第7話 女王3

 どかどかと複数の人間が部屋になだれ込んでくる気配がした。

 アレスは、咄嗟に壁際へ身を寄せる。

 アレスの監視役としてついてきていた兵士二名は、突然入ってきた者たちに驚き動揺を見せているようだった。

「ミリオン長官、お疲れ様です!」

 女王への態度から一転、恐怖に塗り替えられた声色。敬礼したのか、カチッとかかとのブーツが揃えられる音がした。同時に、びりっと雷のような静かな怒号が響いた。

「早くここから、出ていけ」

 怒号の正体は、ミリオンと呼ばれていた男なのだろう。

 一人の兵士は、逃げ出すようにバタバタと廊下へ出ていった。しかし、残された兵は「ですが……」と、もたついている。部外者のアレスがいることを伝えようとしているのだろう。

 アレスは、すぐに戦闘に入れるように体勢を整えた。工具は足元へ置き、代わりに隠し持っていたナイフを手にする。同時に、より一層気配を殺すことへ意識を集中させようとしたとき、突如壁がビリビリと裂けるような衝撃が走っていた。ドンという鈍い音も混じっている。

 身を隠しているため視覚的確認はできないが、兵が女王の部屋のドアを突き破り、廊下の壁へ激突したことは、想像に難くなかった。

 アレスは、手の中のナイフを握り直す。


「さっさと片付けろ!」

「はいっ!」

 どこからともなく兵士がやってきて、慌てて廊下へ出て行く。壁に衝突した兵を引き摺るような音をさせながら、遠ざかっていく。

 一方で、ミリオン長官と呼ばれた男のブーツが、床を重々しく叩いて、女王のいる奥の方へ向かっている。アレスは、頭の中にある資料を開く。

 

 ミリオン長官。決して表舞台には出てくることはなく、顔さえも世間に知られていない男。

 唯一ある情報は、女王の右腕として力を発揮しているという噂だけ。ならば猶更、顔を確認したいところだ。しかし、今動けば察知されるだろう。気配でわかる。奴の能力は、常人からかけ離れている。アレスの背筋にすっと冷たいものが落ちていた。

 敵に対して、恐怖を感じるのは、初めての経験だった。

 アレスのナイフを握る手の中が、汗で滲んでいる。

 

「会見は、一時間後だ。用意しろ」

 ミリオンがいう。

「……今度は、何なのですか……」

 まだ数人残っている兵士たちから放たれる恐怖がこの部屋中に充満しているせいか、女王の声は更に弱弱しい。鳥籠の中にいる小鳥がそれを勇気づけるようにバタバタと羽を動かし、ミリオンへキキッと鳴いて威嚇し始めている。小さな抵抗は、視界の端にも映らないミリオンは冷たくいい放っていた。

 

「早く読め」

 ミリオンが、一枚の紙を女王へ投げてよこしていた。

 しばらく沈黙が落ちた後「どうして……」と、うめき声のような女王の声が発端となり、空気をかえていた。

「……何故? どうして! わざわざ世界の均衡を崩すようなことをするのですか! 我が国は、隣国――サルミア国と和平条約を結んでいます! それなのに、宣戦布告だなんて!」

 宣戦布告?

 アレスは、耳を疑った。


 この世界はグラン国とサルミア国の二国で成り立っている。

 今から約五十年前。赤の女王の祖父にあたるグラン王――別名戦王が政権を握っていた時代、グラン国とサルミア国は、ひたすら戦争に明け暮れていた。

 互いの領土は自分のものだと主張し、この世界の頂に立つのは自分だと言い張っていた。

 戦王は、民の血がいくら流れようが、剣を収めることはなかった。長く続く戦に、グラン国の人々は疲弊していたが、恐怖政治を敷く戦王に反対できるものは誰もいなかった。戦王は、ひたすら人々に戦うことを命じ続けた。そして、戦王率いるグラン国がとうとう、サルミア国を追い詰めた。後少しでサルミア王の首が捕れる所まで来た時。戦王が突如、謎の病で倒れ、そのまま命を落としたのだった。

 

