第3話 お隣さん

 青年は二十代前半だろうか、身長は百八十センチをゆうに超えていて、すらりと長い手足がモデルのような存在感を放っている。


 緩くパーマがかった髪は、ミルクと砂糖をたっぷり入れたカフェオレ色で、風が吹くたび、ふわふわと軽やかに舞っている。


 そして、驚くほどに美しい顔。顔のすべてのパーツが、正しい位置に、正しい大きさで配置されていた。

 作り物のように整っていながらも、人間の温度をちゃんと感じるその顔に、思わず見惚れた。


 あまりに凝視していたからか、青年は綾斗にすぐに気づいた。

 そして、わずかに目を見開いた。

 なんだか驚いているように見えるその表情に違和感を覚えたが、こんな段ボールの隙間に人の顔があれば、誰だってびっくりするか、と脳内で青年の表情の意図を汲み取る。


 青年がこちらに向かって歩いた。

 その姿は、やはりモデルのようで、歩くだけでボロアパートの廊下が、パリコレのランウェイに早変わりする。

 青年はダンボール越しに立ち止まると口を開いた。


「隣に越してきた来栖くるすです」

 その低い声に、綾斗は思わず身構えた。


「あ、は…初めまして。隣の橘です……」


 人見知りに加え、彼のあまりの美貌に恐縮し、伸びた焼きそばのようにぼそぼそとした話し方になってしまう。

 だからなのか、青年の眉がわずかに動いた。

 気を悪くさせてしまったかと思ったが、青年の顔はすぐに綻んだ。

 

 形の良い唇が緩み、白い歯がチラリと覗く。

 薄いクラッカーがパリッと割れたような、軽やかな笑顔だった。

 

――なんだろう。この笑顔、懐かしい。


 会ったのは今日が初めてのはずだ。

 それなのに、心は彼を知っているような気がした。


 こんなイケメン、一度見たら忘れるわけがない。

 きっと自分の勘違いだ。


 知り合いの誰かに似てたかな、なんて考えていると、青年が口を開いた。

 

「あ、荷物邪魔でしたよね、すみません。すぐどかします」

 言葉と同時に、大きなダンボールが軽やかに持ち上がり、どんどん部屋の中に運ばれていく。

 青年はすべてのダンボールを運び終えると、胸の前で両の掌同士をはたきながら綾斗に向きあうように立った。


 その長身を見上げて、綾斗は息を止めた。

 近くで見ると、やはりとんでもなく美形なのだ。反射的に目を眇める。


「今からお仕事ですか?」

 長い睫毛が添えられた切れ長の目が、綾斗を捉えてそう訊ねた。

 その瞳に吸い込まれそうになりながら、彼の言葉に、ハッとする。今、自分は遅刻の真っ只中なのだ。


「あ、仕事だ! あの、すみません、急いでいて、ご挨拶はまた今度……」

 慌てて頭を下げて、青年の横を通り、段ボールがなくなって広くなった廊下を走る。


 去っていく背中で会話が聞こえた。

「おいシュンヤ。荷物ここでいいの?」

「ああ」


 来栖シュンヤって言うんだ、とほとんど無意識で後ろを振り返ると、青年はなぜか走る綾斗を見ていた。

 気まずさから咄嗟に目を逸らす。


 何だかまだ背中に視線を感じる。

 けれど、それはきっと自意識過剰なだけだろう。

 そう思った次の瞬間にはもう、ゴキ原に怒られる未来のことで頭はいっぱいだった。

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