第20話「君はなぜ」
らびらびが何を考えて魔法少女をやめろ、なんて言うのかは分からない。
ただ、どんな理由であったとしても、今はそんなことを言っている場合ではないことだけは確かだった。
「何馬鹿な言ってんの、らびらび。レギオンが結界にいる間に倒さないと現実が滅茶苦茶にされちゃうんでしょ?」
「別に放って置いても、どうせ勝手にクリアシャイン達が戦うぴょん。だからあの子達に全部任せて、耕太郎は魔法少女なんてやめてしまえばいいぴょん」
「は? なにそれ本気で言ってる?」
あまりにも無責任な言葉に、一瞬怒りすら忘れた。
どうもらびらびはその反応を読んでいたらしい。俺の問いには一切答えず、あくまでも自分の話を続ける。
「耕太郎は最近、毎日楽しいぴょん?」
「そんなこと話してる場合じゃ」
「いいから、答えて欲しいぴょん」
「……楽しいよ、そりゃ」
極端なことを言えば、毎日生きているだけで楽しい。
呼吸はずっと楽で、身体もいつでも思い通りに動いてくれる。吐かずに毎食美味しいご飯を食べられて、痛みや悪夢に夜起きるなんてこともない。即物的なものだけでもこれだ。
しかも信じられないことに学校まで通えて、授業も受けられて友達が出来て。かつて窓とモニターの向こう側にあった、手が届かなかった世界に俺はいる。
そして何より、毎日を共に過ごしてくれる人達もいて。
一月前の自分に言っても、都合のいい幻覚でも見たのかと鼻で笑われるだけだろう。今の俺はそれだけありえない、想像も出来なかったほど恵まれた日常を享受している。
「ならそれを、日々を目一杯大事にすればいいぴょん。あの子達と違って、君には魔法少女として背負うべき罪なんて存在しないぴょん。耕太郎が戦わなければならない理由は何一つないぴょん」
「なんだよそれ。俺に戦ってくれって最初に言ったのはらびらびだろ?」
「言ったぴょん。だけどそれは、あの病院の時だけぴょん」
「じゃあ、なんで今更!」
「病院で見た時、君の魂は酷く不安定な状態だったぴょん。契約前の君はまだ、悲しいことに死にかけていたぴょん」
内心上がり始めていた怒りのボルテージが、死という言葉で急停止する。
「身体は健康になったのにもかかわらず、君の魂は死に惹かれ続けていたぴょん。きっかけがあればすぐに魂が抜け落ちてしまう、三か月の間ずっとそんな状態だったぴょん」
「魂がって、そんな。目が覚めた時から調子は良かったはずだけど」
「あの日の耕太郎は奇跡的に目覚めたばかりだったし、混乱もしていたから自覚がないのも当然ぴょん。でもあのまま放置すればどうなるか分からなかったぴょん。だから身体と魂の結びつきを強くするため、血盟の刃を使って儀式をしてもらったぴょん」
「あれって、ただの悪趣味じゃなかったの?」
「全て必要があるからやったことぴょん。だが、君が変身した状態で怪我をしてしまったのも、恐らくは魂と肉体を縫い合わせるあの儀式の影響ぴょん。……私の油断が君を傷つけて、本当に申し訳なく思っている」
また語尾を付け忘れて、いや違う、恐らくは誠意を見せるために、らびらびはあえて本当の口調で俺に謝っていた。
「だけど耕太郎、安心して欲しいぴょん。この一月経過を観察して分かったぴょん。君の魂はもう、魔法少女の力を抜きにしても安定している、身体と同じく健康そのものぴょん」
「……つまり?」
「魔法少女の力を手放しても君は健やかに、必ず幸せに生きていけるぴょん」
そして続く言葉には、祈りが込められていた。
「期せずして今の世界は、ある種男の子にとっては理想的なものになったぴょん。ともすれば酷く甘く、堕落しかねない環境だけれど、耕太郎なら大丈夫ぴょん。この世界なら、君は望むままに生きていけるぴょん。勉強でも運動でも、君が今望んでいなくとも、誰かを愛することもきっといつか、絶対に出来ると信じているぴょん」
