた。頬にも薄く泥が付着している。
やっぱりこの人は普通じゃない。
そんな言葉が胸の内で何度も繰り返される。
今日の領地視察でもお嬢様は期待を裏切らなかった。いや、むしろ期待を遥かに上回る行動を見せてくれた。
領主の娘が、老夫婦の畑仕事を手伝う。
それもドレス姿のまま、土にまみれて。
通常、この世界の貴族がそんな真似をすることなどあり得ない。畑仕事は平民がやるもので貴族は領地を管理する立場だ。自らの手を汚すなど、身分を弁えない行為として非難されるのが普通である。
だが、お嬢様は気にしない。
「おじいちゃん、その持ち方だと腰に来ちゃうよー!こうやって膝使ってさー」
しゃがみ込んで、腰の曲がった老人に野菜の収穫方法を教えていた姿が目に焼き付いている。老人は最初こそ驚いていたが、すぐにお嬢様の明るさに引き込まれ、孫に接するような笑顔を見せていた。
「レティシア様ありがとうねぇ。わしらこんな良い領主様ご家族にに恵まれて本当に幸せもんだわぁ」
老婆がそう言って涙ぐんでいたことを鮮明に思い出す。
俺は止めなかった。
いや、”止められなかった”と言った方が正確かもしれない。
お嬢様の口調、価値観や倫理観、行動の全てが——この世界の常識とはかけ離れている。
恐らく、お嬢様は"迷い人"なのだろう。
この世界では、別の世界から迷い込んできた人を”迷い人”という風習がある。俺自身では確かめようがないが、お嬢様の言動を見ているとそれ以外に説明がつかないと思う。
特に、あの口調だ。
公の場では完璧な令嬢言葉を使うお嬢様だが、俺と二人きりになると——
「クラウ、マジでさー」
「やばw 超腹減ったんだけど」
「ウケるww」
こんな調子になる。
初めて聞いた時は耳を疑った。貴族の令嬢が使う言葉ではない。だが、お嬢様はそれを自然に使いこなす。
そして、その言葉の裏にある価値観も、明らかに異質だった。
お嬢様を語る上で、絶対に忘れてはならない思い出はお嬢様が6歳の頃の出来事だろう。
当時、それまでのお嬢様は絵に描いたような貴族の我儘娘で、見た目こそ今と変わらず可愛らしかったが、民を人とも思わず自分の気に入らないことがあればすぐ癇癪を起す問題児で、レオン伯爵やセシリア夫人も頭を抱えていた。
転機となったのはお嬢様が流行り病に罹った時のこと。高熱が一週間以上も続き息も細くなり、いよいよ皆が諦め始めた中、お嬢様は奇跡的な回復を果たした。母の横でその時の様子を見ていた俺は「マジやば...」と自分の手を不思議そうに見つめているお嬢様の様子が今でも目に焼き付いいる。
しかし、奇跡はそれだけでは終わらなかった。それ以降、文字通り人が変わったかのようにお嬢様は民や周囲を慮る貴族令嬢になり、誰しもが”神の思し召し”として、お嬢様の生まれ変わりを神様に感謝した。
それ以降のお嬢様の快進撃は皆の知るところである。
「ねえクラウ、孤児院ってないの?」
お嬢様が8歳になったある日、突然そう尋ねてきた。
「孤児院、でございますか?」
「そう。親がいない子供たちが暮らせる場所」
この世界にも孤児はいる。孤児らは教会に引き取られるか親戚に預けられるか、だがそれは運が良い方だった。ほとんどの場合は路上で生きるしかなかった。孤児院という概念は、少なくともこの国には存在しなかった。
「そのような施設はございません」
「じゃあ作ろう」
あっさりと当たり前のようにお嬢様は言った。
「作る...と仰いますと?」
「だってさ、親がいないってだけで路頭に迷うとかやばくない? 子供は国の宝でしょ? ちゃんと教育受けて、ご飯食べて、安全に暮らせる場所が必要じゃん」
国の宝。その言葉を、貴族の8歳の令嬢が口にするのか。
普通の貴族なら、平民の子供など家畜と同じ扱いだ。領地の生産力を維持するための労働力としてしか見ない。
だが、お嬢様は違った。
「それに、ちゃんと育てれば将来領地のために働いてくれるし、税金も納めてくれるでしょ? 投資として考えても悪くないと思うんだけど」
理想だけではない。現実的な利益も見据えている。その両立が、お嬢様の恐ろしいところだった。
「……検討いたします」
俺はそう答えた。
そして実際に検討し、実行した。
リオネール領初の孤児院は、翌年には完成していた。
―10歳の頃には医療補助制度を提案してきた。
