第4話~束の間



 現場検証を終えた二人は、駅近くの古びた喫茶店に腰を下ろしていた。

 テーブルの上には、名古屋名物のエビフライ定食。

 衣はサクサク、海老はぷりぷり。湯気の立つ味噌汁と、山盛りの千切りキャベツが添えられている。


「……うまっ。なにこれ、反則じゃない?」


 泡が頬をほころばせながら、タルタルをたっぷりつけてかぶりつく。

 一文は静かに箸を動かしながら、窓の外を見ていた。雨は止み、街灯が濡れたアスファルトを照らしている。


「……あのさ」


 泡が口を拭いながら、ぽつりと切り出す。


「さっきの彼岸花の匂い……なんか、懐かしかったんだよね」


 一文の箸が止まる。

 ゆっくりと顔を上げ、じろりと泡を見た。


「な、なんかこわいよ、ビタくん……その目」


 泡は肩をすくめて笑うが、その笑みはどこか引きつっていた。


「……懐かしいって、どういう意味だ」


「うーん……わかんない。どこかで嗅いだことある気がするだけ。夢の中とか……?」


 泡は曖昧に言葉を濁す。

 一文はしばらく黙っていたが、やがて視線を外し、再び箸を動かした。


「余計な情報はノイズになる。感情に引っ張られるな」


「……はいはい、冷血報告屋さん」


 泡は口を尖らせながらも、どこか安心したように笑った。


「……あ、そういえばさ」


 思い出したように声を上げる。


「手術痕、あったよね。あれ、ちょっと気になった」


 一文の肩が、目に見えないほど僅かに硬くなる。


「なぜ、現場で言わなかった」


 声が少し低かった。泡がびくっとする程度には。



「だってぇ、ビタくん怖い声出すからじゃん。怒鳴るし」


「怒鳴ったつもりはないが……それより、どういうことだ」


 泡は一文には目も向けず、店員を呼んだ。


「すみませーん、チョコパフェひとつ追加で!」


「……」


 一文は額に手を当てたまま、スマートフォンを取り出した。

 画面をタップする指は、冷静そのものだが、ほんの僅かに速い。

「手術痕について、確認を取る。医療記録を照会する」


「また“確かな筋”? ほんと便利だよね、ビタくんの裏ルート」


「ああ……」


 言葉は静かだが、どこか張り詰めている。

 泡はパフェのスプーンをくるくる回しながら、一文の様子を伺う。


「手術跡って、さ……重要な手がかり?」


「可能性はある。だが今はまだ断定できない」




 一文はタブレットを開き、現場検証のレポートを淡々とまとめていく。

 写真、血痕の広がり、花の位置、時間帯、周辺の目撃情報の有無──

 事実だけを、冷静に、正確に積み上げていく。


 途中、何度か連絡を受け、思案に手が止まりつつも、報告作業を黙々とこなす。


「手術跡あり。要確認」


 最後の一行を打ち終え、端末を閉じた。


「……よし」


 泡がスプーンをくわえたまま顔を上げる。


「終わった? じゃあ宿とる? 名古屋メシもう一周する?」


「いや──まだ間に合う」


「……なにが?」


 一文は立ち上がり、冷静な声音で言った。


「気がかりが増えた。札幌への最終便に乗るぞ。このまま北へ向かう」


 泡はスプーンを落としかける。


「えっ、ちょ、パフェ食べ終わってないんだけど!?」


「持っていけ」


「ええええええ!?」


 泡はスプーンを慌てて動かしながら、名残惜しそうにパフェを口へ運ぶ。

 一文はすでにレジへ向かっていた。


 


 名古屋駅前・夜


 駅前の広場には、夜の湿気がまだ残っていた。

 泡が小走りで、一文の背中を追う。


「ねえ、札幌って、そんなに急ぐ理由あるの?」


「ある」


「……“確かな筋”?」


「そうだ」


 泡はため息をつきながら、空を見上げた。

 雲の切れ間から、星がひとつだけ顔を出していた。



 名古屋の夜が背後でぼやけていく。


 二人はまた、“死神の残り香”の方へ歩き出した。



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