そこには悪意も敵意もない。ただ俺だけを瞳に映し、らびらびは粛々と語り続ける。
「あの植木鉢も、問題は全て私がなんとかする。だから耕太郎、君の人生にこんな余分は、こんな危険なことは絶対に必要ないぴょん。早く手放して君は自由に、家族と平穏に過ごすべきぴょん。君にはその権利があるぴょん」
そこまで言ってようやく話が終わり、らびらびは俺の答えを待ち始めた。
曖昧で長い話だった。正直全てを理解出来たとは言い切れない。初めて耳にしたことが多くて、その上混乱もしているから聞き逃した部分もあると思う。
それでもただ一つ、らびらびが何よりも俺を心配していることだけは伝わった。
多くの謎が頭を埋める。一番大きいのは、どうしてらびらびは、こんなにも俺のことを。
だがその謎も解こうとする思考も全て、突如鳴り響いた轟音に吹き飛ばされた。
続いて強烈な地響きが一度、ショッピングモールを揺らす。忘れる訳がない。これはあの黒い卵のようなものからレギオンが誕生した音だ。
あれが見た目通り病院のものと同じなら、目覚める条件も恐らく一緒。つまり卵の中で成長し切ったのか、それとも何か魔力を探知したのか。
「──っ」
一階から微かに届く声が教えてくれる。間違いなく後者だ。あの子達が、魔法少女達がレギオンと戦いにやってきた。
消えたはずの傷口に熱を感じた。刺された右肩が痛んだような気がした。濡れてもいないのに、服が張り付いたような錯覚を覚えた。
らびらびの言う通りにすれば、きっとこれとも縁を切れるのだろう。
この先も男というだけで大切にされ、これまでみたいに様々な望みを叶えてもらって、この一月ずっと味わった温かく幸福な日常を生きていけるんだろう、俺は。
一呼吸だけ考える。迷いとも呼べない微かな感情を飲み込む。それで決めた。
らびらびを説得する。でも恐らく、上品な理屈だけを話しても足りない。
だから今は謎も疑問も横に置き、俺も長くて面倒な、脈絡のない話をしよう。
「……時枝家に引っ越した日、家族の記憶がないって言ったじゃん」
「覚えてるぴょん」
「あれさ、実は嘘なんだ。本当は家族、血縁上の親のことは全部覚えてる。もっともこの世界じゃなくて、多分別の世界の話なんだけど」
世界が変わったのか、それとも俺が変わったのか。
どちらが正しいのか未だに確証は持てない。それでも俺にとっては、この記憶こそが変えようのない現実だ。
相当頭のおかしいことを言ったのにもかかわらず、らびらびは微動だにしていなかった。
「驚かないんだ?」
「………………心から、驚いているぴょん。でも耕太郎が真剣に話すことなら、らびらびは異世界でも前世でも信じるぴょん」
「そっか、ありがとう。まあこれはあくまで枕だから、話半分でも大丈夫」
実際、言う必要すらなかっただろう。これは俺の感性の根拠というか、理由の補強というか、精々がその程度の話だ。
それでも言いたくなったのは、もしかすると俺はらびらびに甘えているのかもしれない。
「その俺の記憶だと、俺の血縁上の両親はなんていうか、褒められた人じゃなくてさ」
「どんな人だったぴょん?」
「父親は妊娠させた恋人を捨てて、別の人と結婚したろくでなしのクズ。母親は、そんな恋人に復讐するために、産んだばかりの俺と心中しようとした、哀れで愚かな人」
「……」
「わざわざ裏切った男の家の前で死のうとして、それで失敗して自分だけ死んで、俺にもあの男にも厄介なもの残して、結局周りに迷惑ばっかりかけて。亡くなった人を悪く言うのよくないけどさ、中途半端過ぎて、一周回って笑えるよね」
かつて一度だけ会った本家のお歴々とは違い、らびらびはまったく笑っていなかった。不思議と、何故かそのことに心底ほっとした。
「最初の頃らびらびは家族を大切にしろって言ってくれたけど、でも俺こんなだからさ、そもそも家族って何か分からないんだ」
「……だから、そんな自分はどうなってもいいと思っているのか?」
