第5話
夕方の校庭は、昼間とは別世界みたいだった。
西日がグラウンドを斜めに照らして、砂の上に長い影が伸びている。
部活の声はだいぶ減って、走っているのは陸上部の数人だけ。
校舎の白い壁が薄いオレンジ色に染まっていた。
「……いい時間帯だな」
思わず、独り言が出た。
脚本家目線で言えば、“告白シーン”をやるにはちょうどいい光量だ。
顔はちゃんと見えるけど、夕焼けが少しだけ誤魔化してくれる。
緊張しててもバレにくいし、雰囲気も出る。
「そう、ですね」
隣で雪城が頷く。
ノートとペンを胸に抱えて、少し落ち着かない様子だ。
「まずは……ここですね」
校庭の端。
大きな樹の下まで歩いていく。
桜でも銀杏でもない、よく分からない種類の木だが、木陰は気持ちいい。
校舎側からは死角になっていて、近くにベンチもある。
「場所としては悪くないな」
俺は周囲を見回しながら言う。
「人通りはそんなに多くないし、放課後ならなおさら。
木もあるから、夏でも涼しいし」
「そ、そうですね……」
雪城は、きょろきょろと辺りを見回している。
ただし俺の顔だけは見ない。いつも通りだ。
「じゃ、シミュレーションするか」
「し、シミュレーション……」
「ここに、その好きな相手が来るとするだろ」
俺は、ベンチの前に立ってみせる。
「雪城は、この辺に立ってて……」
「あ、あの、け、結城くん」
「ん?」
「ちょ、ちょっと近いです……」
雪城が、ノートを盾にするみたいに持ち上げた。
「いや、まだ一メートルくらいあるだろ」
「わ、私にとってはゼロメートルです……!」
「物理法則どうなってんだよ」
思わず笑ってしまう。
雪城はむう、と頬を膨らませた。
「ゆっ、結城くんは、もう少しこう……他人との距離について、慎重になった方が……」
「これ以上慎重になったら会話届かない距離になるぞ」
「……それは困ります」
即答だった。
そこだけ素直なんだよな、この委員長。
「で、ここで呼び出して話すとして」
俺は、真面目な口調に戻る。
「ネックは、視線の逃げ場が少ないことだな」
「視線の、逃げ場……?」
「うん。ここ、周りにあるのって、木か空か、相手の顔くらいだろ。
人が通ってたら、その人を見るふりとかできるけど、今みたいに誰もいないと、相手の顔を直視するか、空を仰ぐか、地面を見るかしかない」
「……」
「雪城みたいに目を合わせるの苦手なタイプには、ちょっとハードモードかも」
「そ、そんなにはっきり言わなくても……」
「事実だろ」
むしろ自覚してくれた方が、対策は立てやすい。
「でも、その分、成功すれば印象には残ると思うぞ。
“あの夕方の木の下で告白された”っていうシーンは、たぶん一生覚えてる」
「……っ」
雪城の指先が、ノートの端をぎゅっとつまんだ。
「わ、私も……そう思います」
かすかな声で、そう呟く。
「じゃあ、候補の一つってことで。メモっとけ」
「はい」
雪城は、こくりと頷き、ノートにさらさらと何かを書き込んだ。
『校庭の木の下→ロマンチック度高。雰囲気は良いけど、視線問題あり』
ちらっと見えたメモに、苦笑する。
(ちゃんと分析してんだな……)
これだけ真剣に考えてくれてるなら、俺もちゃんと付き合わないといけない。
「次、図書室の窓際行ってみるか」
「はいっ」
雪城の返事は、さっきより少しだけ弾んでいた。
◆
図書室は、ほとんど人がいなかった。
試験前でもない平日の夕方なんて、そんなものだ。
カウンターの奥で司書の先生が本を整理しているだけで、あとは静かな本と本棚の海。
「ここ、いつも思うけど静かすぎるよな」
「……だから、好きです」
雪城の小さな本音が漏れた。
すぐにハッとして、咳払いでごまかしていたけど。
「図書室の窓際はどうだ?」
俺たちは、よく座る窓際の席に並んで腰を下ろす。
窓の外には校庭と夕焼け。
光が柔らかく入ってきて、机の上だけがぽかっと明るくなっている。
