リッチマン・レポート

四ノ羽 ガラス

第1話~黒い彼岸花

 死体は、まるで眠っているようだった。


 胸に一発、銃弾。血は円を描くように広がり、まるで“死”を描いた絵画のようだった。


 その上に添えられたのは、黒い彼岸花。




 存在しないはずの色。


 光を吸い込むような黒が、そこに佇んでいた。




 




 最初の死が報じられたとき、世間はそれを“奇妙な事件”として消費した。


 場所も時間もバラバラ。


 犯人像は掴めず、被害者に共通点もない。




 ただ一つ、確かなことがある。


 死者は皆、苦しんでいなかった。


 そして、胸に黒い花が添えられていた。




“死に花事件”――そう呼ばれる連続不審死が、静かに、確実に、全国へと広がっていた。




 




「さて、仕事だ」




 鐚一文びたいちもんは、乾いた声でそう言った。


 黒髪を耳にかけ、古びた雑居ビルの一室で、書類を鞄に詰めている。




 この部屋が、報告屋“リッチマン”の拠点だ。


 国家機関ですら手を出せない闇を、金で掘り返す。


 依頼主が望むのは、真実。


 どれほど醜くても、どれほど救いがなくても――。




 




「死に花事件、ねえ」




 ソファを逆向きに跨いだ少女が、足をぱたぱたと揺らす。


 銭屋泡ぜにやあぶく


 白に近い金髪のツインテールに、赤い瞳。


 制服をアレンジしたような服に、ピアス穴にかかった小さな南京錠が揺れている。




「どんな死か、見に行けるんだ。楽しみじゃん」




「楽しみかどうかはともかく、調査は必要だ」




 一文は薄暗い色眼鏡を押し上げるような仕草で答える。


 泡はにやりと笑い、指で髪をくるりと巻いた。




「でもさ、ビタくんも興味あるでしょ? “死に方”には」




「……興味、ね」




 一文は少しだけ目を伏せた。


 その瞳の奥には、泡には見えない影が沈んでいる。




「俺はただ、依頼を遂行するだけだ」




「ふーん。でもさ」




 泡はソファから跳ねるように降りて、一文の胸元に顔を近づける。




「死んだ人の顔、みんな“眠ってる”みたいなんだって。動画で見たよ」




「……勝手に見るな」




「だって、好きなんだもん。死ぬ瞬間って、いちばん綺麗じゃん」




 一文は、彼女の赤い瞳を見つめる。


 その輝きは、かつて自分が“死”に見た光と、よく似ていた。




 





 市街地から少し外れた高架下。

 高架の継ぎ目から水滴がぽつりぽつりと落ちては消える。

 昼でも薄暗く、鉄の匂いと排気ガスが混じる空気が、肺に重くのしかかる。




「ここが現場だ」






 一文は手帳を読み上げる。






「名前は――」




「名前はいいよ。どう死んだかのほうが大事」




 泡は地面にしゃがみ込み、チョークで囲まれた跡を覗き込む。


 その目の奥には、好奇心と、何か別の色が混ざっていた。




「胸を一発、でしょ? 銃……すごいなあ」




「感心するところじゃないだろ」




「だって、人間が“殺すためだけに作った道具”でしょ? すごいじゃん。効率ここに極まれり」




 一文の表情が、かすかに固まる。


 泡は気付かないふりをして、チョーク跡に触れる。




「痛くなかったんだってさ。撃たれた瞬間も、死ぬ間際も」




「……どうしてそう思う」




「だって、ここ――」




 泡は、地面の染みを指差した。


 血の広がりは不自然なほど整っている。


 暴れた形跡がない。




「“安心して”死んでる匂いがする」




 一文はその言葉に、胸の奥がひりつくのを覚えた。


 泡の言葉は、無邪気すぎて、残酷だった。




「安心して死ぬ……か」




「うん。怖くなくなる“何か”があったんじゃない?」




 一文は黙り込む。


 警察資料によれば、被害者の表情はいずれも“安らか”。


 まるで眠りについたように、苦痛はなかった。




 だが、そこにある“黒い彼岸花”だけが異様だった。




「花は、どこ?」




「警察が回収した。写真はある」




 一文はタブレットに表示した虚ろな黒花を見せた。


 泡の目が異様に輝く。




「すごい……。これ、ほんとにまっ黒なんだ」




「分析では染料は検出されていない。自然界に存在しないはずの色だ」




「じゃあ、誰が……?」




「置いたのは犯人だろう。だがその意図はわからない」




 泡は立ち上がり、ポケットに手を突っ込む。




「ねえ、ビタくん」




「なんだ」




「犯人、死神じゃない?」




 一文の心臓が、一瞬止まった。




「……なぜそう思う」




「だって、こんなきれいな死に方、人間にできる?」




 泡の笑みは、残酷なほど無邪気だ。




「私、知ってるよ。死神って本当はやさしいんだって」




 一文の喉が、わずかに鳴る。


 その言葉は、かつての自分が信じていた理想そのものだった。




「痛みを取って、最後の匂いを添えて、苦しまないように死なせてあげる。


 これ、死神の“やり方”に似てるよね?」




 一文は拳を握りしめた。


 死神は、直接手を下さない。


 寿命を“整える”だけ。


 けれど――




 泡の推測は、あまりにも近かった。




「……行くぞ、あぶく」




 一文はその場を離れようとする。


 だが泡は、その背中を追いながらぽつりと呟いた。




「もし犯人が死神ならさ」




 一文の足が止まる。




「会ってみたいな。“死をくれる人”に。どんな顔で死をあげたのか」




 一文は振り返らないまま言った。




「あぶく。軽々しく言うな」




「えー? でも――」




 泡は笑った。




「きっと、すっごく優しい人だよ?」




 一文はその言葉を聞こえない振りをして、静かに飲み込んだ。


 ――風もないのに、遠くの木々が騒がしく揺れた気がした。

 

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