「飛躍し過ぎ、そうじゃないよ。それでさ、家族なんて分からないけど、分からないなりに色々考えて、ここ一か月で思ったんだ」
一月前までの生活を、神野記念病院での十四年間を思う。
俺は贅沢なことにものごころつく前から自分の部屋を、個室を与えられていた。もちろん病院のだけれども。
だからどれだけ楽しいことがあっても、どれほど苦しいことがあっても、結局一日が終わって帰る場所は、誰もいない小さな白い部屋。
田中の兄ちゃんをはじめとした友達も、優しい病院の先生達もそこにはいない。迎えてくれるのは自動で点灯する明かりだけだった。冷たい静けさだけが常に横たわっていた。
七海ちゃんと同じく、ずっと寂しいとは思っていた。ふとした夜、静寂に耐えきれなくなって暴れたくなる日もあった。
それでも俺はベッドから落ちる程度しか出来なくて、駆けつけてくれた宿直の先生を困らせて、ただ暗い顔をさせるだけだった。
ここ以外に帰る場所はない。母は死に、父には別の家庭がある。俺の居場所はない。
成長する度にそれを思い知って、実感して、病院を出ていくことも無理だといつか理解して。だから最後にはこれも諦めて、それで全部終わったはずだった。
にもかかわらず、この一月で俺は知ってしまった。
「ただいまとおかえりって、なんかいいなって」
あれほどこだわっていた七海ちゃんのことを、俺はもう揶揄えないだろう。
「七海ちゃんってさ、葵さんが帰って来た時凄く嬉しそうにおかえりって言うんだ。いつも穏やかに笑ってくれる、それに揶揄うといい反応する子だけど、そんなの目じゃないくらい、ぱぁって感じのいい顔。小さい子供みたいに無邪気な笑顔してる」
七海ちゃんはずっと、俺にもそうしてくれていた。
家にいる時は玄関まで迎えに来てくれて、逆に俺が迎える時も笑顔を返してくれる。照れくさいけれど、いつもそれだけで心が温かくなった。
おかげであの子が大切にしているなんてことないことは、あの子自身も含め、気づけば俺にとっても大事なものになっていた。
「言われた葵さんもそんな感じ。凄く疲れてそうな時でも、七海ちゃんにおかえりって言われた途端、負けないくらいの笑顔でただいまって返してる。いつだってそれだけで元気になって、嬉しそうにしてる。……言うのも恥ずかしいけど、愛とか幸せとかってああいうことなんだと思う」
そして葵さんもまた、その笑顔を俺にも向けてくれていた。
今こうして思い出したから分かる。葵さんにおかえりと言われた時、抱き締められた時、俺はいつだってとても気まずかった、過去を思い出して気分も悪くなっていた。苛立ちや怒りもあったかもしれない。
だけどその中に、確かに喜びも隠れていた。もう心は誤魔化せない。
「耕太郎は、葵と七海を守りたいから戦うぴょん?」
「そうだね、それもある。だけど俺は欲張りなんだ、それだけじゃ足りない」
振り返って周りを、ショッピングモールを見渡す。
結界によって人が消え、ついさっきまであった賑やかさは嘘のよう。明かりも薄れたせいか、一種廃墟のような趣すら感じる。
それでもこうなる前の光景を、賑やかな空気を鮮明に思い出せる。
「ショッピングモールって凄いよね。参加したことないけど、まるでお祭りみたいだなって思った。こんなにたくさんのお店があって、人がいて、皆幸せそうに歩いている。初めて来て、見て、それだけで俺も楽しくなれた」
変な人に狙われてないかと心配して、俺はここにいる間ずっと聞き耳を立てていた。
予想通りその手の話もあって辟易もした。だけどそれ以上に、俺のことなんて関係ない幸せな会話をしている人達がいた。
お昼は何食べたいとか、何かお土産を買って帰ろうとか、少し早いけどクリスマスプレゼントは何がいいとか、極々普通の会話があちこちで飛び交っていた。
