リッチマン・レポート

四ノ羽 ガラス

第1話~黒い彼岸花



 最初の死が報じられたとき、世間はそれを“奇妙な事件”として消費した。

 場所も時間も一致せず、犯人像も見えない。

 被害者同士に共通点もない。


 ただ一つ、確かなことだけがあった。

 死者は皆、苦しんでいなかった。

 そして、胸には黒い花が添えられていた。


“死に花事件”。

 そう呼ばれるようになった頃、

 報告屋・鐚一文びたいちもんのもとへ依頼が届いた。

 彼は真実を掘り起こす者。

 国家機関ですら避ける闇を、金で掘り返す。

 依頼主が望むのは事実。

 どれほど醜くても、どれほど救いがなくても。


 


「さて、仕事だ」


 乾いた声が、古びた雑居ビルの一室に落ちた。

 一文は黒髪を耳に払い、机に散らばった資料を淡々と鞄へ収める。

 ここが報告屋“リッチマン”の拠点。

 必要なのは観察と記録、そして多角的な情報だ。


「死に花事件、ねえ」


 ソファの背を跨いで座る少女が、退屈そうに足を揺らした。

 銭屋泡ぜにやあぶく。制服を崩したラフな服装に、小さな南京錠のピアスが揺れる。

 赤い瞳はどこか透け、白に近い金髪が光の加減で淡く揺れた。


 彼女は死に対して異様に近い。恐れでも嫌悪でもなく、ほとんど“親しみ”に近い距離感で。


「どんな死なんだろう、ちょっと楽しみ」


「楽しむな、調査だ」


 一文は色眼鏡を押し上げる。

 泡はにやりと笑い、指で髪をくるりと巻いた。

 泡の言葉にはいつも微かな熱がある。

 それは無邪気を装った冷たい好奇心だ。

「でもビタくんも興味あるでしょ、“死に方”って」

 その一言に、一文の視線が一瞬沈んだ。

 胸の底に沈殿した影が、泡には見えない。

 彼は答えず、ただ「俺は、依頼をこなすだけだ」とだけ言った。



 泡はソファから跳ねるように降りて、一文の胸元に顔を近づける。


「動画見たけどさ。死んだ人、みんな寝てるみたいな顔してたよ」


「勝手に見るな」


「好きなんだよ。死の瞬間って、“世界が一つ終わる”んだし」


 その言葉の鋭さを、一文は知っている。ときおり、彼女に心の奥をざらつかされるのを感じる。


 


 市街地から少し外れた高架下。

 昼だというのに光は地面まで届かず、鉄骨の影が濃く折り重なっていた。

 車の走行音が頭上を震わせ、金属のうなりが鼓膜の奥に滲み込む。

 高架の継ぎ目から水滴がぽつりぽつりと落ちては消える。

 湿った土の匂いと排気ガスの重い残り香──死と無関係であるはずのものが、奇妙に整いすぎてそこにあった。


 一文は手帳を開き、位置情報だけを確認して歩を止める。


「ここが現場だ」


 泡は返事もせず、すでに駆け寄っていた。

 チョークで描かれた輪郭は暗い地面に白く滲んでいる。

 まるで、死者の影だけがそこに留まっているようだった。


「ねえ、ビタくん。この場所……静かすぎない?」


 泡がしゃがみ込み、指先で地面をそっとなぞる。

 その動作は妙に優しく、まるで何かを撫でるようだった。


「胸を一発。銃だよね? なのに……暴れた跡、まったくない」


 付近に転倒の痕も、逃げた形跡も、抵抗の軌跡すらない。

 血痕は円形に近く、均等に広がっていた。自然には有り得ない整い方だ。


「感心するな」


 一文の声は短く、やや低い。泡は振り返り、肩をすくめた。


「感心はするよ。こういう死に方、滅多にないもん。“怖さが抜けてる”」


 高架を渡る風が、急に止んだ。空気が重く沈む。泡の赤い瞳が落とし穴のように深まる。


「ねえ、ビタくん。ここ……“安心して死んだ跡”の匂いがする」


 その言葉に一文は、ゆっくりとしゃがみ込み、地面へ触れた。


「……安心、か」


 泡が顔を上げるより早く、一文は指先で土を軽くすくった。

 その動きは“記録のため”というより、何かを確かめる人間のものだ。


「“諦め”に見えるがな」


 泡が目を瞬く。

 泡は、それを見逃さなかった。


「でも、逃げてない。怖がってない。……最後を迎えてもらった……?」


 一文は返さない。代わりに鞄からタブレットを取り出し、警察から送られた資料の一部──被害者の胸元に置かれていた黒い花の写真を開いた。


 沈む闇のような黒。光を飲む色。花弁の縁は自然の造形とは思えないほど滑らかだ。泡は画面を覗いた瞬間、息を飲んだ。


「……これ、本当に自然なの?」


「分析結果では、染料も人工物も検出されていない」


 泡は静かに息を吐き、目を離さないままかすかに笑った。


「これ置いた人、どんな気持ちだったんだろうね」


「そんなもの、推測しても無駄だ」


「無駄じゃないよ」


 泡は立ち上がり、地面に落ちた影を踏んだ。高架の隙間から差す陽光が一瞬だけ彼女の金髪を照らす。金ではなく、灰色に見える光だった。


「だって、こんなに綺麗な死に方させてあげてるんだよ。怖がらせないように、痛くないように……丁寧に、静かに」


 泡の声はひどく優しい。優しさの形をした残酷だ。


「“死なせてあげた”に近いよね。殺したんじゃなくて」


 その言葉に、一文の足が止まる。胸の奥で何かがざらついた。彼はそのざらつきの正体を言葉にできなかったが、確かに揺れていた。


 泡は続ける。


「私ね、思うんだ。犯人、すごく優しい人だよ」


「軽々しく言うな」


「じゃあビタくんは? どう思う?」


 その問いは真っ直ぐで、一文の皮膚の裏側まで刺さってくる。彼は短く息を吐き、背を向けたまま低く言った。


「……行くぞ、あぶく」


 泡はくすりと笑った。


「会ってみたいなぁ、その人。どういう顔で“死”を渡したんだろう」


 次の瞬間──高架の天井が微かに震え、乾いた金属音がひとつ落ちてきた。風は吹いていない。けれど周囲の木々がざわりと揺れた。まるで誰かが、この会話を聞いているかのように。


 一文は振り返り、薄い空を見上げた。

 現場に着いた時から──いや、たぶん最初の報道の時から、一つの仮説が胸の底で形を取り始めていた。


 そして今日、静かに確信へと近づく。


 黒い花が連れてくるのは“殺意”ではなく──別の願いなのだと。

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