「ここは……」
雪城は、ノートを開いたまま、じっと外を見た。
「放課後、二人で残って、本を読んだり……課題をしたりして……
その帰り際に、ふと……」
「妄想が膨らんでない?」
「ば、ばれてますか」
「分かる。目が完全に“ラブコメ一話終わりのヒロイン”になってる」
「そんな目になってましたか!?」
「なってた」
わたわたする雪城を横目に、俺は窓枠を指さす。
「ここはさ、告白の“前”に話す場所としてはかなり優秀だと思う」
「前?」
「ああ。図書室って、いきなり“好きです!”って雰囲気じゃないだろ。
でも、“最近どう?”とか、“勉強大丈夫か?”とか、いつも通りの会話をして――」
俺は、自分でも驚くくらい自然にセリフが出てくる。
「帰り際に、『今日はありがとう。また一緒に勉強しような』って言って、
その一言がいつもより少しだけ優しかったりして」
「……っ」
隣で、雪城の肩がふるりと震えた。
「そういう“小さな優しさ”の積み重ねの先に、
“告白の本番”があった方が、説得力が出る」
「せ、説得力……」
「いきなり告白文だけ完璧でも、“そういう空気”がなければ成功率は下がる。
だから俺は、前段階から設計する」
「……やっぱり、すごいです」
雪城が、ぽつりと呟いた。
「ゆっ、結城くんは……そうやって、ちゃんと“その人の気持ち”を考えてくれるんですね」
「仕事だからな」
「それだけじゃ、ないと思います」
雪城は、机の上のペンを転がしながら、俺を見た。
「きっと、結城くん自身が……誰かのことを、大事にしたい人なんだと思います」
「……買いかぶりすぎだろ」
「そうでしょうか」
少しだけ、目を細めて笑う。
その笑顔が、夕日でふわっと柔らかく照らされる。
こっちまで照れるから、やめてほしい。
「で、雪城的にはどうなんだ? ここで告白されるのは」
「さ、される前提なんですか……?」
「いや、告白“する”側だったな。悪い」
「……」
雪城は、窓の外をもう一度見てから、小さな声で言った。
「ここで、本を読む時間……好きです。
静かで、落ち着いていて、隣に誰かがいると、その人の気配がよく分かって……」
「うん?」
「……もし、その“誰か”が、好きな人だったら。
きっと、すごく幸せだろうなって、思います」
それは、告白のセリフじゃない。
けれど、たぶんそれに近い“好き”の告白だ。
「……参考にしとく」
それ以上踏み込むと、自分の中の何かが変にざわつきそうで。
俺は、それ以上は茶化さずにメモだけ取った。
(なんか、俺まで“本番の相手”みたいな気分になってくるな……)
いかんいかん。
これはあくまで相談だ。脚本家と依頼人の関係だ。
◆
校舎の裏側に回る。
植え込みとベンチがある小さな中庭。
表側の喧騒が嘘みたいに、静かな空間だった。
「ここ、こんなに静かだったんだな」
「はい。あまり人が通らないので……お気に入りです」
雪城は、ベンチの背もたれをそっと撫でる。
「お昼休み、たまにここでお弁当を食べたりしてます。
誰にも邪魔されなくて……空だけ見ていられるので」
「へえ。贅沢だな」
「今度、結城くんもどうですか?」
「ここで弁当?」
「はい。その……図書室も好きですけど、陽の光の下で食べるのも、悪くないですよ」
「まあ、考えとく」
こういう何気ない誘いが、一番危ない。
気を抜くと、すぐに“日常の一コマ”が恋愛フラグになってしまう。
「ここも候補に入れよう。
人が少ないし、声も響きすぎないし、雰囲気も悪くない」
「でも……」
雪城は、ほんの少しだけ不安そうな顔をした。
「ここで告白して、もし……うまくいかなかったら。
そのあと、この場所に来られなくなりそうで……」
その気持ちは、痛いほど分かる。
俺だって、中学の頃に失敗した“告白の場所”には、今でも妙に近づきたくない。
「そうなったときのためにも、今はまだ候補ってことでいいんじゃないか?
