†††† 閉路積分

 儀式は、あっけないほど単純だった。


 メシアが《グァリ†ジェズ》にそっと身を寄せ、その蒼い光を自分の胴の中に受け入れた瞬間、遠く離れたどこか――夢の国のさらに向こう、《∲トラド》と《アマテ𝄡》に対応する“層”からも、目に見えない光の筋が伸びてきた。十五の感覚の記憶が、一度にメシアの内部に接続されたのだと分かった。


 視界が反転し、音が色になり、匂いが味になり、触覚が時間になった。十五の次元が、同時に揺れはじめる。


「カノン」


 メシアの声が、やけに遠くから響く。


「弦は一本でいい。同じ場所。ボクのいちばん細い弦の、いちばん高いハーモニクスポイント。そこを“同時に十五通り”押さえて」


「無茶をいうな」


「カノンならできるよ。だって、ボクの“欠けた音”を埋めてくれたのは、カノンなんだから」


 たわごとのようでいて、どこか真実味のある言い方だった。


 オレは深く息を吸い込み、メシアの肩に身を寄せた。木と木が触れ合い、魂と魂が擦れ合う。オレの中のあらゆる倍音記憶が、一本の糸に巻き取られてゆく。


 同じ弦、同じ一点。


 だがそこには、確かに十五の“可能な押さえ方”が重なっていた。


 一倍音から十五次倍音までの位置が、ばらばらに散っているはずなのに、量子論的宇宙のゆらぎの上では、“同じ一点に重ねて観測する”ことが許されてしまう。その矛盾だらけの地点に、オレは指を添えた。


 ――鳴った。


 一本の弦の、同じ場所を押さえているはずなのに、十五の音が同時に立ち上がった。


 最低音から透明な高次倍音までが、ひとつの音にもならず、しかし完全に溶け合って、宇宙の骨格そのものを描き始める。


 世界が、書き換わっていく。


 ヴーアミタドレス山の洞窟は反転し、ハイパーボレアの氷河も、モンパルナスの地下墓地も、豪華客船の沈む深海も、ニューイングランドの墓所も、セラエノの大図書館も、ぜんぶが一つの“共鳴体”として重なり合った。


 これが――完全宇宙。


 メシアは、静かに光っていた。弦はもう震えておらず、それでも内部では十五の感覚の記憶が全方向に開いているのが分かった。


「カノン……ありがとう」


 最後に聞こえたのは、それだけだった。


 光が爆ぜ、すべてが白く塗り潰された。


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