「病気になっても、お金がないから医者に診てもらえないとか、マジでやばたにえん過ぎるっしょ」
やばたにえん——またその謎の言葉だ。
「貧しい方々への医療費補助、ということでしょうか」
「そうそう!全額は無理でも、半分くらい領地が負担してあげればさ、みんな早めに病院行くじゃん。そしたら重症化しないし、結果的に医療費も抑えられるし、労働力も維持できるし、良いことづくめじゃん」
予防医療の概念。この世界で、そんな考え方をした貴族がそれまでいただろうか。
「財源は、どうお考えで?」
「んー、孤児院の子たちが働けるようになって税収増えてるし、そこから回せば? あと、健康な人が増えれば生産性上がるから、長期的には絶対プラスだって」
完璧な理論武装だった。感情論だけではなく数字で語るお嬢様に俺は反論できなかった。
いや、反論する気が起きなかった。
お嬢様の提案は、いつも本質を突いている。表面的には突飛に見えても、中身を精査すれば理に適っている。
結果として、医療補助制度も導入された。
―12歳。
「生活保護、作ろうよ」
「……生活、保護...ですか?」
また聞き慣れない言葉が飛び出した。
「働けない人とか病気で収入がない人とかに、最低限の生活費を支給するの。人間らしく生きる権利って、誰にでもあるじゃん?」
人間らしく生きる権利。
そんな概念、この世界の貴族が考えるはずがない。
「お嬢様、それは……財政を圧迫するのでは」
「大丈夫大丈夫。条件つければいいんだよ。本当に困ってる人だけに支給して、働けるようになったら自立してもらう。それに、セーフティネットがあれば、みんな安心して挑戦できるじゃん。起業とか、新しいこととか」
セーフティネット。起業。
またしても、聞いたことのない言葉だったが、意味は何となく理解できた。
「つまり、失敗を恐れずに挑戦できる環境を作る、と」
「そうそう!クラウ、やっぱ話早いわー。安心してもらえれば領民さんたちも増えるっしょ!」
お嬢様は満面の笑みでそう言った。
その笑顔に、俺は——負けた。
結果として、生活保護制度も導入された。
そして、お嬢様の予言通り——いや、予言というより必然だったのだろう——リオネール領の人口は爆発的に増加した。
孤児院がある。医療補助がある。生活保護がある。
そんな噂を聞きつけた貧民たちが、周辺の領地から流入してきたのだ。
最初は問題視する声もあった。
「お嬢様、流民の受け入れを制限すべきでは」
「なんで?困ってる人が来たなら、助ければいいじゃん。それに人が増えれば労働力も増えるし、税収も増えるでしょ」
「しかし、治安の悪化が——」
「だから、ちゃんと仕事用意して、教育して、コミュニティに溶け込んでもらえばいいんだよ。人間、お腹いっぱいで安心して暮らせれば、そうそう悪いことしないって。...ただし、悪いことした人には今まで以上に反省して貰わないとダメだからね」
性善説、というやつだろうか。だが、お嬢様の言葉には不思議な説得力があった。
そして実際、犯罪率は上がらなかった。
むしろ、領民たちの結束が強まり治安も良くなっていった。
税収は、それから毎年過去最高を更新し続けている。
リオネール領は、今や王国内でも屈指の豊かな領地として知られるようになった。
全て、お嬢様の突飛な発想が実を結んだ結果だ。
―馬車が大きく揺れ、思考が現実に引き戻される。
お嬢様は窓の外を眺めながら何か考え込んでいる様子だった。また何か思いついたのだろうか。
嫌な予感がする。
お嬢様が考え事をしている時は、大抵ろくでもない——いや、ろくでもないというのは語弊がある。
斬新で革新的で実現不可能に思えるアイディアが飛び出す前触れだ。
「……ねえ、クラウ」
ほら来た。俺は内心で身構えた。
「はい、お嬢様」
表面上は穏やかな声で応じる。
「ちょっとさ、この道やばくない?」
「道、でございますか」
お嬢様は窓を指差した。
「そう。ほら、見てよ。デコボコだし、雨降ったらぬかるむし。馬車でもこんなに揺れてきついのに、荷車とかマジきつくない?」
確かに、領内の道は舗装されていない。土を踏み固めただけの簡素な道だ。
この世界では、それが普通である。
王都付近の街道の一部は石畳で整備されているが、地方の領地まで舗装している国など存在しない。
