第13話
「カフェ・ミュレット」の評判は、口コミだけでゆっくりと、しかし確実に広まっていた。
その日の閉店間際、店内には常連客となったゼノンと、彼の同僚である騎士レオ、マイルズの姿があった。彼らはアミュレットが淹れた深煎りのコーヒーを味わいながら、一日の疲れを癒している。
穏やかで、満ち足りた時間。
その静寂は、店のドアが乱暴に蹴破るように開けられたことで、唐突に終わりを告げた。
「ひっひっひ、ここかぁ? 噂の美人店主がいるっていう店はよぉ!」
安っぽい香水と酒の匂いをまき散らしながら、三人のチンピラ風の男が入ってきた。リーダー格らしき痩せた男、太った男、背の高い男。いずれも下品な笑いを浮かべている。
店内にいた数人の客の顔がこわばった。
レオとマイルズは、即座に腰の剣に手をかけ、立ち上がろうとする。
「待ちたまえ」
それを制したのは、上官であるゼノンの低い声だった。彼はまだ座ったまま、冷静にチンピラたちを見据えている。
「なんだぁ、騎士様方もいらっしゃるじゃねえか。ちょうどいい。俺たちに茶でも奢ってくれよ」
リーダー格の男が、挑発するように言った。
ゼノンが静かに立ち上がろうとした、その時。
「お待ちください」
凛とした声が、場に響いた。声の主は、カウンターの内側に立つアミュレットだった。
「ここはわたくしの店です。お客様に手出しはさせません」
彼女はいつもの無表情で、しかし有無を言わせぬ強い意志を込めて言った。
「店主、危ない。下がっていろ」
ゼノンが案じるが、アミュレットは首を横に振る。
「いいえ。あなた方はお客様ですから、どうぞ座っていてください。これは、わたくしの仕事ですわ」
その言葉に、ゼノンだけでなく、チンピラたちも面食らう。か弱い令嬢が、自分たちに何をできるというのか。
アミュレットは、静かにコンロで温めていた湯の入ったポットを手に取った。
そして、ゆっくりとカウンターから出てくると、チンピラたちの目の前で、わざとらしくポットを傾けた。
チャプン、と音を立てて、熱い湯が男たちの足元の床にこぼれる。
「あら、手が滑ってしまいましたわ」
アミュレットは悪びれもせず、平然と言った。
「次は、あなた方のお顔にかかってしまうかもしれません。このポット、意外と重くて」
その紫の瞳は、一切の感情を映さず、ただ冷ややかに彼らを見つめている。
「て、てめえ……! なめやがって!」
リーダー格の男が逆上し、アミュレットに掴みかかろうと手を伸ばした。
その瞬間、ゼノンの体が動いた。
『ゼノン! そいつの狙いは右だ! だが、右足を引きずっているぞ! 古傷だ!』
脳内で響くアルドゥインの鋭い声。
ゼノンはチンピラが踏み込んできた右足を、鞘に収めたままの剣で的確に払った。
「ぐあっ!?」
弱点を突かれた男は、無様に体勢を崩して床に倒れ込む。
残る二人が驚いて武器を抜こうとするが、それよりも早く、ゼノンは二人の懐に踏み込み、剣の柄で鳩尾を正確に打ち据えていた。
「がはっ……!」
「うぐっ……!」
呻き声と共に崩れ落ちる二人。
ほんの数秒。あっという間の出来事だった。
騒ぎの一部始終を見ていたレオとマイルズは、口をあんぐりと開けて固まっている。
「……終わりましたか」
アミュレットは、まるで何もなかったかのように、倒れたチンピラたちを一瞥した。
ゼノンはアミュレットに向き直る。
「店主、怪我はないか?」
「ええ、ありません。それより、床が濡れてしまいましたわ。掃除をしませんと」
彼女はそう言うと、店の奥から平然と雑巾とバケツを持ってきた。その動じない姿に、店内にいた全員が言葉を失う。
レオが、ようやく我に返って声を上げた。
「す、すげえ……! 副団長もアミュゲット様も、息ぴったりじゃないですか……!」
「本当だ……まるで、手練れの傭兵団みたいだぜ……」
アミュレットは、床を拭きながら涼しい顔で答える。
「当然です。わたくしの城で、わたくしのお客様に無礼な振る舞いは許しません」
その姿は、ただのカフェ店主ではなかった。自分の領地と民を守る孤高の女王そのものだった。
ゼノンは、そんな彼女の横顔からなぜか目が離せなくなっていた。
この小さな事件は、アミュレットとゼノンの間に、ただの店主と客という関係以上の、不思議な信頼の絆が芽生え始めていることを、店にいた者たちに強く印象付けたのだった。
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