ここだって言い切るのは、もう少し後で決めよう」
「……はい」
雪城の表情が、ほんの少し和らいだ。
中庭を抜けて、さらに奥へ進む。
昇降口へ続く屋根付きの渡り廊下がある。
少し古い木造の屋根と柱。
西日が斜めに差し込んで、床に長い光と影の線を描いていた。
「……ここ、いいな」
思わず声に出た。
人の気配はない。
でも完全な屋内でもなくて、風が通る。
夕日で、雪城の横顔も、俺の影も、長く伸びていた。
「結城くん?」
「いや、ここ、かなり“それっぽくないか”って」
「それっぽい……?」
「ドラマとかでよくあるだろ。
放課後の廊下で、『ちょっといい? 話があるんだ』って呼び止められて――」
俺は、少しだけ前を歩き、振り返る形で立つ。
「……雪城」
「は、はいっ」
名前を呼ばれただけで、この反応だ。
「ここでさ、“少し話があるんだけど”って呼び出して――」
夕日で少し眩しい雪城の顔を見ながら、
頭の中で自然と、台詞が組み上がっていく。
「『いつも委員長でいようとしてるお前を見てきたけど、
本当はもっと、気を抜いていいんだぞ』とかさ」
「……っ」
「『頑張ってるところも、弱いところも、全部含めて……好きだ』とか」
「っっっ」
雪城の顔が、真っ赤どころか真っ白になりかけた。
肩が震えて、目が泳いでいる。
「い、いま……」
「まあ、あくまで例だけどな」
俺は、嘘ではないけど本気でもないふうを装って笑ってみせる。
「雰囲気的には、こういうシーンが似合いそうだって話」
「……」
雪城は、何も言わずに、ぎゅっとノートを抱きしめた。
夕日が、頬の赤さを誤魔化しきれていない。
「どうだ? ここ、自分が“告白する場所”としては」
「――」
しばらく沈黙が続いたあと、かすれた声が返ってきた。
「……私が、じゃなくて」
「ん?」
「い、いえ……」
雪城は慌てて首を振る。
「ここ、とても……素敵だと思います。
呼び出されて、話をされて……最後に、ちゃんと届いたら――」
それから一度、深呼吸。
「きっと、忘れられない場所になります」
その言い方があまりにも“される側”の感想で、思わず苦笑しかけたが――
飲み込んだ。
(……雪城、一回くらい“される側”になってもいいんじゃないか?)
そんなことを思ってしまう自分がいて、慌てて頭を振る。
だめだ。
俺は、シナリオを書く側だ。誰かの恋を支える裏方だ。
欲を出し始めたら、ろくなことにならない。
「じゃあ、ここを第一候補にしとくか」
「……はい」
雪城は、ノートに丁寧な字で書き込んだ。
『渡り廊下→夕方の光が綺麗。人が少なくて話しやすい。ドラマみたいな告白が似合う』
それを見て、なんとなく胸がむず痒くなる。
「そろそろ戻るか。もうすぐ暗くなるし」
「そうですね」
俺たちは渡り廊下を抜け、昇降口の方へ歩き出した。
歩幅が、自然と揃う。
足音が、同じ間隔で鳴る。
「……結城くん」
「ん?」
「ゆっ……結城くんと歩くの……す、すごく歩きやすいです……」
「歩きやすい?」
「はい。歩幅も、速さも……なんだか、ちょうどよくて」
「そりゃ、たまたま身長そんなに変わらないからだろ」
「そ、そういう意味じゃなくて……」
ぶつぶつと小さく文句を言う雪城の声は、どこか嬉しそうだった。
夕焼けの廊下を、二人で並んで歩く。
傍から見たら、完全に帰り道のカップル――
なんてことは、考えないようにする。
◆
昇降口を出て、校舎の脇の道を通る。
校門へ続く裏側の細い通路。
人目はほとんどない。
「今日は、ありがとうございました」
雪城が、少しだけ前を向いたまま言う。
「いえ……その……とても、楽しかったです」
「ロケハンが?」
「はい。ろけはんが」
ちょっと噛んだ。
「その……“告白の舞台”を一緒に考えるって、なんだか、特別なことのような気がして」
「まあ、普通はしないよな」
自分で言って、少しおかしくなる。
「でも、その分、ちゃんとした告白になると思うぞ。
雪城がここまで考えてるってだけで、相手は嬉しいだろうし」
「……そうだと、いいんですけど」
雪城は、ほんの少しだけ足を止めて、夕焼けを見上げた。
「もし、うまくいったら」
「うん」
「今日のことも、全部含めて……
きっと、私の大事な思い出になります」
「……そっか」
胸の奥が、ちくりと痛んだ。
“俺と歩いた今日”も、その思い出の一部になるのだとしたら。
それは、脚本家としては嬉しいことなのかもしれない。
でも同時に、どこか寂しくもあった。
(……ほんと、何やってんだろうな、俺)
自分で自分の足元に、地雷を埋めているような気分だ。
「じゃあ、また明日。続きを考えよう」
「はい。明日も、よろしくお願いします」
雪城が、少しだけ眩しそうに笑った。
その笑顔を、夕日がぐっと強く照らした瞬間。
ふと、視線を感じて振り返る。
校舎の陰。
誰かの影が動いたような気がした。
「……?」
目を凝らすが、もう何もいない。
風が旗を揺らしているだけだ。
「結城くん?」
「ああ、悪い。何でもない」
気のせいだろう、と自分に言い聞かせて、前を向く。
そのとき俺は、知らなかった。
昇降口の柱の陰に、もう一人、俺たちを見ていた人間がいたことを。
「……結城、楽しそうじゃん」
短く結んだ髪を揺らしながら、
幼なじみの三条雫は、小さくそう呟いた。
その表情が、どんな顔をしていたのか――
俺が気づくのは、もう少し先の話だ。
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