「整備されていない道では、ございますが——」
「おじいちゃんおばあちゃんとか、重い荷物運ぶの大変じゃん。膝とか腰とか痛めちゃうよ。それに、商人も来にくいでしょ、こんな道じゃ」
ああ、また始まった、お嬢様の"問題提起"が。
「確かに、仰る通りではございますが...」
「だからさ、道路整備しよ? ちゃんと平らにして、水はけ良くして、できれば石畳とかで舗装して」
「……それは、かなりの費用と時間がかかるかと」
「道が良くなれば物流が活発化するし、商人も来やすくなるし、長期的には絶対プラスだよ」
お嬢様の言わんとしていることは分かるが今回ばかりは規模が大きすぎる。やるとなれば、リオネール領、もしかしたらルミナス王国全土を巻き込むことになりかねない。むしろそっちの方が可能性が高いかもしれない。
「ちなみに、どこまで整備する予定でしょうか」
「んー、とりあえずルミナス王都までの街道を繋げたいかな。そしたら、王都との交易がスムーズになるじゃん」
やはり国を巻き込むつもりだ。それは——距離にして優に数百キロを余裕で超える。
「お嬢様、それは……」
「あ、でもいきなり全部は無理か。じゃあ、区間分けて少しずつやってけばいいじゃん。年単位とか?」
年単位。
お嬢様は、平然とそう言った。長期的視点。目先の利益ではなく、十年後、二十年後を見据えている。十七歳の少女が、だ。
「財源の試算、土木技術の確認、人員の確保——課題は山積みですが...」
「クラウならできるでしょ」
あっさりと、そう言われた。
全幅の信頼。いや、信頼というより丸投げ、という表現の方が正しいかもしれない。
「お嬢様……」
「だってさ、クラウ超有能じゃん。今まで全部なんとかしてくれたし」
褒められているのか、利用されているのか。
恐らく両方だろう。
「それに」
お嬢様は、こちらを向いた。
アメジスト色の瞳が、真っ直ぐに俺を見つめる。
「道が良くなれば、みんな楽になるでしょ?おじいちゃんおばあちゃんも、商人さんも、旅人も。それって、素敵なことじゃない?」
その表情は、純粋だった。打算も、邪念もない。
ただ、人々の幸せを願っている。それだけだ。
ああ、もう——
「……検討いたします」
「やった!」
お嬢様は、子供のように喜んだ。
「でも、クラウ。『検討します』って言う時、絶対やる気満々だよね」
「……気のせいでしょう」
「嘘ばっか。顔に書いてあるもん」
泥だらけの頬で笑うお嬢様を見て、俺は小さくため息をついた。こんな笑顔で頼まれたら断れるわけがない。
馬車は夕陽の中を進む。
俺の頭の中では、既に街道整備の計画が動き始めていた。
まず、土木技術に詳しい者を集めなければ。領内に元商人の庭師がいたはずだ。彼なら流通の知識もあるだろう。それから、資金計画。税収の何割を充てるか。他の事業への影響は。
人員は——領民から募集するか。雇用創出にもなる。工期は——十年と言わず、八年で完成させたい。
頭の中で、次々と計画が組み上がっていく。
お嬢様は、また窓の外を眺めていた。夕陽に照らされた横顔は、どこか遠くを見ているようだった。
この人は、一体何を見ているのだろうか。
俺たちには見えない別の世界を。そして、その世界をこちらに持ち込もうとしている。
「……お嬢様」
「ん?」
「泥、ついてますよ」
俺はハンカチを取り出し、お嬢様の頬に手を伸ばした。
「あ、マジ?やば」
お嬢様は少し頬を赤らめ、大人しくされるがままになった。泥を拭き取りながら、俺は思う。
うちのお嬢様は、絶対におかしい。
常識外れで、突拍子もなくて、理想主義者で、周りを巻き込んで世界を変えてしまう。
そんな、とんでもない人だ。
「ありがと、クラウ」
「どういたしまして」
俺は静かに答え、ハンカチをしまった。
馬車は、泥だらけの荒れた道を進み続ける。
だが、いずれこの道もお嬢様の思いつきで美しく整備された街道に変わるのだろう。
また忙しくなりそうだ。
だが——それも、悪くない。
夕陽が沈み、馬車は屋敷へと向かう。
明日からもまた、お嬢様の無茶に付き合う毎日が続いていく。俺はお嬢様に気付かれぬよう密かに笑みを浮かべるのだった。
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