どれも現実にもフィクションにもありふれている、どこにでもあるような話だ。けれども、一山いくらなんて数えることも出来ない、とても大切な話だ。
「それで思ったんだ。きっとこの人達にも帰りを待つ人がいて、この人達が家で帰りを待つ人もいるはず。ここにいる人達は皆誰かの大事な人。誰かにとっての七海ちゃんで、誰かにとっての葵さんなんだよ」
それはここ、ショッピングモールに限った話じゃない。
七海ちゃんの友達の陽香さん、その姉の朝地、同級生の財前や前野さんも一緒だ。大人だって、病院や学校の先生達もそうだろう。
そしてまだ俺が知らない人、この先一生関わらない人達にも同じことが言える。
「俺はこの全部、守らなきゃいけない大切なものだと思う」
「……だとしても、耕太郎が戦う必要はない! 全てあの魔法少女達に任せればいい。君と違い、彼女達にはその責務がある」
「その魔法少女達も、オーシャンとシャインも一緒だよ。あの子達も誰かにとっての七海ちゃんだ。必ずあの子達を大切に想う、帰りを待つ人がいる。それなのに全部押し付けて放り投げるなんて無責任、絶対に嫌だ! 俺は逃げない、逃げたくない」
誰かの帰る場所を、帰りを待つ大事な人を、大切なものを守りたい。
「ここで逃げたら、男が廃る」
俺が戦う理由なんて、それだけでいい。
「……耕太郎は、大馬鹿者ぴょん」
「知ってる」
「馬鹿だから、このまま変身出来なくても手伝いに行きそうぴょん」
「逆に迷惑だろうし、多分そこまではしないけど」
「あの子達がピンチになったら、絶対に迷いなく行くぴょん」
それはしそうだった。魔法のおかげで囮くらいにはなれそうだし。
察したらびらびが一呼吸だけ呆れた視線を向けたものの、すぐにそれはしまい込んだ。
そのままぷかぷかと近づいて来て、そういえばずっと握り締めていた懐中時計に手を乗せる。一瞬、時計全体が淡く光り輝いた。
「らびらびのロックは外しておいたぴょん」
「ありがとう。じゃあもう」
「耕太郎、君は今も血盟の儀の影響下にあるぴょん。らびらびのセーフティで絶対に死なせるつもりはないけれど、それでも怪我をする可能性は残っているぴょん。くれぐれも気をつけるぴょん」
「分かった」
「それから」
まだ何かあるの早くしてよ、なんて文句は口に出せなかった。らびらびの様子が今まで一番真剣、そしてそれ以上の葛藤に満ちていたからだ。
「……私に言う資格はない。それでも、これだけは言わせてもらう」
目の前まで浮き上がり、らびらびは俺の瞳の奥底へ刻むように告げる。
「君もその誰かということを、絶対に忘れてはいけない」
「……うん、努力はしてみる。泣いて怒りそうな子、一人知ってるから」
「今はそれで十分ぴょん」
触れたか触れてないか、判別出来ないほどささやかな手つきで、らびらびが俺の頭を撫でたような気がした。
何故か胸に走る感傷を、今は心の奥底に押し込めておく。まだ浸る時間じゃないと、結界内に響き渡る轟音が教えてくれていた。
とっくに戦いは始まっている。これ以上遅れる訳にはいかない。
「さて、いい加減行かなきゃ。らびらびはどうする?」
「行っても足手まといになるだけだから、結界内に巻き込まれている人がいないか捜索してくるぴょん。それよりエレベーターは使えないから、階段は向こうに」
「もうかなり遅刻してるんだ。そんなまどろっこしい道は使えないよ」
俺の視線の先、一階まで続く吹き抜けを見てらびらびも察したらしい。大きく肩を竦めた。消極的賛成ってところだろうか。
その視線を背に受けて俺は駆け出す。勢いのまま踏み込んで跳躍、手すりに一度着地してからもう一度跳び上がる。
向かうのは吹き抜けの先、レギオンのいる一階の広場。敵の待つ戦場へ、母の形見と同じ時計を携え降りて行く。
「──幻葬ッ!」
幻想を葬り、日常を守り抜くために。
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