 それを境に、戦の流れは一気に変わった。

 戦王に変わり、次に政権を握った赤の女王の父グラン王は、和平交渉を打ち出したのだ。当初、サルミア王はそれを拒否したが、ずっと存在していた国内の厭戦ムードは膨張し、両国王を飲み込んだ。

 そして、無事和平条約が結ばれた。

 女王の父グラン王は、平和の父と呼ばれた。

 グラン王が亡くなったあとも、その条約は有効に働いていて、サルミア国が戦争を起こす足音は、聞こえてこない。

 それなのに、なぜ。グラン国が提示し、苦労して成し遂げた和平を破り、再び戦争を仕掛ける必要があるのか。

 アレスの身体は怒りが点火され、熱くなる。

 その火が燃え移ったかのように、女王が叫んでいた。


「父の尽力を……無駄にするのですか!」

「そう。お前の父親のせいだ。最悪の腰抜け条約のせいで、俺がどれほど苦しんだのか……お前にわかるまい!」

 ミリオンが吐き捨てたと同時に、女王の華奢な体が床に転がった。アレスのもとにも、その空気が伝わる。殴られたのだろう。

 女王が呻き声をあげた。苦し気な息遣いが空気を伝ってアレスの耳元に届いてくる。そして、気丈に立ち上がる気配がした。

 

「ただでさえ、この国の民は、この国の悪政で苦しんでいるのです!」

「悪政? どこがだ。先を見したうえでの、善政だろう。 戦争を起こすにあたり、宮殿にすべての食糧、武力、金をかき集めずに、どうやって勝利をもたらす?」

「戦争など起こせば、民に今以上の苦しみと悲しみを与える。人々の命が消えていく! ……あなたは……! いったい何がしたいのですか!」

 女王は、怒りで震え、かなぎり声をあげる。ミリオンの溜息がそれを払いのけた。

「隣国サルミア国を打ち砕く。そして、世界を掌握し、英雄として歴史に俺の名を、刻むのだ」

「英雄ですって? 悪魔の間違いでしょう……!」

「人々にとって、お前が悪魔となるのだよ。赤の女王。お前は何も考えず、サルミア国へ宣戦布告し、攻め入る。しかし、当然サルミア国は抵抗するだろう。決着は、なかなかつかない。再び、史上最悪と謳われれる戦王の時代に巻き戻る。浅はかな、お前のせいでな。そして、世界は、混沌とした暗い世界へと再び導かれる。長い戦だ。人々は疲弊し、宣戦布告した女王を恨むだろう。そこに、この私が星のように現れる。私は、緻密な作戦の元、サルミア国を滅ぼし、戦乱はとうとう終焉を迎える。私が世界を平定させ、人々に光を灯すのだ。人々は歓喜し、私を英雄として崇めるだろう。

 最後の仕上げは、戦争で疲れ切った国民の悲しみと怒りの慰めを施す。その矛先は、赤の女王。お前だ。世界を混沌へと導いた大罪人として、国民の前で処刑する。どうだ? なんと素晴らしいシナリオだ」

 ミリオンは、どこまでも饒舌だった。女王は叫んだ。

「救いようのない陳腐な夢物語など、誰が叶えさせるものか! 私は、あなたの思い通りには、絶対にならない……!」

「どうやって? お前に、抗う術はあるのか? 何もできないだろう?」

 ミリオンは、ゲラゲラと笑う。

 その隙間から、女王の嗚咽が空気を震わせ、アレスの鼓膜に届いていた。

 演技とは、思えなかった。

 アレスの頭は、一層混乱する。同時に、身体の中心がこれまで溜め込んできた怒りが膨張していた。

 自然とアレスが握っているナイフに力が入っていく。

 その瞬間、ミリオンから表情が消えた。


「そういえば……さっき、どうしてお前のところに兵がいた? 気分高揚して、つい殺してしまったが」

 突然変わった話題。ミリオンが突如、周囲の気配を探り始めていた。


 アレスは冷静に状況分析していく。

 ここで、女王が俺の存在を話せば、ミリオンは今の会話を全部聞かれていたことを知る。そうなれば、俺は容赦なく排除されるだろう。

 アレスは、静かに息を整える。全神経を集中させる。ならば、こちらから仕掛ける。

 アレスは、足に力を込めた。動こうとした瞬間、女王の声がアレスを制していた。

 

