第6話~情報屋

 札幌から戻った翌朝、二人は事務所の窓を開け放ち、冷えた空気と街のざわめきを胸の奥まで吸い込んでいた。

 湯気の消えかけたコーヒーを、黙って啜る。


 泡はデスクに座ると、ぶらぶら揺れる両足とは不釣り合いな静けさで言った。


「……あのお父さん、かわいそうだったね」


 声そのものは優しい。

 けれどその奥で、どこか温度が揺れていた。


 一文は書類を閉じ、横目で泡を見た。


「娘が救われたと思った矢先に、あんな形で失うんだからな。……まだ現実を受け止めきれていない。言葉の端々に“もし”が残っていた」


 泡は爪の先で机を軽く叩く。コツ、コツ、と。

 その小さな音に、棘の影がひそんでいた。


「“もう一度死なされた”みたいだった」


 殺された、ではなく──“死なされた”。

 その語感が一文の思考を撫で、核心にふれている感覚をこびりつける。


「近々、人に会う。お前もついてこい」


「うん。ビタくんがそう言うなら」


 返事は素直だ。

 なのに表情は、どこを向いているのかよく分からない。



 一文は、ため息をひとつ落とし、電話をかけて短く話をまとめた。


 ――1週間後。


 駅近くの喫茶店。午前十時。

 ガラスの向こうの光は白く、クラシックが水滴のように静かに落ちていた。


「ここ、落ち着くねー!穴場だね!穴場!……とりあえずコーヒー頼んでいーい?」


「好きにしろ」


 泡はメニューをのぞきこみながら、ふと一文を見上げる。


「ねえ、今日の人って、どんな人?」


「……古くからの縁だ」


「じゃあ、ビタくんは信頼してるんだ?」


「……情報は確かだ」


 泡はくすりと笑い。

 コーヒーを2つ、オーダーする。


 そのとき、扉のベルが鳴った。


「来たな」


 入ってきたのは、襟を立てたトレンチコートの中年──。

 無精髭と対照的に、目だけが刃物みたいに鋭い。


「久しぶりだな、報告屋」


「こちらこそ、氷室さん」


 情報屋の氷室は席につき、泡を見て眉を寄せた。


「……そっちは?」


「助手だ」


「アブクでーす。よろしくね、氷室さん」


 泡が明るく手を振ると、氷室はその笑顔を値踏みするように細めた。

 少しだけ寒気を感じ、気付かれぬように身震いする。


「……まあいい。例の件、調べてきた。たぶんホームランだ」


 氷室は封筒を差し出す。

 一文が開くと、コピーと手書きのメモが数枚挟まれていた。


「被害者の医療記録だ。正規ルートじゃないから、あくまで参考程度だ」


「助かる」


「見れば分かるが──今回の被害者は三年前に大手術を受けている。交通事故で心停止四分。蘇生は“奇跡扱い”だな」



 泡の表情が止まった。

 なにかを探すように落とした目線は美しいのにどこか禍々しい。


「……やっぱり。他の人たちも?」


「全員とは言わねぇが、七人中五人が同じだ。脳腫瘍、心筋梗塞、自己免疫性の難病。ここまでくりゃ、そこらの情報屋でも調べれば簡単に辿り着けるレベルだ」


「……死にかけた人ばっかり」


「そういうこった」


 泡はまっすぐに氷室をみつめる。

 その瞳は、喫茶店の柔らかい照明の中で、妙に影を帯びて見えた。


「誰かが、それを気に入らなかったんだ」


 その一言に、氷室は無意識に喉を鳴らした。

 それは、まるで甘い香りの中に滴る毒のような声で耳にまとわりつく。


 一文は資料を見つめながら、別の層を覗くように眉を寄せる。


 泡が声をひそめる。


「ねえ、ビタくん……これって、“死に損なった人”が狙われてるってこと?」


「可能性はある」


「じゃあ……やっぱり……」


「断定はできない」


 その静けさは冷たく、重かった。


 氷室が渋く笑う。


「で、お前ら何を追ってんだ?」


「……死の形だ」


「はっ。変わらねぇな、報告屋」


 泡の指が、資料の端をつまむ。

 その細い指が、わずかに震えた。

 一文はその震えに、一瞬だけ視線を落とす。

 恐怖からではないことだけがはっきりとわかった。


 泡は息を飲むように問いかけた。


「次は……どうするの?」


 一文は椅子を引き、静かに立ち上がった。


「被害者のタネは割れた。あとは辻褄が合えば報告はできる」


「犯人は……さがさないの?」


「報告屋は、知り得た情報をまとめるだけだ。……それに」


 一文は横目で泡を見た。


「……きっと、向こうからやってくる」


 氷室に謝礼を渡し、伝票を取る。


 泡は慌てながらも笑顔で頭を下げ、一文の背を追う。


 二人が消えた扉の向こうを見送りながら、氷室はコーヒーを啜った。

 テーブルの紙ナプキンがふわりと揺れる。

 風もないのに。


 まるで──

 何かが、すぐそばを通り抜けたみたいに。

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