第9話 女王5

 アレスの突き出したナイフの矛先が、女王の皮膚を突き刺す数ミリ手前で、ピタリと止まった。

 アレスは舌打ちする。

 女王に意識を向けすぎた。部屋に入ってくる兵士の気配だ。

 アレスは、瞬時にナイフの切っ先の方向を変えた。

 アレスとまともに目が合った兵士の瞳は大きく見開き血走っていた。その口が、開きかけるよりも前に、アレスは身体ごと銃弾になったかのように兵士の方へ身を飛ばす。兵士の急所へ一直線に飛び込み、急所を一突きしていた。一瞬で絶命し、兵はその場に崩れ落ちる。

 立っていた兵が消えると、その背後に腰に剣をさした背の高い男が立っていた。

 

 その気配に全く気付かなかった。

 アレスの心臓は一気に跳ね上がり、その勢いのまま、その男へとターゲットを変化させようとした。しかし、金縛りにあったかのように体が動かなくなっていた。

 目の前で兵士がやられたというのに、その男の真っ黒な瞳に、感情が滲んでいない。兵の亡骸は、視界にも入っていない。その冷徹な瞳の中にその黒い瞳の中に、アレスを映しているだけだった。そこから、冷たく不気味な空気を放っている。

 身を隠していたときに感じた不気味な空気が、アレスの背筋を撫でてくる。冷たいものが滑り落ちていく。ゴクリと唾をのみ込む。

 こいつが、ミリオンだ。

 認識すると同時に、脳からけたたましい警告音が鳴り響いた。

 ミリオンから殺気は感じられないのに、早く動かなければ、やられると本能が命令してくる。

 しかし、動けと体に命令を送ろうとしても、動かない。その理由は、視界に入ってくる男の顔だ。

 黒い髪を後ろに束ねた黒髪。特徴的な鉤鼻。

 これで、髭が生えていたら、きっと見分けがつかない。

 アレスの茶色い瞳は、ただ大きく目を見開くばかりだった。

 ミリオンは、無表情のままアレスの顔面に手のひらを向けた。

 突如、ミリオンの腕にはめてある金色の腕輪が淡い光を放ち始め、手のひらに、その光が乗り移る。その光が一体何なのかと、いちいち疑問を持つ時間もなかった。

 

「死ね」

 ミリオンが、言い放つ。同時に熱と白い光が一気に集中していく。

 アレスの前髪がちりちり焼け、焦げ臭いにおいが立ち込める。

 まずい。

 そう思ったのと同時に、集まっていた光が放出された。

 

 アレスは、咄嗟に身を低くし床に這いつくばった。

 大きな白い光の塊が、アレスの後頭部すれすれを飛んでいった。光の玉は、すさまじい爆音と衝撃と共に壁を突き抜け、宮殿全体を揺らしていた。

 弾みで、鳥籠が床に落ち扉が壊れる。

 中にいたエメラルドクリーンの小鳥は、一瞬女王を気遣うような素振りをみせたが、風穴の外へと空高く飛び去っていく。

 その下の庭では、喧騒が集い始めていた。

 

 アレスは、俯せにしていた身をばねのように弾いて、後方へ引いた。

 魔法だ。

 先ほど、女王の口からも出ていた言葉と、今見たものは完全一致していた。


 アレスは、身を固くしている女王の背後へ、素早く移動する。

 そして、女王の細い腕を乱暴に引き寄せた。女王を盾にし、細い首にナイフを突きつけた。

 ミリオンは、女王の側近という立場だ。女王を見捨てる判断はできない。

 

「……いい判断だ」

 ミリオンは女王の身を案じるどころか、満足そうに笑っていた。

 女王の肩越しから、ミリオンを見据えるアレスは、自分が異常なほどに動揺していることがわかった。

 ナイフを握る手が異常なほど熱を持っている。

 そんなアレスをすべて把握しているかのようにミリオンは、言い放っていた。

「ジャン」

 父の名が突如ミリオンの口から飛び出した。

 女王へ突き付けているナイフの切っ先が、微かに乱れた。

 それを見て、ミリオンは笑った。


「思い出したか」

 暗い記憶の中から、鮮明に思い出される。 心臓が潰れそうなほどの、悲しみ。

「アレス」


 今度は偽名ではない、本当の自分の名を呼ばれ、女王の首へつきつけているアレスのナイフが震えた。

 アレスの心臓は、騒音を上げながらスピードを上げていく。息が上がっていた。

 ナイフを突きつけられている女王は、背後のアレスを気遣うように、青い目を向ける。そして、眉間にしわを寄せていた。

 ミリオンは興味深い顔をして漆黒の瞳を細めた。アレスと女王の間にあった距離を詰めていく。


「懐かしい再会だな。なぁ、アレス」

「……お前は、誰だ……」

 アレスは、自分に落ち着けと言い聞かせるように大きく息を吐いた。


 確かに顔は、父のジャンにそっくりだ。

 しかし、本人じゃないことは確かだ。ぎりっと奥歯を噛むと、血の味がした。

 あの日の赤い輪郭。血の匂い。肌の冷たさ。体が押しつぶされそうなほどの重さ。

 心臓が潰れそうなほどの悲しみは、全身に刻まれている。

 決して偽物ではない。

 ならば、これも魔法の一種か? 幻覚でも見せられている? いや違う。

 昔、父から聞いたことがある。

 自分には、兄がいる。宮殿にいると。

 渦巻く疑問が一気に、取り払われる。ミリオンは、口角を上げ、天井へ高く左手を挙げた。

「喜べ。懐かしい父親と同じ顔を持つ人間に殺されることを」

 ミリオンの腕輪が輝いた。


 その瞬間、アレスの真上から見えない何かが、体を押し潰してきていた。

 身体がバラバラになりそうなほど、圧迫される。耐え切れずアレスは、床へうつ伏せに倒れこむ。

 女王の首からナイフが消えた。女王の青い目は、大きく見開かれていた。

 ミリオンは、笑みをこぼすと、更に圧力は増していく。

 背骨がめきめきと悲鳴をあげる。

 抵抗しようとすればするほど、力が強まった。肺まで潰されて、息ができない。

 ミリオンが見下ろし、満面の笑身を浮かべた。

「所詮、ジャンの息子だな。死ね」

 ミリオンの天井へ向けていた手のひらがゆっくりと、握り込まれる。

 上からの圧力が、横からも加えられていく。身体がすべて押しつぶされていく。

 視界が狭まり、意識が混濁していく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る