「先ほど、そこの窓から外庭をみたら、不審者がいたように思い、不安になって兵を呼んだのです。ですが、今は宮殿の点検をしてる最中。ただの作業員だと説明されました」

 女王は涙声で、アレスを庇っていた。

 アレスの足に込めようとしていた力が、抜ける。これが嘘だとばれたら、女王は殺されないまでも、酷い目にあわされることはわかっているはずだ。そこまでのリスクを冒してまで、なぜ庇う必要がある。

 アレスのざわつく感情をよそに、ミリオンはすぐに納得していた。

「お前らしい馬鹿さ加減だ」と、女王を蔑み、ミリオンは再びケラケラ笑う。

 耳障りな雑音だった。腸が煮えくり返りそうになる。

 しかし、そこでも女王の声が、その熱に水を差してくる。


「……私は、もう耐えられません……。私は……もう……」

「演説は一時間後だ」

 女王の悲痛な叫びを、ミリオンは取り合うこともなく、一蹴する。ミリオンは再び思いブーツを踏み鳴らしていた。遠ざかる気配。

 アレスは、自分が動いてもミリオンに察知されない程度離れたのを確認して、ふうっと息をついた。王女の咽び泣きが、静かに響いていた。


 その声を聞きながら、アレスは、じっと握りしめているナイフの切っ先を見つめていた。

 この状況を、どう受け止めるべきなのだろうか。


 両親が死んだあの日から、女王へ復讐するために、生きてきた。レジスタンスを潰さないために、女王の命をとるために、幾度も人を殺めた。そのたびに、返り血を浴び手が血まみれになった。その血を見ると、自分が死んでいくような感覚に陥ったこともあった。しかし、それは一概に、女王を殺したい一心でやってきたことだ。悔いはなかった。それだけが、自分の存在意義。生きる意味だった。

 ならば、自分の中に渦巻き始めている思いを、すべてこの手の中のナイフに込めればいい。


 アレスは、ナイフをポケットへ隠す。ナイフをぎりぎりと握りしめながら、女王の方へつま先を向けた。その足が酷く重い。

 再び視界に入ってきた女王は、床にべったりと座り込んでいた。両手で顔を覆い、肩を震わせている。束ねた金の毛先まで、泣いていた。

 

 容易く命をとれる距離まで詰める直前で、アレスの足が止まっていた。

 震える白く細い首。

 それをとるために俺は、ここにいる。この時を、何年も心待ちにしていた。

 感情はいらない。ただ、任務を遂行すればそれでいい。レジスタンスのメンバーの思いも、この手に託されている。

 

 女王は涙を拭い泣き腫らした顔をアレスへ向ける。

 下から見上げてくる女王の青い瞳は、何か決心を固めたような鋭さがあった。

 アレスはポケットの中のナイフの感触を確かめる。

 女王は、乱暴に涙を手で拭い、立ち上がっていた。そして、女王は自ら足を動かし、アレスの目の前に立っていた。


「……あなたは、私を殺しに来たのでしょう?」

 至近距離で女王から、核心をつく質問が投げつけられる。

 アレスのこめかみがピクリと動く。

 女王からは、今までの気弱さの欠片も見えなくなっている。青い瞳は、ただただ鋭利に研がれていた。その瞬間、アレスの脳裏に憎らしいほどに堂々と演説をしている時の女王の声色がと、重なった。ジャンが死んだあの日みた、赤い花が鮮明に脳裏に蘇る。

 鬩ぎあっていた葛藤が嘘のように、冷えていく。

 女王の質問に、否定も頷きもしないアレスは、茶色い瞳の奥の黒さを増して、女王を見返していた。ポケットの中のナイフの柄を握りなおし、一点を見据える。

 その先は、女王の白い首筋。その首が小さく震えた。

「今すぐ、私を殺してください」

 

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